孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

(更に圧が強くなった……)

「……うっ……」

 周囲に動じず、結界を和未に行使し続けている結界巫女の詠唱が初めて止まった。
 けれども、すぐに立て直す。
 今更ながらに妖の真の脅威を和未は思い知る。
 強さに果てがない。

(久遠という妖でこの強さなら、禍津日神が復活したら……)

 和未が背筋を凍りつかせている間にも、縁雅は再び久遠へと攻勢に出る。
 額が開眼した久遠は目にも留まらぬ縁雅の斬撃をいなす。
 両者ともに更に一段も二段も、速度、重さ、共に増していた。

(人間側には縁雅様がいる……)

 縁雅の強さも頂点に達することがない。
 どこまでも上がり続ける。
 久遠と対等に渡り合えるのは縁雅だけだった。
 
(縁雅様も気づいている。久遠の核はあの額の瞳……)

 けれども踏み込みきれない。
 刃先が届かない。
 久遠は自分の額の核さえ守りきれば、どこを斬られても再生できる。
 防戦に徹すればいいだけ。
 時間を稼いでいるうちに、禍津日神は復活するだろう。
 縁雅の形勢が不利なことには変わりがなかった。
 辺りを見回せば、地に伏せる兵の数は増えていく一方。
 涼成も玄信も中位相手に刀を振るい続けているが、妖は消滅しても無限に生み出される。
 禍津日神の封印の社から流れ出る瘴気も厚みと淀みの濃度が増し、結界巫女たちの結界だけでは凌ぎきれない水準にまで達していた。
 和未に単独で結界を張っている巫女も含めて総じて顔色が悪い。
 ぬらりとした気味の悪い視線に身体中を()め回されているようで和未も気を呑まれそうだった。

(これは久遠の視線じゃない……)

 ここまで強烈な存在感を示すのは禍津日神しかいない。

(まだ封印が崩れたわけでもないのに……)

 人間の窮状は変わらない。
 和未が見た兆視の場面へと近づいていく。
 核を見極め、久遠の切り札でもある第三の目を開眼させた和未。
 やるべきことを果たした今、見守ることしか出来ない自分が歯痒かった。

「――嬢ちゃん」

 玄信が妖を薙ぎ倒しながら、和未へと近寄ってきた。

「久遠の核は、あの額の目で間違いはないか?」
「……可能性は高いと。けれども縁雅様の刃がなかなか届かず……」
「俺たちの旗色が悪いのは確かだからな。縁雅だから、久遠相手にあそこまで対抗できているだけだ」

 玄信が白熱した交戦を繰り広げている縁雅と久遠を見上げていた。

(確か玄信殿は縁雅様を総大将ってお呼びになられていたような……)

 疑問が浮かぶ和未へと視線を落とし、玄信の目が細められる。

「嬢ちゃんは最後まで縁雅の傍にいてやってくれ」

 和未の華奢な肩に玄信の無骨な手が置かれる。

(最後まで……?)

 玄信が和未に向かって微笑んだように思えたのは気のせいではなかった。
 父性に溢れるような深い笑み。
 それは和未を通り越して縁雅に向けられているようだった。

「今だな」

 ひとり言のように呟き、玄信は前へ出た。
 和未しか気づかないほど自然に。
 その一歩一歩が戦場の流れから静かに外れていた。
 和未は痛む左目を凝らしながら気づいてしまう。
 玄信が何をしようとしているのかを。

(……玄信殿……)

 久遠と縁雅の攻防は両者とも譲らない。
 しかしながら縁雅の軍装は胸元が斬られ襟が僅かながらに乱れていた。
 露出した左胸の紋と黒刀の紋が呼応するように淡く光を帯びている。
 久遠の一文字斬りを縁雅は上へと躱した。
 その勢いざまに久遠へと上段から斬り下ろす。
 一度、地に足をつけ身体ごと縁雅を躱そうとした久遠。

『っつ!!』

 だが動けない。
 久遠の身体を羽交い絞めにするように後方から玄信が腕を回したからだ。
 久遠の顔つきが歪む。

『貴様……』

 久遠を固定した玄信の身体から炎が上がる。
 全身を焼かれながら、それでも久遠を押さえ込んでいた。

「玄信殿!」

 和未は悲鳴に似たような声を上げた。
 玄信は火だるまになりながらも、久遠を離さない。
 呻き声ひとつ上げない。
 視線が上を向く。
 縁雅へと。

「――今だ。縁雅」

 一言。
 玄信から縁雅に向けられた、たった一言、その一瞬。
 縁雅の刃が真っ直ぐに開眼した目へと突き刺さる。
 額の目ごと久遠の中心が斬り裂かれていく。
 久遠は雄叫びを上げなかった。
 その代わりに戦場ごと大きく空間が歪む。
 久遠の身体から強い光が弾かれた。

「きゃっ……」

 和未も前のめりで膝をついて両手で支える。
 宵闇のような暗い空間と強烈な光の明暗差と地のうねりに誰もが立っていられずに伏せていた。
 ――無音である。
 和未が次に顔を上げた時、場に立っていたのは縁雅だけだった。
 生存した兵や結界巫女たちも続々と起き上がっていく。
 久遠がいない。
 妖たちもいない。
 存在そのものが消失していた。
 戦場を吹き抜ける風だけが、破れた護符を転がしていた。

「縁雅様……」