カチンコ


 乱立する黒い針葉樹の中を、柳澤は杉山の広い背中を追って小走りした。

 ようやく追いついた時、杉山は目の前に立ちはだかる分厚い霧の壁の前で、ただ静かに立ち尽くしていた。
 柳澤はぐっ、と眉を寄せる。
 
「お前なぁ。……いい加減にしろ、勝手に——」

 言い終わる前に、杉山がゆっくりと振り向く。
 その、絶望とも、諦めとも、深い悲しみともつかない顔を見て、柳澤は思わず口をつぐむ。
 
「……この霧の向こうを、確かめようと思って」

 ぽつりと呟いた杉山の声は、ひどく低く、掠れていた。

「アオイ……?」

 柳澤の呼びかけを、後から追いついてきた女子たちの、ガサ、ガサ、と草の根をかき分けるような足音が掻き消した。
 
「やっぱり、霧に閉じ込められてるんですかね……」

 キコが膝に手をつき、息を切らしながら言う。
 杉山は買ったばかりのペットボトルの水を一口呷ると、残った水ごと、目の前の濃霧に向かって力一杯投げ込んだ。放物線を描いて、ペットボトルが白い闇に呑まれる。
 
 だが数秒後。
 ガサッ……と、自分たちの『真後ろ』の茂みから、草の潰れるような音が鳴った。
 全員がギクリと振り向き、息を呑む。
 前に投げたはずのペットボトルが、自分たちの背後の地面に転がっていた。
 
「……範囲が広がっただけで、構造は同じっぽいっすね。ループしてます」

 ため息混じりに杉山が言う。
 神坂が、絶望に耐えきれずガクリと膝をついた。
 
「もう、嫌……」

 泣き出しそうな声に、皆が顔を歪ませた、その時。

 ――カァァンッ!

 森の奥から、あの甲高いカチンコの音が鳴り響いた。杉山とキコが、ハッとして手元のタブレットを持ち上げ、皆に見えるように突き出す。
 画面に真っ暗な森が映し出されたのと同時に、足元の地面が、まるで大地震のように激しく揺れ出した。
 
「えっ、地震!?」

 栗田が悲鳴を上げ、倒れないように近くの木の幹に抱きつく。直後。世界が、ぐらり、と異常な角度で傾いた。
 物理的な斜面になったわけではない。空間そのものが、斜め十五度に傾斜したのだ。
 
「なに!? なに!? やだ!!」

「キコちゃん!!」
 
 重力がバグり、パニックになって滑り落ちそうになるキコを、木にしがみついている栗田が必死に引き寄せる。
 
「きゃあっ!」

 神坂が揺れと傾きに耐えきれず、地面に投げ出された。
 柳澤がすぐに助け起こし、「ここに捕まってください」と、近くの木に強引に掴まらせる。
 
 杉山は、斜めに傾き激しく揺れる世界の中で必死に重心を保ちながら、手元のタブレットを睨みつけた。画面の中で、森の風景が『斜めに傾いて』映し出されている。
 
「……ダッチアングル……」
 
 杉山が息を呑み、呆然と呟く。柳澤が駆け寄りタブレットを覗き込む。
 途端に、画面の中の斜めのカメラが、前へと進み出した。同時に、地面の揺れがさらに激しさを増す。
 
「……からの、シェイキーカム……これって、まさか……」

 ザザザザッ、バキッ。
 
 枯れ枝を踏み砕き、湿った下草を乱暴に蹴り散らす重い足音が、森の奥から直接鼓膜を殴りつけてくる。
 見えないカメラマンが、手にカメラを持ったまま走ってくるかのような、斜めになって揺れる画面。
 
 ザッザッザッザッザッザッ。
 
 森の中をだんだん近づいてくるカメラ。揺れと傾き。
 この『見覚えのある構図とカメラワーク』から、とある映画を思い浮かべ、柳澤の顔が恐怖に歪む。
 
 画面の奥に、小さく自分たちの姿が映り込んだ。カメラは、さらにスピードを加速して、こちらへ向かって突進してきている。
 
「宿に逃げろ!!!」

 柳澤が顔を上げ、森に響き渡る怒号を飛ばした。
 全員が、斜めに傾き、激しく振動する世界の中で、乱立する木々を避けながら全速力で駆ける。
 黒い針葉樹のシルエットが、まるで意志を持った生き物のように、視界の端でぐわんぐわんと不気味に波打つ。

 草の根に足がもつれ、何度も転びそうになりがら走っていると、遠くに、宿の淡い光が見えた。
 
「はぁっ! はぁっ! 怖いよぉ! やだよぉ!!」

 キコはパニックで泣き叫びながらも、手元のタブレットをチラチラと見る。その時、ガツッ、と肩が木の幹を掠め、手からタブレットが滑り落ちた。
 
「いったぁ……! あ、タブレット!」

 キコが慌てて足を止め、拾おうと振り返りかける。
 
「止まっちゃダメ!! 走って!!」

 前を走る栗田の悲鳴のような叫び声に、キコはピタリと止まった。タブレットを諦め、すぐに前へと足を踏み出す。
 
 最後尾を神坂が走り、その前を柳澤、そして杉山が走る。

 宿のシルエットが大きく迫り、玄関の明かりが見えた時。
 
「わっ!!」

 ドシャッ、と背後で激しく土を這う音がした。神坂が木の根に足をとられ、派手に転倒したのだ。
 
「神坂さん!!」

 柳澤と杉山の足がピタリと止まる。咄嗟に踵を返し、倒れた神坂の手を引こうと全力で駆け戻る。
 杉山が柳澤の後を追いながらタブレットの画面を確認すると、カメラはすでに、倒れた神坂の『すぐ背後』まで迫っていた。
 息を呑み、杉山が顔を上げる。

 柳澤の手が届く、ほんの二歩手前。

「柳澤さ――」

 彼女が泥だらけの手を伸ばした、その瞬間。
 激走する見えないカメラが、神坂の背中を完全に捉えた。
 
 ぱっと、神坂の身体がまるで最初から存在しなかったかのように、虚空へ溶けて消滅した。
 
「……神坂、さん……」

 柳澤は愕然と目を見開き、震える息を吐き出す。
 強く握りしめようとした彼の手は、彼女の指先ではなく、ただ冷たく湿った夜の霧だけを空しく掴んでいた。
 
 柳澤の思考が完全に停止し、空を切った腕を伸ばしたまま石のように固まってしまう。
 
「まだ終わってない!!」

 背後から猛スピードで駆け戻ってきた杉山が、呆然とする柳澤の腕を力任せに掴んだ。
 凄まじい力で引き寄せ、自分と柳澤の位置を入れ替える。そのまま、柳澤の胸にタブレットを押し付け、宿の敷地側へと渾身の力で突き飛ばした。
 突き飛ばされ、宙に浮いた柳澤の胸で、タブレットの画面がスローモーションのように視界をよぎる。
 ――猛スピードで迫るカメラが、杉山の大きな背中の、真後ろまで肉薄していた。
 
「アオイ……ッ!」

 背中から地面に倒れ込みながら、柳澤は必死に手を伸ばす。届かない。
 
「ダメだ!! アオイィ!!!」

 柳澤が、喉が裂けるほどの絶叫を上げた、その時。

 プツンッ、と胸に抱えたタブレットがブルースクリーンに変わり、ゴツッ、と鈍い音を立てて土の上に転がり落ちた。
 
 途端に、世界の傾きと揺れが嘘のようにピタリと止む。
 
「はっ……はぁっ……!」

 柳澤は尻餅をついたまま、荒い息を吐き、呆然と目の前の空間を見つめた。
 
 目の前では、杉山が土に膝と手をついた状態で荒い息を繰り返していた。

 柳澤は、怒りと恐怖で目の前が真っ赤に染まるのを感じた。立ち上がると、地面に膝をつく杉山の胸ぐらを乱暴に掴み上げる。
 
「お前……!! なんで……!!」

 声が掠れ、スウェットを力任せに掴んだ手は、自分でも制御できないほどぶるぶると震えていた。
 
「お前まで消えたら……俺は……!!」

 怒鳴りつけられた杉山は、ゆっくりと顔を上げる。その顔は、先ほど霧の前で見せたのと同じ、泣きそうな、ひどく辛そうな顔だった。
 
「……それでも。あんたが生きてないと、意味がない」

 吐き捨てるように言い、杉山はふいと俯いた。
 
「大丈夫ですか!? 二人とも!!」

 宿の玄関から、キコが悲鳴のような声を上げて飛び出してくる。柳澤は杉山の胸ぐらから手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
 
 キコが、暗い森の方をキョロキョロと見渡す。
 
「え……か、神坂さんは……?」

 震える手で口を覆うキコに、柳澤は苦しげに眉を寄せ、ゆっくりと首を横に振った。
 
「そ、そんなぁ……」

 絶望に、キコがその場に泣き崩れる。
 
 杉山は無言で立ち上がると、片手で自分の口元を覆い隠すようにして、宿の中へとゆっくり歩き出した。
 
「え、杉くん……?」

 その横顔を見た栗田が、驚愕に目を見開いて息を呑む。柳澤が怪訝に振り返ると、栗田は咄嗟に「あ、なんでもないです」と目を逸らし、逃げるように杉山の背中を追って宿の中へ入って行った。

 
 *


 杉山は足早に一階の廊下を通り抜け、軋む階段を登ると、二階の薄暗い踊り場にそのままストンと腰を下ろした。
 口元を覆っていた手を下ろし、じっと見つめる。大きなその手は、ブルブルと震えていた。
 
「……杉くん」

 階段の下から声をかけられ、ビクッと少しだけ肩が跳ねる。
 
「……栗田」
 
「隣、座っていい?」

 杉山が小さく頷くと、栗田は冷たい板張りの床に並んで腰を下ろした。
 二人とも何も話さない。二階の踊り場にかけられた古い柱時計の音だけが響く、重い沈黙の時間が流れる。
 
「……見たろ」

 沈黙を破ったのは、杉山の、低く割れたような声だった。栗田は、その言葉にふっと力なく笑う。
 
「見ちゃった」

 栗田が見たのは、神坂が消えたとキコが泣き崩れた時、口元を覆った杉山の顔。
 
 その口元は歪み、確かに口角が上がっていた。
 
 笑ったのだ。神坂が消え去って。
 
「……最低だよな」
 
「まぁ、普通に考えればね」

 栗田は責めるでもなく、静かに微笑む。
 
「でも、私ずっと見てたからなぁ。杉くんのこと」

 杉山がチラリと栗田を見る。栗田は「あ」と顔を上げ、慌てて両手を横に振った。
 
「恋愛的な意味で、じゃないよ!」

 杉山は「わかってる」と肩をすくめる。
 
「もう八年ちょっとだもんね。……しんどいよね、きっと」
 
「…………」

 杉山は両手を組んで俯いたまま、何も言わない。
 
「……柳Dには、言わないの?」

 栗田が、杉山の横顔をそっと覗き込む。
 
「……言えるわけねぇだろ」

 杉山は、吐き出すように低く呟いた。
 
「そっか……」

 栗田は悲しそうに微笑む。
 
「そうやって諦めたのは、いつからなの?」
 
「大学一年の時から、とっくに諦めてるはずなんだけどな」
 
 杉山は自分自身を嘲笑うように口角を上げた。
 
「カメラマンとして必要とされてる。それだけで、よかったはずなのに」

 杉山は苦しげに顔を歪ませ、暗い階段の下へと顔を背ける。
 
『お前の「画」が必要なんだ』

 かつて柳澤に言われた言葉が、呪いのように脳内をリフレインする。あの人が本当に必要としているのは『俺』ではない。俺の撮る『画』だ。

 それでも、自分はあの人が無邪気に好きな事をしているのを、一番特等席で見ていたい。あの人の頭の中を、誰よりも理解していたい。
 
 だったら、『仲のいい後輩』であり『理想の画を撮れる最高の相棒』で十分だったはずなのに。
 
「……ほんと、嫌な夜だな」

 この理不尽な恐怖と共に、自分の化けの皮をズルズルと剥がしてくるような、最悪な夜。
 とうとう剥き出しになった一番醜い部分を直視したことで、杉山の心の中はもう、ズタボロだった。

 『――もう、止めようか?』

 あぁ。もう、止めよう。
 
 杉山は上を見上げた。何もない、黒い天井。涙など出ていないのに、上を向いていなければ何かが溢れ落ちそうだった。
 
「杉くん、本当に、大丈夫……?」

 心細そうにいう栗田の顔をようやく直視し、杉山はふぅっと長く息を吐いて立ち上がった。そして、無言で大きな手を差し出す。
 
「もう大丈夫。ほら、戻ろう」

 栗田は弱々しく頷き、その不器用で優しい大きな手を取った。その手は、驚くほど冷え切っていた。


 *

 
 一方、一階の宴会部屋。

 キコは心の拠り所である栗田がおらず、ソワソワと落ち着きなく足を揺らしていた。その横で、柳澤は机に両肘をつき、深く眉間に皺を寄せていた。
 
 キコがその険しい顔に気付き、「うわ」と声を上げる。
 
「……なんだよ」
 
「え、こわ。柳D、なんか怒ってます?」

 キコが眉を下げながら、おずおずと聞いてくる。
 
「……別に、怒ってねぇよ」
 
「だって、さっき杉山さんの胸ぐら掴んでたし……。喧嘩でもしました?」

 柳澤はすぅ、と深く息を吸い込んで背筋を伸ばし、キコを見る。
 
「喧嘩はしてない」
 
「じゃあ、なんで胸ぐら掴むんですか」
 
「……あいつが、俺を庇って消えようとするから……」

 柳澤は視線を逸らし、ゴニョゴニョと口籠る。キコが「は?」という顔をした。
 
「え、そこ怒るってか、普通は感謝じゃないんですか」
 
「だって、あいつが消えたらさ……!」

 そこまで言って、柳澤は押し黙った。上手く言葉にできない。
 
 ――あいつが消えたら?
 優秀なカメラマンがいなくなって困るから……? いや、それだけじゃないだろ……。
 
「大事な後輩だからですかー?」

 キコが、わざとらしくやる気のない声で言う。
 
「それも、あるけど……」

 柳澤が「うーん」と唸りながら頭を掻く。

 キコは柳澤を見ると、ギリッと膝を抱える手に力を込めた。
 
「……私、高校時代に好きな人がいたんです」

 普段の彼女からは想像もつかない、ひどく静かで、ひび割れたような声だった。

「えっ?……あ、あぁ」

 唐突に変わった話題に戸惑いつつも、柳澤はキコを見る。
 
「私の好きなその人は、ずっと他に好きな子がいて。その『好きな子』っていうのが、めちゃかわな子なんですけど。……彼氏、いたんですよ」

 キコは目を細め、ジトッと柳澤を見る。
 
「でも、その子、私の好きな人ともめっちゃ仲良くて。ずっとそばに居座ってて」
 
「あー、……いるよなそういう子」

 柳澤がうんうんと無邪気に頷くと、キコがギロリと恨みがましく睨みつけてきた。
 
「でも、その女には彼氏がいるんで。私の好きな人って、結局ずっと『補欠』じゃないですか。……それでも、そいつはずっとその女の事が好きなんですよ。仲良いし、一番近くにいるから、もしかしたらって期待しちゃうじゃないですか」

 柳澤は腕を組んで、うーん、と首を傾げる。
 
「まぁ、残酷だよなぁ。待たされる方は」
 
「……もう私、自分が付き合えなくて良いから、早くその女の事なんか好きじゃなくなってくれ、としか思えなくなって」

 キコは座布団の上で体育座りになり、膝の上にちょこんと顎を乗せた。
 
「結局、どうなったんだよ」

 柳澤が聞くと、顎を乗せた顔をぐいっと柳澤の方へ向け、暗い瞳でニタリと笑った。
 
「高三に上がる時に、ちゃんと諦めたんですよ、彼。……で、その女がその後彼氏と別れることになって。フリーになった途端、私の好きな人にまたすり寄って絡み始めたんです」

 柳澤は「お、おぉ……」と気圧されながら、ごくりと唾を飲み込んだ。
 
「でも結局、付き合いませんでしたよ、二人は。女の方は付き合いたがってましたけどね。……私の好きな人の中では、もうサッパリと『想い』が消えちゃってたんでしょうね。遅すぎたんです」
 
「……なるほどな……なんか、ビターな青春って感じだな」

 柳澤は他人事のように呑気に肩をすくめた。
 キコはギリッと奥歯を噛み締めると、特大の舌打ちをした。
 
「……もう、杉山派になろ……」

 誰に聞こえるでもなく、地の底を這うような声でボソリと呟いた。
 
「え?」

 柳澤が顔を上げる。
 
「なんでもないですぅー」

 わざとらしい愛想笑いで誤魔化す。

 パタパタと廊下から足音が鳴り、ガラリと襖が開く。栗田と杉山が戻ってきた。
 
「栗田さぁん!どーこ行ってたんですかぁ!」

「キコちゃーん、ごめんごめん」

 キコが栗田に飛びつく。柳澤は、無言で杉山を見た。
 杉山はさっきの絶望に満ちた顔と比べて、だいぶ穏やかな顔で栗田を見下ろしている。

 ズン、と、突然柳澤の胃の辺りが重くなった。
 
(……は?)

 訳のわからない不快感に、自問するように首を傾げる。そのまま杉山は、柳澤から遠く離れた下座の、栗田の目の前に腰を下ろした。
 
「杉山さん、体調大丈夫ですか?」

 キコがそんな杉山に気遣わしげに聞く。
 
「あぁ、寒いのは無くなった。ただ、走りっぱなしで疲れたよな」

 杉山が、ふっと柔らかく笑う。
 
「ほんとに……。今起きてられるのは、ただの恐怖からですもん」
 
「私も足、ガクガク」

 栗田も同調して笑う。
 柳澤は、その自分に向けられていない杉山の笑顔を、机に肘をつきながら無言で眺めていた。
 
「今、二時半。夜明けまであと三時間ちょいってところですね……」

 キコがスマホの画面を見て、神妙に言う。
 
「もう、誰も消えてほしくない」

 ぎゅっ、と悔しそうに唇を噛む。
 栗田も寂しげに頷くと、限界が来たようにふぁぁと欠伸をし、目を擦った。
 
「栗田さん、奥で寝てていいですよ。私そばにいるんで。カチンコ鳴ったらすぐ起こします!」

 栗田は少し迷うと、「じゃあ、少しだけ……」と言い、キコと共に奥の少し薄暗い和室へと移動する。座布団をいくつか重ね、その上に横になった。

 柳澤は、奥の部屋に光が入りすぎないように襖を少し閉める。ふぅ、と息を吐き、そのまま下座に座る杉山の、すぐ横に腰を下ろした。
 
「……すまん」

 俯く杉山に、短く告げる。
 杉山がチラリと柳澤を見る。
 
「何がっすか」
 
「助けてくれたのに、胸ぐら掴んで」
 
「……」

 杉山は黙って、静かな瞳で柳澤を見つめ返す。
 
「俺は神坂さんを守れなくて、お前には守られてばっかで。……そんなお前が、俺を庇って消えるかもってなって……正直、パニクった」

 柳澤は自分の不甲斐なさに、若干不機嫌そうに眉を顰めながら頭を掻いた。
 杉山はそれ聞いて、ふっ、と鼻を鳴らした。
 
「……アウトプット、下手すぎ」
 
「うるせぇな!」

 柳澤が照れ隠しのように、自分の肩で杉山の大きな肩を軽くどつく。
 杉山は静かに笑うと、ふぅ、と短く息を吐いた。
 
「大丈夫っす。……なんとなく、気持ちの整理はついたんで」

 自嘲するような苦笑いを浮かべ、薄暗い天井を見つめる。
その、すべてを諦めたような綺麗な横顔に、柳澤の胸の奥が、ギジリと嫌な音を立てた。顔が強張る。
 
(……お前は、お前の『どんな気持ち』に、どう整理をつけたんだ)
 
(それは、栗田と話した事で、吹っ切れたのか……?)

 聞きたくても、これ以上は漠然と踏み込んではいけない気がした。柳澤の胃のあたりに、ひどく気持ちの悪いモヤモヤとした熱だけが残った。