生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

 紬に簪を突き立てられ、古空が真っ先に感じたのは、痛みでなく驚きだった。

 紬には、永遠に夢の世界に囚われるという幻術をかけていた。
 古空自身か、それ以上の術者が術を解かない限り、目覚めることなく眠り続ける。そのはずだった。

 だが紬は、こうして目を覚ましている。

「バカな!?」

 ありえない出来事に驚愕した直後、突き立てられた簪から、詩の妖力が流れ込んでくる。
 まるで体の中で爆発が起きたかのような、痛みと衝撃が走る。

「ぐぅっ!」

 弾けるように飛び跳ね、地面に倒れる。抱えられていた紬も、古空の手を離れ地面に落ちる。
 その瞬間を、詩は見逃さなかった。

「紬!」

 詩を押さえつけていたアヤカシたちも、この事態に動揺していたのが幸いした。
 狐火をまとった尻尾を振り回し、強引にそいつらを振りほどく。

 もちろん、驚いていたのは詩も同じだ。
 紬がなぜ動けたのか、彼にもわからない。
 だが理由はどうあれ、助け出す好機が巡ってきたのだ。それを逃すようなまねはしない。
 紬のところに向かって一目散に走り、その体を抱え起こす。

「紬、大丈夫? ケガはない!?」

 声をかけると、弱々しく手を伸ばしてきて、詩の頬に触れる。そこには、先ほど殴られた時にできた痣があった。

「バカ。私のことなんて放っておきなさいよ」
「それは、絶対に無理だから」

 そんな短いやり取りの後、詩は安心させようと、痛みをこらえて笑顔を作る。
 紬は何も応えず、そのままぐったりと、詩の腕にその身を預けた。

 これでは、紬はしばらくの間、まともに動けないだろう。
 ならば、何としても守らなくてはならない。

「もう少しだけ、我慢していて」

 短くそれだけを言うと、再び尻尾を伸ばし、狐火を起こす。
 その狙いは、未だ地面に倒れている古空だ。

「くそっ。舐めるな!」

 古空もそれに気づき、詩と同じように尻尾を伸ばし、狐火で応戦する。
 それから少し遅れて、他のアヤカシたちも詩に向かって攻撃を仕掛けてきた。

 詩は紬を抱えたまま走り回り、それらをかわし、蹴散らしていく。
 だが状況は、決して有利とは言えなかった。
 紬によってつけられた古空の傷は、決して軽くはない。だが詩も、先ほど殴られた痛みが残っているし、数の不利は相変わらずある。
 だからこそ、仕掛ける。この状況を、一気に覆すために。

「うわぁぁぁぁぁっ!」

 吠えるように叫びながら、古空に向かって駆け出す。途中、古空の放つ狐火が四肢を掠めるが、勢いは止まらない。
 どれだけ傷つこうと、紬にさえ当たらなければそれでよかった。
 古空のところにたどり着く直前、地面に落ちていた刀を拾い、古空の首目掛けて勢いよく振るった。
 ただし、首を跳ねる直前で、ピタリと止まる。

「全員動くな! 妙なまねをしたら、即刻この首を斬り落とす!」

 その場にいた全員が、ピタリと止まる。
 特に古空は、ほんの僅かに動くことすらできなくなった。

「古空、観念しろ。お前の負けだ」
「くぅ……」

 古空は悔しそうに声をあげるが、すぐに敗北を認めようとはしない。
 この期に及んでも、まだどこかに逆転の目はないか探しているのかもしれない。
 だが、そんな暇は与えない。

「さあ、どうする」

 低い声で、もう一度問う。これ以上時間をかけるなら、即刻首を跳ねるつもりでいた。
 すると古空が返答するより先に、遠くから足音が聞こえてきた。
 それも、ひとつではない。何十もの足音が、こちらに向かって近づいてくる。

「なんだ?」

 これには、詩も古空も何が起きたかわからず、怪訝な顔をする。
 だが間もなくして、足音の正体が判明する。暗い道の向こうから、それは姿を現した。

「詩。それに古空。面白いことをやっておるようじゃの」

 そう言って現れたのは、沙紀。それに、彼女が引き連れてきた、何十体ものアヤカシたちもいた。

「ご、ご当主様!?」

 声をあげたのは、古空配下のアヤカシだ。そこには、ハッキリとした動揺があった。
 自分たちのしていることは、紛れもなく彼女への反逆行為。だからこそ、こうして出奔しようとしていたのだ。
 中には逃げようとする者もいたが、沙紀の連れてきたアヤカシたちが、行く手を塞ぐ。

「どうした? 私に挨拶のひとつもなく出ていこうというのか? 悲しいのう」

 悲しいと言いながらも、沙紀にそんな様子は全くなく、ニヤリと笑って古空を見た。