アヤカシの世界がどんなものか、考えたことがあった。
月城の先祖が残した資料にヒントはないか調べ、そこから何度も想像を繰り返した。
しかしその想像の中で、こんな光景は一度たりとも浮かぶことはなかった。
「どう。気に入った?」
詩が得意げな顔で尋ねるが、紬は何も答えず、目を丸くする。
テレビにパソコン、ゲームにマンガ。どれも、アヤカシの世界にあるとは思いもしなかったものばかりだ。
「……こういうのって、アヤカシの世界にも普通にあるものなの?」
ようやく口を開いて、それだけを尋ねる。
「どこにでもあるってわけじゃないよ。けどテレビやパソコンは、人間の世界じゃ生活必需品みたいなものだからね。無いと不便だと思って買ってきたんだ」
「買ってきたって、人間の世界で!?」
「そうだよ。普通のアヤカシなら、人間には姿が見えないから無理だけど、俺は自由に姿を見せることができるからね。その気になれば、買い物だって楽にできるさ。それに直接買いに行かなくても、俺以外にも人間の世界に通じている奴はいるからね。かわりに買ってきてもらうこともある」
「あなた以外にも、そんなアヤカシがいるの?」
「ほんの僅かだけどね。中には、人間のふりして生活してる奴だっているんだよ」
信じられないようなことを、あっさりと言う。
いつも顔を合わせている隣人がアヤカシかもしれないなど、寒気のするような話だ。
「ほら、スマホもあるよ」
渡されたスマホのスイッチを入れると、ちゃんと動く。
こんなところまで電波が届いているのかと驚くが、その辺もきっとなんとかしているのだろう。
こんな文明の利器には二度と触れることがないと思っていたが、まさかこんなにも早くてにとることになるとは。
一応、嬉しいことは嬉しいのだが、今のところは、驚きや戸惑いの方が大きかった。
「じゃあ、ゲームやマンガは? これは、生活に必要ってわけじゃないでしょ」
「あった方が楽しいじゃない。紬は、こういうのには興味ない?」
「全く無いわけじゃないけど……」
紬は、マンガやゲームが特別好きというわけではない。
ただ、心を許せる相手が一人もいなかった彼女が暇を潰すには、こういう一人でも楽しめるような娯楽が多かった。
棚に並べてあるマンガを見ると、子供のころに好んで読んでいたものもある。
地味で目立たない女の子が同じクラスのイケメンと仲良くなっていくという、恋愛ものの少女マンガだ。
「ここにあるマンガは、どういう基準で選んだの?」
「色々調べて、面白そうだと思ったやつを手当り次第。強いて言えば、参考になりそうなものが多めかな」
「参考って、いったい何の?」
「もちろん、恋の参考だよ」
「はっ?」
詩の言ってる意味がわからず、間の抜けた声をあげる。
詩はにこりと微笑むと、なぜかそんな紬の頭に向かって、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
「例えば、ほら──」
「えっ?」
戸惑いはますます大きくなるが、詩の手は止まらない。
そっと紬の頭に触れ、ポンポンと、撫でるように叩いた。
「どう?」
「…………どうって、何が?」
「こうしたら、キュンとしない?」
さらに微笑む詩。それを見て、さっきのマンガのワンシーンを思い出す。
そこでは、イケメンの男子が微笑みながら、主人公の頭をポンポンと叩いていた。
そのマネをする詩の姿は、その美しい容姿と相まって、人によってはうっとりと見とれてしまうかもしれない。
だが紬が向けたのは、氷のように冷たい眼差しだった。
「それで、なんとかなると思ってるの?」
「あれ? 効果ない?」
「あるわけないでしょ。恋の参考にって言ってたけど、その成果がこれなの?」
「ああ。たくさん調べてみたんだよ」
たくさん調べた。恐らく、その言葉に嘘はないのだろう。
よく見ると、棚にあるマンガのほとんどは、恋愛ものの少女マンガだ。
紬も、マンガで恋愛シーンを見るのは嫌いじゃないし、さっきの頭をポンポンと叩くシーンも、子どもの頃に何度も見返した。
だが自分が同じことをやられてときめくかとなると、全く別の話だ。
「やっぱり、賭けは私の勝ちみたいね。あなたを好きになるなんて、一生どころか永遠に無さそう」
こんな的外れなことを大真面目にやるのを見ると、なんだかバカバカしくなってくる。
大きくため息をつくが、それを見た詩は、なぜかクスリと笑った。
「どうして笑ってるのよ?」
こんな時に笑うなんて、本当にわけがわからない。
「お堂に迎えに行った時とは、全然違うなって思って。あの時の紬なら、何があっても大人しくしてるばかりで、絶対にそんなこと言いそうになかったから」
「それは、逃げるためにはその方がいいと思ったからよ。悪い?」
あの時は隙を見て逃げ出すつもりでいたから、それまで警戒されないよう、ひたすら大人しくしていた。
だが逃げるのに失敗し、何を考えているのか全て知られた、その必要もない。
「いいんだよ。本音を隠すより、思ったことをハッキリ言ってくれた方が嬉しいからね。紬も、その方がよくない?」
「知らないわよ。そんなの」
ほんの少しだけ、返事に困る。
今まで暮らしてきた月城の家では、何を思っても、迂闊に口に出すなどできなかった。
何か言ってで常貞たちの不興を買ったら、ひどい折檻を受けるとわかっていたから。
本音を自由に語ることなど、とてもできなかった。
「とりあえず、一年の猶予はあるんだし、すぐに俺のこと好きになってとは言わないよ。まずは、遠慮なしに本音で話してくれるだけでいい」
「なによそれ。あなたの悪口ばかり言うかもしれないわよ。そしたら、すぐに私のことなんて嫌いになるかも」
「じゃあ、試してみる? そうしたら、俺がどれだけ本気か、少しはわかってくれるでしょ」
「──っ!」
またニコリと笑顔を向けられ、何も言い返せなくなる。
(なんなのよコイツは?)
詩がどこまで本気で言っているのか、まるでわからない。
それ以外にも、テレビやスマホのような人間の道具を平気で使ったり、マンガのマネをしたりと、おかしなことが多すぎる。
この詩という男がどんなやつかまるでわからず、話せば話すほど調子が狂っていくようだ。
「そういうわけだから、これからよろしくね。愛しの妻殿。とりあえず、親睦を深めるために、一緒にゲームでもやってみる?」
「や、やらないわよ!」
「そっか。じゃあ、一緒にゲームはまた今度にしようか」
この口ぶりだと、近いうちにまた一緒にゲームをしないか誘ってきそうだ。
「俺のことを好きにさせてみせるから。楽しみにしててね」
改めて、詩がそう宣言する。
花嫁という名の生贄となるか、そこから逃げ出し名も無きアヤカシに食われて果てるか。
その二択しかないと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
(やっぱり私は、この狐に化かされているのかもしれない)
仮初とはいえ夫となった相手を見て、紬は無言で天を仰ぐのだった。
月城の先祖が残した資料にヒントはないか調べ、そこから何度も想像を繰り返した。
しかしその想像の中で、こんな光景は一度たりとも浮かぶことはなかった。
「どう。気に入った?」
詩が得意げな顔で尋ねるが、紬は何も答えず、目を丸くする。
テレビにパソコン、ゲームにマンガ。どれも、アヤカシの世界にあるとは思いもしなかったものばかりだ。
「……こういうのって、アヤカシの世界にも普通にあるものなの?」
ようやく口を開いて、それだけを尋ねる。
「どこにでもあるってわけじゃないよ。けどテレビやパソコンは、人間の世界じゃ生活必需品みたいなものだからね。無いと不便だと思って買ってきたんだ」
「買ってきたって、人間の世界で!?」
「そうだよ。普通のアヤカシなら、人間には姿が見えないから無理だけど、俺は自由に姿を見せることができるからね。その気になれば、買い物だって楽にできるさ。それに直接買いに行かなくても、俺以外にも人間の世界に通じている奴はいるからね。かわりに買ってきてもらうこともある」
「あなた以外にも、そんなアヤカシがいるの?」
「ほんの僅かだけどね。中には、人間のふりして生活してる奴だっているんだよ」
信じられないようなことを、あっさりと言う。
いつも顔を合わせている隣人がアヤカシかもしれないなど、寒気のするような話だ。
「ほら、スマホもあるよ」
渡されたスマホのスイッチを入れると、ちゃんと動く。
こんなところまで電波が届いているのかと驚くが、その辺もきっとなんとかしているのだろう。
こんな文明の利器には二度と触れることがないと思っていたが、まさかこんなにも早くてにとることになるとは。
一応、嬉しいことは嬉しいのだが、今のところは、驚きや戸惑いの方が大きかった。
「じゃあ、ゲームやマンガは? これは、生活に必要ってわけじゃないでしょ」
「あった方が楽しいじゃない。紬は、こういうのには興味ない?」
「全く無いわけじゃないけど……」
紬は、マンガやゲームが特別好きというわけではない。
ただ、心を許せる相手が一人もいなかった彼女が暇を潰すには、こういう一人でも楽しめるような娯楽が多かった。
棚に並べてあるマンガを見ると、子供のころに好んで読んでいたものもある。
地味で目立たない女の子が同じクラスのイケメンと仲良くなっていくという、恋愛ものの少女マンガだ。
「ここにあるマンガは、どういう基準で選んだの?」
「色々調べて、面白そうだと思ったやつを手当り次第。強いて言えば、参考になりそうなものが多めかな」
「参考って、いったい何の?」
「もちろん、恋の参考だよ」
「はっ?」
詩の言ってる意味がわからず、間の抜けた声をあげる。
詩はにこりと微笑むと、なぜかそんな紬の頭に向かって、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
「例えば、ほら──」
「えっ?」
戸惑いはますます大きくなるが、詩の手は止まらない。
そっと紬の頭に触れ、ポンポンと、撫でるように叩いた。
「どう?」
「…………どうって、何が?」
「こうしたら、キュンとしない?」
さらに微笑む詩。それを見て、さっきのマンガのワンシーンを思い出す。
そこでは、イケメンの男子が微笑みながら、主人公の頭をポンポンと叩いていた。
そのマネをする詩の姿は、その美しい容姿と相まって、人によってはうっとりと見とれてしまうかもしれない。
だが紬が向けたのは、氷のように冷たい眼差しだった。
「それで、なんとかなると思ってるの?」
「あれ? 効果ない?」
「あるわけないでしょ。恋の参考にって言ってたけど、その成果がこれなの?」
「ああ。たくさん調べてみたんだよ」
たくさん調べた。恐らく、その言葉に嘘はないのだろう。
よく見ると、棚にあるマンガのほとんどは、恋愛ものの少女マンガだ。
紬も、マンガで恋愛シーンを見るのは嫌いじゃないし、さっきの頭をポンポンと叩くシーンも、子どもの頃に何度も見返した。
だが自分が同じことをやられてときめくかとなると、全く別の話だ。
「やっぱり、賭けは私の勝ちみたいね。あなたを好きになるなんて、一生どころか永遠に無さそう」
こんな的外れなことを大真面目にやるのを見ると、なんだかバカバカしくなってくる。
大きくため息をつくが、それを見た詩は、なぜかクスリと笑った。
「どうして笑ってるのよ?」
こんな時に笑うなんて、本当にわけがわからない。
「お堂に迎えに行った時とは、全然違うなって思って。あの時の紬なら、何があっても大人しくしてるばかりで、絶対にそんなこと言いそうになかったから」
「それは、逃げるためにはその方がいいと思ったからよ。悪い?」
あの時は隙を見て逃げ出すつもりでいたから、それまで警戒されないよう、ひたすら大人しくしていた。
だが逃げるのに失敗し、何を考えているのか全て知られた、その必要もない。
「いいんだよ。本音を隠すより、思ったことをハッキリ言ってくれた方が嬉しいからね。紬も、その方がよくない?」
「知らないわよ。そんなの」
ほんの少しだけ、返事に困る。
今まで暮らしてきた月城の家では、何を思っても、迂闊に口に出すなどできなかった。
何か言ってで常貞たちの不興を買ったら、ひどい折檻を受けるとわかっていたから。
本音を自由に語ることなど、とてもできなかった。
「とりあえず、一年の猶予はあるんだし、すぐに俺のこと好きになってとは言わないよ。まずは、遠慮なしに本音で話してくれるだけでいい」
「なによそれ。あなたの悪口ばかり言うかもしれないわよ。そしたら、すぐに私のことなんて嫌いになるかも」
「じゃあ、試してみる? そうしたら、俺がどれだけ本気か、少しはわかってくれるでしょ」
「──っ!」
またニコリと笑顔を向けられ、何も言い返せなくなる。
(なんなのよコイツは?)
詩がどこまで本気で言っているのか、まるでわからない。
それ以外にも、テレビやスマホのような人間の道具を平気で使ったり、マンガのマネをしたりと、おかしなことが多すぎる。
この詩という男がどんなやつかまるでわからず、話せば話すほど調子が狂っていくようだ。
「そういうわけだから、これからよろしくね。愛しの妻殿。とりあえず、親睦を深めるために、一緒にゲームでもやってみる?」
「や、やらないわよ!」
「そっか。じゃあ、一緒にゲームはまた今度にしようか」
この口ぶりだと、近いうちにまた一緒にゲームをしないか誘ってきそうだ。
「俺のことを好きにさせてみせるから。楽しみにしててね」
改めて、詩がそう宣言する。
花嫁という名の生贄となるか、そこから逃げ出し名も無きアヤカシに食われて果てるか。
その二択しかないと思っていたのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
(やっぱり私は、この狐に化かされているのかもしれない)
仮初とはいえ夫となった相手を見て、紬は無言で天を仰ぐのだった。
