生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

 思い出した、古い記憶。その中で、紬はまだ小学生だった。そしてその日は、町の神社で夏祭りが開かれていた。

 友達と一緒に、お祭りに行って遊んでくる。
 紬がそう言うと、母親は喜んで浴衣を用意してくれた。それに、臨時のお小遣いまでくれた。
 そうして紬は、ニコニコ笑いながら家を飛び出す。

 しかし、笑顔でいたのはそれまでだった。
 家を出た途端、表情はスッと消え、お祭りのある神社に行くこともなかった。
 かわりに彼女が向かったのは、神社とはなんの関係もない、近くの山の中だ。

 本当は、祭りになど最初から行くつもりはなかった。一緒に行く友達などいなかった。

 変なことを言う、気味の悪いやつ。それが、学校での紬の評価だった。
 これよりも更に小さい頃から、紬にはアヤカシの姿が見えていた。そのため、怖い目にあったことも何度もあった。

 だが、普通の人間はアヤカシなど見えないし、そんなもの信じない。
 いくら紬がアヤカシを見て声をあげようと、襲われ泣き叫ぼうと、突然騒ぎ出す変なやつとしか思われない。
 そうして彼女は、周りから孤立していった。

 もちろん、こんなのと一緒に祭りに行く物好きなどいるはずもない。
 なのに母親に嘘をついたのは、心配をかけたくなかったからだ。

(私が学校で一人だって知ったら、お母さんが悲しむ。アヤカシのせいでそうなったってわかったら、すごく心配する。そんなの嫌!)

 昔から、紬がアヤカシのせいで怖い目にあうと、母はすごく心配していた。
 ケガして家に帰ろうものなら、紬以上に泣きそうになっていたし、学校で変なやつと言われたと話した時には、とても悲しそうな顔をしていた。
 紬にとって、そんな母を見るのは、自分が危ない目にあうよりも辛かった。自分が母を苦しめているのだと、申し訳なく思った。

 だから母には、アヤカシのことを話さなくなった。
 毎日が平和で、学校では友達と楽しくやっていると言うようになった。

 だが実際には、一緒に遊ぶ友達など誰もいない。今日だって、もしもお祭りにいって同級生と会ったら、またバカにされるかもしれない。
 それが嫌で、お祭りには行かず、こうして山の方に歩いてきた。
 この山は滅多に人が来なくて、身を隠すにはもってこいの場所だった。
 今までも、友達と遊んでくると言って、ここで何度も時間をつぶした。

「帰ったら、お母さんに何を話そう。すごく楽しかったって伝えなきゃ」

 自分が楽しいと、母はとても喜んでくれる。だから今日も、うんと楽しい話をしなければならない。

「みんなと一緒にかき氷を食べて、金魚すくいをしたんだ。すごく、すごく楽しかったんだ」

 そう、笑顔で話さなければならない。なのになぜだろう。楽しい話を考えれば考えるほど、目から涙がポロポロとこぼれた。

 涙のあとなど見せたら、間違いなく心配させてしまうのに。

 するとその時、近くの茂みから、急にガサガサと音がした。

「な、なに!?」

 何かの動物だろうか。そう思って身構える。
 だが現れたのは、それよりもっと厄介で、恐ろしいものだった。

 最初は、ただの猿だと思った。だがよく見ると手の数がおかしい。
 体の右と左に、それぞれ三本ずつ。合わせて六本の腕がはえている。
 どう見てもアヤカシだった。

「ひっ!」

 思わず声をあげるが、それがまずかった。
 六本腕の猿は、ギョロリとした目でこちらを向くと、興味深げに紬を眺めた。

「ほう。人間のくせにワシが見えるとは珍しい。それに、なんだか美味そうな匂いがするな」
「やっ!」

 アヤカシの中には、時々こんな風に、紬を餌のように見てくる者がいる。
 すぐに逃げ出すが、慣れていない浴衣を着ていたせいで、思うように走れなかった。
 あっという間に追いつかれ、強く背中を押される。転んだところに六本の手が伸びてきて、手足を掴まれる。

「嫌っ! 離して!」

 ジタバタと暴れながら、必死になって叫ぶ。
 今までアヤカシに襲われても、なんとか切り抜けてきた。しかし、今回もうまくいくとは限らない。
 今度こそ、本当に食われてしまうのではないか。そんな想像をしてしまい、涙が溢れてくる。

 だがその時、場違いなくらいのんびりした声が、辺りに響いた。

「ねえ。何してるの?」

 ちょっと声をかけてみた。そんな感じの、緊張感など全くない声。紬も猿のアヤカシも、思わず声のした方に顔を向ける。

「なんだお前は?」

 猿のアヤカシが、睨みながら言う。
 そこに立っていたのは、着物を着た少年だった。
 背は紬より高く、歳上かもしれないが、よくはわからない。なぜなら彼は、狐のお面をつけていて、素顔が全く見えないのだ。
 お祭りで買ったお面だろうか。そう思ったが、お祭りで売っているお面は、大抵がマンガやアニメのキャラクター。
 その少年がつけていたのは、神社に飾られているような古めかしいものだった。

「その子、怖がってるよね。離してあげなよ」

 狐面の少年は、猿のアヤカシの質問には答えず、そんなことを言ってくる。
 だが猿のアヤカシも、それを素直に聞いたりはしなかった。

「うるさいヤツだ。お前から食ってもいいんだぞ!」

 猿のアヤカシは紬から離れ、腕を振り上げ少年の方に向かっていく。危害を加えようとしているのは明らかだ。
 だが、その腕が振り下ろされるより先に、猿のアヤカシの体が吹っ飛んだ。

「な、なんだ!?」

 地面に倒れ、信じられない様子で少年を見る。そして、その時気づく。少年の後ろから、長くて大きな尻尾が伸びていることに。
 先ほど吹っ飛ばされたのは、この尻尾が素早く伸び、鞭のように打ち付けられたからだった。

「俺の一族は、人間に悪事を働くアヤカシがいたら、やっつけることになってるんだ。と言っても、俺は詳しいことはよく知らないけどね。でもこのまま酷いことを続けるようなら、やっつけた方がいいかな」

 少年は、特別凄みをきかせて言ったわけではない。だがその言葉と共に、伸ばした尻尾の先が、炎に変わっていく。
 もしも引かないようなら、次はこの炎で攻撃するつもりなのだろう。

「くそっ!」

 敵わないと判断したのか、猿のアヤカシは悔しそうにそう吐き捨てると、一目散に逃げていく。
 そうしてその場には、狐のお面の少年と、地面に倒れたままの紬の二人だけが残った。

「災難だったね。大丈夫だった?」

 そう言って、少年は紬にむかって手を差し伸べてくる。
 だが紬は、その手を掴まなかった。それどころか、バシッと大きな音を立て打ち払う。

「こ、来ないで! あなたも、アヤカシなんでしょ!」

 後ろから伸びた長い尻尾に、そこに灯った炎。こんなもの、人間であるはずがない。
 そして紬にとって、アヤカシは全て恐怖の対象でしかなかった。

「えぇーっ。俺、今君を助けたじゃないか。アヤカシかどうかなんて、別にどうでもよくない?」

 いいわけがない。アヤカシのせいで、今までどんな目にあってきたか。どれだけ、辛く苦しい思いをしてきたか。
 それを、どうでもいいの一言ですませるなど、紬には許せなかった。

「う、うるさい!」

 怒りが恐怖を上回り、気づけば震えながら叫んでいた。

「あ、あなたたちアヤカシのせいで、たくさん怖い目にあった! お母さんにも心配かけた! な、なのに、お母さん以外は誰も信じてもくれなくて……みんなからは、変なやつって言われて……全部、あなたたちのせいじゃない!」

 涙を流し、何度もしゃくりあげながら叫ぶ。手をめちゃくちゃに振り回して暴れる。
 すると、振り回した手が狐のお面を跳ね飛ばし、その下にある顔が顕になる。
 その瞬間、紬の手が止まった。

「えっ──?」

 お面の下の素顔は、一言で表すならとても美しかった。
 テレビで見るモデルやアイドルだって、ここまでの者はそうそういないだろう。
 だが紬が手を止めたのは、美しさのせいではない。
 狐面の彼が、そんな綺麗な顔に似合わないくらい、酷く困ったような表情をしていたからだった。