「千冬、大丈夫か?水、買ってきたぞ」
「おかえりなさい。伊織先輩、カゲヤン先輩、ありがとうございます」
「ええんやで。俺こそごめんな?追加も欲しかったら言うてや!」
10分も経たないうちに部屋に戻ったけど、千冬はちょっと顔が赤い程度で、あとは普段通りで安心した。
千冬の実家行った時は千冬の親父さんも楽しそうに酒飲んでたし、千冬も結構強ぇのかもしれねぇな。
カゲヤンが水のペットボトル数本を机の上に置き、俺は千冬の隣に座る。
どうやらみんなでテレビを見ていたようだ。
「気持ち悪くねぇか?」
「はい、大丈夫です。迷惑かけてごめんなさい」
「迷惑なんかじゃねぇよ。何か違和感あったらすぐ言えよ?」
「そうします」
千冬がペットボトルの蓋を開け水を飲むと、「少しずつ飲みなね」と柑奈が声をかける。
俺も煎餅を齧りながら、千冬からテレビへと視線を移した。
内容は、関東にある有名な大型テーマパークのクリスマス特集だ。
男性アイドルと女性芸人が耳付きカチューシャをつけてパーク内をリポートするのを、主に柚月と柑奈が楽しそうに観ている。
「このマグカップかわいい…!クリスマス限定かぁ…。ちょっと調べてみよっと」
「へー、新エリアオープンしてたんだ。アトラクション乗ってみたいなー」
柑奈がポッキーを齧る横で、柚月はスマホを取り出しつつカゲヤンをチラリと見る。
なんか言いたいことでもありそうな雰囲気だ。
一方のカゲヤンは、マロとスノボの話をしながら何となくテレビを眺めているだけで柚月の視線には気付いてない。
ちなみにマンティスは隣の部屋の布団の上に転がされていた。
これはいつもの宅飲みと同じ光景だな。
「伊織先輩は興味ありますか?」
「あ?あー、ネズミーランドか?キャラクターは詳しくねぇけど、要は遊園地なんだろ?それなら、ジェットコースターは乗ってみてぇかも」
「絶叫系が好きなんですね?」
「割とな。お化け屋敷とかも好きだな」
「お、お化け屋敷…ですか……。………」
千冬は一瞬固まり、無言のままテレビに視線を戻すと、何かに悩むようにじっと画面を見つめていた。
何をそんな真剣に見てんだ?と俺もテレビを観る。テレビはCM中で、千冬の得意なレースゲーム「モリオカート」の新作の宣伝が流れていた。
あ、こいつもしかして……。
モリカーの新作が欲しいんだな…?
自分の口元が自然と緩むのを感じた。
ゲームソフトは来週から販売されるらしい。
千冬のクリスマスプレゼントは、これで決まりだな。
CMが明けると、テーマパークの特集は終わり、今度はイルミネーションの特集に移る。
俺らの大学の近くの駅前も取り上げられていて、またもや柚月が興味津々にテレビに食いつき、たまにカゲヤンの様子を伺っていた。
女子は好きそうだもんな、こういうやつ。
「あつ……」
「千冬?」
テレビを眺めている俺の左肩に、千冬の肩がぶつかった。
千冬は右手を体の後ろについて、左手の指先に引っ掛けるように浴衣の襟元を引き、少し赤い首から胸元を外気に晒している。
熱い体。
頬も赤くて、瞳はうっすら潤んでいる。
「大丈夫か?」
「…はい。ちょっとだけあつくて、いきぐるしいかんじがして…」
「吐き気はねぇか?浴衣の帯、緩めろよ。楽な体勢しとけ。あと水もちゃんと飲んどけ」
「はぃ…」
眠たくなったのか、話す言葉は少し舌足らずな感じだ。それでも、俺の指示に素直に従って、浴衣の帯を緩め足を崩す。
右脚はあぐらをかくように内側に曲げ、左脚は、体操座りの様に膝を上に曲げた姿勢。
緩められた浴衣の布の間から、長くしなやかな脚が覗いた。
「……、いおりせんぱい」
「ん?」
「………すき」
「…は、…へ?」
「…だいすき」
赤い顔で幸せそうにふにゃりと笑った千冬は、更に体を近づけ、体の後ろで俺の左手に自分の手を重ねる。
いつもより熱い千冬の胸板が、俺の腕から肩に密着する。
「どうしよう。せんぱい…、すごくかわいい…」
「ち、千冬?どうしたんだよ急に、ちょっと、近ぇって」
「えへへ」
指の間に自分の指を滑り込ませると、ぎゅっと握り込み、俺の左手は畳に縫い付けられたように固定される。
ふわふわ笑ってるくせに、力は普通に強ぇ。
なに?なんなんだよ??
「ぼくが、このかわいいひとのかれしです」
「お、おい、落ち着け。とにかく水飲め、な?」
「いおりせんぱいにのませてほしいです」
「じゃあ手、放せ。柚月、そこの水と空のコップ取って…」
「くちうつしなら、キスじゃないからセーフですよね?」
「はッ!?く、口移し!?」
「だってぼく、いおりせんぱいのくちびるが、こいしくてたまらないです…」
眉を下げ、うるうるした栗色の瞳が俺を覗き込む。
赤い頬と熱っぽい視線に、俺の心臓も心拍数を上げていく。
「えっと……、千冬…くん…?水だよ……」
「あ柚月、ありが…わっ!」
柚月が水とコップを持って千冬に近付くと、千冬が俺に覆い被さるようにして抱き締めた。
左手は千冬の右手に固定されたまま、頭の後ろを支えるように強く押し付けられ、千冬の熱い肌に顔がくっつけられる。
頬に感じる鎖骨と、唇から伝わる火傷しそうな熱。
千冬が声を出すと、鼻先が触れる喉元が低く振動した。
「ぼくのいおりせんぱいです……。だれにもあげません……」
「わ、わかってるよ!えっと、邪魔してごめんね!水はここに置いとくねっ!」
「おい、千冬っ!」
邪魔ってなんだよ。
バクバクする心臓を抑えたまま千冬の腕を軽く叩く。
柚月がカゲヤンの後ろに逃げ帰ると、ようやく千冬の腕の力が弱まった。
千冬、酔っ払ってやがんな。
しかも多分ウザ絡みタイプだ。
タチ悪ぃな…。
「はぁ。なぁ柚月、ごめんな───」
「いおりせんぱい」
「ンにゅっ!?」
千冬の腕から抜け出して、柚月に謝ろうとした瞬間、今度は両頬を千冬の左手で挟まれる。
しゃ、喋れねぇ…。
何だよ全く。
てか千冬、なんか目が据わってねぇか?
「またうわきですか?おれいがい、みないでください」
「はぁ?『また』ってなんだよ。浮気なんてしてねぇだろ」
俺の頬を掴んでいた手が離れたと思ったら、千冬はムスッとして左腕を俺の首の後ろに回した。
やはり千冬の首元に顔を押し付けるような格好になる。今度は鼻の骨を千冬の鎖骨にぶつけて少し痛んだ。
「……ここ、かくさなくてもいいのに」
「隠す?何を…うぐっ、ひ、ひぁ!」
俺の首筋を爪先でカリカリと齧る。ちょうど柚月の絆創膏が貼られてるところだ。
くすぐってぇんだけど。
「ち、ちふっ、やめろって…!」
「からだじゅうにつけてもいいんですよ」
「絆創膏をか?お前、寝ぼけてんな??もう寝ろ」
「いおりせんぱいの、ひざまくらがいいです」
「膝枕って、お、おいっ、」
「いおりせんぱい〜、だいすき…」
首から手を離すと、今度は思い切り俺の腹に頭を擦り寄せる。
俺が抵抗する間もなく、千冬は宣言通り膝の上に頭を乗せた。
赤い横顔で、うるりと艶めく瞳が乱れた前髪の隙間から俺を見た。
「せんぱいのもも、やわらかい。…すき」
「はぁ…。犬みてぇだな、お前」
「えへへ。わんっ!あはは」
耳までほんのり赤くして、無邪気に笑う千冬が子犬のように見えた。
俺は色々諦め、ふわふわのピンクの髪に右手で撫でるように触れる。
かわいいやつ。
千冬は絶対に放さなかった俺の左手を引き寄せ頬擦りした。
「ぼくのとくとうせき。しあわせです」
「そーかよ」
どうやら千冬は酔うと寝ぼけた子犬になるらしい。
目を糸のように細めて、幸せを溜め込んだピンクのほっぺで満足そうに微笑む千冬に、やれやれとため息をつく。
酔っ払いに何を言っても無駄だろうと思い、俺は膝の上に千冬を乗せたまま顔を上げた。
「「「「…………」」」」
「………あ。えっと、…なんか、ごめん」
そこには、呆然と俺たちを見つめる4人の友人らの姿があった。
途端に恥ずかしくなり、目が泳ぐ。
「いや〜、別にええけどな?伊織たちのいちゃいちゃは今更やし。でも千冬クンは……ブッ…!番犬っぷりも甘えっぷりも、本物のわんころ顔負けやな!」
「ち、千冬くんは、愛情表現…?が、は、激しめ…なんだね…?」
「あはははは!千冬くんおもしろ〜ッ!動画撮っとけば良かった〜」
「伊織ぃ、千冬っちはもう寝かせてあげたら?そっちの部屋に布団敷いてあるから、連れてってあげなよぉ」
「…そうだな、そうするわ。みんな悪ぃな」
マロに言われた通り、ふにゃふにゃの千冬に呼びかけて隣の部屋の適当な布団に千冬を誘導する。
千冬は自力で歩けるけど、俺の腰に抱きついたまま移動しようとするから、すげぇ歩きにくい。
「なるべく静かにしとくけど、一応襖は閉めとくねぇ」
「おう。ありがとな」
「おやすみなー」
「おやすみー」
襖が閉じられると隣の部屋の音は薄れ、広い和室の中は窓から落ちる淡い光だけになる。
マンティスは襖の近くの布団を使っていたから、俺と千冬は部屋の奥の、窓の近くの布団二つを使うことにした。
「千冬、そこの布団入れ」
「いおりせんぱいといっしょがいいです」
「狭ぇだろ。俺は隣に寝るから」
「いやです」
「うわっ、」
珍しく俺に反抗した千冬は、俺の体を抱き寄せ、一緒に敷布団の中に倒れ込む。
腰を抱かれた俺は、千冬の右腕に頭を乗せられ、千冬の胸元に顔を埋める。
顔を上げれば、夜の海に射し込む月明かりのような、淡く輝く千冬の瞳。
更にぐっと体を引き寄せられ、上半身が千冬の身体と隙間なく密着した。
燃えるように熱い体温と、アルコールの匂いに、頭の芯がくらりとした。
「せんぱいのからだ、どこもやわらかい…。……たべちゃいたいです」
「はぁ?人を食うな、怪物かよ」
掠れた小声は少し切なげだけど、眠たそうな響きも感じる。
千冬の下手な冗談に、俺はマンティスを起こさないように小さく笑った。
薄く水分を張った瞳が、静かに輝き、ひたすらに俺を見つめる。
俺の表情、瞬き、瞳の微かな揺れ、ひとつも取りこぼさないと言うように、千冬の視線は俺だけに注がれていた。
「わらってる。かわいい」
「お前が面白くてな。なぁ千冬、お前酒弱いんだな?」
「よわくないです」
「あーはいはい、わかったわかった。いいから寝るぞ」
「こどもあつかいしないでください」
包帯の巻かれた右手で、千冬の背中をトントンと叩くと、千冬は不満げに目を細め唇を突き出した。
そういうとこが、子供っぽくてかわいいんだけどな。
「あ、雪降ってんな」
「ゆき…?」
「窓の外。少しだけだけど」
俺の視線を追って、千冬も少しだけ窓の外を見る。
雨とは違い、音も立てずに静かな速度で降り注ぐ白い粒。
密やかに降り注ぐそれが、なぜか、千冬みたいだって感じた。
「はじめて、いおりせんぱいにあったひも、ゆきでした」
「ん?あー、受験の日のことか?」
「はい」
千冬の指先が、俺の頬を撫でる。
襖の向こうで、4人の笑い声と、空き缶が転がる音がした。
「ぼく…、いおりせんぱいとつきあえてるなんて、ゆめ…みたいです」
「夢?」
「だって、ぼくはほんとうに、ずっと、ずっと…、ずっと…、いおりせんぱいが…………すき、だった、から…、」
「千冬…?」
千冬の声は甘く掠れ、時折アルコールの香りを含んだ吐息が漏れる。
先ほどより更に舌がもつれ、言葉の発音は曖昧。
気怠げな瞼から覗く瞳は、溶け始めのチョコレートのようにとろんとしていて、今にも眠りに落ちそうだ。
「もし…、いつか…、いおりせんぱいにも、ぼくを、すきになってもらえたら……。そしたら、くるしいくらい、だきしめて…、たくさん、きすして…、ふかく、あいしたいって…、ずっと、おもってて…」
瞼同様、千冬の舌も限界っぽいな。
半分寝言のようなむにゃむにゃ言葉が続いて、何を言ってるのか全く分かんねぇ。
でもこの感じは、子猫が人に語りかけるように鳴いてる様子に似ていて、俺はまた頬が緩んだ。
「まいにち…、まいにち、ゆめ、みて…、せんぱいが…、こいしく…て、そうぞう、だけじゃ…、くるしく、て…」
「千冬、もう寝ていいんだぞ?」
「でも、せんぱいに、あうと…、せんぱいは、いつも、かわいく、て…、いとおし、くて……たいせつ、すぎて……」
千冬が顔を近づけ、額同士がコツンと当たる。
少し冷たい鼻先が、俺の頬に触れると、甘えん坊の恋人を、胸が痛くなるくらい愛おしく感じた。
「それは…、いまも、…そう、だし……、むしろ…、まえより…、もっと、…だいすきで…、たいせつ、で……」
「千冬。もうお喋りはいいから寝ろ?目は閉じてるぞ。口も閉じとけ」
「ん……」
「明日また、話そうな。おやすみ」
指の背で千冬の下唇をそっと押し上げると、千冬は大人しく口を閉じた。
千冬が寝入るのを邪魔しないように、囁くようにおやすみを伝えると、千冬の目が一瞬だけ、とろんと細く開いた。
「……ぼくの、たからもの…」
「……?」
またもにゃもにゃ何かを言って、千冬は今度こそ目も口も閉じて静かに寝息を立て始めた。
千冬は酔うと犬化して、最後は猫語を話すらしい。
新しい千冬の一面に、俺は少しだけ笑う。
もう一度静かに「おやすみ」と囁き、千冬の唇に添えたままだった指を離そうとする。
「………」
でも何故か、その指を潔く離すことができない。
自分に戸惑いながら、恐る恐る指先を動かした。
桜色の唇の上を、そっと、指先でなぞる。
薄い皮膚は艶やかで、少しだけ押してみると、柔らかなそれは俺の指先でふにっと凹んだ。
「ちふゆ……」
唇から手を離し、指先の感触が消える前に、俺は自分の唇にその指を当てた。
胸の奥から、じわじわと熱が湧き上がる。
千冬から香るアルコールの匂いに俺も酔ってしまったみたいだ。
「千冬、……俺…、」
自分の中に芽生えた初めての欲に、身体中が熱くなった。
「千冬の…、キスが…、…ほしい……」
言葉にしてみると、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。
布団の中に顔を隠し、目を瞑る。
千冬のことは十分好きだったはずなのに、いろんな千冬を知る度に、もっともっと好きになっていく。
一人では抱えきれない程に膨らんだ「好き」を、千冬に受け止めて欲しい。
「……何だよ、俺。…恥ずかし、すぎる……」
初めて感じる「欲」が恥ずかしくて、隠すように自分の両腕を抱いた。
こんな恥ずかしさも、…千冬なら、受け止めて、くれる……かな。
すぐ近くに聞こえる千冬の寝息が、俺の心を少しだけ安らげる。
触れ合う身体から伝わる体温に安心を感じて、俺はゆっくりと深呼吸した。
胸に満ちる、アルコールと、千冬の匂い。
…千冬、俺に、
キス、してくんねぇ…?



