一行は、軋む階段を上り、まず三階へと向かった。
三階には女性陣の泊まる部屋と、ADの河野の部屋がある。
非常灯の最低限の明かりと、スマホの頼りないライトだけを頼りに廊下を進み、一旦各々が自分の部屋に異常がないかを見て回る。
「私の部屋にはいませんでした」
キコが、自分の部屋のドアから顔だけを出して報告する。
「え、三階って和室なのね。てか、あんたの部屋、すでに泥棒が入ったみたいに汚いのなんで?」
後ろからライトで照らした小宮山が、部屋の惨状を覗き込んで呆れたように笑う。
「ADは荷物が多いんです!」
キコが真っ赤になって、バタンッと焦って扉を閉めた。
「二階は洋室なの?」
栗田が小宮山に首を傾げる。
「なんか、一面花柄の壁紙で、妙に不気味な洋室よ」
小宮山が肩をすくめてみせた。
「こっちもいませんね。鍵閉めてたんで、もし中にいたらいたでホラーなんですけど」
神坂と清水も連れ立って部屋から出てきて、ひきつった苦笑いを浮かべる。
「確かに。モデルの部屋に忍び込んでたら大問題だな」
柳澤も作り笑いで応じながら、深く腕を組んだ。
「そしたら、あとは河野の部屋か」
「……さっきからノックしても、全く返事はないですね」
杉山の低く冷たい声に、全員の顔からスッと笑みが消えた。
一行は、一番奥にある河野の部屋――301号室の前に集まる。柳澤が、息を呑んで緊張した面持ちでドアノブに手をかけた。
ガチャリ、と、金属の冷たい音を立てて外側にドアが開く。
「……鍵くらいかけとけよな」
柳澤が恨みがましく呟きながら、ゆっくりとドアを押し開けた。部屋の中は、墨を流したように真っ暗だ。
「おーい! 河野! いるか?」
あえて大きな声を出しながら中に入る。手探りで電気のボタンを探して点けた。
部屋に入ると、すぐに古びた木の踏み込みがあり、その奥左の扉がトイレと浴室、右の襖が居住スペースに繋がっている構造だ。
柳澤が踏み込みに足を乗せる。一歩進むたびに、ギシッ、ギシッ、と、建物の骨組みが悲鳴を上げるような嫌な音が鳴った。
すぐ後ろから、杉山も無言で入ってくる。ギッ、ギッ、と、こちらは何の躊躇いもない、重く安定した足音だ。
踏み込みの奥。柳澤が恐る恐る、震える指先で襖の引き手に手をかけようとした時、背後から腕を伸ばした杉山が、パーンッ! と、何の躊躇もなく力任せに襖を開け放った。
「うおっ!?」
柳澤が肩を跳ねさせる。
襖の奥は、真っ暗だった。誰もいない。
ただ、部屋の真ん中に薄っぺらい客用の布団がポツリと一枚敷かれており、機材やリュックなどの荷物が、奥の縁側に無造作に積み上げられているだけだ。
「……いないっすね」
「いねぇな……」
呟き、柳澤は疲労の混じった息を長く吐き出す。
全員で部屋の隅、クローゼットや浴室の中まで探したが、河野の痕跡はどこにもなかった。
皆、顔を見合わせて力なく首を横に振り、ポツポツと廊下へ出る。
「本当に、どこ行っちゃったんだろう……」
キコがスマホを握りしめたまま俯く。
「明日も早朝からロケなのに……」
「こんな時に、本人の安否よりロケの心配しないの! ……あとは、私たちの部屋がある二階かしら」
小宮山が、キコを窘めながらため息をつく。
「下、降りるか」
柳澤の言葉を合図に、皆、301号室のすぐ横にある薄暗い階段へと足を向けた。
軋む螺旋状の木の階段を下り、二階へと足を踏み入れる。
先頭の柳澤が薄暗い廊下に降り立った、その瞬間。
――カァァンッ!!
鼓膜を突き破るような高い音と共に、周囲の空気がベットリと粘着質なものに変わった。
全員がその音に息を呑み、顔を上げて固まる。
「また鳴った……」
杉山が低く呟き、はっ、と手元のタブレットを見た。その端正な眉が、険しく顰められる。
「次は何が映ってる?」
柳澤も、杉山の腕の隙間からタブレットを覗き込んだ。
「あ?」
同じく、柳澤の眉間にも深いシワが刻まれる。
画面に映っているのは、間違いなくこの宿の、今自分たちが立っている二階の廊下だ。
だが、映像の中の廊下は、現実の薄暗さとは全く違い、不気味なほど煌々と明るく照らされている。
そして何より――果てしなく、異様に「長い」。
柳澤と杉山が、バッと顔を上げて現実の廊下を見る。
スマホのライトに照らされた現実は、薄暗く、すぐ先に突き当たりの壁が見える普通の長さの廊下だ。
「なんなんだ……? 俺らも映ってないし……」
異常に気づいた周りのスタッフたちも、身を寄せ合ってタブレットを覗き込む。
「これ、ここですか?」
「なんか、昼間に録画したやつとかかしらね」
小宮山たちが訝しげに首を傾げた。
ガラガラ……ガラガラ……。
不意に、硬い車輪が古い木の床を滑るように転がる音が、暗闇の奥から聞こえ出した。
それと全く同時に、タブレットの映像が滑らかに前進を始める。誰かの背後を、一定の距離と高さで執拗に追従するような、あの特有の浮遊感。
この音、長い廊下、ローアングルの、滑るようなカメラワーク。
「……ステディカム」
杉山が戦慄したように呟くと同時に、柳澤を見た。柳澤も顔を弾き上げ、杉山を見る。
「これは……来るぞ!!」
ガラガラガラガラッ!!
車輪の音が、急速にボリュームを上げ、背後から迫ってくる。足元の古い床板を通して、ゴゴゴゴッと内臓を揺らすような重い振動が伝わってくる。
タブレットの画面の中で、現実には「存在しないはずの廊下の曲がり角」をカメラがヌルリと曲がった瞬間――そのフレームのど真ん中に、恐怖に顔を引きつらせた自分たちの背中がバッチリと映り込んだ。
「走れ!!」
柳澤の叫びと共に、全員が悲鳴を上げて弾かれたように走り出した。
ガラガラガラガラッ!!
背後から迫る無機質な車輪の音が、すぐ耳元まで迫る。
走っても、走っても、突き当たりの壁に辿り着かない。
「廊下が伸びてる!? なんで!?」
真ん中を走っていたキコが、パニックに陥りながら金切り声を上げる。
「振り返るな! 早く行け!」
「なんなのこれぇっ!?」
全員が肺が破けそうなほど息を切らせて全速力で走っているのに、背景の花柄の壁紙が、まるで悪夢のループ映像のように延々と続いている。
疲労で足がもつれそうになった、その時。
ギィィ……と、古い蝶番が鳴る音を立てて、右奥の扉が不自然に少しだけ開いた。
「あ! 部屋が!!」
栗田がすがるように叫ぶ。
逃げ場を求めて、全員が開いた部屋のドアへ雪崩れ込もうとした。
だが、最後尾でタブレットを握りしめていた杉山が、画面に映ったその「部屋のドア」を視認した瞬間。
現実のドアにはないはずの、古びた真鍮のプレートが、映像の中にだけハッキリと映し出されていた。
『237』
「ダメだ!! 入るな!!」
杉山の怒号が廊下に轟く。
それと同時に、杉山は長い腕を伸ばし、前を走って部屋に飛び込もうとしていた柳澤の身体を、後ろから強引に自分の腕の中へ引きずり倒した。
「うおっ!?」
ドンッ、と硬い胸板に激突し、背中を抱きすくめられた。
氷のように冷え切った廊下の空気の中で、背中だけが異様に熱くなる。
その熱に、柳澤の息が詰まる。ドッドッ、と心臓が早鐘を打つ。
杉山の怒号に、他のスタッフたちの足もビタッと止まった。
――だが、パニック状態の清水の耳には、その警告は届いていなかった。
限界まで息を切らし、涙目で走り続けていた彼女の視線の先。少しだけ開いたその扉の隙間からは、底冷えのする薄暗い廊下とは対照的な、オレンジ色の暖かで柔らかい光が漏れ出していた。
まるで、そこだけがこの悪夢から切り離された安全な避難所であるかのように。
「あ……」
恐怖で引き攣っていた清水の顔が、ふっと安堵に緩む。
「助かった……」
すがるように光の漏れる隙間へとふらふらと歩み寄り――そのまま、温かい部屋の中へと足を踏み入れた。
バァンッ!!
清水が中に入った瞬間、見えない巨大な手が弾いたように、ドアが凄まじい音を立てて勝手に閉まる。
と同時に、あれほど耳障りだった車輪の音が、嘘のようにピタリと止んだ。
「ハァ……ハァ……あ、有紗ちゃんは……?」
栗田が、腰を抜かして床にへたり込みながら、閉ざされた扉を愕然と見つめる。
杉山は、荒い息を吐く柳澤の身体を腕の中に硬く抱え込んだまま、手元のタブレットを見た。
そこには、ブルースクリーンだけが放たれている。
柳澤も、杉山の腕の中で息を切らせながら、呆然とその青い画面を見つめた。
「清水さん……消された、のか……?」
ひどく掠れた声が、誰に宛てるでもなく暗い廊下に吸い込まれていった。
「有紗ちゃん!?」
小宮山が悲鳴のような声を上げ、目の前のドアノブに手をかける。
ガチッ、ガチッ。
回そうとするが、金属のノブは硬く凍りついたように動かない。
「う、嘘……鍵、かかってる……」
「あ、あれ……? ここって、柳Dの部屋じゃないですか?」
青ざめた久保が、震える声で柳澤を振り返る。
「え? ……マジかよ」
杉山の腕の中から解放された柳澤は、ポケットから慌てて鍵を取り出した。はぁ、と重い息を吐いて、震える手でシリンダーに鍵を差し込み、回す。
カチャリ、と、呆気ないほど普通に解錠の音がした。
ドアを押し開く。中は、ごく普通の、何の変哲もない花柄の壁紙の洋室だった。
バチッと壁のスイッチで電気をつけ、柳澤は奥の浴室やトイレのドアも乱暴に開け放っていく。
全員が部屋に入り、ベッドの下からクローゼットの中まで清水を探すが、やはりどこにもその姿は見当たらなかった。
悲鳴ひとつ、争った形跡ひとつ残されていない。神隠しにあったように、空間から完全に「消去」されていた。
「なんなんだ……どこに行ったってんだよ……」
柳澤がベッドの端に力なく座り込み、深く項垂れる。
入り口付近に立っていた久保が、横に立つ杉山を見上げた。
「そういえば、杉さん、さっき……なんで部屋に入るなって叫んだんですか?」
杉山は無言のまま、ブルースクリーンになったタブレットを久保に向けた。
「これを見た時、映像の中のドアにだけプレートが付いてたんだよ。『237』って」
柳澤がハッと顔を上げた。
「237……って……」
杉山が、重々しく頷く。
「一部だけど、この怪奇現象のギミックがわかったかもしれないです」
全員が、すがるような目で杉山を見る。
腰を抜かした栗田は立ち上がる気力もなく壁にもたれ掛かり、キコが寄り添った。
「皆さん、一旦宴会部屋に戻りませんか」
キコの提案に、各々が血の気の引いた顔で小さく頷いた。
*
一階、宴会部屋。
入り口付近の下座に、残されたスタッフたちが身を寄せ合うように固まって座り込んでいた。
杉山だけが机を挟んだ反対側に座り、全員に向かってタブレットを見せている。真っ青な画面以外、何も映っていない。
「なんとなく、皆さんもわかってるとは思うんですけど。変なことが起きる前には、毎回、カチンコを叩くような音がしますよね」
「一回目は、河野がふざけて鳴らしたやつで……その直後に停電したわよね」
小宮山が、自身を抱きしめるように腕を組んで震える声を出す。
「二回目にカチンコが鳴った後は、このタブレットに俺たちの映像が映りました。あの辺から、見えないカメラで撮られてるみたいに」
杉山が、部屋の奥の何もない空間を指差す。キコが緊張でごくりと唾を飲んだ。
「で、河野くんがいなくなったら、映像が切れた」
「……つまり、『誰かが消えたら、カメラが止まる』って事……だよな」
柳澤が、頭を抱えながら苦々しい顔で結論を口にした。
杉山がゆっくりと頷く。
「そして、さっきの二階での出来事。走っている時は同じ場所をループしているみたいに感じましたけど、タブレットを見た時、俺たちは『長い廊下を前に進んで』ました」
「『237』のドアプレートといい、車輪の音といい……やっぱり……あの映画みてぇだな」
柳澤が天井を睨みつけ、考え込む。
『……わざと怖くしてね、演技を引き出すんだよ』
宿の老婆の言葉が頭をよぎる。
「俺たちに、どっかで見たことあるようなホラー映画のシチュエーションを強制的に演じさせてんのか……?」
「……誰が、何のために?」
神坂が目を細め、不気味なものを見るように周囲を見回した。
「あ……。もしかして、さっき無くなっていた写真の中の、映画監督の呪いとか……?」
久保がおずおずと声を上げる。
「宿のお婆さんが、怖いもの撮ってたって言ってませんでしたっけ?」
「確かに! 言ってました!」
キコが思い出したように激しく頷く。
「その狂った監督の幽霊のせいだとして、どうすればこの現象がやむのよ! 消えた二人はどこへ行っちゃったっていうの!?」
小宮山がヒステリックに叫ぶ。
「それはわかりませんけど、少なくとも、このタブレットに映る映像が生き残るためのヒントになる。問題は、モニターがこれ一個しかないってことです」
机に肘をついたまま、杉山は青い画面を指先で叩いた。
「みんなが共有できる方法はないんですかね……これ一個じゃ、杉山さんの後ろを歩くしかないし」
神坂が深い息を吐き出した、その時。
「あ!」
キコが突如立ち上がり、脱兎の如く廊下へと走って行く。
「おい! キコ!?」
柳澤が慌てて立ち上がり、後を追った。
「……杉ちゃん、行かなくて良いの? 柳D、行っちゃったよ?」
残された小宮山が、チラリと横目で杉山を見る。
杉山は全く動じることなく、肩をすくめた。
「まだカチンコ鳴ってないんで」
「……鳴ってたら、行くんだ?」
小宮山がニヤリと笑う。杉山は、そのツッコミを完全に無視して、無表情のままタブレットを見つめ続けた。
「皆さん! これ!」
すぐに、キコと柳澤が足早に戻ってきた。柳澤が、ホコリを被った古びた段ボールを抱えている。それをドサッ、と机の上に置いた。
「これ、さっき廊下でカチンコが入ってた箱なんですけど。蹴っ飛ばして散乱したものを片付けた時に、これが見えたのを思い出しまして」
キコがゴソゴソと段ボールの底を漁り、一番下から少し大きめの白い機械を取り出した。埃をかぶり、薄汚れている。
「プロジェクターじゃん」
柳澤が後ろから覗き込む。
「これ、タブレットに繋いで襖にでも大きく映し出せば、全員でモニターを共有できるんじゃないですか?」
「キコ、あんた天才じゃない!」
小宮山がパァッと顔を明るくして手を合わせる。キコは「えへへ」と照れ笑いした。
だが、プロジェクターの背面を見た柳澤の眉が、再び深く顰められた。
「……古すぎるな。HDMIがない。VGA端子しかねぇよ」
「マジですか」
「Type-CとVGAのアクティブ変換ケーブル、今回持ってきてたっけ?」
杉山が久保を見る。久保は眉を下げて首を横に振った。
「俺の機材バッグには入れてないです。でも……もしかしたら河野さんの荷物の中にはあるかもです。予備ケーブル類が入れっぱなしになってたりするので」
「三階か……。私、取ってきます!」
キコは恐怖で押し潰されそうな空気を無理やり払拭するように、両手で自分の頬をパチン!と強く叩き、頷いた。
「俺も行くよ」
杉山はタブレットを机の上に置き、立ち上がる。
「あ、じゃあ、僕も行きます」
久保もそう言うと立ち上がり、三人は薄暗い廊下へと消えていった。
*
軋む木の階段を上りながら、最後尾を歩くキコは、スマホのライトに照らされた杉山の広い背中を見て、密かに頭を抱えていた。
(くぅっ! 私としたことが、推しカプを物理的に分断させてしまうとは……!)
独り言のように小さく呻き声が漏れる。
「え?」
前を歩いていた杉山が、怪訝そうに顔だけ振り返った。
「あ、いや、なんでもないです! ついて来てもらっちゃって、すみません……」
キコが慌てて誤魔化すように愛想笑いを浮かべる。
「元山さん一人じゃ、変換ケーブルがどれかわかんないでしょ」
杉山が、暗闇の中でわずかに苦笑した。
「まぁ、久保がいるなら大丈夫とは思うけど」
杉山が背後の久保を振り返ると、久保は照れたように頭を掻いた。
「さすがに、ケーブル類は全部わかりますよ」
「久保さん、カメアシ何年目ですっけ?」
「まだ二年目ですよ」
「二年! 頼りになるんで、もっと長いかと思ってました」
キコが感心したような声を出す。
「久保は仕事出来るから、助かってるよ」
杉山が、スマホで前方の暗闇を照らしたまま淡々と言った。久保は少し俯いて、嬉しそうに控えめな微笑みを浮かべる。
キコが杉山の手元を見て、ふと首を捻った。
「あれ? 杉山さん、タブレットは?」
「え、宴会部屋に置いてきたけど」
杉山は、息をするのと同じくらい自然に、さらりと言い放った。
「「えっ!!」」
久保とキコの足が、階段の途中で完全に固まった。
「なんで……」
久保が唖然として声を漏らす。
あれは、怪異の動きを知るための、現状唯一のレーダーなのに。
「……持ってきても、邪魔でしょ。ほら、さっさと行こう」
杉山は足を止めることなく、そのまま早足で階段を登りきってしまった。
久保とキコは思わず顔を見合わせた。
*
一階、宴会部屋。
柳澤は、テーブルの真ん中に置かれたタブレットの青い画面を、祈るような神妙な顔で見つめていた。
もし、今、あのカチンコが鳴ったら。
その事ばかりが、嫌な予感となって脳裏をぐるぐる回っている。
「柳D、愛されてるよねー」
頬杖をつき、同じようにタブレットを見ていた小宮山が、唐突にポツリとこぼした。
「え? あぁ」
柳澤の口から、無意識の生返事が出る。今はそれどころではなく、落ち着かない様子で小刻みな貧乏ゆすりを続けていた。
栗田が、ふふっ、と小さく吹き出して笑う。
「本当に変わんないな、杉くん」
柳澤は険しい顔でタブレットを睨みつけたままだ。
「……心配ですか?」
神坂が、柳澤の顔を覗き込むようにして尋ねる。
「えっ」
柳澤はふっと視線を上げ、頭を掻いた。
「いや……今鳴ったら、上行った奴らみんな危ないでしょ……丸腰なんだし」
「そうですよね」
神坂が、すべてを察したような優しい微笑みを浮かべる。小宮山と栗田も目配せをしてから、やれやれと眉を上げた。
柳澤は再びタブレットに目を戻し、さらに深く眉を寄せる。
危ないだろ。キコも、久保も、アオイも。
……てか。
(アオイがいなかったら、俺が一番危ないのか?)
ふと、そんな情けない事実が頭をよぎった。
あの気味の悪い日本人形を何の躊躇いもなく蹴り飛ばしてくれたのも、237号室に吸い込まれそうになったのを引き留めてくれたのも、全部あいつだ。
「うわ……俺、あいつに守られてばっかじゃん」
柳澤は消え入りそうな声で一人ごちて、自分の不甲斐なさにゲンナリとしたため息を吐き出した。
――カツーン。
今までとは少し違う、硬いプラスチックのようなものが木の床に落ちた音が、廊下の方から響いた。
柳澤はビクッと大きく体を揺らした。
心臓が跳ね上がる。
「何!? 今の、カチンコ!?」
小宮山が悲鳴混じりに叫ぶ。
「ちょっと、音が違いませんでしたか?」
神坂が怯えながら周りを見回した。
柳澤は祈るように手元のタブレットを覗き込んだ。画面は真っ青なブルースクリーンのまま。
何も、映っていない。
「戻りました」
「わっ!」
背後から突然かけられた低い声に、柳澤の身体が再び大きく揺れる。振り返ると、そこには杉山とキコ、そして久保が無事に立っていた。キコの手には、黒い変換ケーブルがしっかりと握られている。
「さ、さっき、なんか音が鳴ったの……!」
栗田が三人に訴えかけると、キコがハッとして申し訳なさそうな顔をした。
「あ、すぐそこの廊下で、このケーブル落としちゃって……びっくりさせてすみません」
ペコリと深く頭を下げる。
「ちょっとー! 本当にビビったわよ!」
小宮山はホッとしつつも、苛立った声を上げる。
柳澤は、無事に帰ってきた杉山を見上げ、肺の底から深い安堵の息を吐き出した。
杉山が見下ろしてくる。
ふと、視線がぶつかりそうになり、柳澤は、自分でも驚くほど咄嗟に、バッと不自然に視線を逸らしてしまった。
さっき自覚してしまった情けなさが頭をよぎり、耳の裏がカッと熱くなる。
「ケーブル、あったか」
誤魔化すように、わざとらしくキコの方を向いて話しかけた。
「ありました! 予備のやつ!」
「じゃあ、僕すぐ繋いじゃいますよ」
久保が少し離れた位置に古いプロジェクターを運び、手慣れた手つきでセッティングを始めた。
杉山が、無言のまま柳澤のすぐ隣にドサリと腰を下ろす。三階の冷気を纏った大きな身体が横に並び、柳澤はまた少しだけ肩を強張らせた。
ブゥゥン、と低いファンの稼働音と共に、プロジェクターのレンズから放たれた強烈な青い光が、宴会部屋の奥のシミだらけの襖に大きく投影される。
「繋がってるのかどうか、元の画面がブルースクリーンだからわかんないですね」
久保が少し大きめの声で言う。
「確かに。ただ襖が青くなっただけだな」
柳澤が苦笑して振り返ると、すぐ隣に座っていた杉山が、柳澤の方を向いた。
至近距離で、真っ直ぐに目が合う。
プロジェクターの青白い光の反射を受けて、杉山の深い黒目が、柳澤の顔だけを静かにじっと見つめていた。
柳澤は何か言おうと口を開きかけたが、喉が干からびたように、何も言葉が出てこない。
――その時。
カァァンッ。
空気を切り裂くような、あの甲高く乾いた木の音が、今度こそ間違いなく、遠くのどこかで響き渡った。
