閉店後、制服の隣で。

文化祭の準備が始まった途端学校の空気は一気に変わり、学校は完全に文化祭モードに突入した。
廊下には段ボールやら装飾の紙やらが積まれて、どこからか絵の具の匂いがして、普段は静かな教室までやけに騒がしい。
誰も彼も浮かれていて、無駄に声が大きい。
……普通にうるさい。いつも以上に雑音が耳に入ってくるのは、たぶん自分の気分の問題だ。
「凪沙ー!こっちガムテ足りない!」
「……あとで持ってく」
適当に返しながら、段ボールの中を漁る。
うちのクラスは喫茶店。王道すぎて面白みはないけど、その分やることは多い。接客 ?やるわけない。
俺は最初から裏方担当で手を挙げた。
人前に出るのも、知らないやつと話すのも、全部面倒くさい。
まぁバイトは別だ。いい人ばかりだし、あそこの店は常連さんしかあんまり来ない。
「お前ほんと裏方好きだよな」
「好きっていうか、これしかできないだけ」
「はいはい出ました自己評価低い系」
軽口を叩いてくるクラスメイトを適当にあしらいながら、手は止めない。
作業に集中してれば、余計なこと考えなくて済むから。本当は、最近はそうでもないけど。
「玲央ー!それ手伝ってー!」
「ちょっと待って、今行く」
遠くから聞こえてくる声に、無意識に手が止まる。
……またか。
見に行くつもりなんてないのに、視線だけが勝手にそっちに向く。廊下の向こうで人が集まっている。その中心にいるのは、予想通りの人物。
あいつは文化祭実行委員らしい。つまり今、この学校で一番忙しいやつ。
あっちのクラス呼ばれて、こっちの準備見て、また別のところで頼られて。
それでも全部こなして、誰に対しても同じように笑ってる。
「はいはい、落ち着いて。一個ずつ聞くから」
あの、余裕そうな声。
女子たちに囲まれて、軽く笑いながら話を回してる姿は、どう見ても慣れてる。
本当に別世界の人だなと改めて痛感するして、どこか寂しい気持ちが少し浮き上がったけど、気のせいだと信じたい。
同じ学校にいるはずなのに、ああいう輪の中に入ることなんて、一生ない気がする。
名前呼ばれて、笑いかけられて、距離詰められて。あれが普通のやつらの生き方なんだろうけど。
そう思いながらも、なぜか、視線が外れない。
「湊ー?手止まってるぞー」
「あ、悪い」
我に返って、慌てて手を動かす。
……見る必要ねえだろ。そう思ってるのに、頭の片隅にずっと残ってる。あいつの声とか、笑い方とか。
面倒くさいのに、なんでだろ……。
準備が増える分、一ノ瀬の姿を見る回数も増えた。と、いうか……。
「お疲れ、順調?」
「……なんでいるの」
「通りかかっただけ」
明らかに通りかかっただけじゃないタイミングで、普通に話しかけてくる。
「それさ、位置逆の方がよくない?」
「……別に」
「いや、こっちの方が客入りやすいと思うけど」
勝手にレイアウトに口出してきて、でもその指摘が地味に正しいのが腹立つ。
なんで他のクラスのやつに言われなきゃいけねぇんだよ。こんなとこにいたら絶対怪しまれるのに。
「ほら、ここ開けたら動線できるし」
「……勝手に触んな」
「手伝ってあげてるだけじゃん」
そう言いながら、当たり前みたいに隣にいる。
距離が近くて、気づいたらすぐそこにいる。
周りには他にも人いるのに、わざわざこっち来る理由がわからない。
「じゃ、俺もう行くわ」
「……あ、うん」
他のやつらのところに戻るときは、ちゃんとあの顔に戻る。
誰にでも向ける、あの笑顔。
「玲央くんありがとー!」
「全然、また呼んで」
軽く手振って、また人に囲まれて。
さっきまでここにいたやつと同一人物とは思えないくらい、違う。
……なんで俺の前だけあんな、ちょっと不服そうな顔するんだよ。言葉には出さないけど、その疑問だけが残る。
答えなんて出ないくせに。

文化祭当日。
学校は、いつもとまるで別物だった。外部の客も入ってきて、廊下は人で埋まってる。
知らない顔、知らない声、知らない匂い。
「いらっしゃいませー!」
「二名様でーす!」
教室の中も例外じゃない。
うちのクラスの喫茶店も、予想以上に人が入って、ほぼ途切れない。
内心だるいなと思い、裏方でよかったと心の底から思う。
ひたすら皿洗って、飲み物用意して、注文回して。
単調な作業に没頭してる方が、ずっと楽だ。バイト先の店より断然客は来るのだから。
「ねえ、ちょっと見て」
「一ノ瀬くん来てる!」
「は?」
一瞬で空気が変わって、ざわつきが一段上がる。
女子の声のトーンが明らかに変わり、俺の心の中で思っていた言葉がそのまま零れてしまう。
……はぁ?なんでわざわざ。そう思いながら、視線を上げる。
入口の方で、一人で普通に立って、話しかけられたら綺麗に笑って、スマホいじって、ムカつく。
「い、いらっしゃいませ……!」
「こんにちは」
いつも通りの、あの笑顔。外向きの顔。
クラスメイトたちが一気に色めき立つのも無理ない。
帰れよ、と心の中でだけ吐き捨てる。関わると面倒になるのはわかってる。
でも、気づけば目で追ってる。注文して、席に通されて。
俺には関係ないし、知らないふりをしてお皿を洗っていると、かすかに目が合った。
「え……?」
気のせいじゃない。一瞬だけ、視線が止まった。
すぐに逸らされたけど。意味がわからない。
そのまま作業に戻ろうとするのに、どうしても気になる。
けど……一ノ瀬も真顔で俺の方をチラチラと見る。接客しながら顔を赤らめている女の子たちに笑顔を浮かべて。
わざとじゃないって言えないレベルで視線が来る。
……落ち着かない。意味わかんない。
「凪沙ー、これお願い!」
「あ、うん」
呼ばれて手を動かすけど、頭の中は全然違うところにあった。
横を見ても、女子たちに囲まれてる一ノ瀬が笑っているだけ。
「玲央くんってほんと優しいよね〜」
「全然そんなことないって」
軽く否定して、でも笑ってて。
その輪の中にいるのが“自然”って感じ。
……やっぱあっち側だろ、あいつは。俺とは違う。
関わる必要もないし、関わる意味もない。そう思っているのに、なぜか視線が離れなくて。胸の奥が少しざわつく。
理由はわからない。なんで人にこんな感情を持つのかも変わらない。この感情の正体も。何もかも……わからない。
「……なんだよ、それ」
小さく呟いた声は、誰にも聞こえない。別に関係ないはずなのに。あいつが誰と話そうが、どこにいようが。
どうでもいいはずなのに。なのに。さっきからずっと、気になっている。目で追っている。あの輪の中にいる姿を、見てる。
わからないのに、目が逸らせない。
胸の奥にある、今まで感じたことのない感覚。イライラとも違う。焦りとも違う。
でも、確実に何かがある。それが何なのか。まだ、言葉にはできない。
でも……ただ一つわかるのは、前みたいに、無関心ではいられないってことだけだった。

「湊、ちょっと休憩入っていいよ」
不意に声をかけられて、はっと現実に引き戻される。
「あ、はい」
手を止めて軽く手を洗い、その場の壁にもたれかかる。シフトの時間はまだ終わっていないので、回ることもできないけど。
ずっと同じ作業をしていたせいで、指先が少しふやけていた。教室の裏口から廊下に出ると、さっきまでの騒がしさが少しだけ遠のく。それでも文化祭特有のざわめきは、どこにいても消えない。
……疲れた。壁に背を預けて、小さく息を吐く。
人混みも、音も、全部苦手だ。なのに今日は、それから逃げ場がない。
「……こんなとこいたんだ」
「は?」
聞き慣れた声に、心臓が一瞬だけ跳ねる。
顔を上げると、壁に手を付いている一ノ瀬が唇を尖らせて立っていた。衝動的に背筋を伸ばして、視線を移す。
「……なんで来るんだよ」
「休憩?」
質問に質問で返してくるあたり、相変わらずだ。
「そうだけど」
「じゃあちょうどいいじゃん」
いや、まだ休憩中とはいえお話できるほど時間ないんですけど。
「何が」
「ちょっと話せる」
そう言って、当たり前みたいに隣に立つ。
お昼時は終わったとはいえ、まだ店内は騒がしい。バイトのときの何倍も疲れる。
立ちながらまた作業に手を戻そうと思うけれど、隣の彼はそうはいかないらしく、俺の肩に身を寄せてきた。
……だから距離が無駄に近い。
逃げようと思えば逃げられる距離なのに、なぜか足が動かない。
というか、何してんの。俺まだ一応シフト中なんですけど。
「店、忙しそうだな」
「そりゃ文化祭だし」
「ふーん」
短い返事をされて、もうこれで一ノ瀬は戻るのかと思いきや、会話が続くようで続かない。
沈黙が落ちるけど、不思議と気まずくはない。
……なんでだよ。普通ならこの距離、この状況、居心地悪くて仕方ないはずなのに。
「お前さ」
「……何」
作業に目を落としながら、短く相槌を打つ。
本当にこの人は何がしたいんだか……。
今更気づいたけど、俺の作業しているこの場所は、うちのクラスの人しか入れないはずなのに、なんでこいつはほいほい入ってきてるわけ? なんでクラスのやつは許しちゃってるわけ? ……あぁ、イケメンオーラと王子様の圧に押し負けたのか。何やってんだよ。
心の中で接客のやつに文句を言いながら作業を進めていく中で、一ノ瀬は何かが気に食わないらしく顔を見てなくてもわかるくらい不機嫌な様子だ。
いや、こいつ俺といるとき不機嫌になりすぎじゃね? 会ったばかりのときあんなに笑ってたのに。
「さっきから、ずっとこっち見てたよな」
「……は!?」
思わず声が裏返り、逸らしていた目を見開き一ノ瀬を見つめる。
さっきの空気がまるで無かったかのように、沈黙を破られた。
「み、見てねぇし」
どっちかっていうと見てたのは一ノ瀬の方だろ……って言い訳にしかならないか。
「いや、見てたよ絶対」
図星を突かれたということを気づかれたくなくて、視線を落としながら平然を装う。
「……気のせいだろ」
無理やり言い切って、「俺がそんなことするわけねぇし」と続けたけど、彼は納得してない顔をする。
責められてるわけじゃないのに、妙に落ち着かない。
「別にいいけど。見てても」
「だから見てねぇって」
「はいはい」
軽く流されるのが余計に腹立つ。
だけどそれ以上に言い返す言葉が見つからなくて、情けない。
「……お前さ。なんでそんな無愛想なの」
「無愛想?」
真剣な顔をして、一ノ瀬は言葉を放った。
無愛想なのは一ノ瀬の方じゃないのか、仕事をしたいのにまだここにいるのか、という言葉は全て彼の一言で吹き飛んで、俺は固まったままずっと首を傾げていた。
その一ノ瀬は、片手を頬に当てて顔を隠すように、次の台詞を紡いだ。
「もうちょっと愛想よくしたら人気出ると思うけど」
「いらねぇよそんなの」
言われた途端即答した。だって、あまりにもありえないことだったから。
ため息をつくと、一瞬だけ一ノ瀬の口元が緩んだ。
「だろうな」
その言い方が、どこか面白そうで。
……ほんと、どこまでも得体の知れないやつだな。
俺はどこか、気づかないうちに一ノ瀬への嫌悪は消えていて、少しだけこいつのことが知りたいと思った。
俺の心にこんな感情があったなんて知らなかったけど。
彼は、俺の肩を叩いてまたニコッと微笑む。
「そろそろ戻るわ。頑張って」
「ん。どうも」
それだけ言って、一ノ瀬は離れていくけど、廊下の向こうでまた人に呼ばれていて。
「玲央くーん!」
「はーい」
振り返った瞬間には、もう“王子様”に戻ってる。さっきまで隣にいたやつと、同じ人間とは思えない。
また注文を受けながらも、さっきの会話が妙に頭に残った。
——「別にいいけど。見てても」
あの一言とか。
あいつは何がしたいのかわからないけど、なんだかんだ言って俺によくしてくれてる気がするし。何を考えているのかもわからず、もしかしたら俺を見下しているのかもしれないと思ったけど、なぜか信用できると思ってしまい、理解できない感情がまたひとつ増えた気がした。