家に入り、客間に通された常貞。
彼の態度は一見礼儀正しく、紬の知っている横暴で身勝手な姿とはまるで別人だった。
「まずは、娘さんのこと、お気の毒でした。ですが私は言ったはずです。あの子が月城の先代たちのように霊力を持っているのなら、遅かれ早かれこんなことが起きると」
「はい……」
常貞の言葉に、志織は申し訳なさそうに返事をする。
それを見た常貞は、ここぞとばかりに一気に話を続けた。
「あの子が成長するにつれ、霊力はますます大きくなっていくでしょう。またこんなことが起きたら、次は本当に命を落とすかもしれない。しかし、アヤカシのことをろくに知らないあなたでは、何もできない」
「そんな……」
「失礼。私にとっても、あの子は可愛い姪です。大事に思っているのは、私も同じなのです」
嘘をつくな!
そう、紬は思わずにはいられなかった。
常貞が自分を大事に思っているどころか、アヤカシの花嫁にする以外頭にないことなど、嫌というほど思い知らされてきた。
だが幻の中の彼はとても誠実そうで、心配していると言われても、思わず信じてしまいそうだ。
「前にも話した通り、今の月城家には霊力を持っている者はいません。ですがアヤカシから身を守るための道具や知識は受け継がれています。どうか、あの子を私たちに預けてもらえないでしょうか。それが、あの子を守ることになるのです」
想像していた通りのことを、常貞は言う。
彼がやってきた時から、こんな話が出てくるのはわかっていた。
常貞の言う通り、月城の家には、先祖の残したアヤカシから身を守るための道具があった。それらを使えば紬を守れるというのも、全くの嘘ではない。
だが志織も、すぐには頷かなかった。
「ですが……紬をあなた方に預けたら、連絡もとってはならないのですよね。それは、どうにかならないのですか?」
青ざめながら、恐る恐るといった様子で尋ねる。
連絡をとってはいけない。それは、紬も初めて知ることだった。
確かに、月城に引き取られて以来、彼女から連絡が来たことなど一度もない。しかしそれは、自分のことが嫌いになったから。そう思っていた。
そんな取り決めがあったなど、一度も聞いたことがない。
「残念ながら、それは無理です。こう言ってはなんですが、兄は月城の家から出て行った身。親戚筋には、未だにそれをよく思わない者も多いのです。その兄の子どもであるあの子も、このままだと心無い扱いを受けることになるでしょう。しかしそれまでのしがらみを一切断ち切り、月城の人間として生きていく覚悟を見せれば、そんな奴らを黙らせられる。例え何か言う者がいても、私が守ると約束しましょう」
この言葉も、もちろん嘘だ。守るどころか、彼が最も紬を苦しめてきた。
なのに、ここまで堂々と嘘をつけるのだから、ある意味大したものだ。
「ですが……」
「また、あの子が危険な目にあってもいいのですか?」
「────っ!」
なおも躊躇う志織を見て、彼女の言葉を遮るように、常貞は言う。
「あなたでは、あの子を守ることも幸せにすることもできない。あの子がまたアヤカシに襲われた時、あなたに何ができるのです?」
「それは……」
「私なら、あの子を守れます。大事な我が子と別れるのは辛いでしょう。ですが本当にあの子の幸せを思うのなら、私を信じて預けてはくれませんか。大事に育て、幸せな生活を送るのを約束します」
また、堂々と心にもない言葉を吐き続ける。この男が月城に生まれなければ、きっと詐欺師にでもなっていたことだろう。
これを聞いた志織は、涙を流し口元を覆う。
そして迷いながら、躊躇いながら、最悪の決断をする。
「…………わかりました。それで、紬を守れるのなら、あの子が幸せに暮らせるのなら、どうかよろしくお願いします」
その光景を、紬は震えながら見ていた。
この結果、自分は月城の家に引き取られる。そこで受けた仕打ちは、思い出すだけで胸が痛くなる。
だが、志織は何も知らなかった。ただ紬のためを思い、こうすることを選んだ。
常貞はそれからしばらくの間話をし、後日改めて紬を迎えに来ると言い帰っていった。
彼が家から出て行ったすぐ後、志織は寝ている紬のところにいく。そしてその寝顔を見ながら、大粒の涙を流した。
「ごめんね、紬。私じゃ守ってあげられなくて。けど月城の家なら、きっとあなたを守ってくれる。そこでなら、きっと幸せになれるから」
言葉をかけながら、涙はますます溢れ、頬を伝っていく。
そんなことない。そう叫びたかった。
だが叫んだところで、今見ている光景は、詩が見せている過去のものだ。
その詩が、苦しそうに顔を歪ませながら、言う。
「紬のお母さんも、それに俺も、知らなかった。あの月城常貞ってのがどんなやつか。これから、紬がどんな目にあうのか。この時は何も知らなかったんだ。だから、俺もあんなことをした」
「あんなこと……?」
疑問を口にしたところで、幻の見せていた光景が、別の場面へと変わる。
そこは、再びあの山の中。幼い紬が、涙を流しながら詩に話しかけていた。
「ぐすっ…………私、昔お父さんが暮らしていた家に住まなきゃいけなくなったの。お母さんとは、もう会えないって」
紬がそれを望んでいないのは、ひと目でわかる。だが詩は、どうしてそんなことになったのか、志織がどんな思いでそれを決断したか知っていた。
「でもそこでなら、紬はもうアヤカシに襲われないですむ。この前みたいに、危険な目にあわずにすむ」
「でも……でも…………」
どうしてこんなことになったのかは、紬も既に聞かされていた。それが、自分をアヤカシから守ることになるとわかっていた。それでも、喜ぶことなどできなかった。
大切な人と、離れ離れになるのだから。
「お母さんだけじゃない。詩とだって会えなくなる。そんなの嫌! 嫌だよ……」
泣きじゃくりながら、詩に抱きつく。
離れたくなかった。例え平和な生活が待っていたとしても、詩と、初めてできた友だちと離れるのは、どうしても嫌だった。
詩は紬を抱きしめようとするが、すんでのところでそれをこらえる。
自分が何をするべきか、彼の心の中では、既に決まっていたから。
「紬。そんなに、俺と離れるのが嫌?」
「嫌っ!」
紬の言葉は詩にとって嬉しくもあり、同時に切なくもあった。
離れたくはないのは、詩も同じだ。
これからも一緒にいたい。そう言えたらどんなにいいだろう。そんな言葉を飲み込み、本当の気持ちを隠しながら言う。
「ダメだよ。紬は、二度とアヤカシに狙われない場所で、平和に暮らすんだ。幸せになるんだ。俺のことなんて、忘れていいから」
それを聞いて、紬はますます泣きじゃくる。まるで壊れた人形のように、何度も嫌だ嫌だと繰り返す。
そんな彼女の頭の上に、詩は、ポンと優しく手を置いた。
「詩……?」
「ごめんね、紬。でも、もう悲しむことはないから」
「なに、言ってるの……?」
紬が困惑した瞬間、彼女の頭の上に置いた、詩の手が光る。その途端、強い眠気に襲われたように、紬の意識が薄らいでいく。
「これから、俺のことを忘れさせる。俺に関する記憶を、全部封印する。だからもう、寂しがることはないから」
このまま自分のことを引きずっていては、紬は後悔することになるかもしれない。幸せになるのを妨げるかもしれない。それならいっそ、全て忘れさせた方がいい。
それが、詩の考えだった。
これがどれだけ勝手なことか、わかっているつもりだ。紬がこれを知れば、怒るかもしれない。悲しむかもしれない。
だが全て忘れてしまえば、そんな想いを抱くこともない。
そう思いながら、紬の記憶を封印した。
詩の腕の中で、紬は静かに眠っている。次に目が覚めた時には、詩のことはなにひとつ覚えていないだろう。
「紬。俺のことは忘れて、新しい場所で幸せになって」
そう呟いた詩の頬を、一筋の涙が伝った。
それから紬は、間もなくしてこの街から姿を消した。月城の家に引き取られ、幸せに暮らしているのだろう。
この時の詩は、本気でそう信じていた。
彼の態度は一見礼儀正しく、紬の知っている横暴で身勝手な姿とはまるで別人だった。
「まずは、娘さんのこと、お気の毒でした。ですが私は言ったはずです。あの子が月城の先代たちのように霊力を持っているのなら、遅かれ早かれこんなことが起きると」
「はい……」
常貞の言葉に、志織は申し訳なさそうに返事をする。
それを見た常貞は、ここぞとばかりに一気に話を続けた。
「あの子が成長するにつれ、霊力はますます大きくなっていくでしょう。またこんなことが起きたら、次は本当に命を落とすかもしれない。しかし、アヤカシのことをろくに知らないあなたでは、何もできない」
「そんな……」
「失礼。私にとっても、あの子は可愛い姪です。大事に思っているのは、私も同じなのです」
嘘をつくな!
そう、紬は思わずにはいられなかった。
常貞が自分を大事に思っているどころか、アヤカシの花嫁にする以外頭にないことなど、嫌というほど思い知らされてきた。
だが幻の中の彼はとても誠実そうで、心配していると言われても、思わず信じてしまいそうだ。
「前にも話した通り、今の月城家には霊力を持っている者はいません。ですがアヤカシから身を守るための道具や知識は受け継がれています。どうか、あの子を私たちに預けてもらえないでしょうか。それが、あの子を守ることになるのです」
想像していた通りのことを、常貞は言う。
彼がやってきた時から、こんな話が出てくるのはわかっていた。
常貞の言う通り、月城の家には、先祖の残したアヤカシから身を守るための道具があった。それらを使えば紬を守れるというのも、全くの嘘ではない。
だが志織も、すぐには頷かなかった。
「ですが……紬をあなた方に預けたら、連絡もとってはならないのですよね。それは、どうにかならないのですか?」
青ざめながら、恐る恐るといった様子で尋ねる。
連絡をとってはいけない。それは、紬も初めて知ることだった。
確かに、月城に引き取られて以来、彼女から連絡が来たことなど一度もない。しかしそれは、自分のことが嫌いになったから。そう思っていた。
そんな取り決めがあったなど、一度も聞いたことがない。
「残念ながら、それは無理です。こう言ってはなんですが、兄は月城の家から出て行った身。親戚筋には、未だにそれをよく思わない者も多いのです。その兄の子どもであるあの子も、このままだと心無い扱いを受けることになるでしょう。しかしそれまでのしがらみを一切断ち切り、月城の人間として生きていく覚悟を見せれば、そんな奴らを黙らせられる。例え何か言う者がいても、私が守ると約束しましょう」
この言葉も、もちろん嘘だ。守るどころか、彼が最も紬を苦しめてきた。
なのに、ここまで堂々と嘘をつけるのだから、ある意味大したものだ。
「ですが……」
「また、あの子が危険な目にあってもいいのですか?」
「────っ!」
なおも躊躇う志織を見て、彼女の言葉を遮るように、常貞は言う。
「あなたでは、あの子を守ることも幸せにすることもできない。あの子がまたアヤカシに襲われた時、あなたに何ができるのです?」
「それは……」
「私なら、あの子を守れます。大事な我が子と別れるのは辛いでしょう。ですが本当にあの子の幸せを思うのなら、私を信じて預けてはくれませんか。大事に育て、幸せな生活を送るのを約束します」
また、堂々と心にもない言葉を吐き続ける。この男が月城に生まれなければ、きっと詐欺師にでもなっていたことだろう。
これを聞いた志織は、涙を流し口元を覆う。
そして迷いながら、躊躇いながら、最悪の決断をする。
「…………わかりました。それで、紬を守れるのなら、あの子が幸せに暮らせるのなら、どうかよろしくお願いします」
その光景を、紬は震えながら見ていた。
この結果、自分は月城の家に引き取られる。そこで受けた仕打ちは、思い出すだけで胸が痛くなる。
だが、志織は何も知らなかった。ただ紬のためを思い、こうすることを選んだ。
常貞はそれからしばらくの間話をし、後日改めて紬を迎えに来ると言い帰っていった。
彼が家から出て行ったすぐ後、志織は寝ている紬のところにいく。そしてその寝顔を見ながら、大粒の涙を流した。
「ごめんね、紬。私じゃ守ってあげられなくて。けど月城の家なら、きっとあなたを守ってくれる。そこでなら、きっと幸せになれるから」
言葉をかけながら、涙はますます溢れ、頬を伝っていく。
そんなことない。そう叫びたかった。
だが叫んだところで、今見ている光景は、詩が見せている過去のものだ。
その詩が、苦しそうに顔を歪ませながら、言う。
「紬のお母さんも、それに俺も、知らなかった。あの月城常貞ってのがどんなやつか。これから、紬がどんな目にあうのか。この時は何も知らなかったんだ。だから、俺もあんなことをした」
「あんなこと……?」
疑問を口にしたところで、幻の見せていた光景が、別の場面へと変わる。
そこは、再びあの山の中。幼い紬が、涙を流しながら詩に話しかけていた。
「ぐすっ…………私、昔お父さんが暮らしていた家に住まなきゃいけなくなったの。お母さんとは、もう会えないって」
紬がそれを望んでいないのは、ひと目でわかる。だが詩は、どうしてそんなことになったのか、志織がどんな思いでそれを決断したか知っていた。
「でもそこでなら、紬はもうアヤカシに襲われないですむ。この前みたいに、危険な目にあわずにすむ」
「でも……でも…………」
どうしてこんなことになったのかは、紬も既に聞かされていた。それが、自分をアヤカシから守ることになるとわかっていた。それでも、喜ぶことなどできなかった。
大切な人と、離れ離れになるのだから。
「お母さんだけじゃない。詩とだって会えなくなる。そんなの嫌! 嫌だよ……」
泣きじゃくりながら、詩に抱きつく。
離れたくなかった。例え平和な生活が待っていたとしても、詩と、初めてできた友だちと離れるのは、どうしても嫌だった。
詩は紬を抱きしめようとするが、すんでのところでそれをこらえる。
自分が何をするべきか、彼の心の中では、既に決まっていたから。
「紬。そんなに、俺と離れるのが嫌?」
「嫌っ!」
紬の言葉は詩にとって嬉しくもあり、同時に切なくもあった。
離れたくはないのは、詩も同じだ。
これからも一緒にいたい。そう言えたらどんなにいいだろう。そんな言葉を飲み込み、本当の気持ちを隠しながら言う。
「ダメだよ。紬は、二度とアヤカシに狙われない場所で、平和に暮らすんだ。幸せになるんだ。俺のことなんて、忘れていいから」
それを聞いて、紬はますます泣きじゃくる。まるで壊れた人形のように、何度も嫌だ嫌だと繰り返す。
そんな彼女の頭の上に、詩は、ポンと優しく手を置いた。
「詩……?」
「ごめんね、紬。でも、もう悲しむことはないから」
「なに、言ってるの……?」
紬が困惑した瞬間、彼女の頭の上に置いた、詩の手が光る。その途端、強い眠気に襲われたように、紬の意識が薄らいでいく。
「これから、俺のことを忘れさせる。俺に関する記憶を、全部封印する。だからもう、寂しがることはないから」
このまま自分のことを引きずっていては、紬は後悔することになるかもしれない。幸せになるのを妨げるかもしれない。それならいっそ、全て忘れさせた方がいい。
それが、詩の考えだった。
これがどれだけ勝手なことか、わかっているつもりだ。紬がこれを知れば、怒るかもしれない。悲しむかもしれない。
だが全て忘れてしまえば、そんな想いを抱くこともない。
そう思いながら、紬の記憶を封印した。
詩の腕の中で、紬は静かに眠っている。次に目が覚めた時には、詩のことはなにひとつ覚えていないだろう。
「紬。俺のことは忘れて、新しい場所で幸せになって」
そう呟いた詩の頬を、一筋の涙が伝った。
それから紬は、間もなくしてこの街から姿を消した。月城の家に引き取られ、幸せに暮らしているのだろう。
この時の詩は、本気でそう信じていた。
