生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

 中庭の戦いを終えた後も、元いた広間に戻り宴会は続いた。
 とはいえ、それからは何か大きな事があったわけではない。
 詩の紬に対する扱いに不満を持っていた者も、それ以上何か言ってくるようなことはなかった。

 ようやく宴会が終わったのは、すっかり夜も更けた頃。
 元々、今日は屋敷に泊まることになるだろうとは言われていたのだ。詩と共に、屋敷の中の一室に通される。

 部屋の中には既に布団が用意されていて、詩と紬、二人分の布団が、ぴったりとくっついている。

「えっと……今夜は、俺も紬もこの部屋で寝ることになるんだけど、大丈夫?」

 遠慮がちに、詩が聞いてくる。
 本当の夫婦であれば普通のことかもしれないが、二人には近すぎる距離だ。

「べ、別に、構わないわよ」

 紬も一瞬ギョッとしたのだが、そんな気持ちを飲み込み答える。
 それから、着物の帯に手をかけた。

「寝間着に着替えるから、その間は出ていってね」
「あ、ああ……」

 そう言われては、詩もここに留まるわけにはいかない。
 少ししたら戻ると言い出ていくと、紬は戸が閉まったのを確認し、ハーッとため息をついた。

 詩の隣で寝ることに緊張しないわけではないが、それ以上に疲れていた。
 とても、寝る場所についてあれこれ騒ぐ元気はない。
 心を無にして乗り切ろう。

 そう思ったのだか、着替えている間もずっと、頭の中にはひとつの疑問があった。

(詩は、どうして私を花嫁にほしがるのよ)

 何度振り払おうとしても、その度に考えてしまう。
 古空の言っていた通り、本当に、両親の正しさを証明するためなのだろうか。

(何を悩んでるんだろう。たとえその通りだったとしても、別に文句を言うことでもないのに)

 本当の夫婦ならともかく、自分たちの関係は、元々仮初のもの。
 自分だって詩を好きになることはないと言ってるのだから、おあいこみたいなものだ。
 なのに、どこかスッキリしない。

 間もなく詩が戻ってきたが、そんな紬を見て、どこか心配そうな顔をする。

「紬。もしかして、何かあった? 宴会や、俺が戦ってる最中に、変なこと言われてない」
「なに、急に?」
「あれから、なんだか様子が変だと思って」

 モヤモヤしているのはその通りだが、そこまで態度に出ているのか。
 しかし、ここで何があったか話せるのなら、もうとっくに打ち明けている。

「なんでもないわよ。それより、疲れたから早く寝かせてくれない?」

 そう言うと、詩も無理に聞こうとは思わなかったのだろう。
 小さく頷くと、それ以上は何も言わずに寝かせてくれた。

 普段の詩なら、ここでふざけて一緒に寝るかと言いそうなところだが、何も言わないどころか、布団を離してこちらを見ないよう背を向けてくれた。
 気を使ってくれているのだろう。なのに、それを素直に喜べない自分が嫌になる。

 もっと素直に、詩の好意を信じられたら。そう思っても、どうしても不安になってしまう。
 自分なんかが、誰かに好かれるはずがない。そんな気持ちが、湧き上がってくる。
 かつて、誰よりも自分を大切にしてくれた人でさえも、最後にはいなくなってしまったのだから。
 その時の記憶が、頭を過ぎる。

「お母さん……」

 苦い記憶が蘇る中、紬はそっと目を閉じる。
 今はただ眠って、こんな気持ちなど忘れたかった。

 それからどれくらい経っただろう。
 眠りが浅かったのか、急にパッチリと目を覚ます。
 部屋の外から明かりは一切入ってきてなくて、どうやらまだ夜のようだ。
 もちろん、こんな時間に起きてもやることなど何もない。もう一度寝ようと思ったが、そこで気づく。
 隣で寝ていたはずの詩の姿が、どこにもないのだ。

「詩……?」

 自分と同じように目が覚め、トイレにでも行っているのか。だが、しばらく経っても戻ってくる気配は無い。
 不思議に思ったその時、部屋の外から声が聞こえてきた。

「紬……紬……」
「詩?」

 聞こえてきたのは、詩の声。それも、自分を呼ぶ声だ。

「詩? どこにいるの?」

 そう問いかけてみるが、それに対する答えは無い。今までと同じように、紬、紬と、ただ名前を呼んでいるだけだ。

 部屋から出て、声のする方に行ってみるべきだろうか?
 こんな状況、どう考えても不自然だ。それに詩からは、屋敷の中を一人で歩かない方がいいと言われている。紬も、できればそんなことはしたくない。
 なのになぜだろう。詩の声が聞こえる度、そんな気持ちが薄れていくのだ。
 声のする方に、詩のいるところに行かなくては。そんな思いが、だんだんと強くなっていく。

 少しの間迷ったが、部屋の戸を開けて外に出る。念のため、この屋敷に来る前に、詩から渡された簪を手に持って。
 これには詩の妖力が込められているから、いざという時に武器にはなるはずだ。

 部屋の外には薄暗い廊下が続いていて、詩の声は、その向こうから聞こえてくるようだった。
 その声に導かれるように、紬は歩き出す。
 元いた部屋から離れても、あちこち曲がりくねって元来た道がわからなくなっても、ひたすら声のする方に進んでいく。

 こんなことをして、危険なのでは?
 そんな疑問は不思議と抱かず、詩の声のする方に吸い寄せられていく。

 それが、どれくらい続いただろう。急に、そんな詩の声が聞こえなくなる。

「えっ……?」

 今までずっと聞こえてきた声。
 それが、そのようにピタリと止んだのだ。
 そこでようやく、これはおかしいと気づき始める。

「こんなに遠くまで来たのに、どうして、いつまで経っても詩のところにつかないの? どうして、元いた部屋にまで歌の声は届いていたの?」

 考えてみれば、おかしなことだらけだ。
 そして何よりおかしいのは、今までこれらの異常さに全く気づかなかったことだ。

「こんなの、絶対変よ」

 元いた部屋に戻ろう。そう思うが、今まで歩いてきた廊下は迷路のように入り組んでいて、ちゃんと戻れるかどうかわからない。
 それでも、こんなところに留まるよりはマシだろうか。

「おや。お困りのようだね」

 廊下の向こうから、声が響く。
 目を向けるが、灯りがないため、その先に誰がいるのかはわからない。ただ、ゆっくりと足音が近づいてくるのはわかった。

「だ、誰?」

 身構える中、足音はますます近づいてくる。
 廊下の向こうの闇の中から、姿を現す。

「やあ。詩の花嫁さん」

 そう言って薄っすらと笑みを浮かべたのは、古空だった。