おかえりなさい、俺の英雄



程無くして。父親は母との思い出が詰まった我が家で生活することを苦痛に感じたのか、はたまた単にほとんど帰宅しないファミリー向けの一軒家に小学生の息子と自分だけが住んで家事がまともに回らない状況が不適切と感じたのか。どちらにせよ住み慣れた一軒家を手放し、
子持ち世帯向けのアパートへと引っ越すことになった。

物がめっきり減って、生活の匂いが薄くなったアパート。引っ越してきて一週間たつというのに、未だ開けられてすらいないいくつかの段ボール箱。
引っ越した先の、新しい学校。新しい環境。それらになじんで、新しく仲間を作るなんて気も起きなかった俺にとっては、ただ勉学に勤しむために通う場所に過ぎなかった。
無意識のうちに、心を閉ざしていた。いや、「空っぽ」だったと言った方が適切かもしれない。
無意識のうちに空っぽにして、透明にして。次第に何も感じなくなってゆく。
母を失った悲しみも、幼い身一つで返事も温度も匂いもない、眠るための場所でしかない家に帰る虚しさも。全てを諦めたように仕事に生きる、ただ一人の肉親である父親からの愛情を貰えない寂しさも。そのすべてに蓋をして、心の奥底に沈めて。期待もしない代わりに何も感じなくなった方が、生きていく上では楽だった。幼い脳が、心を壊さないようにと必死に考えた末に導き出した防衛反応が生み出した、小さな小さな難攻不落の城。その中に籠って、ただ過ぎる時を消化していくだけ。
真っ暗闇で、音もぬくもりも何もなくて、何も感じない俺だけの城。
誰にも触れられなかったその城は、たった一人の幼く小さな臆病者の英雄に、何ともあっけなく攻め堕とされることになった。