到着した旅館は、修学旅行で使うような大型の和風建築の旅館。マロの親戚が経営してる『白雪荘』だ。
去年もお世話になったけど、メシもうめぇし、部屋も広ぇし、騒がしい学生グループも温かく迎えてくれる超良心的な宿。
「柑奈ちゃんと柚月ちゃんの部屋は203、僕らは202ねぇ」
「ありがと、マロくん」
「ユズ、お風呂行こー」
「よっしゃ!俺らも夕飯前に風呂行こや!」
「夕飯は何だ?」
「すき焼きだってぇ」
「豪華ですね」
「やった!腹減ったわ」
マロを先頭に2階の部屋の前まで移動する。
女子達とは晩メシの時間に指定のテーブルで落ち合う約束をして、俺たちは荷物を置くと直ぐに大浴場に向かった。
「伊織は風呂に入れるのか?」
「シャワーだけな。濡れねぇようにして入ればいいって言われたから」
「伊織ぃ、これで大きさ足りるぅ?」
「マロ!ありがとな」
「ありがとうございます」
後ろにいたマンティスに尋ねられ、救護室で言われたことをそのまま伝えると、丁度、マロがフロントからビニール袋とテープをもらってきてくれた。
振り返って受け取ろうと左手を出すが、当然のように隣の千冬が手を伸ばし、マロもマロで当然のように千冬に渡していた。
仲良しか、こいつら?
「俺も骨折した時そんなんして風呂入ったわぁ。そんで頭とか、めっちゃ洗いにくいねん」
「あー確かに大変かもな。まぁ今日はしょうがねぇから適当にするしかねぇけどな」
「僕がやりますよ、伊織先輩?」
「いや、さすがにシャンプーまでは…」
「やらせてください」
千冬が柔らかい瞳で見つめて、俺の髪を手櫛するようにして一束掬う。
優しい手つき。髪に触られただけで、なんだか気持ちよかった。
「千冬クンがおって良かったなぁ、伊織。やってくれる言うてるんやから、甘えとけばええねん」
「そうですよ」
「そうか?じゃあ悪ぃけど、頼むな」
「はい、もちろんです」
俺の髪を指先に絡めて、するりと抜く。
満足そうな笑顔が、ちょっと子供っぽくてかわいいなって思う。
……千冬の幼い感じ、俺は結構弱ぇのかもしんねぇ。
「ありがとな」
「ふふ、何でも言ってください」
「あ、じゃあ、あと背中も手伝ってくんね?」
「せな…、背中っ!?」
「あと左肩とか腕とかな。左手で左側洗うの無理だろ?」
「え、ぅ、あ……」
「「「ブッ…」」」
千冬の顔がみるみる赤くなり、氷砂糖のように淡く澄んだ瞳が揺れる。
その後ろで、カゲヤン達の吹き出す声が聞こえた。
何だ?どうしたんだよ?
「首はできると思うし、脚も座ってればできるけど、腕と背中は……届かねぇよなぁ」
「い、伊織先輩の、か、体を洗うって…こと、ですか……?」
歩きながら自分の腿や腹、腕、脇を触って確認する。
うん、やっぱ左手に近い所ほど、可動域的に無理だよなぁ。
隣の千冬を見ると、視線は落ちて、俺の首元の服と肌の境目の辺りをゆっくり彷徨ってる。
「おう。頼みてぇ」
「………」
視線は残したまま顔だけ先に逸らすと、片手で口を隠し、ぎゅっと目を瞑った。
舌でも噛んだか…?
そして数歩先の床を一心不乱に見つめながら、真剣に何か考えているようだった。
あ、もしかして…、
「あーごめん。俺、甘え過ぎだったな?」
「え、」
「体は自分で洗うから、シャンプーだけは頼むわ!」
いくら面倒見がいい世話好きな千冬でも、さすがに「体も洗ってくれ」は怠かったのかもな。
ヘラリと笑ってみると、千冬は丸い目で俺を見てから、また目を逸らした。
唇を尖らせて、小さな声で返事をする。
「………はい」
「おう?」
つまんなそう、というか、悔しそうというか…、とにかく不機嫌そうだ。
なんでだよ?
大浴場は、1階の食事処の向かいにある。時間が早かったせいか、俺たち以外の客は殆どいなかった。
入り口から見て右奥には5〜6人程が一度に座れる広い洗面台があり、部屋の左側と真ん中には、脱衣カゴが置かれたオープンな棚が設置されている。
「俺、こういうとこの脱衣所の匂いめっちゃ好きやねん」
「えぇ〜?脱衣所の匂い?」
「俺も分かるわ。イグサみてぇな匂いだろ?」
「ちょっとだけコインランドリーみたいな匂いもしますよね」
「それそれ!せやねん!それやねん!」
「俺の行ってた幼稚園もこんな匂いだった」
「マンティスって幼稚園だったんだぁ。ぼくは保育園だったよぉ」
「なんや、幼稚園と保育園って何が違うん?」
「脱衣所の匂いがしたら幼稚園だ」
「んなわけねぇだろ」
いつものように実のない会話をしながら、各々適当な脱衣カゴに脱いだ服を入れていく。
俺も千冬の隣で右手に気を遣いながら服を脱ぐ。
いつもよりちょっと時間がかかるけど、ウェアと違って着慣れた服だから扱いは楽だ。
「はぁ〜アカンわぁ。千冬クン、顔だけやなくて体までかっこええって何?鍛えとんの?」
「ほんとだぁ。カゲヤンみたいにやたらムキムキさせてるわけじゃないのに、引き締まってるねぇ」
「やたらムキムキって何やねん!」
「無駄な肉が無いな」
トップスを脱いで上裸になった千冬に、カゲヤン達が絡む。
俺も自分の服を脱ぎながら、横目で千冬を見て、確かに綺麗な体だよなと思う。
スタイルの良さは服を着ていても分かるけど、きめ細やかな肌やしっかりした胸板、首筋に鎖骨、腕の筋肉…と、普段は服で隠れている部分まで美しく整っている。
美形は体まで美形(?)ってことか?
「いい筋肉っちゅうのは触ると柔らかいんや!千冬クンと俺の体、どっちがいいか勝負しよやないか!」
「なんかぁ…キモい」
「セクハラオヤジ」
「おおい!」
3人のテンポの良い会話に千冬が楽しそうに笑う。
それに合わせて、うっすら割れた腹筋がぴくぴくと収縮したのが見えた。
俺は、いつかの夜、そこに服越しに触れた時の感触を思い出す。
硬くて、温かくて、ゆっくり撫でるとピクリと反応して────
「伊織先輩」
「うぇっ!?」
名前を呼ばれ、心臓が飛び出そうなほど大きく跳ねた。
別に何も悪いことはしてないのに、なんでこんなにもドキドキするんだ?
ぼーっとしすぎてたのか?
早鐘を打つ心臓と、焼けるように熱い頬を引き攣らせ、千冬を見た。
「…? びっくりさせちゃいましたか?」
「おう、あ、いや…」
「ふふ。手、貸してください。ビニールつけましょう」
「あ、うん…」
小さく息を吐いてから、大人しく左を差し出す。
千冬は「痛かったら言ってくださいね」と断ってから、長い指で俺の手を包んだ。
手首を優しく握り、ビニールを被せると丁寧にテープを巻いていく。
ピンクの前髪の下で、長いまつ毛と栗色の瞳が微かに揺れる。
綺麗な鼻筋と、黙ってても美しい口元。
そして、カッコいい身体。
目の前にあるこの身体が、今日、何度も俺を抱き止めたんだ。
あの力強い腕で、あの体温で。
「はい、できました」
「……ありがとな」
なんだか、熱ぃ。
千冬に解放された手を引っ込めると、俺はその熱を追いやるように、頭を振った。
男同士の裸なんて、恥ずかしがるようなもんじゃねぇだろ?
どうしたんだよ、俺。
「伊織ぃ、行くよ〜?」
「お、おう!」
マロの呼びかけに返事して、千冬と一緒にみんなの後を追う。
風呂場に続く重いガラスの扉を開くと、体がむわっとした湿気に包まれた。



