あの日から、なぜか避けてるはずなのに、向こうから来る。
関わりたくないのに、会話が増える。
目が合ったり、すれ違う度に話しかけてきて、とてもやっかいだ。
バイトでもシフトが被らない日なんてないくらい頻繁に会うし。
「湊! やっほー!」
「……はぁどうも」
ほんとに、意味がわからない。
人に囲まれながら、いつもの王子様なくせに大きな声で呼ばれるから、周りにいる人(特に女子)は見えなくなるまでずっと俺のこと睨んでくる。
「え? 湊って一ノ瀬と仲良かったっけ?」
「い、いや……」
「へー絶対真逆なのになぁ」
「あ、あはは……」
一ノ瀬が突っかかってくる度に俺の友達? 的な存在の人は不思議そうにからかってくるし。もう最悪でしかない。
俺が制服を取り間違えなんかしなければ、あいつは俺の存在に気づかなかったはずなのに。いやバイトで会うからまぁ知ってるかもしれないけど、絶対関わらなかったはずなのに。
もしかしてこれからはパシリにさせられるとか……? 俺なんかにキラキラな王子様が今絡んでくるのは俺からの好感度をあげるためで、そのあとに雑用させられるのか……?
い、いや考えすぎ考えすぎ。まさかそんなことは、ね。
「なー湊」
「ん?」
移動教室のときに必ず話しかけてくれるのは、クラスは違うけど、一年のときに同じクラスでとっても仲良くしてくれた種崎陽という男。
ほんとにいい人で、多分今のところ友達と言える人は陽のみだ。
もちろん一ノ瀬のことも相談しようとしたのだが、クラスが違うので中々話せなかった。
でも今! もしかしたら相談できるチャンスかもしれない!
「最近なんかよく一ノ瀬と話してるよな? バイト同じなんだっけ」
……まさか種崎から話してくれるとは。
「う、うん。なんかあっちから話しかけてきてさ。バイトはまぁ一緒だよ」
頼むから引き剥がしてくれ。
どんなに言ってもあいつは絡むことをやめないんだ。
「そうか。何かされたらまた言うんだぞ」
種崎……! 心の友よ!!
「ありがと」
何か忘れてる気がするけど、久しぶりにこんなに種崎と会話が出来て少しだけ上機嫌になった。
昼休み。いつも通り、教室の窓際で弁当を広げる。
外は快晴で、風が少しだけ気持ちいい。
騒がしい教室の音を、遠くに感じながら箸を持った。
……今日は来ないよな。ふと、そんなことを考える自分がいる。
別に来てほしいわけじゃない。
ただ、来たらめんどくさいな、っていう確認。それだけ。
「そこ、いい?」
「……」
来てしまった。……やつが。一ノ瀬が。
しかも迷いなく、目の前。
一ノ瀬のこと考えると絶対本人が目の前に来る。
これは呪いなのだろうか。できるだけ考えないようにしよう。
「……よくないです」
「じゃあ座るわ」
「は?」
昨日と同じ流れですました顔をする彼。
許可取る気ないだろ絶対。勝手に椅子引いて、向かいに座る。
自然すぎて止めるタイミングすらない。
「はぁ……」
それにしても……周りの空気がざわつく。
「また一ノ瀬じゃん」 「え、あいつ誰」 「なんであそこなの?」という会話が耳をすまさなくても聞こえてくる。
……ほんとやめてほしい。これだから嫌だったんだ。
視線が痛いし、めちゃくちゃ居心地悪い。
「……なんで来るんですか」
「言ったじゃん。暇だから」
暇だから俺のところに来るなんて頭どうかしてる。
絶対人に囲まれているときの方がいいに決まって……。いや、決めつけはよくないな。
なぜか俺には、たくさんの人と会話してわちゃわちゃしてるときの方の一ノ瀬が少し無理をしているように見えたんだ。それも勝手な決めつけだけど。
会ったばかりの俺が言えたことなんかじゃないと思って、その言葉を呑み込んだ。
だからと言って、俺のところに来ていいわけではない。
俺はまともな会話もできないし、慰めてやることもできない。比較的人間を好ましく思っていないし。
……一ノ瀬と視線を極力合わせたくなくて、口の中に唐揚げを入れてから空に目を移す。
この席は夕焼けがすごく綺麗で、大好きな場所だ。
「他のとこ行ってください」
いつまでも居座っているものだから、目は逸らしたまま口を開いた。
俺の貴重な休み時間が、学校一の王子様にかき消されてしまう。
「ここがいい」
「なんでですか」
わけのわからない言葉が、ほんとに一ノ瀬の口から出たのか確かめたくて、そろりと視線を一ノ瀬に向ける。
本当にあの王子様から発された言葉だったらしく、窓から吹く風に髪をなびかせながら、彼はまたふわりと笑った。
「静かだからだよ」
……は?
あまりに真剣な顔をして、透き通る瞳で見つめられるものだから、今は何も言い返せなかった。
内心言い返したい気持ちで山々だが。
周りあんなに騒がしくて、あぁいう場が好きなんだろうと思ってたのに? モテまくってて何も苦労してないんだろうなって思ってたのに?
「ここ、お前しか喋んないじゃん」
否定できない。
確かに俺しか喋らない。というか、俺は全然口を開かない。強いていえば人からの話題に短く返すだけだ。
でもそれが理由になるのは意味わからない。
「だから楽なんだよ」
「……意味不明です」
「だろうな」
また、あの笑い方。ほんとに調子狂う。
そんな風に言われたら何も言えない。
俺しか喋らないから楽? 何? こういう空気の方が嫌いなんじゃないのか?
頑張って頭の中を整理しようとするけど、俺には何も関係のないことか、と思って黙って弁当を食べようとする。
関わらない。それが一番いい。そうやって俺は成長してきたんだ。
「なあ」
「……なんですか」
「敬語やめてよ」
「無理です」
反射で即答をする。考えるまでもない。
一ノ瀬に敬語を使うなんて、大袈裟にいえば総理大臣にタメ口を使うのと一緒だ。
「なんで」
「距離があるからです」
敬語を使えば、周りから見れば無関係の人、ただの顔見知りとかにしか思われないだろう。
「ある必要ある?」
「あります」
「俺的にはない」
「知らないです」
ほんと自分勝手。でも、一ノ瀬は全然引かない。
むしろ少し楽しそうにこっち見てる。
かと言って敬語を外す理由にならない。俺は絶対に折れないからな!
「これからさバイトも被るだろ」
「……はい」
「そのたびに敬語なの?」
言葉に少し詰まる。一ノ瀬は、俺とタメ口で話したいのか。それとも堅苦しいのが苦手なのか。どっちにしたって、どうして俺なんかが……。
正直、めんどくさいとは思ってた。
でも、だからって距離縮める理由にはならない。
「……別に困らないです」
「俺が困る。話しにくいし」
いや何言ってるのこの人……。
さっきから爆弾発言しかしないじゃん。しかも、ずーっと真剣な眼差しで見つめてくるし。
なんか、調子狂うな……。
俺は別に話したくなんてないんだけど。
「話さなくていいじゃないですか」
「それは無理、俺が話したいから」
「……は?」
意味がわからない。
なんでそんなこと、平然と言えるんだよ。一ノ瀬は少しだけ箸を止めて、真っ直ぐこっちを見た。
さっきまでの軽い空気じゃない。
「そんな警戒すんなって」
「……してません」
「してる」
「してないです」
「してる」
面倒くさい。
でも、否定しきれない自分がいるのがもっと面倒くさい。
「別にさ、なんも取らねーし、ただ普通に話せばいいだけ」
普通に。その言葉が、妙に引っかかる。
……普通ってなんだよ。そんなにどうでもいいことなのか? そりゃ一ノ瀬にとっては、俺は何人も何人も周りにいる人間の中の一人かもしれないけど、俺にとっては数少ない話しかけてくれる人間で。それで……。
いや、もう考えなくていいや。
「普通に……」
俺にとっての普通は、誰とも深く関わらないこと。
でもこいつの普通は、違う。それでも。
……バイト、あるしな。現実的な問題が頭をよぎる。毎回この距離感で、毎回敬語だと正直、疲れる。
ほんの少しだけ考えるけど、その間一ノ瀬は何も言わずにただ俺の応えを待っている。急かさずただ、見てる。
なんなんだよ。そんな風に見られたら断れるわけないだろ普通。
……はぁ、結局、折れるしかないか。
「……じゃあバイトのときだけ」
「は?」
「タメ口で」
それくらいなら。まだマシ。学校は別だけど、線引きは必要。
一ノ瀬は一瞬きょとんとして、すぐ笑った。
「ふははっ……中途半端」
「うるさいです」
「ほらそれ」
「……は?」
「敬語」
いやバイトのときだけって言ったよな。
どんだけ脅迫させたいんだよこの人は。
「……あ」
まぁ無意識だったし。今、普通に返したつもりだったのに。
一ノ瀬は楽しそうに笑う。
「今のさ」
「……」
「普通に“うるさい”でよくない?」
少しだけ、言葉に詰まる。
たったそれだけなのに、変に意識する。
でも、……めんどくさいな。もう、いいか。どうせバイトでも会うし。完全に避けるのは無理だし。
だったら。
「……うるさい」
小さく、言い直す。
あーあ。こんなこと一ノ瀬のことが好きな女子に知られたりしたら、俺の頭と胴体は、泣き別れになるんだろうな。
一ノ瀬が一瞬だけ目を見開いて。すぐ、ふっと笑った。
その笑顔に、少しだけドキッとする。いや変な意味じゃないし。ちょっとびっくりしたというか。
「ほんと、かわいい」
彼が放った言葉は窓から吹く風に消されてしまったが、俺は多分それどころじゃなかった。
勝手に距離詰めてきて、勝手にルール変えて、勝手に満足して。
何がしたいんだろう。考えないって決めたはずなのに、また思考が働いてしまう。
でも今確かにわかったことがある。
……さっきより、少しだけ、息がしやすい気がしたんだ。
「じゃあ決まりな。今日から敬語無しだよ」
「バイトだけって言った」
こいつ人の話聞いてるのか? 人に言わせておいて。満更でも無い顔して。
「学校でもタメ口でいいじゃん。今もうなってるし」
「え……」
否定できない。
さっき、言った。“うるさい”って。気づいた瞬間顔が熱くなるのがわかって、誤魔化すように口を走らせる。
「……勝手に決めんな」
「いいじゃん別に」
「よくない」
「じゃあやめる?」
「……っ」
一瞬、言葉に詰まる。
やめる、って言えばいいのに。それで元通りなのに。
でも。
「……もういい」
諦め半分で小さく呟く。面倒くささ半分。
一ノ瀬はそれを聞いて、満足そうに笑った。
弁当箱をしまいながらため息をつく。でもそのため息は、さっきついたものより、なぜか良いものになっていたと思う。
「じゃ、これからよろしくな」
「……よろしくしない」
「する」
「しない」
「するからね」
そう言って彼は、いつにも増して嬉しそうな顔でこの教室を去って行った。
……俺の頭を撫でてから。
絶対に関わりたくなかった人と、これから何かが始まりそうな予感がして不安しかなかった。
一ノ瀬が何を考えているのか、俺なんかになんで絡んでくるのかもわからずに、ただ違和感を抱きながら空を眺めた。
関わりたくないのに、会話が増える。
目が合ったり、すれ違う度に話しかけてきて、とてもやっかいだ。
バイトでもシフトが被らない日なんてないくらい頻繁に会うし。
「湊! やっほー!」
「……はぁどうも」
ほんとに、意味がわからない。
人に囲まれながら、いつもの王子様なくせに大きな声で呼ばれるから、周りにいる人(特に女子)は見えなくなるまでずっと俺のこと睨んでくる。
「え? 湊って一ノ瀬と仲良かったっけ?」
「い、いや……」
「へー絶対真逆なのになぁ」
「あ、あはは……」
一ノ瀬が突っかかってくる度に俺の友達? 的な存在の人は不思議そうにからかってくるし。もう最悪でしかない。
俺が制服を取り間違えなんかしなければ、あいつは俺の存在に気づかなかったはずなのに。いやバイトで会うからまぁ知ってるかもしれないけど、絶対関わらなかったはずなのに。
もしかしてこれからはパシリにさせられるとか……? 俺なんかにキラキラな王子様が今絡んでくるのは俺からの好感度をあげるためで、そのあとに雑用させられるのか……?
い、いや考えすぎ考えすぎ。まさかそんなことは、ね。
「なー湊」
「ん?」
移動教室のときに必ず話しかけてくれるのは、クラスは違うけど、一年のときに同じクラスでとっても仲良くしてくれた種崎陽という男。
ほんとにいい人で、多分今のところ友達と言える人は陽のみだ。
もちろん一ノ瀬のことも相談しようとしたのだが、クラスが違うので中々話せなかった。
でも今! もしかしたら相談できるチャンスかもしれない!
「最近なんかよく一ノ瀬と話してるよな? バイト同じなんだっけ」
……まさか種崎から話してくれるとは。
「う、うん。なんかあっちから話しかけてきてさ。バイトはまぁ一緒だよ」
頼むから引き剥がしてくれ。
どんなに言ってもあいつは絡むことをやめないんだ。
「そうか。何かされたらまた言うんだぞ」
種崎……! 心の友よ!!
「ありがと」
何か忘れてる気がするけど、久しぶりにこんなに種崎と会話が出来て少しだけ上機嫌になった。
昼休み。いつも通り、教室の窓際で弁当を広げる。
外は快晴で、風が少しだけ気持ちいい。
騒がしい教室の音を、遠くに感じながら箸を持った。
……今日は来ないよな。ふと、そんなことを考える自分がいる。
別に来てほしいわけじゃない。
ただ、来たらめんどくさいな、っていう確認。それだけ。
「そこ、いい?」
「……」
来てしまった。……やつが。一ノ瀬が。
しかも迷いなく、目の前。
一ノ瀬のこと考えると絶対本人が目の前に来る。
これは呪いなのだろうか。できるだけ考えないようにしよう。
「……よくないです」
「じゃあ座るわ」
「は?」
昨日と同じ流れですました顔をする彼。
許可取る気ないだろ絶対。勝手に椅子引いて、向かいに座る。
自然すぎて止めるタイミングすらない。
「はぁ……」
それにしても……周りの空気がざわつく。
「また一ノ瀬じゃん」 「え、あいつ誰」 「なんであそこなの?」という会話が耳をすまさなくても聞こえてくる。
……ほんとやめてほしい。これだから嫌だったんだ。
視線が痛いし、めちゃくちゃ居心地悪い。
「……なんで来るんですか」
「言ったじゃん。暇だから」
暇だから俺のところに来るなんて頭どうかしてる。
絶対人に囲まれているときの方がいいに決まって……。いや、決めつけはよくないな。
なぜか俺には、たくさんの人と会話してわちゃわちゃしてるときの方の一ノ瀬が少し無理をしているように見えたんだ。それも勝手な決めつけだけど。
会ったばかりの俺が言えたことなんかじゃないと思って、その言葉を呑み込んだ。
だからと言って、俺のところに来ていいわけではない。
俺はまともな会話もできないし、慰めてやることもできない。比較的人間を好ましく思っていないし。
……一ノ瀬と視線を極力合わせたくなくて、口の中に唐揚げを入れてから空に目を移す。
この席は夕焼けがすごく綺麗で、大好きな場所だ。
「他のとこ行ってください」
いつまでも居座っているものだから、目は逸らしたまま口を開いた。
俺の貴重な休み時間が、学校一の王子様にかき消されてしまう。
「ここがいい」
「なんでですか」
わけのわからない言葉が、ほんとに一ノ瀬の口から出たのか確かめたくて、そろりと視線を一ノ瀬に向ける。
本当にあの王子様から発された言葉だったらしく、窓から吹く風に髪をなびかせながら、彼はまたふわりと笑った。
「静かだからだよ」
……は?
あまりに真剣な顔をして、透き通る瞳で見つめられるものだから、今は何も言い返せなかった。
内心言い返したい気持ちで山々だが。
周りあんなに騒がしくて、あぁいう場が好きなんだろうと思ってたのに? モテまくってて何も苦労してないんだろうなって思ってたのに?
「ここ、お前しか喋んないじゃん」
否定できない。
確かに俺しか喋らない。というか、俺は全然口を開かない。強いていえば人からの話題に短く返すだけだ。
でもそれが理由になるのは意味わからない。
「だから楽なんだよ」
「……意味不明です」
「だろうな」
また、あの笑い方。ほんとに調子狂う。
そんな風に言われたら何も言えない。
俺しか喋らないから楽? 何? こういう空気の方が嫌いなんじゃないのか?
頑張って頭の中を整理しようとするけど、俺には何も関係のないことか、と思って黙って弁当を食べようとする。
関わらない。それが一番いい。そうやって俺は成長してきたんだ。
「なあ」
「……なんですか」
「敬語やめてよ」
「無理です」
反射で即答をする。考えるまでもない。
一ノ瀬に敬語を使うなんて、大袈裟にいえば総理大臣にタメ口を使うのと一緒だ。
「なんで」
「距離があるからです」
敬語を使えば、周りから見れば無関係の人、ただの顔見知りとかにしか思われないだろう。
「ある必要ある?」
「あります」
「俺的にはない」
「知らないです」
ほんと自分勝手。でも、一ノ瀬は全然引かない。
むしろ少し楽しそうにこっち見てる。
かと言って敬語を外す理由にならない。俺は絶対に折れないからな!
「これからさバイトも被るだろ」
「……はい」
「そのたびに敬語なの?」
言葉に少し詰まる。一ノ瀬は、俺とタメ口で話したいのか。それとも堅苦しいのが苦手なのか。どっちにしたって、どうして俺なんかが……。
正直、めんどくさいとは思ってた。
でも、だからって距離縮める理由にはならない。
「……別に困らないです」
「俺が困る。話しにくいし」
いや何言ってるのこの人……。
さっきから爆弾発言しかしないじゃん。しかも、ずーっと真剣な眼差しで見つめてくるし。
なんか、調子狂うな……。
俺は別に話したくなんてないんだけど。
「話さなくていいじゃないですか」
「それは無理、俺が話したいから」
「……は?」
意味がわからない。
なんでそんなこと、平然と言えるんだよ。一ノ瀬は少しだけ箸を止めて、真っ直ぐこっちを見た。
さっきまでの軽い空気じゃない。
「そんな警戒すんなって」
「……してません」
「してる」
「してないです」
「してる」
面倒くさい。
でも、否定しきれない自分がいるのがもっと面倒くさい。
「別にさ、なんも取らねーし、ただ普通に話せばいいだけ」
普通に。その言葉が、妙に引っかかる。
……普通ってなんだよ。そんなにどうでもいいことなのか? そりゃ一ノ瀬にとっては、俺は何人も何人も周りにいる人間の中の一人かもしれないけど、俺にとっては数少ない話しかけてくれる人間で。それで……。
いや、もう考えなくていいや。
「普通に……」
俺にとっての普通は、誰とも深く関わらないこと。
でもこいつの普通は、違う。それでも。
……バイト、あるしな。現実的な問題が頭をよぎる。毎回この距離感で、毎回敬語だと正直、疲れる。
ほんの少しだけ考えるけど、その間一ノ瀬は何も言わずにただ俺の応えを待っている。急かさずただ、見てる。
なんなんだよ。そんな風に見られたら断れるわけないだろ普通。
……はぁ、結局、折れるしかないか。
「……じゃあバイトのときだけ」
「は?」
「タメ口で」
それくらいなら。まだマシ。学校は別だけど、線引きは必要。
一ノ瀬は一瞬きょとんとして、すぐ笑った。
「ふははっ……中途半端」
「うるさいです」
「ほらそれ」
「……は?」
「敬語」
いやバイトのときだけって言ったよな。
どんだけ脅迫させたいんだよこの人は。
「……あ」
まぁ無意識だったし。今、普通に返したつもりだったのに。
一ノ瀬は楽しそうに笑う。
「今のさ」
「……」
「普通に“うるさい”でよくない?」
少しだけ、言葉に詰まる。
たったそれだけなのに、変に意識する。
でも、……めんどくさいな。もう、いいか。どうせバイトでも会うし。完全に避けるのは無理だし。
だったら。
「……うるさい」
小さく、言い直す。
あーあ。こんなこと一ノ瀬のことが好きな女子に知られたりしたら、俺の頭と胴体は、泣き別れになるんだろうな。
一ノ瀬が一瞬だけ目を見開いて。すぐ、ふっと笑った。
その笑顔に、少しだけドキッとする。いや変な意味じゃないし。ちょっとびっくりしたというか。
「ほんと、かわいい」
彼が放った言葉は窓から吹く風に消されてしまったが、俺は多分それどころじゃなかった。
勝手に距離詰めてきて、勝手にルール変えて、勝手に満足して。
何がしたいんだろう。考えないって決めたはずなのに、また思考が働いてしまう。
でも今確かにわかったことがある。
……さっきより、少しだけ、息がしやすい気がしたんだ。
「じゃあ決まりな。今日から敬語無しだよ」
「バイトだけって言った」
こいつ人の話聞いてるのか? 人に言わせておいて。満更でも無い顔して。
「学校でもタメ口でいいじゃん。今もうなってるし」
「え……」
否定できない。
さっき、言った。“うるさい”って。気づいた瞬間顔が熱くなるのがわかって、誤魔化すように口を走らせる。
「……勝手に決めんな」
「いいじゃん別に」
「よくない」
「じゃあやめる?」
「……っ」
一瞬、言葉に詰まる。
やめる、って言えばいいのに。それで元通りなのに。
でも。
「……もういい」
諦め半分で小さく呟く。面倒くささ半分。
一ノ瀬はそれを聞いて、満足そうに笑った。
弁当箱をしまいながらため息をつく。でもそのため息は、さっきついたものより、なぜか良いものになっていたと思う。
「じゃ、これからよろしくな」
「……よろしくしない」
「する」
「しない」
「するからね」
そう言って彼は、いつにも増して嬉しそうな顔でこの教室を去って行った。
……俺の頭を撫でてから。
絶対に関わりたくなかった人と、これから何かが始まりそうな予感がして不安しかなかった。
一ノ瀬が何を考えているのか、俺なんかになんで絡んでくるのかもわからずに、ただ違和感を抱きながら空を眺めた。


