ぼくの神さま。


「罪を、作らないと……」

 リヒトさんから線を引かれたその夜、お母さんが仕事に出たのを見計らって、ぼくは散乱したリビングから、落ちていたお母さんの口紅を一本盗んだ。
 使いかけの、派手なピンクの口紅。これだけ散らかっているのだ、一本くらい足りなくても、きっと気付かれることはない。
 もし気付かれたとしても、叱られたり悪い子だと思われることへの恐怖よりも、罪を作ることの方が今のぼくには重要だった。

「……、……」

 初めて自分の意思で働いた悪事は、見知らぬ人の櫛を踏んでしまった時よりも軽やかで、なんともあっけないものだった。
 誰かのものを盗むなんて、以前のぼくならば、きっと良心の呵責で耐えられなかったはずだ。
 それでも今のぼくは、こんなにも簡単なことでリヒトさんと同じ場所に立てるならと、喜びの方が強かった。

「ふふ……これでぼくは、またあの人の共犯者だ」

 ぼくは家にあった黒い箱に、盗んだ口紅をそっと隠しておくことにする。

「明日の朝、教会に持っていこうかな……でも、リヒトさんは昨日来たばかりだし、明日は来ないかも……ふふ、早く会いたいなぁ」

 ミーティアを箱に詰めた時には苦しくて震えた指先は、今はゴミでも捨てるようにあっさりと口紅を手放して、ぼくは罪を犯すことに、幸福さえ感じていた。


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