月城家当主、月城常貞。彼はここしばらくのところ、すこぶる上機嫌だった。
それもそのはず。百年に一度、霊力のある月城の娘をアヤカシに嫁がせるという、先祖代々の使命を果たすことができたのだ。
もしもこの使命を果たすことができなければ、月城家は、そして当主である自分は、どうなるか。そう不安になったこともあったが、それももう過去の話。あとは約束された繁栄の下、好きなだけ贅沢して暮らしていけばいい。
百年後は、今度こそ月城家から霊力を持った娘が完全にいなくなるかもしれないが、そうなる前に自分はとっくに死んでいるだろう。後のことなどどうでもよかった。
しかしこの日、そんな彼の機嫌は珍しく悪かった。
その元凶は、突然家に訪ねてきた、綾野志織。紬の母親だ。
実は少し前から何度も訪ねてきて、その度にあれこれ理由をつけて会わずにいたのだが、それももう限界だった。
仕方なく客間に通し顔を合わせると、早速志織が口を開いた。
「あの子に……紬に会わせてください」
やはりそうかと、心の中でため息をつく。彼女が尋ねてくるなど、それ以外考えられない。
だが、もちろんそんなことはできない。紬は、既にこの家にはいないのだから。
「困りますな。あの子はもう月城の娘で、あなたとはなんの繋がりもない。そういう約束で私が引き取ったのではないですか」
「なら、せめて遠くから、一目だけでも姿を見せてください!」
志織からは並々ならぬ意志を感じ、そう簡単に引き下がるとは思えない。
それを見て、常貞は心の中でチッと舌打ちをする。
紬がいなくなって間もないうちにこんなことになるなど、偶然とは思えない。
もしかすると彼女は、どこかで知ったのかもしれない。紬が、この家から姿を消したことを。
実は常貞が紬を引き取ってからも、志織とは時々連絡をとり、紬がどうしているか近況を伝えてはいた。そうでもしないと、志織が納得しなかったからだ。
アヤカシから紬を守る。時々近況を報告する。その二つを約束し、ようやく説得することに成功したのだ。
しかし本音では、アヤカシの花嫁にできる紬さえ手に入れられれば、あとはどうでもよかった。
最初のうちこそ、紬は楽しくやっているとそれらしい嘘を並べていたが、次第にそれも面倒になり、どんどん嘘が雑になっていった。
それを、志織は怪しいと思ったのだろう。何かこそこそと調べているらしいというのは知ってはいたが、その中で、最近紬の姿が見えないという話を聞いたに違いない。
(まったく、面倒なことだ)
もう一度心の中で舌打ちをし、悪態をつく。
志織の訴えも、彼の心には何も響かない。
それどころか、もう彼女に取り繕う必要もなかった。
「残念ですが、それはできません。あの子は、アヤカシの花嫁としてもらわれていきましたからな」
「えっ────!?」
信じられないといった風に、志織の目が見開かれる。
少し前なら、常貞もここまでハッキリとは言わなかっただろう。だが全てが終わった今、嘘をつくのも面倒だった。
「その反応。やはり兄さんは、あんたに何も話していなかったようだな。月城の家では、百年に一度、霊力のある娘をアヤカシに花嫁として捧げることになっているんだよ。兄さんはそんな我が家に嫌気がさして家を出たようだが、その娘であるあいつは役に立ってくれたよ」
「そんな……」
志織自身は、アヤカシに関してはほとんど無知だ。知っていることといえば、夫や娘である紬から、僅かに話を聞いただけ。アヤカシの花嫁などと言われても、詳しいことは何もわからない。
だが、常貞の悪意のこもった様子から、良くないものだと判断するには十分だった。
「どういうことですか。あなたは、紬を守ってくれるんじゃなかったのですか! なのに、どうしてそんなことに!?」
立ち上がり、今にも掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。
だが彼女が怒ろうが嘆こうが、常貞にとっては取るに足らないことだ。
ただ、月城家の当主である自分がこんな奴に怒鳴られるというのは、面白くはなかった。
「うるさいやつだな。あんな不気味な娘一人に、ガタガタ騒ぐんじゃない!」
「なっ!」
「約束通り、守ってやったとも。大事な、アヤカシの花嫁としてな。そうでなければ、あんな奴とっくに他のアヤカシに食われて死んでたんじゃないか。あんたもそう思ったから、私に預けたんだろうが。その結果この歳まで生きることができたんだ。十分だろう!」
常貞もまた、立ち上がり怒鳴りつける。その姿は、昔紬を引き取りたいと言ってきた時とは別人だった。
かつて信じた男の言う、あまりにも身勝手な言葉。それを聞いて、志織は一気に青ざめる。
「じゃああなたは、最初からそうするつもりで、紬を……」
「当たり前だ。でなければ、わざわざあんなのを引き取ったりするものか」
ショックで畳に膝をつく志織。それを見ても常貞に一切悪びれる様子はなく、それどころか、嘲笑うような笑みを浮かべていた。
「あんたにとっても悪い話じゃなかっただろう。アヤカシが見え、騒ぎを起こすような奴だぞ。本当は、いなくなって清々たんじゃないのか?」
「あ、あなたという人は!」
今度こそ、志織は常貞に掴みかかった。這うようにして擦り寄り、服の襟を握りしめる。
「紬は私の大事な娘よ! 返して!」
紬のアヤカシが見える力によって苦労を背負い込んだのは、一度や二度ではない。その度に、大変な思いをしてきた。
だが、それで紬を煩わしく思ったことは一度もない。何があっても、志織にとって紬は大切な我が子だった。それをこんな風に吐き捨てる常貞が許せなかった。
だが、こんなことで堪える常貞ではない。掴んできた志織の手を振り解き、乱暴に突き飛ばす。
「そんなに大事なら、アヤカシの世界にでも行って取り返してきたらどうだ。それとも、無理やりアヤカシの嫁にさせられたと、世間に訴えてみるか?」
そんなことできるわけがない。そうわかっていて、常貞は小馬鹿にしたように言う。
胸の奥から、後悔が溢れてくる。
なぜ、この男を信じてしまったのか。なぜ、行きたくないと言った紬の言葉を聞き入れなかったのか。
絶望に打ちひしがれる志織を見下ろしながら、常貞はパンパンと手を叩く。すると、近くで待機していたのか、部屋の外から数人の男たちがやってきた。
「こちらの方がお帰りだ。外まで連れていってやりなさい」
命令を受け、男たちが志織の腕を強引に掴み、無理やり引っ張って行こうとする。
「待って! 話はまだ──」
抗議の声をあげる志織だが、常貞も男たちも、そんなもの聞いちゃいない。だが、うるさく騒ぐ姿を目障りに思った。
「痛い目にあえば、少しは大人しくなるかな。おいお前たち、そのまま取り押さえていろ」
その言葉を聞き、志織はさらに抵抗しようとするが、男たちの力は強くビクともしない。
そして常貞は、そんな彼女の青ざめた頬を打ち付けようと、勢いよく手を振りあげた。
しかし……
「うわっ!」
志織を掴んでいた男たちが、突然声をあげて仰け反った。
急に、嵐のように強い風が吹き荒れたのだ。
だが、ここは部屋の中。風など吹くわけがない。
「な、なんだ!?」
常貞も、いったい何がおきたのかわからず目を丸くする。そして、すぐに次なる異変がおきた。
急に、近くの外からドカドカと走る音が聞こえてきて、勢いよく扉が開かれる。
そうして現れた者の顔を見て、常貞は息を飲む。
「お、お前。どうして……」
部屋に入ってきたのは、アヤカシの花嫁として送り出したはずの、紬本人だった。
それもそのはず。百年に一度、霊力のある月城の娘をアヤカシに嫁がせるという、先祖代々の使命を果たすことができたのだ。
もしもこの使命を果たすことができなければ、月城家は、そして当主である自分は、どうなるか。そう不安になったこともあったが、それももう過去の話。あとは約束された繁栄の下、好きなだけ贅沢して暮らしていけばいい。
百年後は、今度こそ月城家から霊力を持った娘が完全にいなくなるかもしれないが、そうなる前に自分はとっくに死んでいるだろう。後のことなどどうでもよかった。
しかしこの日、そんな彼の機嫌は珍しく悪かった。
その元凶は、突然家に訪ねてきた、綾野志織。紬の母親だ。
実は少し前から何度も訪ねてきて、その度にあれこれ理由をつけて会わずにいたのだが、それももう限界だった。
仕方なく客間に通し顔を合わせると、早速志織が口を開いた。
「あの子に……紬に会わせてください」
やはりそうかと、心の中でため息をつく。彼女が尋ねてくるなど、それ以外考えられない。
だが、もちろんそんなことはできない。紬は、既にこの家にはいないのだから。
「困りますな。あの子はもう月城の娘で、あなたとはなんの繋がりもない。そういう約束で私が引き取ったのではないですか」
「なら、せめて遠くから、一目だけでも姿を見せてください!」
志織からは並々ならぬ意志を感じ、そう簡単に引き下がるとは思えない。
それを見て、常貞は心の中でチッと舌打ちをする。
紬がいなくなって間もないうちにこんなことになるなど、偶然とは思えない。
もしかすると彼女は、どこかで知ったのかもしれない。紬が、この家から姿を消したことを。
実は常貞が紬を引き取ってからも、志織とは時々連絡をとり、紬がどうしているか近況を伝えてはいた。そうでもしないと、志織が納得しなかったからだ。
アヤカシから紬を守る。時々近況を報告する。その二つを約束し、ようやく説得することに成功したのだ。
しかし本音では、アヤカシの花嫁にできる紬さえ手に入れられれば、あとはどうでもよかった。
最初のうちこそ、紬は楽しくやっているとそれらしい嘘を並べていたが、次第にそれも面倒になり、どんどん嘘が雑になっていった。
それを、志織は怪しいと思ったのだろう。何かこそこそと調べているらしいというのは知ってはいたが、その中で、最近紬の姿が見えないという話を聞いたに違いない。
(まったく、面倒なことだ)
もう一度心の中で舌打ちをし、悪態をつく。
志織の訴えも、彼の心には何も響かない。
それどころか、もう彼女に取り繕う必要もなかった。
「残念ですが、それはできません。あの子は、アヤカシの花嫁としてもらわれていきましたからな」
「えっ────!?」
信じられないといった風に、志織の目が見開かれる。
少し前なら、常貞もここまでハッキリとは言わなかっただろう。だが全てが終わった今、嘘をつくのも面倒だった。
「その反応。やはり兄さんは、あんたに何も話していなかったようだな。月城の家では、百年に一度、霊力のある娘をアヤカシに花嫁として捧げることになっているんだよ。兄さんはそんな我が家に嫌気がさして家を出たようだが、その娘であるあいつは役に立ってくれたよ」
「そんな……」
志織自身は、アヤカシに関してはほとんど無知だ。知っていることといえば、夫や娘である紬から、僅かに話を聞いただけ。アヤカシの花嫁などと言われても、詳しいことは何もわからない。
だが、常貞の悪意のこもった様子から、良くないものだと判断するには十分だった。
「どういうことですか。あなたは、紬を守ってくれるんじゃなかったのですか! なのに、どうしてそんなことに!?」
立ち上がり、今にも掴みかかりそうな勢いで叫ぶ。
だが彼女が怒ろうが嘆こうが、常貞にとっては取るに足らないことだ。
ただ、月城家の当主である自分がこんな奴に怒鳴られるというのは、面白くはなかった。
「うるさいやつだな。あんな不気味な娘一人に、ガタガタ騒ぐんじゃない!」
「なっ!」
「約束通り、守ってやったとも。大事な、アヤカシの花嫁としてな。そうでなければ、あんな奴とっくに他のアヤカシに食われて死んでたんじゃないか。あんたもそう思ったから、私に預けたんだろうが。その結果この歳まで生きることができたんだ。十分だろう!」
常貞もまた、立ち上がり怒鳴りつける。その姿は、昔紬を引き取りたいと言ってきた時とは別人だった。
かつて信じた男の言う、あまりにも身勝手な言葉。それを聞いて、志織は一気に青ざめる。
「じゃああなたは、最初からそうするつもりで、紬を……」
「当たり前だ。でなければ、わざわざあんなのを引き取ったりするものか」
ショックで畳に膝をつく志織。それを見ても常貞に一切悪びれる様子はなく、それどころか、嘲笑うような笑みを浮かべていた。
「あんたにとっても悪い話じゃなかっただろう。アヤカシが見え、騒ぎを起こすような奴だぞ。本当は、いなくなって清々たんじゃないのか?」
「あ、あなたという人は!」
今度こそ、志織は常貞に掴みかかった。這うようにして擦り寄り、服の襟を握りしめる。
「紬は私の大事な娘よ! 返して!」
紬のアヤカシが見える力によって苦労を背負い込んだのは、一度や二度ではない。その度に、大変な思いをしてきた。
だが、それで紬を煩わしく思ったことは一度もない。何があっても、志織にとって紬は大切な我が子だった。それをこんな風に吐き捨てる常貞が許せなかった。
だが、こんなことで堪える常貞ではない。掴んできた志織の手を振り解き、乱暴に突き飛ばす。
「そんなに大事なら、アヤカシの世界にでも行って取り返してきたらどうだ。それとも、無理やりアヤカシの嫁にさせられたと、世間に訴えてみるか?」
そんなことできるわけがない。そうわかっていて、常貞は小馬鹿にしたように言う。
胸の奥から、後悔が溢れてくる。
なぜ、この男を信じてしまったのか。なぜ、行きたくないと言った紬の言葉を聞き入れなかったのか。
絶望に打ちひしがれる志織を見下ろしながら、常貞はパンパンと手を叩く。すると、近くで待機していたのか、部屋の外から数人の男たちがやってきた。
「こちらの方がお帰りだ。外まで連れていってやりなさい」
命令を受け、男たちが志織の腕を強引に掴み、無理やり引っ張って行こうとする。
「待って! 話はまだ──」
抗議の声をあげる志織だが、常貞も男たちも、そんなもの聞いちゃいない。だが、うるさく騒ぐ姿を目障りに思った。
「痛い目にあえば、少しは大人しくなるかな。おいお前たち、そのまま取り押さえていろ」
その言葉を聞き、志織はさらに抵抗しようとするが、男たちの力は強くビクともしない。
そして常貞は、そんな彼女の青ざめた頬を打ち付けようと、勢いよく手を振りあげた。
しかし……
「うわっ!」
志織を掴んでいた男たちが、突然声をあげて仰け反った。
急に、嵐のように強い風が吹き荒れたのだ。
だが、ここは部屋の中。風など吹くわけがない。
「な、なんだ!?」
常貞も、いったい何がおきたのかわからず目を丸くする。そして、すぐに次なる異変がおきた。
急に、近くの外からドカドカと走る音が聞こえてきて、勢いよく扉が開かれる。
そうして現れた者の顔を見て、常貞は息を飲む。
「お、お前。どうして……」
部屋に入ってきたのは、アヤカシの花嫁として送り出したはずの、紬本人だった。
