生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

 月城家といえば、政界にも強い影響力を持つ、国内でも有数の名家である。
 その一族の本邸ともなれば、とても個人の住まいとは思えぬ広さで、家よりも屋敷と言う方がふさわしい。

 しかしそこに住んでいるのは、ほとんどが使用人。
 月城家の人間といえば、現当主である常貞《つねさだ》と、その妻である紅葉《もみじ》。娘の寧々。そしてもう一人。常貞の姪である紬を加えた四人だ。

 とはいえ紬は、他の三人を家族と思ったことはない。
 十歳の頃にこの家に引き取られてから八年間、ただの一度もだ。
 共に食卓を囲み、他愛のない話で笑い合い、悲しいことがあれば頭を撫で泣き止むまで抱きしめてくれる。紬にとって家族とはそういうものだ。
 笑いかけるどころか、口を開けば罵詈雑言をぶつけてくる。そんな相手を、どうして家族と思えるだろう。

 だがこの日、常貞は紬を見て珍しく上機嫌に笑っていた。

「ついに紬も嫁入りする時が来たか。これで、我が月城家は安泰だ」

 今の紬は、白無垢の着物姿という、見事な花嫁衣裳であった。
 しかし当の紬はというと、表情は固くグッと唇を噛み締めている。
 それがなおさら、常貞たちにとっては愉快で仕方ないらしい。

「紬さん。もう少し嬉しそうにしたら? そんな素敵な着物、こんな機会でもなければ、あなたには一生着ることはなかったでしょう」
「まったくね。駆け落ちした人の娘なんて、本当ならこの家の敷居を跨ぐことも許されないのに」

 顔を歪ませ、意地の悪い笑みを浮かべる、寧々と紅葉。
 屈辱で体が震えそうになる中、今度は常貞の鋭い声が飛んでくる。

「紬。わかっていると思うが、自らの役目を投げ出すようなまねはするなよ。このために、わざわざお前を引き取り育ててやったのだからな」
「はい。これから私はアヤカシの元に嫁ぎ、それと引き換えに、この世は人に害を成すアヤカシの脅威から守られる。それが、両家の間で交わされた盟約なのでしょう」

 できるだけ感情を押し殺しながら、コクリと頷く。

 アヤカシなど、この現代において信じる者はほとんどいないだろう。
 だが月城家にとって、その存在は真実として伝わっていた。

 そもそも月城家の先祖というのは高い霊力を持っていて、アヤカシの姿を自由に見ることができたらしい。
 そして霊力を持つ人間というのは、アヤカシにとってこの上なく魅力的なものだった。
 一族の中から、特に高い霊力を持つ者を花嫁として差し出せ。その昔、月城家の先祖に、一人のアヤカシがそう言ってきた。
 そのかわり、人間の世界で悪事を働くアヤカシが現れた時は、自分達の一族がそれを成敗する。そんな条件と引き換えに。

 それを聞いて喜んだのは、当時の幕府や朝廷の高官たちであった。

 ほとんどの人間にとって、アヤカシは力の及ばぬ存在。人に害をなそうとも、止めることなどできはしない。
 月城の先祖の中には、アヤカシを退ける術を持つ者もいたようだが、それでも限界はあった。
 だが力のあるアヤカシが味方をしてくれるというのなら、悪しきアヤカシに怯える必要もなくなる。

 言う通りにすれば、望むだけの地位と財を与えよう。
 そう言われた月城の先祖が、その条件を呑んだ。それが、月城家が名家となったきっかけだという。

 それ以来月城家では、百年に一度、霊力の高い娘をアヤカシの花嫁として送り出してきた。
 いつまでも、地位と財を得続けるために。

 幕府や朝廷がなくなり政府となった後も、変わることはなかった。
 しかし近年になって、ひとつの問題が出てきた。

「まったく。二十年前兄さんが駆け落ちした時は大騒ぎだったぞ。おかげで私が当主になれたのはいいが、その頃にはもう、月城の中でアヤカシが見えるのは兄さんだけだったからな。アヤカシが欲しがるような霊力の高い娘を用意するには、兄さんに子どもを作らせるしかなかったというのに」

 昔のことを思い出したのか、常貞が苦々しく顔を歪める。

 かつて、高い霊力を持っていたとされる月城の家も、時代が進むにつれだんだんとその力が衰えていった。そしてとうとう、紬の父親が、アヤカシを見ることのできる最後の一人となったらしい。
 しかも一度霊力を失った家系から再び持つ者が現れるのは稀だと言う。

 ならばと、一族の者はこぞって紬の父親を大事にした。
 彼に何人もの女性を宛てがい、高い霊力を持った女子が誕生するのを期待した。

 しかし彼は二十年前、突如失踪。一族とはなんの関係もない一人の女性と駆け落ちをした。
 その末に生まれたのが、紬というわけだ。
 しかし紬には、そんな事情などどうでもよかった。

(顔も覚えてない人のことなんて、知らないわよ)

 紬の父親は、彼女が生まれてまもなく事故で死んだ。
 紬にとって家族と呼べるのは、母親だけだった。
 そんな母一人子一人のところに、ある日突然、父の親戚と名乗る者たちがやって来た。常貞たちだ。

 これで紬に何の力もなければ、彼らも諦めたかもしれない。
 だが紬には、生まれながらに霊力があった。幼い頃から、他の人間には見ることのできないアヤカシの姿を、その目に映していた。
 それを知った常貞は、すぐさま母親に、紬を引き取りたいと言ってきた。

 当初母親はそれを断っていたが、月城の一族にとって悲願であった、霊力を持つ女子である。
 何度断られても諦めることはなく、結局紬は、こうして月城の本家にいる。間もなく、アヤカシの花嫁として差し出されることになる。

「兄さんも、どこぞの女と駆け落ちなどしなければ、今頃月城の当主として自由に振舞えていただろうに。バカなやつだ」

 再び、常貞の顔が大きく歪む。
 彼が紬の父親について語る時は、いつもこうだ。
 二人は兄弟の関係だが、霊力を待つ兄と持たざる弟では、扱いがまるで違っていたらしい。
 紬に対して常に横柄な態度をとるのも、かつて感じていた劣等感からなのだろう。

「あら、お父様。けど私、お父様に霊力がなくて感謝してるのよ。もしも私が霊力を受け継いでいたら、花嫁になるのは私だったかもしれないじゃない。そういう意味では、厄介事を全て背負ってくれたおじ様や紬さんにも感謝しないとね」
「なるほど。それもそうだな」

 心底楽しくて仕方ない。そんな風に笑う二人を見て、紬は、父親がなぜこの家を捨て駆け落ちなどしたのか、わかったような気がした。

 紬自身、何度逃げようとしただろう。
 しかし、どれも無駄だった。屋敷を飛び出そうと、声をあげて助けを求めようと、その度に連れ戻され、躾と称して酷い目にあわされた。 助けてはくれる者など、誰もいなかった。

 そして、とうとう紬も諦めた。逆らう心を失った。
 嫁入りの準備を進めている今も、文句を言うことなく黙って従っているのが何よりの証拠。
 そう、常貞たちは思っているだろう。

 本当は、紬が何を考えているのか知る由もなく。

(今のうちに、好きなだけ笑っていればいいわ。私は、絶対にあなたたちの思い通りにはならないから)

 決して表情に出すことなく、紬は心の奥でそう呟いていた。