孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

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 和未が巫女庁の裏門を抜けると空気が変わった。
 敷地内よりも風が乱暴に感じる。
 張り巡らされた結界の内側であっても中心から遠いほど、その守りは自然と薄くなった。
 目指すのは討伐軍の駐屯地。
 巫女庁から今回派遣された結界巫女2人の後ろに距離を取って和未が続く。
 遠く、山の稜線が黒く滲んで見えた。

(何となく嫌な気配……)

 和未は胸の奥がざわついたものの、それを言葉にはしなかった。
 軽率な言葉を口にするなと巫女頭の幹子に釘を刺されている。
 和未の前方を歩く結界巫女の2人は最初は楽しそうにお喋りに興じていたものの駐屯地が近づくと、どちらからともなく口を噤んでいた。
 やがて、見晴らしの良い平地に討伐軍の駐屯地が見えてくる。
 張られた幕。
 整然と並べられた武具。
 兵士たちから放たれる殺気だった鋭い視線。
 巫女庁では決して味わうことのなかった雰囲気。
 ――戦いに身を置く男たちが集った場所。
 後方では結界巫女の2人が結界術を行使しているが、その輪に和未が入ることはなかった。

「――来たか……」

 低い声を和未にかけられる。
 振り向くと一人の男が立っていた。
 いかにも神経質で理知的な面立ちをしている青年。
 男は和未を値踏みするように遠慮なく観察していた。

「お前が今回、同行する兆視巫女か?」

 男の問いかけに和未は頷く。

「ずいぶんと頼りなさそうな女だな。年齢は?」

 はっきりと男に言い切られる。

「年は18です」
「――どうりで」

 男は小さく息を吐く。
 
「私は副官の高内(たかうち)涼成(すずなり)だ」

 短い名乗りと涼成からの歓迎しない空気に畏縮しながらも、和未はしっかりと礼をした。

「おいおい。初対面の女子(おなご)相手にそれはないだろう」

 涼成の隣にやってきた大柄な男が、肩をすくめる。
 渋みを帯びながらも、どこか飄々とした声色だった。

「俺は尾郷(おごう)玄信(げんしん)だ。涼成はいつもああだ。余り気にしないでやってくれ」

 玄信からは老練(ろうれん)の風格が自然と(かも)されている。
 言葉には思いやりがあったが玄信もまた和未を見極めるように観察していた。

「……結城和未と申します」

 和未が頭を下げながら名乗ると、涼成の眉が微かに動いた。

「ああ。例の」

 涼成の言葉だけで何を意味されているのかわかって、和未の心臓は暴れ出す。

「ほら、あれが」
「”嘘つき巫女”だ」

 周囲の兵の誰かが、ぼそりと呟き、小さな笑いがどんどん大きく広がっていく。

(私が名乗っただけでわかるほど、討伐軍にも”嘘つき巫女”の評判が伝わっているなんて……)

 和未はどこか消えたくなるような気持ちになった。

「”嘘つき巫女”と評判なくらいだから、どんな醜女(しゅうじょ)かと思っていた」
「ずいぶんと見目のよい女だな」
可憐(かれん)で目を引く愛らしい子じゃないか」
「男衆に放っておかれぬ顔立ちだろう」
「あとで声をかけてみるか」

 兵士たちが和未について好き勝手に語っている。
 いたたまれない心境に支配されながらも、和未は背筋を伸ばし続けた。
 和未なりに覚悟を持って、この場に来ている。
 どんなことが起きたとしても怯むわけにはいかなかった。
 ほんの僅かに空気が変わる。
 和未の実際の視界とは別の切り取られた光景が脳へと浮かぶ。

(兆視……)

 兆視は夢のように映像で見るだけではない。
 こうして瞬間的に前触れもなく絵画のように見える時もある。

「左です!」

 和未が叫ぶ。
 結界のわずかな綻び。
 それを掻い潜るように黒い影が飛び込んできた。
 小型の妖。
 剥き出しの牙に口からはみ出ている長い舌。
 小型ながら、あの牙に喉元を噛み切られたら人間はたちまちに肉の塊に変わるだろう。

「妖が侵入したぞ!!」

 兵士たちが反応する。
 しかし余りの妖の俊敏さに初動が遅れていた。
 一直線に妖は駐屯地へと突っ込んでくる。
 和未には妖の軌道の先が見えていた。

「下がってください!」

 和未の声に呼応して反射的に玄信は一歩身を引いた。
 玄信が今し方まで立っていた場所に妖はえぐるように突進してくる。
 避けていなければ妖は確実に玄信にぶつかっていた。

「ふっ……」

 涼成は小さく息を吐き、刀を抜く。
 間合いを一瞬で詰めて、妖の頭と胴を斬り伏せた。
 涼成に切断された妖の遺体が黒い霧と変わり、やがて空気へと溶けていく。
 あっという間に終わった戦闘。
 けれど駐屯地の空気は様変わりしていた。
 そして、誰もが和未を見ている。
 さっきまでの侮蔑と好奇が入り混じった遠慮のない視線とは違っていた。

「助かった。ありがとう、嬢ちゃん」

 玄信が和未に礼を伝える。

「いえ……」
「今のは偶然か?」

 和未の声を遮るように涼成に問われる。
 
「違います……」
「証明してみろ」
「……」

 和未は答えられなかった。
 誰もがそうだった。
 真っ先に疑う。
 見えた――だけでは何の根拠にもならない。

(縁雅様だけがそれでも私を……)

 和未は来ている巫女服を太もも辺りでギュッとそれぞれ手で握りしめた。

「偶然だろう。やはり兆視など曖昧すぎる。こんなひ弱そうな巫女を連れていっても足手まといなだけだ。価値がない」

 本心を包み隠さない涼成の言葉は的確に和未の胸を(えぐ)る。
 
(やはり私は帰れと言われてしまうのだろうか……)

 和未が身構えた時だった。

「――ある」