孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 和未が声を出そうとした時には一人の兵が結界巫女と妖の間に割り込んでいた。
 妖の尖った爪が兵の顔面を裂く。
 けれども悲鳴一つ上げず、妖の胴を刀で分断した。
 妖は塵に還る。
 結界巫女は周囲に動じず汗をかきながらも、瞼を閉ざし詠唱を繰り返し、和未だけの結界を張り続けていた。

「あなたは……」

 窮地を救ったのは、和未に話しかけてきていた若い兵。
 三つに皮膚が深く裂かれた顔面は鮮血に塗れている。
 それでも刀を構えて立ち続けていた。 

「援護するから、こちらに構うな」
「……けれど、怪我が……」

 結界巫女と和未へ吸い寄せられるように妖が四方八方から迫ってきている。
 和未を守るように兵たちが囲んで立った。
 
「今から誰が死のうと、あんたにしか出来ないことをやってくれ!」

 若い兵は怒号のように主張すると迫る妖を斬っていく。
 和未は左右に目を配る。
 すでに兵の(むくろ)は幾つも横たわっていた。
 仰向けの者、うつ伏せの者、原形がない者。
 遡れば数えきれないほど人間は妖と戦い殉難(じゅんなん)してきていた。
 数々の犠牲の上に成り立って重なって繋がっている現在。
 誰もが抗ってきた。
 未来を諦めなかった。
 だから今がある。

(……見ていられなくても、目を逸らすわけにはいかない……)

 和未は神経を研ぎ澄ませて、縁雅と久遠へと視線を戻す。
 接戦は激しさを増すばかり。
 少しでも気を緩めれば、命を落とす――常に致命傷狙いの勝負。
 刀が噛み合い、離れ、またぶつかる。
 互角だが、いくら鬼神と呼ばれ並外れた実力を持とうとも人間の縁雅には不利な状況だった。
 久遠は核を断たなければ、どこを斬っても再生する。
 一方の縁雅は傷を負えば、残る。
 縁雅の頬に出来た一筋の切り傷からは血が溢れていた。

(縁雅様……)

 不思議と和未には何の音も聞こえなかった。
 血臭もしない。
 感覚が全て目へと集中していた。
 久遠は一度、己の核が和未に露呈したことを知っている。
 あえて隠してくるだろう。
 
(けれど、どこに……)

 焦りは視界を曇らせるだけだと和未は学習している。
 それでも、どれだけ目を凝らしても久遠の核の一片すら見えない。

(目で見ようとするから見つからない……)

 目を閉じて、精神の揺れが治まるのを待つ。
 縁雅も、結界巫女も、兵たちも、命を張って和未を守っている。

(この重圧に立ち向かう……)

 瞳を開く。
 自分の左目に違和感が走る。
 
(痛っ……)

 焼けつくように左目が痛い。
 がくがくと膝が揺れる。
 それでも立ったまま目を凝らした。

『私の言った通りだろう。あの女、限界がきている』

 久遠は縁雅と刃を交えながら、和未を一瞥した。
 
『私との子でも孕ませるか。婉容(えんよう)で麗しく、無垢な上にあの能力だ。場合によっては半妖の子は強大な力を持つと……』

 口を動かし続ける久遠の顔面を縁雅の刃が横断する。

「――反吐が出る。黙ってろ」

 縁雅によって上下に分断された久遠の顔が瘴気を纏いながら巻き戻されるように再生していく。
 満面の笑みが唇には湛えられていた。

『あの女に手を出されたくなかったら、私を殺してみるんだな』

 久遠の挑発に縁雅が乗ることはない。
 一貫して冷静に状況を見極めるのが縁雅の常だ。
 けれども、縁雅の一太刀の威力が増したように和未には思えた。

(どうして、あんなにも余裕があるのだろう……)

 和未は久遠を見つめながら疑問が浮かぶ。
 死闘とも例えられるしのぎの削り合い。
 しかし、どこか久遠は余裕を滲ませている。

(まるで自分の核が切られることなどないと、たかをくくっているような……)

 和未に何かが閃く。
 久遠は妖である。
 余りにも、世界から浮くほどの美しい面立ち、仕草だから忘れていた。
 ――あれは人間ではないのだと。

(だとしたら……)

 和未は久遠を見た。
 きっと、それはあるはずだ。
 見えていない場所に。
 
「縁雅様!」

 和未が大きく縁雅を呼ぶ。
 縁雅は下方から切り上げる形で久遠の刃を払いつつも和未へと視線を遣った。

「額の中心を狙ってください」

 先に反応して両目を剥いたのは久遠のほうだった。
 和未は確信する。

「恐らく、もう一つ目があるかと」

 間髪入れずに縁雅は一度、後ろへ退き、深く踏み込む。
 打突の形で久遠の額を狙う。
 焦燥を体現するかのように久遠は大きく後退した。
 それでも縁雅の攻撃は緩まない。
 次の瞬間には久遠へと距離を詰めている。

『あの女……』
 
 縁雅の切っ先を躱すために久遠が顔を大きく逸らしたがゆえに前髪が浮かび初めて白日の下にさらされた。
 和未の告げた通り、久遠の額に浮かんだ目。
 ただそれは縦方向で、閉じられた状態だった。

『開眼するのは、何百年ぶりだ……』

 前髪を分けた久遠の額の目が一気に開かれた。

「ごぷっ……」

 たったそれだけで、場の空気が沈み込む。
 兵の何名かが血を吐き出してその場へと倒れた。