音が鼓膜を打った途端、部屋の照明が一斉に落ちた。
「うぉっ、停電!?」
柳澤がガバリと布団から顔を出す。
タブレットから流れていたドラマの音声が唐突に途切れ、画面がエラーを起こしたような不気味な青い光だけを放ち始めた。
「あれ? つかないな……。ってか、なんなんですかね、今の音」
杉山がタブレットの画面をタップするが、青い光は微動だにしない。
暗闇の中、その青白い光源に下から照らされた柳澤の顔が緊張で強張る。
「……カチンコっぽかったけどな」
震える声をごまかすように呟き、周囲をキョロキョロと見回す。
タブレットの狭い光の輪の他は、完全な暗黒だ。
しん、と、耳鳴りがするほどの無音が部屋を満たしている。自分の心臓の音だけが、やけに大きく内側で響いていた。
無意識に、柳澤の片手が宙を彷徨い――杉山の服の袖をぎゅっと掴む。杉山は何も言わず、その震える手を大きな掌で包み込むように取った。
「いますよ」
低く、落ち着き払った声が落ちる。
「どうせ、河野くんあたりが下でふざけてるんじゃないですか」
「……下の様子、見に行ってみるか」
「ですね」
ベッドから降り、杉山が手にしたタブレットの青い光源だけを頼りに、二人は部屋を出た。
*
廊下も、見渡す限り真っ暗だった。非常灯すら一つも点いていない。
「見えます?」
先頭を歩く杉山が、タブレットの光を後ろに向けながら振り返る。
「ケイさん、鳥目なのに」
「いや、マジでなんも見えねぇ」
柳澤の手は、先ほどから杉山の腕をがっちりと掴んで離さない。
「そのまま捕まってて下さい」
暗闇に床板の軋み音だけが響く。
杉山の体温だけを頼りに慎重に歩を進め、突き当たりの窓に差し掛かった時だ。
「……おい、ちょっと待て」
窓の外を見た柳澤が、息を呑んだ。下を向いて足元を照らしていた杉山も顔を上げ、窓の外を見て眉を寄せる。
外は、濃霧だった。
窓ガラスのすぐ向こう側が真っ白に塗り潰され、数メートル先の木々のシルエットすら見えない。まるで、この古い民宿ごと、巨大な雲の中に閉じ込められてしまったかのように。
「なんだよこの霧……『ミスト』じゃねぇんだから……」
「これがあの映画のミストだったら、今頃俺ら死んでますよ」
苦笑する杉山の言葉に柳澤はブルッと身震いすると、「下に急ごう」と掴んでる腕を強く引っ張った。
*
階段を下りきったところで、チカチカと蛍光灯が瞬き、一階の電気がパチリと点いた。それでもやはり廊下は薄暗い。
「はぁ……。なんだ、やっぱりただの停電かよ……ビビらせやがって」
柳澤が壁に手をつき、心底安堵したように長く息を吐く。
杉山は手元のタブレットを見た。相変わらず、画面は青い光を放ったままだ。
「壊れたかな……」
ボソリと呟く。
「柳D」
ふいに、真横から声がした。
「うわっ!!」
柳澤が顔を上げた瞬間、目の前にADの河野が立っていた。驚きのあまり柳澤が後ろへ倒れ掛かるのを、杉山が背後からガシッと抱きとめて支える。
河野は、ビビり散らかした柳澤の反応を見てケラケラと笑った。
「……テメェ河野……明日マジで覚えとけよ」
杉山からパッと離れると、柳澤が苦虫を噛み潰したような顔で睨みつける。
「いや、さーせん! 驚かすつもりはなかったんですけど」
河野は全く反省していない様子で頭を掻いた。
「この停電も、河野くんのイタズラ?」
杉山が呆れたように尋ねると、河野がぎくりと目を見開いた。
「いやいや! これは違いますよ。急に真っ暗になって、俺らも宴会部屋でビビッてましたよ。また停電になったら嫌だから、バスに積んである懐中電灯を取りに行こうと思って」
「じゃあ、やっぱり宿のブレーカーの問題っすかね」
杉山が眉を上げる。
「外真っ暗で一人じゃ心細いんで、二人とも一緒にバスまで来てくださいよ」
河野が情けない顔で、拝むように手を合わせる。柳澤と杉山は顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
「行くか」
*
誰もいない、静まり返った玄関。
土間に降りようとした河野を背に、柳澤は上り框の上でピタリと足を止めた。
「外、『ミスト』状態だからな。化物に気をつけろよ」
重いガラス戸に手をかけた河野に向かって、柳澤がヘラヘラと笑いかける。
「え、柳D来てくれないんすか!?」
「ここで待っててやるから」
「えー、マジっすかぁ」
不満げに口を尖らせる河野に、杉山も腕を組んでさらりと告げた。
「ドア、開けっぱなしで良いから。すぐ戻ってこいよ」
「杉さんまで……酷いっすねぇ」
河野はガクリと大げさに項垂れると、ガラガラと重い音を立てて引き戸を開けた。
真っ白な霧の塊が、ぬるりと玄関の土間に流れ込んでくる。
「ほんと、待っててくださいよ!」
そう言い残し、河野の背中は、濃密な白い霧の中へと完全に飲み込まれていった。
柳澤と杉山は、開け放たれた玄関の暗闇を無言で見つめる。受付の奥にある古い鳩時計の、コチ、コチ、という無機質な秒針の音だけが、薄暗い土間に反響している。
数分が経過した。
「……遅くね? バス、真横だぞ?」
柳澤が上り框から片足を下ろし、濃霧のうねる外へ身を乗り出そうとした、その時。
「出ない方がいいです」
杉山の腕が伸び、柳澤の肩を背後から掴んだ。有無を言わさぬ強い力。引き留められた柳澤が振り返ろうとした瞬間。
「あれ?」
ふと、背後から間の抜けた声が聞こえた。
二人は弾かれたように振り返り、同時に目を見開く。
さっき、確実に目の前のドアから霧の中へ出て行ったはずの河野が、宿の奥へと続く、薄暗い廊下側に立っていた。
「え……河野くん、どうやって戻ったの?」
杉山が、柳澤の肩を掴んだまま愕然と尋ねる。
「いや、前見えないんで、手探りでバスのドア探してたら……なんかここにいました」
「は?」
柳澤の思考が完全にフリーズする。
「お前、何言ってんの?」
河野は困り果てたような顔で首を傾げた。
「いや、ガチですって。俺もわけわかんなくて」
「そんなん……ありえねぇだろ……」
柳澤が震える声で呟く。理解不能な怪異を前に、足元から急速に体温が奪われていくのを感じた。
「とりあえず」
杉山が、二人の間に割って入るように空いた方の手を上げた。
「外に出るのはやめときましょう。朝になれば霧も晴れるはずですし。一旦、みんなのところに戻りませんか」
「……うす」
河野はまだ混乱したまま、こくこくと頷く。
柳澤は顔を覆い、長く息を吐き出した。
*
宴会部屋では、残されたスタッフたちが身を寄せ合うようにして小さく固まっていた。
「あー!! 戻ってきたぁ!」
三人の姿を見た瞬間、清水が泣きそうな声を上げる。
「三人とも……消えたかと思ったわよ!」
小宮山が安堵と苛立ちの混じった声で柳澤を睨んだ。
「すまんすまん。懐中電灯取りに行ってたんだが、霧が濃すぎて外に出れなかった」
柳澤は適当に誤魔化しながら片手を上げ、空いている座布団に腰を下ろす。
ふと、机の上の異物に気づいた。
「あれ? なんだよ、このカチンコ」
「あぁ、さっき廊下で見つけて」
キコがおずおずと視線を彷徨わせる。
「これ、誰か鳴らした?」
杉山が低く問いかけると、河野が気まずそうに手を挙げた。
「俺、鳴らしましたよ」
「お前か」
柳澤は呆れたように目を天井に向けた。
――その時。
カァァンッ。
再び、甲高く乾いた木の打ち鳴らされる音が響いた。
「えっ」
キコが短い悲鳴を上げ、机の上に置かれているカチンコを凝視する。
「今、どっかで別のカチンコ鳴りましたよね!?」
「これ以外にも、あるってことですか?」
神坂が、机の上の古いカチンコを不安そうに見つめる。
「あれ、杉さん……それ、何映ってるんですか?」
向かいに座っていた久保が、杉山の手元を凝視しながら呟いた。
「え?」
杉山が、手に持ったままだったタブレットの画面を見る。
次の瞬間、バッと顔を上げ、何もない部屋の奥の空間を睨みつけた。
その表情が、一瞬で凍りつく。
「おい、アオイ?」
「ケイさん……これ」
杉山は、虚空を鋭い眼差しで睨みつけたまま、手元のタブレットだけを柳澤に押し付けた。
画面を見た柳澤が息を呑む。
さっきまでブルースクリーンだったはずの画面。
そこには、今まさに恐怖に顔を強張らせている自分たちの姿が、異常なほど鮮明な画質で映し出されていた。
柳澤も、杉山と全く同じ方向を勢いよく振り向く。
「……歪みもないし、なんだよこの粒子感……35ミリのフィルムカメラか?だとしたら、カメラ位置は……」
柳澤が独り言のように呟く。
画角とパース。この映像を撮るための、カメラのおおよその座標が、いやでもわかってしまう。
杉山がゆっくりと立ち上がり、宴会部屋の奥へ向かって歩き出した。
そして、柳澤が推測した「カメラがあるはずの座標」、その何もない空間の真正面に立つ。途端に、タブレットの画面いっぱいに、杉山のスウェットの生地がドアップで映し出された。
杉山が全員の方を振り返る。
彼の背後には、何もない。カメラも。三脚も。レンズを隠せるような壁の穴も。
ただ、開かれた襖とシミだらけの畳があるだけだ。
「……ここです」
今まで冷静を貫いてきた杉山が、初めて顔を歪ませた。その顔を見て、柳澤の胸の奥で、心臓が致命的な嫌な音を立てた。
「ここって……」
呆然としながら小宮山が呟く。
杉山は苦々しい顔で頷いた。
「角度、画角から逆算すると、絶対この辺りです」
「な、何もないじゃないですか」
清水が口元を押さえながら震える声で呟き、衣装の栗田とすがりつくように身を寄せ合った。
「……何がなんだかわからないが、確実に今、変なことが起きてる。霧がヤバすぎて外にも出られない」
柳澤が低く静かな声で告げた。
「とにかく朝がくるまで、みんなで固まってここにいるのが得策だろう」
全員が、無言で深く頷く。
「あ!」
キコが慌ててポケットを漁った。
「田山Pか大嶋APに連絡……」
スマホを取り出し、画面を見た瞬間にがくりと肩を落とす。
「圏外……」
各々が自分のスマホを確認するが、結果は同じだった。全員、電波の届かない空間に隔離されている。
「完全に閉じ込められたって感じっすね」
こんな状況だというのに、ADの河野だけがどこかお気楽な声を出した。
「あ、俺こないだ『スクリーム』見たんすよ。こういう時のサバイバルルール3つあるの、知ってます?」
そう言って、あろうことかニヤニヤと立ち上がる。
「セックスはダメ、酒やドラッグも禁止。あ、俺ら呑んじゃってますね!」
あはは、と暢気に頭を掻く。
「あと、『すぐ戻る』は禁句!……だそうですよ」
河野の空元気に、女子たちは引きつった愛想笑いを浮かべるしかない。
「バカは黙ってて欲しい」
小宮山が冷え切った声で吐き捨てた。
その間も、杉山と柳澤はタブレットのモニターを食い入るように見つめていた。
「ライティングまでされてねぇか、これ」
「ですね。本当に質感がフィルムカメラみたいだな……。っていうか、この画角……」
自分たちを手前に置き、出口に近いところに河野を配した構図。
「何か、見たことある気が……」
杉山が眉間に指を当て、記憶のデータベースを探るように考え込む。
「ってなわけで、すぐ戻りまーす!」
河野がひらひらと手を振り、部屋を出ようとする。
「おい! 一人でどこ行く!?」
柳澤がガバリと立ち上がった。
河野は悪びれもせずへらっと笑う。
「便所ですよ。さすがに連れションはないっしょ」
そう言い残し、薄暗い廊下へと足を踏み出した。
「……ったく」
柳澤は深いため息をつきながら、廊下の闇に溶けていく河野の背中を見つめる。
――ぱっ、と、映像のコマが飛んだように、河野の姿が廊下の途中で不自然に「消えた」気がした。
「え?」
「どうしたのよ、柳D」
目を細めた柳澤に、小宮山が怪訝な顔をする。
「河野が……消えたような」
「は?嘘でしょ?」
小宮山が身を乗り出して廊下を覗き込む。
しん、と、底冷えのする沈黙だけが返ってきた。足音一つ聞こえない。
柳澤の脳内で違和感が警鐘を鳴らす。
まるでジャンプカットしたかのような、足音ごと、ブツリと途切れたような、そんな消え方。
そこまで考えて、思考を追い出すように頭を振る。
「……いや、気のせいかも」
誤魔化すように頭を掻きむしり、どさりと座布団に座り直した。
「少し待ってみて、戻らないようなら探しに行きましょう」
杉山の冷静な声に、柳澤は小さく頷く。
誰も口を開かないまま、重苦しい時間だけが過ぎていった。キコがスマホの時計を確認する。
「まだ0時にもなってない……朝まで長すぎる」
絶望したように机に突っ伏し、貧乏揺すりをする。
「……遅いですね、河野さん」
清水に腕をきつくしがみつかれたまま、栗田が不安げに呟く。
「見に行きます? みんなで」
「そうだな……」
柳澤が頷きかけた、その時だった。
「あれ?」
杉山が、短い声を上げた。
手元のタブレットを皆に見せる。そこには、先ほどまでの鮮明な映像はなく、ただ無機質なブルースクリーンだけが映し出されていた。
「ゴーストカメラが消えてる……」
「本当だ。なんか、怪奇現象が終わったんですかね」
久保が安堵したように息をつく。
だが、柳澤は違った。背筋を這い上がるような悪寒に首を傾げる。
(シーンが終わった……?)
ホラームービーのワンシーンとして考えた場合。
カメラの録画が止まった、ということは、つまり――河野は?
最悪の結末に思い至り、柳澤の心臓が早鐘を打つ。
「河野を探しに行こう」
血の気の引いた顔で、柳澤は慌てて立ち上がった。
*
「河野くーん」
震える声が、薄暗い廊下に吸い込まれていく。
全員が団子のように身を寄せ合い、スマホのライトを頼りに暗闇を進んでいた。各々が怯えながらあちこちを照らすため、何本もの白い光の筋が、まるで乱れたミラーボールのように放射状に散り散りになって暗闇を撫で回している。
「……いませんね」
男子トイレのドアを開けていた久保が戻ってきて、神妙な顔で首を横に振った。
チッ、と柳澤の口から無意識に舌打ちがこぼれる。
「どこ行ったってんだよ……」
「とりあえず、一階からしらみ潰しに探しましょう。絶対に離れないように」
杉山が、青い光を放つタブレットを片手に持ち、集団の先頭に立つ。すかさず、清水がその背中にピッタリと擦り寄った。
「怖いんで、守ってくださいね」
「はぁ」
杉山は清水の方を見向きもせず、感情の微塵もこもらない生返事を落とす。そのまま、躊躇うことなく玄関の奥へと歩き出した。
その様子を後ろから見ていた柳澤は、無意識に頭をガリガリと掻き、二人の背中を追う。
「てか、さっきのおばあちゃんとか、宿の人もいないんですかね」
キコが柳澤の横に寄ってきて、スマホのライトをキョロキョロと動かした。
「こんな薄暗い中、あのお婆ちゃんが立ってたらそっちのが怖いわよ」
モデルの神坂と衣装の栗田を自分の前に歩かせながら、小宮山が忌々しそうに眉をひそめる。
玄関と大浴場を通り過ぎていくと、奥の方が宿の管理人の居住スペースになっていた。小さめの部屋の敷居に古びた帳が張られ、そこからほんのりと青白い明かりが廊下へ漏れ出している。
「すみませーん」
杉山が低く呼びかけたが、何の返事もない。帳をくぐり、部屋の中へと足を踏み入れる。
簡素で、殺風景な部屋だった。
天井の丸い蛍光灯が、寿命が近いのかジリジリと音を立てて時折明滅している。
窓際に張り付くような簡易的なキッチン。黄ばんだ古い緑色の冷蔵庫。木作りの小さなダイニングテーブルに、冷たいパイプ椅子。石油ヒーターの上にはヤカンが置かれている。
ヒーターの電源は切れており、部屋の空気は外の濃霧と同じくらい冷え切っていた。
誰もいない。
ただ人がいないだけでなく、そこに「さっきまで人がいた形跡」が全く感じられない。
「わぁ……ザ・昭和って感じの部屋」
小宮山が腕をさすりながら部屋を見回す。
「……厨房も、元山さんが行った時には真っ暗だったって言うし。玄関にも受付にも、ここにも人がいない」
杉山が腕を組み、重いため息をついた。
「外に、ご自宅が別であるんじゃないですか?」
清水が、杉山の腕を掴んだまま小首を傾げる。
「河野くんもいないし、二階と三階にも行ってみますかね……」
キコが絶望混じりに息を吐いた。階段は宴会部屋の近くにしかない。
「またあの暗い廊下通んのかよ……」
柳澤がうんざりしたように息を吐き、来た道を戻り始めた。
「あれ!? ない」
玄関の土間に差し掛かった時、最後尾の方を歩いていた久保が突然、素っ頓狂な声を張り上げた。
ビクリと肩を揺らし、皆が一斉に久保の方を振り向く。
「あ、すみません……。でも、ここに、さっき話した撮影風景の写真があったはずなんです」
久保の震える指先が、玄関から入って正面にある古い棚の上を指し示している。
ホコリを被った日本人形や、色褪せた観光パンフレットが並ぶその空間。今は、ただ不自然な四角い隙間だけが空いている。
「写真立てに入って、絶対ここに置いてあったんですけど……」
久保が青ざめた顔を曇らせながら、空っぽの棚に手をかけた。
突如、ガタンッ、と不自然に棚が揺れ、下段に飾られていた古い日本人形が、ボトリと重い音を立てて土間の床に転がり落ちた。
「キャッ!!」
神坂か栗田か、女子の誰かが短く悲鳴を上げる。全員が肩を跳ねさせながら足元の闇を見た。
床に落ちた日本人形は、うつ伏せに倒れていた。
だというのに、その首だけが、ありえない角度で真上を向き、一点をじっと見据えている。
柳澤の身体が、氷水を浴びたようにこわばった。
人形の埃を被って濁った真っ黒な目が、柳澤の顔を真っ直ぐに見つめていたのだ。
悪寒が背筋を駆け上がる。気味が悪い。今すぐ目を逸らしたいのに、何故か一歩も動けない。
柳澤が息を詰めて立ち尽くした、次の瞬間。
杉山が、自分の腕にしがみついていた清水の手を振り解き、素早く柳澤の前に出た。
ゴッ、と鈍い音が土間に響き渡る。
杉山の長い足が躊躇なく振り抜かれ、柳澤を見つめていた日本人形を、暗い廊下の奥へ思い切り蹴り飛ばした。
「……わっ!?」
久保やキコが、信じられないものを見る目で杉山を見る。
「ちょっ……、杉さん!? 何して……呪われますよ!?」
清水が両手で口元を覆いながら、悲鳴のような声を上げた。
「いや、なんか気味が悪かったんで、つい」
杉山は、ついさっき呪いの人形を蹴り飛ばしたとは思えないほど、ケロリとした平坦な声で言い放つ。
そのあまりにも堂々とした物理攻撃に、極限状態だったスタッフたちから控えめな笑いが漏れた。
だが、柳澤だけは違った。
はぁっ、と、喉に詰まっていた息を細く吐き出し、へたり込みそうになる膝を必死に堪える。
杉山の背中を見る。
振り返って目が合うと、杉山は「なんでもないですよ」とでも言うように、暗闇の中で軽く肩をすくめた。
パン、パンッ!
小宮山が、空気を叩き割るように強く手を打った。
「ほらほら! そんなことより、今は河野くん探ししないとでしょ! さっさと二階に行きましょ!」
