カチンコ


 「カット!」

 夕暮れの街角。
 人波と車のライトが交差する中、柳澤の声が雑踏を抜けて響いた。

 市内のおしゃれなカフェの前で、ポーズを決めていたモデル二人が、にこやかにカメラへと振り向く。
 
「あい、オッケー。……終了っ!!」

 柳澤は手元のモニターから顔を上げて深く頷くと、ぐっと腰を反らして大きな伸びをした。
 
 横では杉山が短く息を吐き、三脚から重いカメラを下ろす。
 アシスタントの久保が手際よく三脚をたたみ、人止めをしていた河野がペコペコと頭を下げながら通行人を誘導して通す。
 
「本日の撮影は以上でーす! 皆様、クランクアップお疲れ様でしたー!!」

 キコが元気いっぱいに声を張り上げると、現場のスタッフたちが口々に「お疲れ様でした!」と労い合い、一斉に安堵の笑顔を見せた。
 
「はぁ……。なんとか乗り越えたな」

 自分の凝り固まった肩を揉みながら、柳澤が深い疲労と共にため息を落とす。
 
「帰りの飛行機では、絶対爆睡ですね」

 杉山もさすがに限界が来たのか、膝に手をついて笑った。
 
「柳澤ー! ちょっとクライアントに挨拶来て〜」

 少し離れた場所から、アシスタントプロデューサーの大嶋が柳澤を手招きする。田山と大嶋が待つ元へ、柳澤が「へいへい」と面倒くさそうに首を鳴らしながら歩いて行った。
 
 その後ろ姿を見送り、杉山が手際よくカメラをケースにしまっていると、「杉くん」と、不意に横から声をかけられた。
 
「栗田。お疲れ様」

 杉山が立ち上がり、穏やかに微笑む。
 
「お疲れ様。……久しぶりの一緒の現場、楽しかった」

「俺も」

 栗田も嬉しそうに微笑み返すと、少し悪戯っぽく目を細めて笑う。
 
「……なんか変な噂されてたよ、また。キコちゃんたちに」

 杉山がわざとらしく眉を上げて肩をすくめると、栗田はくすりと笑った。
 
「でも……なんかちょっと、雰囲気変わった? 二人とも」

 首を少し傾げ、不思議そうに杉山の顔を覗き込んでくる。

 杉山は少しだけ考える素振りを見せると、ニヤリと笑みを浮かべて、人差し指を自分の唇にそっと当てた。
 
「……っ!!」

 栗田の目が限界まで見開かれる。言葉にならない悲鳴を飲み込むように、両手でギュッと自分の口を覆った。

 
 *

 
 あの日から数週間後。

 まだ薄闇に包まれた早朝、杉山が自宅マンションのドアから出てくる。
 靴をトントン、と鳴らして履き、愛用のカメラが入った鞄を肩にかけると、呆れたように振り返ってドアの奥を覗き込んだ。
 
「まだっすか。ケイさんが朝焼け撮りたいって言ったんでしょ。早くしねぇと間に合わねぇっすよ」
 
「……わかってるよ」

 そのドアから、柳澤がのそりと出てくる。ひどく眠そうに大きなあくびをしながら、暖かそうなダウンコートを羽織った。
 
「……眠い」
 
「だから昨日の夜はやめとこうって言ったじゃないっすか」

 杉山がやれやれと肩をすくめる。

 二人は並んで、マンションのエレベーターホールへと歩き出した。
 
「だってさー」

 柳澤が少し不貞腐れたように口を尖らせる。
 
「……いったん見始めたら、続きが気になっちゃうんだよ」

 エレベーターに乗り込み、一階のボタンを押す。
 
「次、いつ見れるかわかんねーし」
 
「いつでも見れんだろ。会社帰り、大体うち来てるじゃないっすか」

 杉山が呆れた声でツッコミを入れた。

 マンションのエントランスを出て、冷たい朝の空気を吸い込みながら駐輪場へと向かう。大型バイクの前に着くと、杉山がふと立ち止まり、柳澤を振り返った。

 ぽん、と。
 無造作に、何か小さな金属の塊を投げてよこした。
 柳澤が「うぉっ」と咄嗟に両手で掴むと、チャリ、と小気味良い音が鳴る。
 
 そっと手のひらを開いて、見る。
 
「……鍵。渡しとく」

 杉山は気恥ずかしげに短く呟き、照れ隠しのようにヘルメットを被った。
 柳澤は、自分の手のひらに乗った銀色の鍵を唖然と見つめた。
 やがて、ふっ、と優しい微笑みを浮かべると、それをコートのポケットの一番奥へと大事にしまいこむ。

 ヘルメットを被り、バイクの後部座席に跨がる。
 
「……もー、このまま引っ越してこようかなぁ」

 柳澤はヘルメットの奥でニヤリと笑い、杉山の広い背中に腕を回して抱きついた。
 
「いつでも、お待ちしてますよ」

 杉山の低く嬉しそうな声と共に、重厚なエンジン音が静かな朝の街に響き渡る。
 
「で。ほら、どこで撮ります?」
 
「えーー。なんか、良い感じのとこで!」
 
「……またそれかよ」

 二人の乗ったバイクはゆっくりと走り出し、やがて白み始めた美しい朝焼けの光の中へと、溶けていった。