二週間が経って、週二で行われる合唱コンクール委員会の打ち合わせにも慣れてきた頃。
あらいぶは相変わらず仏頂面、何を考えているか分からない表情を貼り付けて、会議の度におれの隣にぼうっと座っている。
いや、まあ、おれが三組であっちが四組なんだから、分かってんのよ!? 隣になるのは!
最初は気まずすぎて、頭がどうにかなると思ったけれど、今ではあまり気負うことはない。
だって。
ある時に、博打上等だと思って「今日あったかいよね」と世間話をしかけてみたら、仏頂面のままあの優しいテノールで「うん。最高気温がね、夏だったよね」と案外ふつうに返された。そのときに、……あれ? 意外とふつうの人? と思ったのがはじまりだ。
それから、打ち合わせのたびに「最近花粉どう?」「ブタクサがひどい」とか「おれ国語で一番好きだったのがさあ、クリムボンだったんよね」「俺はスイミーだな」「え、純心……!?」とかくだらないことを言い合って、挨拶をしている。
最近は楽譜を見せてきて、ここの音階うまくいかないんだけど、と話しかけてくれるようにもなった。「なんだ嫌味か?」とからかいつつ相手をしてやっている。
――ねこなついた……!!
最近おれがホクホクで打ち合わせに向かうから、戸佐と堺には微妙な顔をされている。その内訳は、キモい、ウザい、あんまり関わりたくない、ちょっと気になる、の上位四つ。
ちょっと気になる、が一番上にきたときに尋ねられる気がするけど。もともと全国ピアノコンクール金賞受賞者でした、あらいぶに勝ってました、なんてことも言えないので、無言を貫こう。
めんどうごとは自分から起こさないに限る。
不愛想で口が悪くて輩みたいで、絶対に関わりたくないと思ってたけど、そんなマイナススタートの相手がちょっと優しかったり、趣味が同じだったりすると「あれ、なんか思ったよりいいじゃん?」って思うのは、人間の本能だと思う。
決しておれが流されやすいとか、そういうことではない。たぶん。ちょっと不安だけど。
片手で開くには少々重い扉をゆっくりと開く。すでに、視聴覚室には先客がいた。いつものパキッとした制服を着こんだ男の背中だ。後ろ手に扉を閉めると、緩慢な動作でおれのほうに振りかえる。
「蓮。おはよう」
「ん、おはよ」
一颯はいつからか名前呼びに変わっていて、まあ友だちならそういうこともあるか、と自分を納得させているが、そもそもおれたちは友だちではないので未だに違和感がある。もともとライバルだった男と快く友だちになれますかと聞かれて即答できる人っていないと思う。おれもそうなので。
だって、急にあのまろいテノール、やわらかく細やかに震える声で『蓮』と呼ばれたら。
なんだかめちゃくちゃおれの名前がいいもののように聞こえるのだ。
あっちが名前呼びなのにこっちがあらいぶ、とか、アララキくん、と呼ぶのはなんかムカつくからやけくそで名前で呼んでいる。はじめてそう呼んだときは、見透かしたようにふふ、と笑われて反射的に脛を蹴った。「いてぇ」と言いながら、その整った顔がきれいに笑うので、クソ、ムカついた。
ムカついてばっかりだ。
委員となると朝の集会のためにわざわざ二十分早く来なければいけないのは憂鬱だったけれど、こいつがいるから、まあ悪くはないかと思っている。なかなか楽しい。自分たちでポスターやら資料やら作ったりしなきゃいけないから大変だけど。
一颯の隣に座り、彼は楽譜を、おれは化学のワークを開いた。
時々、一颯がとんとんと指先を机に叩きつける。ちら、と横目で見ると、ふふ、と笑われた。
それが曲であると気付いたときから、曲名を当てて彼に伝えるゲームをしているのだ。名付けて打鍵リズムクイズ。ちょっとださいから言ってはない。
最近楽しい理由はこれだった。
――音楽をするのは嫌いでも、誰かがしているのを、見たり聞いたりするのはやぶさかでない。
「……うー、それどっかで聞いたことあんのよね……」
「ヒントいるか?」
「ぜってー聞かねー、言うなよ!」
ぎゅっと目をつぶって、切りそろえられた爪の先がプラスチック質の机に当たって、かつん、かつん、と時々鳴るのを聞く。さすがは、指圧が強いのか、机が小刻みにがたがたと揺れる。音も強弱も載ってはくれない静寂のなかで、一颯が連ねるリズムの鱗片を脳内で辿っていく。
なーんか、聞いたことあるんだよなあ。多くの曲を弾いてはきたけど、この特徴は。
うんうん唸って、そっと手を挙げて言った。
「もしかして、ヴェートーベン?」
一颯が、すぐに、ううん、とまろいテノールで否定する。「でも、まあ、近い」と言われた。近いってなんだよ。女好きってことか? それならモーツァルトか? ってか、ぜんぶお前の主観による判断じゃねえか。
ヒントがヒントにならない。なんだったっけな、と思っていたら、確かに、ヴェートーベンに近いっていうことは、あの二人のどっちかだとは思うんだけど――。
「アッ!」
「お」
ピンと来て目を開ける。両手で目の前の男を指さすと、一颯のぱっちりと開いた目とかち合った。
フフ、と楽しそうに口元を緩めてから、ゆったりとした動作で手を止めた。空中でばらばらと動かした指の腹が少しだけ赤くなっている。
「シューベルトか! 軍隊行進曲だ!」
「正解。さすがだな」
「お前に勝てるくらいにはやってたわけだからね」
ふん、と鼻で笑ってやると、まったく悔しそうな様子のひとつさえ見せない一颯が朗らかに言う。
「じゃあ、ピアノ弾いてくれ」
「それはムリ」
凝りねぇなあ、と笑うと、真顔に戻った一颯がムッとした。真顔のくせに感情が分かりやすい。
――このところ、おれが一颯としていることといえば、曲を当てたり、世間話をしたり、毎度欠かさず言われる「ピアノ弾いてくれ」の誘いをばっさりと断っていることだった。
金賞銀賞の話しは絶対に出してこないから許しているが。
おれもおれだが、コイツもコイツだ。
毎度毎度飽きずに誘ってくる男の意図は、まあまあ仲良くなってきた今でも汲み取ることができず、おれはちょっと薄気味悪く思っている。

