ゲレンデと言っても、12月上旬はまだ雪は積もっていない。
枝だけになった木々の足元は、茶色の地面が剥き出しになっていて、人工雪のコースだけが、山から白のカーペットを下ろしたように帯状に伸びていた。
「山やァアア!」
「うるせぇカゲヤン」
「運転お疲れぇ〜」
「寒っ…」
広い駐車場に2台の車を並べて停め、マロやマンティス達と再会。
全員自前のウェアがあるから、男子は外で、女子は車の中で着替えをする。
途中、俺の斜め後ろで着替えていたマンティスが、「そういえば」と俺を呼んだ。
「伊織、俺のウェアの中にお前のネックウォーマーがあった。去年しまってそのままになっていたようだ」
「お前、言うの遅ぇから。無くしたと思って新しく買ったわ」
「それがそうか?すまんかった」
「おー」
「……待て、もしや千冬氏とお揃いか?」
「おう。千冬も持ってねぇって言うから」
「一緒に買いに行ったので、一緒に僕の分も買ったんです」
俺の隣で着替える千冬が答えると、マンティスは不満気な顔になった。
「むしろ、俺は感謝されるべきでは?」
「はぁ?」
「ふふ、ありがとうございます、マンティス先輩」
なんで感謝することになんだよ。
首は一本しかねぇのに、ネックウォーマー2つ持ちなんて、余計な買い物でしかねぇだろ。
「伊織先輩。そのウェア、とても似合ってます」
「え?あ、おう。さんきゅ」
俺のウェアは、ダークグレーの撥水パーカーに、黒の太めパンツ。頭には黒のニット帽。可もなく不可もなく、基本センスのない俺は、無難なものを選んだつもりだ。
もっとも、想像よりスノボが難しくて、去年一度着て以来、ずっとしまい込んでいたけどな。
「千冬こそ、…なんつぅか…、…アイス?みてぇで良いな」
「ふふっ、アイスですか?伊織先輩が好きなアイスなら嬉しいです」
「おう?多分好き」
「僕も大好きです」
栗色の瞳を蕩かせてご機嫌に微笑む千冬は、パステルラベンダーとホワイトのツートンウェア姿。淡いピンクの髪と白のニット帽もよく合っていた。
配色こそ女子みたいだが、スタイルがいいせいか、やたらかっこいい。
しかしラベンダー色のアイスって、何味なんだろう。不味くは無さそうだけど…、千冬はそれが好きらしい。
「ちょっと、そういうのは2人きりのときにしてよねぇ〜?」
「ほんまかなわんで。こいつら車ん中でも、ずーっとこんな感じやってんから」
「別車両で良かった」
「おい、なんでアイスの話でそこまで言われんだよ?」
俺がわざと睨むと、マンティスはサッと視線を逸らし、マロは糸目に呆れを滲ませ微笑んだ。
「それより早よ滑りに行こや!俺のボードチャンが『早よ雪の上行きたい』ってウズウズしてんねん」
「キモッ」
「え〜?カゲヤンそんなにスノボ、ハマったんだぁ」
「柚月氏にいい所見せたくて必死なんだろう。思春期だな」
「うっさいわ!」
カゲヤンのツッコミでオチがついたところで、車から柑奈と柚月が出てきた。
ミント色の可愛らしいウェアの柚月と、着る人を選ぶであろうビビットオレンジのウェアの柑奈。
「みんなお待たせー!」
「岳くん!…ど、どうかな…?」
「どう?」
「その…、ウェア…」
「おお!ええんちゃう?ごっつかわいいで!」
「ほ、本当?…えへへ」
「おう!ほな、早よ滑り行こや!」
「うん!」
千冬と同じくスキー場に来るのは初めてらしい柚月は、カゲヤンに見せるために一生懸命ウェアを選んだんだろう。
…しかし…。
「柚月ちゃん、あれで良いのかなぁ…」
「ほんとな」
「カゲヤンはあんな感じだから、いつも彼女と長続きしないんだろ」
「ユズのこと泣かせたら、私がぶっ潰す」
「つ、潰す…?」
柑奈の言葉に、残された男子4人は密かに縮み上がった。
自前の板を持っているカゲヤン、マロ、柑奈以外は、ブーツと板をレンタルして、片足に板をつけた状態で再びリフト横に集合する。
「柚月ちゃんと千冬っちは初めてなんだよねぇ?」
「うん、岳くんが教えてくれるって、約束してる」
「手取り足取り教えたるで!」
「僕は伊織先輩に教わります」
「…伊織が教えるのか?」
「おう」
マンティスの質問に答えると、マンティスだけでなく、カゲヤンとマロも怪訝な顔で俺を見た。
おい、失礼だろ。俺に。
「伊織、見栄を張るのはよせ」
「アハハ!伊織っ、去年最後らへん立てんなって、『もうやらねぇ』とか文句言うてたクセに!」
「千冬っち、伊織はほぼ初心者だから、危なくないように見てあげてね」
「ふふ。分かりました」
「はぁ?おい、なんで俺より初心者の千冬に頼むんだよ」
「だってボード上のバランス感覚が既に違うもん。伊織のガタガタの体幹、見てるこっちが怖いからねぇ?」
「うるせぇ、山から降りるくらいまでなら教えられるわ。…うわっ!?」
マロに言い返そうと足先に力を入れると、勝手に板が滑り出し、よろける。
すかさず、すぐ後ろにいた千冬が、俺の両脇を抱えるようにして受け止めた。
オーバーサイズなウェアが千冬の腕の力でクシャッと凹み、背中に千冬の硬い胸板を感じた。
千冬のボードの縁が、ガリッと硬い雪を削る音がして、耳元で優しい声が響く。
「頼りにしてます。よろしくお願いしますね、伊織先輩?」
「………おう…、」
バランスを崩した衝撃なのか、久々に千冬に抱きしめられたせいなのか、心臓がいやにドキドキしている。
赤くなった顔を隠すように、俺は俯いて小さく返事をした。
「ハハハ、無様だな伊織」
「そういうマンティスは、まだ板すら着けてないけどねぇ?」
「あはは!倫くんは私が教えてあげるよっ」
「か、柑奈氏!?………結構です」
「柚月チャン、午前でマスターして、午後は中級者コース攻めるで!」
「中級者コース!?が、がんばるね…!」
「じゃあぼくはひと足先に一滑りしてくるねぇ〜」
リフトに向かったマロを除き、経験者と初心者の2人1組のペアで別れる。
俺と千冬も、人気の少ないなだらかな坂を使って、基本の練習を始めた。
「いいか千冬、このまま、こうやって体重をかけると、止ま…止ま、止ま……るっ、痛ってぇ!」
「大丈夫ですか?」
横滑りの状態から、ブレーキの掛け方を教えてみるも、俺も久々のせいか思い切り尻餅をついてしまった。
そんな俺に、美形の後輩は颯爽とボードで滑り寄る。慣れた様子で板を止めると、俺のすぐ前で膝をつき、キラキラした栗色の瞳で手を差し伸べた。
…こいつ、本当に初心者か?
「なぁ、お前滑れるよな?俺が教えることねぇだろ」
「いいえ、滑れません。もっと教えてほしいです」
千冬に手を引っ張られ、立ち上がる。
千冬はさっきからずっとこの調子だ。白々しくも可愛らしく俺を見上げ、教えを乞う。
そんな千冬を横目に、尻についた雪を払った。
「じゃあ、あと何が分かんねぇの?これ以上は、俺じゃなくてマロかカゲヤンに聞けよ」
「そうですね…、脚のどこに力を入れるとか…、腰の落とし方とか…」
「それはさっきもやったし、ていうかお前できてるだろ?」
「もう一度教えてください」
「……まぁ…、いいけどよ…」
できてるのに何度も聞くのが不思議で仕方ない。
千冬は、完璧主義なんだろうか。だから、満足するまで極めないと気が済まねぇとか?
…ありえるな。きっとそのストイックさで、音楽もあんなに極めてるんだろう。
「ほら、腰はこう。もうちょっと落とせよ。脚は…わっ、」
「先輩、」
千冬の前に回り込み、また千冬の腰や腿に触れ、角度を指示する。
俺の脚には板がついたままだから、ふらつくと、思わず千冬に抱きつくような格好になってしまう。
普通なら共倒れしそうなところだが、千冬は余裕そうに優しく俺を抱き止めて、体勢を立て直すのを手伝ってくれる。
ほんと、体幹いいな、こいつ。
「悪ぃ、またつかまっちゃって」
「いいえ、大丈夫です。伊織先輩の教え方、すごく分かりやすいです」
「……そうか?…へへ」
それならなんで何度も聞くんだ?とも思うけど、千冬に褒められて悪い気はしない。
千冬は俺の両肘に触れ、腕を支えてくれている。
ゲレンデの冷気で赤くなった頬や鼻の先はもうパリパリに冷たく感じるけど、心の中はポカポカだ。
俺は得意げな気持ちで、千冬を見上げ口の端を緩めた。
「千冬も、じょうずだな?」
「…っ、」
白い息と共にニッと笑いかけると、千冬は栗色の瞳を微かに見開き、霜焼けの頬をさらに赤く染めた。
俺の視線に合わせ少し顔を下げると、ネックウォーマーに形の良い唇は隠れてしまう。
栗色の瞳は、きゅるりと潤ったまま細められ、愛おし気に俺を見つめた。
「先輩……。後で、リップクリーム塗ってあげますね。…唇、切れちゃいそう……」
「ん?おう。ありがとな」
グローブを外した白い手が俺の頬にそっと添えられ、親指の腹で、俺の唇を優しく撫でる。
乾燥で表面が固くなったカサカサの唇に、引っ掛かりを残しながら、感触を確かめるように押される。
「ちふゆ…?」
「………」
唇の右端から、真ん中まで行くと上唇の少しとんがった所で、寄り道するように指の進行方向を戻し、上唇を弄る。
そして左端に辿り着いた指先は、離れるのを拒むように下唇をまた反対方向へなぞっていく。
俺の冷たい唇に、千冬の温もりが忍び移る。
見下ろす栗色はどこか暗く、しかし白い雪に反射する空の光を、美しく写していた。
「はぁ…」
ようやく唇弄りに満足したのか、千冬が大きなため息をつき、俺から手を離す。
膝を立てた状態で座り込むと、後ろに手をつき、今度こそその瞳に、澄み渡る青空を写した。
「…そろそろお昼ですね。みなさんも呼んで、お昼休憩にしましょうか…」
「そうだな。そういえば腹減ったな!」
「ふふ。ゲレンデ食、楽しみにしてましたもんね?」
「おう!」
千冬に言われ、少しテンションが上がる。
ここのゲレ食は評判がいい。
午前は大して動いてねぇけど、やっぱ旅行先のメシって、わくわくするよな?
千冬と目が合い、思わず顔が綻び、笑いかけた。
「…か、わっ……」
「千冬?」
何か言いかけた千冬は、深いため息をつくと、「あー…」と小さく唸りながらその場に上体を倒した。
背中も頭も雪の上に投げ打って、口元に手の甲を載せている。
「千冬、疲れたか?」
「……」
白い雪の上に淡いピンクの髪を散らせ、気怠げに寝転ぶ恋人に声をかける。
儚げな透明感と無垢に潤む瞳、なのに吐く息には熱がこもっていて、見てはいけないものを見ているような色気を感じた。
「……先輩」
「ん?なんだよ?」
「立つの、手伝ってくれませんか?」
「おう」
千冬から助けを求められ、千冬が散々やってくれたように、俺も千冬に手を差し出した。
しかし千冬の手は俺の手を越え、肘のあたりを掴むと、思い切り俺を引き寄せた。
「うわっ!?」
引っ張られた俺は、当然、千冬の上に倒れ込む。
板に固定された千冬の足の間に、俺の腰がすっぽり入り込んだ。
「おい千冬っ、危ねぇだろ」
「……先輩」
身体を起こそうとするけど、腰は千冬の足に挟まれ、びくともしない。
それに、いつのまにか千冬の両腕は俺の脇下から背中に回されている。
ぎゅっ、と僅かに力を強めた腕に、胸がドクンと脈打った。
「ごめんなさい…、久々に先輩に触れたら……、我慢、できなくなっちゃって…」
「…ち、ふゆ…、」
身体がじわっと熱を持つ。
ウェアがガサリと擦れ合い、2人分の体重を受けた雪がキュ…と固まる音がした。
千冬が腹筋に力を入れて、俺の耳元に顔を寄せ、熱い吐息がかかる。
「こんなに先輩がほしいのは、…僕だけなんですか?」
「……っ、」
体の奥をくすぐられるような感覚に、身をすくめた。
ゲレンデに流れる流行の曲や、リフトのアナウンス音、誰かのボードが大きく雪を削った音、どこかで聞こえる笑い声…、全てが一瞬にして遠のき、自分の心音だけが大きく響く。
「…早く、キスさせてください」
「……キ…、」
誘うような千冬の甘い声に、耳の先まで熱を持った。
「……言って? 伊織、先輩…」
「っ…、ふゅ、…」
ゆっくり、甘えるように囁く声。
俺は催眠にかけられたように、頭のなかは千冬の声で満たされてしまう。
言う…、千冬に…。
キス、して、って……。
「………ちふ…」
「こんなとこでも抱き合ってんの?ほんま勘弁してや〜」
「えっ!」
「……」
「うお、千冬クン目ぇ怖っ」
「が、岳くん…っ!」
声に振り向くと、カゲヤンと、その後ろで顔を赤くした柚月が俺たちを見下ろしていた。
いつのまにか勝手に意識からフェードアウトしていた周りの景色に、熱が引いていく。
何…、何をしようとしてたんだ?俺は…。
「その辺にしとき?ほら、昼メシやで?はよ行こや!」
「………はい」
「おう…」
千冬は腕を離すと、体にぐっと力を入れ、俺ごと上体を起こした。
難なく立ち上がるも、しゃがみ込んだままの俺に気付くと、再びしゃがみ込んで、「立てますか?」と爽やかに微笑み、俺を抱くようにして立ち上がらせた。
……一人で立てんじゃねぇかよ…。
何が食べたいあれが食べたいと、楽し気に語るカゲヤンの声に、なんだか気が抜ける。
「伊織先輩、先行ってください」
「おう」
千冬に言われるまま、千冬を追い越し、板を滑らせる。
また俺がよろけたら、千冬は俺を抱き止めてくれるつもりなんだろう。
…それも、悪くねぇ…、かも、な…。
「…は?いやいや、転ばねぇに越したことはねぇから」
「どうしたんですか?」
「え!?いや、…独り言」
まるで、変な夢から覚めたような心地だった。
まだ、その夢と現実の境が、ぼやけている。
不思議そうな千冬には振り返らず、自分らしくない思考を隠すように、俺は少しだけ速度を上げた。



