ぼくの神さま。


 ぼくが『彼』に出会ったのは、ぼくが中学二年生の、夏のことだった。
 深い青に分厚い入道雲が浮かんで、陽炎が揺らぐアスファルトの上に汗が流れ落ちる、そんな太陽の照りつける夏の日。

「あつ……」

 炎天下じりじりと肌を焼く暑さに負けて、日陰を求めて辿り着いたのは、何度も足を運んだことのあるお気に入りの場所。森の奥にある、教会の廃墟だった。
 夜に来れば肝試しにぴったりであろう、陰鬱とした印象。既に封鎖されたその建物は、不気味だからと誰も寄り付かず、けれどもぼくは、そんな静かなそこを秘密基地のように気に入っていた。

 ひび割れたステンドグラスから差し込む歪な光のコントラストも、傾いた十字架も、創造主を象った薄汚れた銅像も。どれも人々から忘れ去られ捨てられて、それは『はみ出しもの』のぼくにぴったりの、ぼくだけの特別な場所。

 その中で、ぼくは美しい『神さま』に出会ったのだ。


*****


 いつものようにすっかり通い慣れた道を抜け、静寂の森の奥に鎮座する教会に辿り着くと、いつも歪んで建て付けの悪い木製の扉が、今日に限ってやけに開けやすいことに違和感を覚えた。
 ぼく以外の誰かが居るのかもしれない。廃墟に侵入しようなんてきっとろくな奴ではないと、つい自分のことを棚に上げて、ぼくは恐る恐る扉の奥を覗き込む。

「……、……」

 カビと埃っぽい匂いのする室内は、あまり広くもない。木製の長椅子が縦横均等に五列ほど並び、正面の壁の十字架と吊るされるように設置された創造主の銅像を見上げる形になっている。
 白を基調とした清廉な雰囲気の空間の床は、既に剥がれ落ちた木材や砂埃に汚れてはいるものの、日差しの強い日には輝くステンドグラスの色とりどりの光に照らされて、琥珀糖のように美しい。

「……誰も、いない?」

 しんと静まり返った室内に、人の気配はなかった。万が一物陰に隠れていたとして、丸みを帯びたこの天井では音が跳ね返りやすいから、きっとすぐにわかる。いつも自分の足音さえよく拾うくらいだ。

 そっと立ち入ろうとした先、不意に足元にぼくよりも少しばかり大きな足跡が残っているのに気づいて、息を飲む。

「……っ!」

 やはり、誰かがここに足を踏み入れたのだ。
 ぼくはさっと血の気が引くのを感じた。自分だけのお気に入りの場所。宝箱が荒らされるような、嫌な感覚。
 当然恐怖はあったけれど、それ以上に不快感が強かった。今のぼくに逃げる選択肢はない。侵入者の正体を確かめるために建物の中に足を踏み入れ、その足跡を辿ることにした。

「……え」

 そしてすぐに、その違和感に気づく。足跡は礼拝をするための席ではなく、迷うことなくその奥にある暗幕の向こう、隠された二階への階段に向かっていた。
 二階には、おそらくシスターや牧師さんのために用意された、小さな休憩部屋があった。
 少し埃っぽいけれど座り心地のいい簡素なソファーと、日当たりのいい小窓。小さなテーブルと聖書を詰めた本棚のある部屋。まだタンク内に水があるのか、手洗い程度には使用できる洗面台まであった。
 ぼくは主にそこを秘密基地のようにして、静かな時間を過ごしていたのだ。

「そんな……あそこは、ぼくの秘密の場所なのに……」

 礼拝堂からは隠されるようにして暗幕に覆われたこの階段。迷うことなくここに入るということは、もしかすると教会の関係者だろうか。
 だとしたら、今更ながらここは取り壊されたりするのかもしれない。
 ぼくの唯一の居場所を、失いたくはなかった。見つかったら咎められるのを承知で、その人に直訴するしかないだろうか。

 考えの纏まらない内にぼくは軋む階段を登り、狭い二階へ上がる。しかし、そこにも人の気配はなかった。
 そしてその代わり、ある物がないことに気付いた。

「……えっ!? うそ!?」

 ぼくの宝箱。誰にも触れられたくない、秘密の小箱。
 確かに部屋の片隅に置いておいたはずの、赤いお菓子の箱に入れておいた『それ』がないのだ。

 あれが、誰かに持っていかれた。

 そう考えると、先程の比ではないほどに一気に血の気が引いた。ぼくは慌てて辺りを見渡して、小窓から建物周辺を見渡す。
 すると、教会の裏手、既に手入れが放棄された花壇近くに、人影あることに気付いた。
 この距離からは、木の影が邪魔して上手く見えない。しかし、その人物の足元に赤が見えた。今まさに探していたぼくの箱がそこにあることに気付き、考える前に足が動いた。

「……っ!」

 半ば転がり落ちるように階段を降り、外を目指す。
 なんでもいい、それを取り返さなくては。もし、中身を見られてしまっていたら、その時は……。

 思考に終わりが見える前に、建物を出た。噎せ返るような外気温と、焦りから吹き出る汗。袖で額を拭いながら、そっと建物の影から裏手を覗くと、その人物の後ろ姿が見えた。

 顔は見えないものの、黒い髪をして上下黒い服を着た、細身のシルエット。まるで影のような男だった。
 男はシャベルを使って、花壇に穴を掘っているように見える。否、よくよく見ると、穴を埋めているようだった。
 ざくざくと響く音の中、作業に夢中な男に気付かれる前にそっと箱を取り戻せればと、ぼくは息を殺して近付く。
 あのお菓子の赤い箱は、幸い男から少し離れた場所にあった。
 いつも教室の片隅でしているように、気配を殺すのは得意だ。そっと近付いても、男は気付かない。

 一歩、振り向くな。
 一歩、あと少し。
 一歩、すぐそこ。
 一歩、そのまま箱を手に取ろうとしたところで、屈んだ拍子にちょうど穴の中が目に入った。

「っ……うわあぁあっ!?」

 穴の中には、今まさに埋められていく、『人間の一部』が見えた。
 血の気がなくて真っ白な、だけど爪の間まで土に汚れた、大人の男の人の手。
 それが地獄の底から手招くようにして、土に覆われる度小さく揺れる。
 思わず腰を抜かし、その場に座り込む。ぼくの悲鳴に、男は手を止めゆっくりと振り返った。

「……おや。きみは……?」
「あ……あ……」
「あ……? ああ、この赤い箱かい? きみがこれの持ち主かな」

 頭上から降る、死体遺棄の現場を見られたにしてはやけに場違いな、穏やかな声。
 緩慢と振り向いたその男は、やけに美しい姿をしていた。姿勢がよく、人形みたいな整った顔立ち。
 彼は少し長めの前髪の向こうから、仄暗い瞳でぼくを見下ろす。

「勝手に持ち出してごめんね。せっかく穴を掘るから、一緒に埋めてあげようと思ったんだ」
「な、なん……」

 その穴の中に死体があることなんて全く意に介さないような男の言動に、ぼくは戸惑う。そして、やはり箱の中身を見られてしまったことに動揺した。
 ぼくの罪が、白日のもとにさらされてしまったのだ。

「……『それ』、大事にしまってたんだろうけど、夏場に放置してると大変だよ。教会の中、死臭が凄かったから」
「う、あ……」

 箱の中にある、開けて見なくても匂いでわかる、とっくに死んでしまっている痩せ細った猫。
 家で飼えないにも関わらず、こっそりここで匿った、ぼくのエゴの象徴。ぼくが死なせてしまった小さな命は、ひとりぼっちのぼくの友達にして、まごうことなき罪の証だった。
 ぼくは暴かれた罪を懺悔するように、冷たい匂いのする箱を抱き締め絞り出す。

「……とも、だち、……」
「ん……?」
「その猫……ミーティアは、ぼくの友達なんだ……。でも、ぼくが死なせた……ぼくがあの日、水をあげ忘れたから……」

 思い出すだけで涙の出るような、あの時の光景。いつも流星のように煌めいていたミーティアの瞳は、虚ろに光を失っていた。嗚咽混じりにぼくは吐露する。

「ぼくが、全部悪いんだ……だから、それを忘れないように、ぼくはミーティアを……」
「……そう。奇遇だね、僕も……『これ』友達だったんだ。……まあ、水に毒薬を混ぜて、殺してしまったのだけど」
「え……?」
「ふふ、水の有無どちらでも死んでしまうなんて、不思議なものだね」
「……っ」

 男は、穴の中ですでに半分以上土で隠された死体を見下ろし、何でもないことのように罪を語る。
 思わず息を飲むぼくと対照的に、まるで世間話でもするかのようなその温度感に戸惑っていると、次いでぼくの手の中の赤い箱へと視線を向けた。

「まあ……友達なら、なおさら埋葬してあげようよ。きみの罪ごと持っていって貰えるようにさ」

 男の告げた不思議な言葉に、ぼくは呆然と彼を見上げる。

「え……? ぼくの、罪ごと……? えっと、死体を埋めるのは、その命が土の中で、自然にかえってまた巡れるように、とかじゃないの……?」
「んー、僕は特に循環だとかは望んでないけど……そうだな、それもあるか。納得できる理由が見つかるなら、なんでもいいよ」

 男は土に汚れた手を揺らして払ってから、上と下を交互に指差した。

「……でも、きみがその子を隠す場所に決めた教会の二階は、より天国に近いのかも知れないけど……地獄って、地の底にあるだろう?」
「じ、地獄……?」
「地獄は本来罪を雪ぐ場所だから……きみの罪を持っていって貰うなら、そっちに近い方がいい気がしない?」

 男の理屈は、ぼくにはよくわからなかった。それでも穏やかな声は妙な説得力がある気がして、つい耳を傾けてしまう。

「えっ……いや、でもぼく、自分の罪をミーティアに背負わせて地獄に送ろうなんて……」
「あはは。まあ、本当になんでもいいんだよ。死は覆らないし、罪は消えない。だとしたら、それをいつか清算する日はいずれ来るんだ」
「罪は、消えない……そんなの、わかってる……」

 ミーティアが死んでからこの一週間、あの子の死に顔を片時も忘れたことはなかった。ミーティアへの贖罪のために、自分で自分を殺すことさえ何度も想像した。
 苦しんだであろうミーティアと同じように水を抜いてみたりもしたけれど、この炎天下で耐えられず、結局乾きを潤しては、自分の弱さに自己嫌悪した。
 泣きそうになるぼくを見下ろしたまま、男は穏やかな笑みを浮かべながら、ぼくの頭を軽く撫でてくれる。
 その手はつい先程まで死体を埋めていたなんて思えないほど、温かくて優しい。

「だから、今は罪を失われた命ごと地獄に委ねて、いつか地獄に落ちた時に、一気に返して貰おう。その方が効率的だろう?」
「効率的って、そんな……」
「……きみは、罪の証である死骸を後生大事にとっておくような人間だ。自罰もまあ悪くないんだろうけど……そんな自己満足なものよりも、いつかその子から直接罰を与えられる方がいいと思わない?」
「いつか、地獄で……。うん……その方が、いい気がする……」

 そういう考え方もあるのかと、暑い気温にくらくらしながら、彼の言葉に納得してしまう。
 どうせ背負うのなら、自分で感じる罪の重みより、苦しんだであろう友達に罰を下される方がいい。

「ふふ、だから、今は何も苦しむ必要ないんだよ。きみの罪は……まだ土の中に眠らせておこう」
「苦しむ必要が、ない……? いいの? 土に埋めて、隠して……いつかって、先延ばしにしても、本当にいいの?」
「うん。たくさん苦しんだね……いいよ、僕が許してあげる」

 笑みを浮かべたままの彼の言葉は、乾いた土に染み渡る水のように、すっとぼくの中に入り込んだ。

「……っ、ありがとう……ございます」
「ふふ、決まりだね。それじゃあ、一緒に僕のも埋めるの手伝ってくれる? 手、疲れちゃったんだ」
「は、はい……っ」

 ぼくの罪を責めることなく、更なる大きな罪の前で穏やかに微笑むその男は、間違いなく犯罪者で、いつか地獄に落ちる存在だ。
 それなのに、ぼくにとって彼はすべてを受け入れ許してくれる『神さま』に見えたのだった。


*******