約束の週末。俺たちは日の出前から、レンタカー2台でゲレンデに向かっていた。
雪の山道の運転に慣れているカゲヤンとマロをそれぞれの車に乗せて、俺と千冬と柚月はカゲヤンの車。マンティスと柑奈はマロの車だ。
もっとも、冬の早朝なんて俺が起きれるはずはなく。今朝も千冬にほぼ運ばれるような形で車に乗り込み、そのまま車でぐっすり眠っていた。
「伊織先輩、そろそろサービスエリア着きますよ」
「んー……ぅー……」
「朝ごはん、買いに行きましょう?」
「……ぁー…」
瞼の向こうに明かりを感じる。でも、千冬の声と、車の揺れがすげぇ心地良い。
いつの間にか体にかかっている毛布も、ふわふわで気持ちいいし。
頼むからもう少し…、このまま…。
「もう…。カゲヤン先輩、すみません。出発までには起こしますね」
「4時起きだもんね。まだ眠たいよね」
「柚月チャン、寝坊常習犯の肩なんて持たんでええよ。千冬クンも、毎朝そんな感じで伊織の世話焼いてんの?ほんまお疲れさんやで」
「ふふ。疲れませんよ。寝てる伊織先輩も、起きる瞬間の伊織先輩も、寝起きの伊織先輩も、…とってもかわいいので」
「うげぇ」
「わぁ千冬くん!本当に伊織くんが大好きなんだねっ、素敵!」
「ちょお、柚月チャン?このバカップルに毒されるんだけはやめとき。ほんま移るで?」
「あはは!私も、岳くんの寝顔好きだよ」
「お、おお…、へへ、へへへ…。ほ、ほな、着いたで!マロ達も着いてるみたいやし、俺らは先行こか」
カゲヤンの不快な笑い声がした後、車のドアの開閉音と共に静寂が訪れる。
心地良い振動も止まり、ゆるゆると意識が浮上した。
──カシャッ
気のせいか、スマホのシャッター音みたいな音が聞こえた気がして、微かに目を開く。
頭をつけていた後部座席の窓は冷たく、眩しい朝の光が目を刺し、俺はまた目を瞑った。
ムリ。起きれねぇ。
もう少し寝よう。
「伊織先輩、起きましたか?」
「………」
「伊織先輩…、」
千冬の声が止まる。
起きろっていうんだろ?分かってるけど、怠ぃ…。
静かな車内に、シートベルトの解除音と、シュルシュルとベルトが巻き戻る音が大きく聞こえた。
「先輩、」
手に千冬の体温が重ねられたのを感じる。
そして、シートの僅かな軋み音がして、視界が翳る。
千冬が俺の顔のすぐ目の前まで、自分の顔を寄せた気配がした。
あ。これは……。
久々のキスの予感に、胸がトクンと脈打つ。
無意識に口元の力が抜け、唇が薄く開いた。
千冬との、キス…。
その瞬間、耳元で甘く低い声が囁いた。
「…僕がキスするの、待ってるんですか?」
熱い吐息に身体がビクッと跳ね、驚きで目を大きく開いた。
「なっ…、待って、なんて…!」
「やっと起きましたね?おはよ、先輩」
千冬が身体を戻し、手の温もりも夢だったかのように消えてしまう。
満足そうに微笑む千冬は、車内に差し込む朝日を受けて、淡いピンク髪の先がキラキラと透けて輝いていた。
小さな顔には甘い栗色の瞳が、明け方の空に残る星のように優しく瞬き、俺を見つめている。
……綺麗…。
「………はよ」
「ふふ。カゲヤン先輩たちは先に行っちゃいましたよ。僕達も、朝ごはん買いに行きましょう?」
「…おう」
話しながら、千冬が俺のシートベルトも外してくれる。
俺は怠い手つきで体にかかっていた毛布を除けて、大あくびをしながら車を出た。
早朝の冷たい空気を吸い込み、思いっ切り伸びをすると、ようやく頭がクリアに動き始める。
今はゲレンデまでの道中で、このサービスエリアから、俺は運転係。
高速を出てからの山道は、またカゲヤンにやってもらうことになっている。
「はぁ…。コーヒーでも買ってくるかあ」
「伊織先輩、上着忘れてますよ」
「あ、おう。さんきゅ」
「また熱出さないように、気をつけてくださいね」
「…へい」
反対側のドアから出た千冬オカンが、俺のダウンジャケットを広げて着るのをサポートしてくれる。
あったけぇ。
広い駐車場を歩き、建物内のフードコートに入る。
中は、俺たちと同じように、ゲレンデに向かうのであろう客で混雑していた。
千冬と並んでメニューを見上げる。
「うどんとかラーメンとか、温まりそうなものもいいですね」
「そーだな…」
「それとも、あっちの屋台とかも見てみますか?」
「おー…」
「…先輩、あまりお腹空いてないですか?」
「まあ」
「え、本当に体調悪いんですか?いつも朝はちゃんと食べれるのに…」
千冬が俺の顎を持ち上げ、顔をまじまじと見た。
眉尻を下げ心配そうな表情をしているけど、…俺は、さっきの変な千冬の揶揄いのせいで、思わずその綺麗な口元に目が行ってしまう。
少しだけ顔が熱くなって、慌てて視線を逸らした。
えっと、なんだっけ。
そうだ、腹減ってないのかって話だったな…。
「……だって、千冬のメシじゃねぇから」
「…っ、」
「だからコンビニのパンとかでいい。腹減ったら食えるやつ」
千冬の反応がない。
ぶつぶつ喋ってたせいで聞こえなかったのか?
千冬に視線を戻し、名前を呼んだ。
「千冬…?」
千冬は口をきゅっと結び、少し赤い顔で俺をジトッとした目で見ていた。
あー、これはきっと、またオカンモードだな。
大方、俺の適当な食生活に呆れてんだろ。
小言を言われる前に千冬の手を振り払い、コンビニに向かう。
千冬は小さくため息をつくと、黙って俺の後をついて来た。
「……僕が、助手席で食べさせます」
「はいはい」
「好きなの選んでください。僕が買いますから」
「え?いいって別に」
「いいえ、お願いです」
コンビニの小さなカゴを取り、俺に持たせる。
カゴに入れるほど買わねぇって…。
なんだか押しの強い千冬に負けて、適当に商品棚を物色する。
「……おにぎり、作ってくればよかった」
俺の背後で千冬が何か呟いたけど、声が小さすぎて、俺には聞こえなかった。



