二日目の午前は、結局みんなで雪遊び。その後、昼食と、千冬と約束していたクレープを食べて、まだ日の高いうちにゲレンデを後にした。
俺と千冬は、帰りはマンティスと柑奈が運転する車に乗ることになり、二人の趣味トークをBGMに車の揺れに身を任せていた。
「伊織先輩、何見てるんですか?」
「マロが作った超リアル雪だるま。これ、マジで教授にすげぇ似てる」
「ふふっ、佐々木先生でしたっけ?」
「そ。機械製図のササセンな。お前にも見せてぇわ」
スキー場で撮った写真を見返していると千冬が話しかけてきたから、体を寄せてスマホの画面を共有する。
雪合戦で白熱したせいか、千冬は少し眠そうな顔をしている。かくいう俺も、だいぶ眠てぇけど。
「あ、そうだ。ササセンの写真あるわ。確か学祭の時にササセンがめっちゃ面白ぇ格好で…………」
「…え?」
「あ」
千冬に少し前の写真を見せようと写真を遡っていたら、ギターを抱える高校生の写真が出てきてしまった。
紛れもねぇ、高校時代の千冬の写真。
俺が先週、ハルとシュンからこっそりもらったものだ。
慌ててスマホの画面を隠してみるも、時すでに遅し。
さっきまで眠そうな顔をしていたピンク髪の美形は、眠気なんて吹き飛んでしまったようで、綺麗な目を真ん丸にして俺を見ていた。
「今のって」
「ち、違ぇから!」
「…僕ですよね?」
「そそそそんな訳ねぇだろ。今のは、えっと…えっと……、お、弟…?」
「伊織先輩、一人っ子だって言ってたじゃないですか」
「う…」
「どうして僕の過去の写真なんか持ってるんですか?」
「え、え〜と、えー…っと……?」
「伊織先輩。こっち、見てください」
「う」
顎を掬われ、強制的に目が合う。
終わった。
バレてる。
つーか、誤魔化しきれなかった。
柔らかなチョコレート色の瞳は、答えを探るように俺の目の奥を見つめた。
怒っているわけじゃねぇみたいだけど、俺がちゃんと答えるまで視線の拘束は解かれなさそうだ。
俺は観念して、たどたどしく言葉を繋ぎ始めた。
俺の顎に添えられていた千冬の指は、ゆっくり肌を撫でるようにして離れていった。
「……お、俺は、演奏が見たいって言っただけで……。別に、あの写真は、シュンが勝手に送ってきたから、…い、いちお…?、保存しただけ…っていうか…」
「シュン?春丞ですか?」
「おう」
シュンの名前が出た途端、穏やかだった千冬の表情が少し険しくなる。
眉間に皺が刻まれ、唇がきゅっと結ばれた。
「なんで僕に直接言ってくれないんですか?」
「………それは…ごめん。なんか…ちょっと、恥ずかしくて」
こんなこと白状をしてる今だって十分恥ずかしい。
だけど、それ以上に罪悪感が勝った。
いくら恋人でも、勝手に過去の写真とか動画とか詮索されるのなんて、気持ちいいもんじゃねぇよな。
千冬の不満げな表情が、俺の罪悪感を膨らませていく。
俺はできる限り千冬の方に体を向けて、深く頭を下げた。
「ごめん!黙って過去の写真なんか見たりして、悪かった」
「え?あ、いえ…」
「本当に、ごめん!」
「そんな、謝らないでください伊織先輩」
千冬の少し焦った声に頭を戻す。
千冬は俺を覗き込むようにして優しい声で続けた。
「写真自体はどうでもいいんです。…僕は、伊織先輩が僕よりシュンを頼ったことが、ちょっと、つまらなかっただけです」
「千冬…」
「ところで伊織先輩。その写真、どうして保存してたんですか?」
「えっ!」
「どーして?」
千冬は意地悪そうに微笑んで、首をコテンと傾けた。
ふわりと揺れる淡いピンク髪と、煌めく甘い瞳。
同時に、俺の左手に指を絡めた。
恋人繋ぎ。
逃げ場のない車内なのに、
指の間からも、握る強さからも、千冬の愛情が伝わってくるようで体が熱くなってくる。
「ふふ。伊織先輩が知りたいこと、なんでも聞いてください。全部答えますから」
「そっか…、ありがとな千冬」
「いいえ。好きな人に自分のことを知ってもらえるのは、嬉しいです。僕も、伊織先輩のことなら頭のてっぺんから脚の爪の先まで知りたいですし」
「そ、そう、なのか…」
頭から爪先まで…?
服とか靴のサイズってことか…?
そんな情報こそ何に使うんだよ、と思うけど、とりあえず黙っておく。
千冬、なんかすげぇニコニコだし。
「伊織先輩、さっき『演奏』って言ってましたけど、なんの演奏ですか?伊織先輩の聴きたかった曲、気になります」
「あー、あれは曲っつうか……、千冬が前に、高校の時にもエレキ弾いたことあるって言ってたろ?……それ、ちょっと聴いてみてぇなって思って。学祭のステージの時のお前、……すげぇ、かっこ、良かった…し………」
「……っ」
改めて口に出すのは無性に照れる。
ステージの上で別人のように色気を振り撒き、エレキを掻き鳴らす黒髪の千冬。
何度思い出しても体温が上がる。
千冬の方をそっと伺うと、千冬は口元を手で隠し、視線を落とした。
「エ…キ…?」「クロ…?」みたいな単語を微かに呟きながら、真剣に何か考えを巡らせている…ように見える。
そのうち自分の前髪を摘んでじっと見つめ出した。
なんだ?
「ゴホン、すまないが俺も口を挟んでいいか?」
「マンティス?どうかした──」
「千冬氏のロックが聴きたいならボカロP時代の曲から聴いてみるといい。ちなみに俺のおすすめは5年前にアップされたポップ・ロックシリーズだ。疾走感がありつつも腹に響く重さもあり、歌詞も中学生が考えたとは思えないほど深い」
「分かるー!てか私もいい?フユのロックなら、インストの『Yours』でしょ!『初春の月』人気で埋もれちゃったのが勿体無すぎる、あれはマジでもっと評価されるべき!アコギであれだけ力強い演奏できんの、さすがフユって感じだから!」
「発音いいな。しかしそれには同意だ。あの曲はフユ氏の曲の中でも一二を争うカッコ良さだ。伊織、今から流してやるか?聴いてみたいだろ?とにかく聴いてみろ。仕方ない、今から流してやるから少し待っていろ」
「いいね!待って、この車サイド引いてないと設定操作できないから、私のスマホで…」
「俺、何も言ってねぇけど…」
「わぁ、お二人ともよくご存知なんですね。ありがとうございます」
運転席の柑奈と助手席のマンティスの語りの熱量とスピードに圧倒され、最後に一言つぶやくのが精一杯だった。
てかこいつら本当詳しいな。
「てか俺、その曲知ってるからな?」
「え!そうなんですか?」
「お、おう」
正直タイトルまでは覚えてなかったけど、ロックのインストで、再生回数が他より少ない曲に心当たりはある。
インストだから千冬の声は入ってないけど、やっぱギター上手ぇなって感じる曲だ。
「それ、こんな感じの曲だろ?えっと、…ふふーん、ふーん、ふふふーん♪」
「「「………」」」
「…あ?」
俺が軽く鼻歌すると、千冬含め三人全員が黙り込んだ。
そして、柑奈が吹き出す声が沈黙が破った。
「ブッ…!っくくく…っ!」
「伊織、違いすぎる。さすがに千冬氏が泣くんじゃないか?」
「はぁ?そんなことねぇだろ。もう一回歌ってやるからよく聴けよ?…ふーん、ふふーん、ふふふーん♪」
「伊織先輩の鼻歌、かわいいです」
「あはは!」
「伊織、さっきとリズムが違う。お前に激甘な千冬氏さえフォローできてないぞ。諦めろ。そしてそれはもうお前のオリ曲にするといい」
「はぁ〜?」
揃いも揃って失礼な友人らだ。
千冬の顔を見ると、幸せそうに目尻を下げながら俺の鼻歌を真似して小さくハミングしている。
……うん、そうやって聴くと、やっぱなんか違う気はするな…。
「はぁ、もういいわ。俺は寝させてもらう。おやすみ」
「伊織、明日は月曜だからな。変に寝過ぎると、明日の一限の授業、遅刻するぞ」
「うるせー」
「ふふ。伊織先輩はゆっくり休んでください。僕が起こしますから、大丈夫ですよ」
「さんきゅ、千冬。聞いたかよマンティス?なんでお前らは千冬みたいな思いやりがねぇんだよ」
「千冬氏みたいな恋人ができて良かったな伊織」
助手席から振り返ったマンティスがニマリと笑ったのを見て、俺はわざと不貞腐れた表情を返して目を閉じる。
握られた手の温度に意識を傾けると、幸せな気持ちに心が溶けていった。
目覚めたらまた、楽しい友人たちと、大好きな千冬がいる。
俺、なんか、すげぇ幸せだわ……。
「おやすみなさい、伊織先輩」
千冬の体温と心地よい車の揺れは、容易く俺を夢の世界へと連れていった。
*
「っ!、ね、寝坊した!?」
アラームの音が聞こえた気がして飛び起きる。
辺りを見回して、眉を寄せた。
俺、車で居眠りしてたはずだったよな?
「なんで、千冬の部屋…?」
スマホを確認して、日付が変わっていることに気づく。
嘘だろ?俺、昨日の夕方から今朝までガッツリ寝たってことか?
車から降りた記憶さえねぇけど…。
「はぁ。てか千冬は?また作業部屋で寝てんのか?」
大きな伸びをしてからベッドから降り、作業部屋に向かう。
てか腹減ったな。
早くから寝たおかげで、今朝はゆとりのある時間に起きれた。
千冬が作業部屋で寝ていたら、キッチンを借りて適当に飯を作らせてもらおう。
「千冬?いんのか?」
いつものように声をかけながら部屋のドアを開く。
しかし、いつも千冬が眠っているモニターの前に、千冬の姿は無かった。
ここじゃなかったのかと部屋を出ようとしたところで、防音室の扉が開いた。
中から出てきた千冬は、ギターを片手に今朝も爽やかに微笑んだ。
「伊織先輩!」
「はよ、千冬。朝から収録してたのか?」
「少しだけ。旅行の間、ギターに触れてませんでしたし」
「へぇ?」
旅行の間って言っても、一日、二日の話なのに。
やっぱ千冬って、努力家だよなぁ。
優しくギターを抱える千冬に、感心しながら近付く。
この部屋は、大学のPCルームと似た匂いがする。温まった機材の基盤から香ってるのであろう、少し化学的な匂い。
視線を机の上から千冬の手元のギターへと滑らせる。
PCルームに似てるけど、この部屋は、千冬が淹れたブラックコーヒーと、少しだけ木の匂いもする。
「伊織先輩」
「ん?」
「良かったら、弾いてみますか?」
「お、やってみてぇ!」
「ふふ。ここ、座ってください」
千冬に促され、小さな椅子に腰掛ける。
千冬が弾いているところは何度も見ているけど、自分が触ってみるのは初めてだった。
「乗せますよ」
「おう」
ギターのボディが俺の右腿に乗せられ、左手でネックを支える。
千冬が背後から俺の右手を取る。
「右手はここ。まだ怪我治ってないんですから、今日は左手だけにしましょう」
「、うん…」
右手は重ねるようにして、俺の腿の上にそっと置かれる。
濃くなるコーヒーの香りと、耳元で囁く千冬の声が優しくて、心拍数が上がる。
「簡単なコードを押さえてみましょうか。この指を、ここの弦に…」
「…ん」
手の甲側から包むようにして、千冬が指先を誘導する。
なんか、こんなふうに密着するの久しぶりな気がすんな。
千冬の胸元が俺の肩に密着して耳に吐息がかかる。
「わ、これ指攣るって」
「ふふ。慣れたらそんなことないですよ」
「そもそも俺の方がお前より手小せぇんだから不利じゃね?」
「不利?ふふ。伊織先輩の手、僕は大好きですよ。……小さくて、かわいい」
「…っ」
コードを押さえていたはずの指は、自然と千冬の指に絡め取られる。
滑らかな肌の感触。
千冬との触れ合いは、何度してもドキドキする。
あったかい、きもちい、嬉しい、好き…。
でも今は、それだけじゃない。
「……千冬」
「はい」
胸の奥で、切なく疼く欲。
俺は真横にある千冬の目を躊躇いながら見上げた。
「………」
「………」
言葉を探して、唇だけが微かに動く。
栗色の瞳を見つめると、千冬の喉が小さく鳴った。
「……千冬…、あの、…んっ」
「…、」
言いかけた唇が、甘く痺れた。
千冬の、キスだ。
「ん…、ぁ…」
「……はぁ、…せん、ぱい……」
千冬の右腕がギターごと俺の体を包み、弦が擦れる音がした。
左手はギターから離れ、俺の頭の後ろから俺の顎を持ち上げる。
空白の期間を埋めるかのように、千冬はいつもより強く唇を押し付けた。
何度も吸い上げ、やわく摘み、むにむにと唇で揉む。
久々のキスに、頭の芯がぼうっとした。
「…、ふ、ゅ……」
「……っ!」
無意識に右手を伸ばしていた。
千冬の頬に添えて、俺からも唇を押し当てる。
千冬がするように、千冬の下唇をちゅっ、と吸う。
千冬は一瞬固まって、すぐに俺の唇を食べる勢いで激しいキスを繰り返した。
唇が熱い。
頭が熱い。
身体が熱い。
「…っ、はぁ、はぁ……、……い、伊織、先輩…」
「…はぁ、…ん…?」
散々唇を貪った後、ようやく口が離れたと思ったら熱に濡れた目が俺を見つめていた。
もっと、もっと、と欲しがる声が薄く開いた口から聞こえるようだった。
「………いい、ですか…?」
「………」
余裕のない息遣い。
俺の唇を見つめる、暗く揺らめく瞳。
俺の顔に添えられていた手が俺の顎を軽く押して、口が小さく開いた。
千冬は肩を上下させ、必死に俺の瞳を覗き込む。
問い掛けとか、許可とか、そんな生ぬるいものじゃない。
懇願だ。
「……嫌なら、我慢、します…から…」
「……」
ディープ、キス。
千冬はそれがしたいと、俺に言っているんだ。
心臓が、跳ねるように大きく脈打つ。
その、ディープキスって、やっぱりよくわかんねぇけど、
「………先輩…」
「………た」
「?」
意を決し、瞼を閉じて口を開いた。
千冬なら……。
千冬になら、…して、ほしい。
千冬となら、……した、い…。
「……わかっ、た…」
「!、…っ、…伊織先輩、大好きです、」
唇の端に一度キスを落とし、唇が離れた瞬間に口の隙間から熱が侵入する。
「ふっ、んぁっ!」
「はぁ…、熱っ…、」
口内をぬるりと這う温もりに、頭がクラクラした。
なんだこれ?
なんだこの感覚?
こんな…、すげぇの…?
「っ、ふ、…ゅ、!」
「…、すき…、先輩…、はぁっ、」
千冬の浅い呼吸が、俺の鼓動を速めていく。
どちらのものか分からない唾液が交じり合い、吐息を食べ合い、千冬と俺との境界がどんどんぼやけていく。
と、蕩けそう…。
未知の感覚に怖気付いて舌を引くけど、千冬がそれを許さない。
狭い口内で追い込まれ、絡め取られ、ざらりと撫でられ、身体が震えた。
なんだよこの感覚…、
脳が、溶けちゃいそうだ……。
「先輩っ、息して?」
「っ、はぁ、はぁ、はぁ…」
「はぁ、かわいい、すき、だいすき、だいすき、です…っ」
「は、ぁん…!」
少しの息継ぎの間、千冬は俺の顎のラインや首にキスを落とし、また急くように口を塞がれる。
どこがどう触れ合ってるとか、もうなんも分かんねぇ。
ただ、深く、深く、絡み合って、俺の中は千冬でいっぱいになっていく。
窒息してしまいそうなほどに、好きが溢れる。
千冬が、好き。
愛おしい。
大好き、だ…。
千冬の手が俺の腰のあたりを撫で、ゾクゾクする感覚に更に強く目を閉じた。
顔が、頭が、目の奥が、熱い。
その瞬間、千冬が勢いよく体を離した。
「っ!はっ、い、伊織先輩っ、嫌でしたか!?」
「ぅ、え…?」
「なっ、泣いて、ます…、」
「へ?泣いてねぇ、けど…?」
千冬も俺も肩で息をしながら、呼吸を整える。
千冬が俺の頬を拭い、湿った感覚を自覚する。
本当だ。涙が出てたのか。
……なんで?
「伊織先輩……、僕、全然、止められなくて…っ、その…、」
赤い顔の千冬は、眉を下げ、気まずそうにもごもご言ってる。
迷子の子犬のような表情に、思わず俺の口元が緩む。
さっきまであんなすげぇキスしてたやつと同じと思えねぇな。
「お前こそ泣きそうな顔してんじゃねぇか」
「僕、伊織先輩に嫌われたら…もう無理です」
「無理って何だよ。泣いてねぇし、嫌でもねぇ。千冬のこと嫌いになることなんて、何もねぇよ」
「ほっ、本当ですか!?」
「おう」
千冬の栗色の瞳が、この部屋の人工的な光を映して、宝石のように輝く。
今のキスで、嫌になんてなるわけねぇじゃん。
むしろ……。
顔を逸らして熱くなる頬を隠した。
「そ、そろそろ支度しようぜ。俺めっちゃ腹減ったわ」
「はぁ…、そう、ですね…。分かりました」
千冬は俺の耳元に軽いキスを数度残し、名残惜しそうに俺から離れる。
「僕がご飯作りますから、その間にシャワー行ってきてください」
「寒ぃからヤだわ〜」
「先輩!わがままはダメですよ。伊織先輩の肌が病気になったら困ります」
「そんなヤワじゃねぇよ」
「いいから行ってください!」
「へーい」
「着替えは脱衣所にありますからね」
「へいへーい」
ギターを片付けるオカン千冬を置いて部屋を出ようとしたところで、千冬が俺を呼び止めた。
振り向くと、千冬が俺に駆け寄りそっと抱きしめた。
「伊織先輩、愛してます」
「…、」
「ありがとう…ございます、」
額に優しいキスが落ちる。
千冬の掠れた声に、胸の奥がぎゅっとした。
初めての、ディープキス…だったな…。
自分が大人の階段を登ってしまった妙な気恥ずかしさと、その相手が千冬で嬉しい気持ちで、頭の中が忙しい。
まだドキドキとうるさい鼓動を感じながら、俺は千冬の胸の中で頷いて返事をした。
……また、してほしい……なんて、
…さすがに、言えねぇ…な…。
俺と千冬は、帰りはマンティスと柑奈が運転する車に乗ることになり、二人の趣味トークをBGMに車の揺れに身を任せていた。
「伊織先輩、何見てるんですか?」
「マロが作った超リアル雪だるま。これ、マジで教授にすげぇ似てる」
「ふふっ、佐々木先生でしたっけ?」
「そ。機械製図のササセンな。お前にも見せてぇわ」
スキー場で撮った写真を見返していると千冬が話しかけてきたから、体を寄せてスマホの画面を共有する。
雪合戦で白熱したせいか、千冬は少し眠そうな顔をしている。かくいう俺も、だいぶ眠てぇけど。
「あ、そうだ。ササセンの写真あるわ。確か学祭の時にササセンがめっちゃ面白ぇ格好で…………」
「…え?」
「あ」
千冬に少し前の写真を見せようと写真を遡っていたら、ギターを抱える高校生の写真が出てきてしまった。
紛れもねぇ、高校時代の千冬の写真。
俺が先週、ハルとシュンからこっそりもらったものだ。
慌ててスマホの画面を隠してみるも、時すでに遅し。
さっきまで眠そうな顔をしていたピンク髪の美形は、眠気なんて吹き飛んでしまったようで、綺麗な目を真ん丸にして俺を見ていた。
「今のって」
「ち、違ぇから!」
「…僕ですよね?」
「そそそそんな訳ねぇだろ。今のは、えっと…えっと……、お、弟…?」
「伊織先輩、一人っ子だって言ってたじゃないですか」
「う…」
「どうして僕の過去の写真なんか持ってるんですか?」
「え、え〜と、えー…っと……?」
「伊織先輩。こっち、見てください」
「う」
顎を掬われ、強制的に目が合う。
終わった。
バレてる。
つーか、誤魔化しきれなかった。
柔らかなチョコレート色の瞳は、答えを探るように俺の目の奥を見つめた。
怒っているわけじゃねぇみたいだけど、俺がちゃんと答えるまで視線の拘束は解かれなさそうだ。
俺は観念して、たどたどしく言葉を繋ぎ始めた。
俺の顎に添えられていた千冬の指は、ゆっくり肌を撫でるようにして離れていった。
「……お、俺は、演奏が見たいって言っただけで……。別に、あの写真は、シュンが勝手に送ってきたから、…い、いちお…?、保存しただけ…っていうか…」
「シュン?春丞ですか?」
「おう」
シュンの名前が出た途端、穏やかだった千冬の表情が少し険しくなる。
眉間に皺が刻まれ、唇がきゅっと結ばれた。
「なんで僕に直接言ってくれないんですか?」
「………それは…ごめん。なんか…ちょっと、恥ずかしくて」
こんなこと白状をしてる今だって十分恥ずかしい。
だけど、それ以上に罪悪感が勝った。
いくら恋人でも、勝手に過去の写真とか動画とか詮索されるのなんて、気持ちいいもんじゃねぇよな。
千冬の不満げな表情が、俺の罪悪感を膨らませていく。
俺はできる限り千冬の方に体を向けて、深く頭を下げた。
「ごめん!黙って過去の写真なんか見たりして、悪かった」
「え?あ、いえ…」
「本当に、ごめん!」
「そんな、謝らないでください伊織先輩」
千冬の少し焦った声に頭を戻す。
千冬は俺を覗き込むようにして優しい声で続けた。
「写真自体はどうでもいいんです。…僕は、伊織先輩が僕よりシュンを頼ったことが、ちょっと、つまらなかっただけです」
「千冬…」
「ところで伊織先輩。その写真、どうして保存してたんですか?」
「えっ!」
「どーして?」
千冬は意地悪そうに微笑んで、首をコテンと傾けた。
ふわりと揺れる淡いピンク髪と、煌めく甘い瞳。
同時に、俺の左手に指を絡めた。
恋人繋ぎ。
逃げ場のない車内なのに、
指の間からも、握る強さからも、千冬の愛情が伝わってくるようで体が熱くなってくる。
「ふふ。伊織先輩が知りたいこと、なんでも聞いてください。全部答えますから」
「そっか…、ありがとな千冬」
「いいえ。好きな人に自分のことを知ってもらえるのは、嬉しいです。僕も、伊織先輩のことなら頭のてっぺんから脚の爪の先まで知りたいですし」
「そ、そう、なのか…」
頭から爪先まで…?
服とか靴のサイズってことか…?
そんな情報こそ何に使うんだよ、と思うけど、とりあえず黙っておく。
千冬、なんかすげぇニコニコだし。
「伊織先輩、さっき『演奏』って言ってましたけど、なんの演奏ですか?伊織先輩の聴きたかった曲、気になります」
「あー、あれは曲っつうか……、千冬が前に、高校の時にもエレキ弾いたことあるって言ってたろ?……それ、ちょっと聴いてみてぇなって思って。学祭のステージの時のお前、……すげぇ、かっこ、良かった…し………」
「……っ」
改めて口に出すのは無性に照れる。
ステージの上で別人のように色気を振り撒き、エレキを掻き鳴らす黒髪の千冬。
何度思い出しても体温が上がる。
千冬の方をそっと伺うと、千冬は口元を手で隠し、視線を落とした。
「エ…キ…?」「クロ…?」みたいな単語を微かに呟きながら、真剣に何か考えを巡らせている…ように見える。
そのうち自分の前髪を摘んでじっと見つめ出した。
なんだ?
「ゴホン、すまないが俺も口を挟んでいいか?」
「マンティス?どうかした──」
「千冬氏のロックが聴きたいならボカロP時代の曲から聴いてみるといい。ちなみに俺のおすすめは5年前にアップされたポップ・ロックシリーズだ。疾走感がありつつも腹に響く重さもあり、歌詞も中学生が考えたとは思えないほど深い」
「分かるー!てか私もいい?フユのロックなら、インストの『Yours』でしょ!『初春の月』人気で埋もれちゃったのが勿体無すぎる、あれはマジでもっと評価されるべき!アコギであれだけ力強い演奏できんの、さすがフユって感じだから!」
「発音いいな。しかしそれには同意だ。あの曲はフユ氏の曲の中でも一二を争うカッコ良さだ。伊織、今から流してやるか?聴いてみたいだろ?とにかく聴いてみろ。仕方ない、今から流してやるから少し待っていろ」
「いいね!待って、この車サイド引いてないと設定操作できないから、私のスマホで…」
「俺、何も言ってねぇけど…」
「わぁ、お二人ともよくご存知なんですね。ありがとうございます」
運転席の柑奈と助手席のマンティスの語りの熱量とスピードに圧倒され、最後に一言つぶやくのが精一杯だった。
てかこいつら本当詳しいな。
「てか俺、その曲知ってるからな?」
「え!そうなんですか?」
「お、おう」
正直タイトルまでは覚えてなかったけど、ロックのインストで、再生回数が他より少ない曲に心当たりはある。
インストだから千冬の声は入ってないけど、やっぱギター上手ぇなって感じる曲だ。
「それ、こんな感じの曲だろ?えっと、…ふふーん、ふーん、ふふふーん♪」
「「「………」」」
「…あ?」
俺が軽く鼻歌すると、千冬含め三人全員が黙り込んだ。
そして、柑奈が吹き出す声が沈黙が破った。
「ブッ…!っくくく…っ!」
「伊織、違いすぎる。さすがに千冬氏が泣くんじゃないか?」
「はぁ?そんなことねぇだろ。もう一回歌ってやるからよく聴けよ?…ふーん、ふふーん、ふふふーん♪」
「伊織先輩の鼻歌、かわいいです」
「あはは!」
「伊織、さっきとリズムが違う。お前に激甘な千冬氏さえフォローできてないぞ。諦めろ。そしてそれはもうお前のオリ曲にするといい」
「はぁ〜?」
揃いも揃って失礼な友人らだ。
千冬の顔を見ると、幸せそうに目尻を下げながら俺の鼻歌を真似して小さくハミングしている。
……うん、そうやって聴くと、やっぱなんか違う気はするな…。
「はぁ、もういいわ。俺は寝させてもらう。おやすみ」
「伊織、明日は月曜だからな。変に寝過ぎると、明日の一限の授業、遅刻するぞ」
「うるせー」
「ふふ。伊織先輩はゆっくり休んでください。僕が起こしますから、大丈夫ですよ」
「さんきゅ、千冬。聞いたかよマンティス?なんでお前らは千冬みたいな思いやりがねぇんだよ」
「千冬氏みたいな恋人ができて良かったな伊織」
助手席から振り返ったマンティスがニマリと笑ったのを見て、俺はわざと不貞腐れた表情を返して目を閉じる。
握られた手の温度に意識を傾けると、幸せな気持ちに心が溶けていった。
目覚めたらまた、楽しい友人たちと、大好きな千冬がいる。
俺、なんか、すげぇ幸せだわ……。
「おやすみなさい、伊織先輩」
千冬の体温と心地よい車の揺れは、容易く俺を夢の世界へと連れていった。
*
「っ!、ね、寝坊した!?」
アラームの音が聞こえた気がして飛び起きる。
辺りを見回して、眉を寄せた。
俺、車で居眠りしてたはずだったよな?
「なんで、千冬の部屋…?」
スマホを確認して、日付が変わっていることに気づく。
嘘だろ?俺、昨日の夕方から今朝までガッツリ寝たってことか?
車から降りた記憶さえねぇけど…。
「はぁ。てか千冬は?また作業部屋で寝てんのか?」
大きな伸びをしてからベッドから降り、作業部屋に向かう。
てか腹減ったな。
早くから寝たおかげで、今朝はゆとりのある時間に起きれた。
千冬が作業部屋で寝ていたら、キッチンを借りて適当に飯を作らせてもらおう。
「千冬?いんのか?」
いつものように声をかけながら部屋のドアを開く。
しかし、いつも千冬が眠っているモニターの前に、千冬の姿は無かった。
ここじゃなかったのかと部屋を出ようとしたところで、防音室の扉が開いた。
中から出てきた千冬は、ギターを片手に今朝も爽やかに微笑んだ。
「伊織先輩!」
「はよ、千冬。朝から収録してたのか?」
「少しだけ。旅行の間、ギターに触れてませんでしたし」
「へぇ?」
旅行の間って言っても、一日、二日の話なのに。
やっぱ千冬って、努力家だよなぁ。
優しくギターを抱える千冬に、感心しながら近付く。
この部屋は、大学のPCルームと似た匂いがする。温まった機材の基盤から香ってるのであろう、少し化学的な匂い。
視線を机の上から千冬の手元のギターへと滑らせる。
PCルームに似てるけど、この部屋は、千冬が淹れたブラックコーヒーと、少しだけ木の匂いもする。
「伊織先輩」
「ん?」
「良かったら、弾いてみますか?」
「お、やってみてぇ!」
「ふふ。ここ、座ってください」
千冬に促され、小さな椅子に腰掛ける。
千冬が弾いているところは何度も見ているけど、自分が触ってみるのは初めてだった。
「乗せますよ」
「おう」
ギターのボディが俺の右腿に乗せられ、左手でネックを支える。
千冬が背後から俺の右手を取る。
「右手はここ。まだ怪我治ってないんですから、今日は左手だけにしましょう」
「、うん…」
右手は重ねるようにして、俺の腿の上にそっと置かれる。
濃くなるコーヒーの香りと、耳元で囁く千冬の声が優しくて、心拍数が上がる。
「簡単なコードを押さえてみましょうか。この指を、ここの弦に…」
「…ん」
手の甲側から包むようにして、千冬が指先を誘導する。
なんか、こんなふうに密着するの久しぶりな気がすんな。
千冬の胸元が俺の肩に密着して耳に吐息がかかる。
「わ、これ指攣るって」
「ふふ。慣れたらそんなことないですよ」
「そもそも俺の方がお前より手小せぇんだから不利じゃね?」
「不利?ふふ。伊織先輩の手、僕は大好きですよ。……小さくて、かわいい」
「…っ」
コードを押さえていたはずの指は、自然と千冬の指に絡め取られる。
滑らかな肌の感触。
千冬との触れ合いは、何度してもドキドキする。
あったかい、きもちい、嬉しい、好き…。
でも今は、それだけじゃない。
「……千冬」
「はい」
胸の奥で、切なく疼く欲。
俺は真横にある千冬の目を躊躇いながら見上げた。
「………」
「………」
言葉を探して、唇だけが微かに動く。
栗色の瞳を見つめると、千冬の喉が小さく鳴った。
「……千冬…、あの、…んっ」
「…、」
言いかけた唇が、甘く痺れた。
千冬の、キスだ。
「ん…、ぁ…」
「……はぁ、…せん、ぱい……」
千冬の右腕がギターごと俺の体を包み、弦が擦れる音がした。
左手はギターから離れ、俺の頭の後ろから俺の顎を持ち上げる。
空白の期間を埋めるかのように、千冬はいつもより強く唇を押し付けた。
何度も吸い上げ、やわく摘み、むにむにと唇で揉む。
久々のキスに、頭の芯がぼうっとした。
「…、ふ、ゅ……」
「……っ!」
無意識に右手を伸ばしていた。
千冬の頬に添えて、俺からも唇を押し当てる。
千冬がするように、千冬の下唇をちゅっ、と吸う。
千冬は一瞬固まって、すぐに俺の唇を食べる勢いで激しいキスを繰り返した。
唇が熱い。
頭が熱い。
身体が熱い。
「…っ、はぁ、はぁ……、……い、伊織、先輩…」
「…はぁ、…ん…?」
散々唇を貪った後、ようやく口が離れたと思ったら熱に濡れた目が俺を見つめていた。
もっと、もっと、と欲しがる声が薄く開いた口から聞こえるようだった。
「………いい、ですか…?」
「………」
余裕のない息遣い。
俺の唇を見つめる、暗く揺らめく瞳。
俺の顔に添えられていた手が俺の顎を軽く押して、口が小さく開いた。
千冬は肩を上下させ、必死に俺の瞳を覗き込む。
問い掛けとか、許可とか、そんな生ぬるいものじゃない。
懇願だ。
「……嫌なら、我慢、します…から…」
「……」
ディープ、キス。
千冬はそれがしたいと、俺に言っているんだ。
心臓が、跳ねるように大きく脈打つ。
その、ディープキスって、やっぱりよくわかんねぇけど、
「………先輩…」
「………た」
「?」
意を決し、瞼を閉じて口を開いた。
千冬なら……。
千冬になら、…して、ほしい。
千冬となら、……した、い…。
「……わかっ、た…」
「!、…っ、…伊織先輩、大好きです、」
唇の端に一度キスを落とし、唇が離れた瞬間に口の隙間から熱が侵入する。
「ふっ、んぁっ!」
「はぁ…、熱っ…、」
口内をぬるりと這う温もりに、頭がクラクラした。
なんだこれ?
なんだこの感覚?
こんな…、すげぇの…?
「っ、ふ、…ゅ、!」
「…、すき…、先輩…、はぁっ、」
千冬の浅い呼吸が、俺の鼓動を速めていく。
どちらのものか分からない唾液が交じり合い、吐息を食べ合い、千冬と俺との境界がどんどんぼやけていく。
と、蕩けそう…。
未知の感覚に怖気付いて舌を引くけど、千冬がそれを許さない。
狭い口内で追い込まれ、絡め取られ、ざらりと撫でられ、身体が震えた。
なんだよこの感覚…、
脳が、溶けちゃいそうだ……。
「先輩っ、息して?」
「っ、はぁ、はぁ、はぁ…」
「はぁ、かわいい、すき、だいすき、だいすき、です…っ」
「は、ぁん…!」
少しの息継ぎの間、千冬は俺の顎のラインや首にキスを落とし、また急くように口を塞がれる。
どこがどう触れ合ってるとか、もうなんも分かんねぇ。
ただ、深く、深く、絡み合って、俺の中は千冬でいっぱいになっていく。
窒息してしまいそうなほどに、好きが溢れる。
千冬が、好き。
愛おしい。
大好き、だ…。
千冬の手が俺の腰のあたりを撫で、ゾクゾクする感覚に更に強く目を閉じた。
顔が、頭が、目の奥が、熱い。
その瞬間、千冬が勢いよく体を離した。
「っ!はっ、い、伊織先輩っ、嫌でしたか!?」
「ぅ、え…?」
「なっ、泣いて、ます…、」
「へ?泣いてねぇ、けど…?」
千冬も俺も肩で息をしながら、呼吸を整える。
千冬が俺の頬を拭い、湿った感覚を自覚する。
本当だ。涙が出てたのか。
……なんで?
「伊織先輩……、僕、全然、止められなくて…っ、その…、」
赤い顔の千冬は、眉を下げ、気まずそうにもごもご言ってる。
迷子の子犬のような表情に、思わず俺の口元が緩む。
さっきまであんなすげぇキスしてたやつと同じと思えねぇな。
「お前こそ泣きそうな顔してんじゃねぇか」
「僕、伊織先輩に嫌われたら…もう無理です」
「無理って何だよ。泣いてねぇし、嫌でもねぇ。千冬のこと嫌いになることなんて、何もねぇよ」
「ほっ、本当ですか!?」
「おう」
千冬の栗色の瞳が、この部屋の人工的な光を映して、宝石のように輝く。
今のキスで、嫌になんてなるわけねぇじゃん。
むしろ……。
顔を逸らして熱くなる頬を隠した。
「そ、そろそろ支度しようぜ。俺めっちゃ腹減ったわ」
「はぁ…、そう、ですね…。分かりました」
千冬は俺の耳元に軽いキスを数度残し、名残惜しそうに俺から離れる。
「僕がご飯作りますから、その間にシャワー行ってきてください」
「寒ぃからヤだわ〜」
「先輩!わがままはダメですよ。伊織先輩の肌が病気になったら困ります」
「そんなヤワじゃねぇよ」
「いいから行ってください!」
「へーい」
「着替えは脱衣所にありますからね」
「へいへーい」
ギターを片付けるオカン千冬を置いて部屋を出ようとしたところで、千冬が俺を呼び止めた。
振り向くと、千冬が俺に駆け寄りそっと抱きしめた。
「伊織先輩、愛してます」
「…、」
「ありがとう…ございます、」
額に優しいキスが落ちる。
千冬の掠れた声に、胸の奥がぎゅっとした。
初めての、ディープキス…だったな…。
自分が大人の階段を登ってしまった妙な気恥ずかしさと、その相手が千冬で嬉しい気持ちで、頭の中が忙しい。
まだドキドキとうるさい鼓動を感じながら、俺は千冬の胸の中で頷いて返事をした。
……また、してほしい……なんて、
…さすがに、言えねぇ…な…。


