***
巫女庁の朝は、静かだ。
白砂の庭をそよぐ風は柔らかく、軒先に吊るされた鈴を涼やかに鳴らす。
だが、その静けさの奥には、常に張り詰めたものがあった。
結界――瑞國の随所を覆う、目に見えない透明な壁。
巫女の中でも一番人数の多い結界巫女たちが、その役割を担っている。
結界がなければ、人は夜を越えられない。
瘴気が生み出す妖たちに人間という人間が食いつくされることになるだろう。
瑞國では結界が崩れることと、“あれ“が復活することは世界の滅びを意味するのである。
大広間へと呼び出された和未は廊下を歩きながら、無意識に肩に力を入れていた。
(縁雅様は私を信じると言ってくれた……)
縁雅の声が昨日から何度も何度も和未の頭を巡っていた。
”嘘つき巫女”と呼ばれる和未にとって、あの言葉はどれだけ重い言葉だったか。
どれだけ和未の胸を震わせたか、知る者はいないだろう。
すれ違う巫女たちが、あからさまに侮蔑の視線を送ってきた。
「……また、あの”嘘つき巫女”が何か言ったらしいわよ」
「懲りないのかしら」
「しかも今度は討伐軍の総大将様に直接言ったらしいわよ」
「まあ縁雅様に?」
「ここまでの恥知らずって本当にいるのね」
巫女たちの小さな……けれど隠す気のない声は容赦なく和未の鼓膜へと届く。
いつもは自然と俯きがちになる和未だったが、今日は真っ直ぐ前を見据えていた。
縁雅に否定されなった。
それだけで和未はこんなにも胸の奥が熱くて頼もしい気持ちになる。
(こんな感覚、今まで知らなかった……)
大広間の前で足を止める。
(どうしても、ここに来ると緊張してしまう……)
口の中がひどく乾いている。
それでも逃げ出そうとは思わなかった。
「失礼いたします」
声をかけて、広間に入る。
開けた途端に、いつもよりも大広間の空気が固く冷えていることを和未は察した。
正面に座るのは、巫女頭である幹子。
普段、幹子は感情を表に出す人間ではない。
けれど今日は一見してわかるほど、その顔は怒気を語っていた。
両脇には上級巫女たちが控えている。
その中には結界巫女である茅乃の姿もあった。
和未と目が合うと、茅乃にはすぐに逸らされる。
「結城和未」
幹子に名前を呼ばれる。
「はい」
和未は畳に膝をついて、頭を下げた。
「頭をお上げなさい。昨日の件は聞いています」
幹子の落ち着いた声から静かな怒りを感じた。
「よりにもよって討伐軍総大将の九鬼縁雅様に対し、軽々しく死を口にしたそうですね」
「……軽々しくではありません」
「言い訳は結構です。あなたは一度巫女庁の名にどれだけ泥を塗ったか、理解していますか?」
「……はい」
「理解できていないから昨日も同じ言動をしたのでしょう。あなたのくだらない妄言で軍を惑わすことはおやめなさい」
声こそ荒げないものの、幹子の激しい憤怒は大広間中の巫女へと伝わっていた。
――くだらない妄言。
(そんな風に思われていたなんて……)
普段は抑えていた幹子の本音が漏れて出たのだろう。
3年前の和未の兆視で巫女庁の威信を失墜させないために奔走したのが当時から巫女頭である幹子だった。
”嘘つき巫女”に一番、割を食った人物ともいえる。
(それでも私を兆視巫女として巫女庁に置いてくれ続けていることは大久保様の温情かもしれない……)
責務を全うし、決して感情だけに流されない幹子が本気で和未に怒りを感じている。
その意味の深さを和未だけではなく、この大広間にいる巫女たち全員が知っていた。
「差し出がましいようですが……」
大広間の凍りついた空気を壊したのは上級巫女の茅乃だった。
結界巫女として実績を重ねている茅乃は出世が速く、二十代前半と異例の若さで上級巫女となっている。
“嘘つき巫女“の和未と対照的に彼女の発言は重んじられていた。
「結城和未を討伐軍に同行させたらいかがでしょうか?」
茅乃の発言を受けて、幹子の目線の先が茅乃に移る。
「円山茅乃、理由を述べてください」
「はい。巫女庁の厳重に結界で守られている屋敷の中で、一度外した兆視巫女が何を言っても絵空事にしかなりません。私は結界巫女として戦場の過酷さも凄惨さも妖の恐ろしさも実際に目にしてきています。結城和未にも実際に現場を経験させるべきかと」
「ほう……。一理ありますね」
「そして、兆視巫女である結城和未の兆視の精度を巫女庁としても見極めるべき時が来ているかと存じます。加えまして……」
茅乃はちらりと和未を一瞥した。
「不用意な発言を防ぐためにも結城和未には監視が必要かと。縁雅様に直接話しかけてしまうほど結城和未は世間知らずのようでございますから」
身体の周りの空気に重量が増したように和未には思えた。
幹子は眉間に皺を寄せ考え込んだ後、
「結城和未。そなたに討伐軍への同行を命じます」
和未を見据えて告げた。
巫女庁の朝は、静かだ。
白砂の庭をそよぐ風は柔らかく、軒先に吊るされた鈴を涼やかに鳴らす。
だが、その静けさの奥には、常に張り詰めたものがあった。
結界――瑞國の随所を覆う、目に見えない透明な壁。
巫女の中でも一番人数の多い結界巫女たちが、その役割を担っている。
結界がなければ、人は夜を越えられない。
瘴気が生み出す妖たちに人間という人間が食いつくされることになるだろう。
瑞國では結界が崩れることと、“あれ“が復活することは世界の滅びを意味するのである。
大広間へと呼び出された和未は廊下を歩きながら、無意識に肩に力を入れていた。
(縁雅様は私を信じると言ってくれた……)
縁雅の声が昨日から何度も何度も和未の頭を巡っていた。
”嘘つき巫女”と呼ばれる和未にとって、あの言葉はどれだけ重い言葉だったか。
どれだけ和未の胸を震わせたか、知る者はいないだろう。
すれ違う巫女たちが、あからさまに侮蔑の視線を送ってきた。
「……また、あの”嘘つき巫女”が何か言ったらしいわよ」
「懲りないのかしら」
「しかも今度は討伐軍の総大将様に直接言ったらしいわよ」
「まあ縁雅様に?」
「ここまでの恥知らずって本当にいるのね」
巫女たちの小さな……けれど隠す気のない声は容赦なく和未の鼓膜へと届く。
いつもは自然と俯きがちになる和未だったが、今日は真っ直ぐ前を見据えていた。
縁雅に否定されなった。
それだけで和未はこんなにも胸の奥が熱くて頼もしい気持ちになる。
(こんな感覚、今まで知らなかった……)
大広間の前で足を止める。
(どうしても、ここに来ると緊張してしまう……)
口の中がひどく乾いている。
それでも逃げ出そうとは思わなかった。
「失礼いたします」
声をかけて、広間に入る。
開けた途端に、いつもよりも大広間の空気が固く冷えていることを和未は察した。
正面に座るのは、巫女頭である幹子。
普段、幹子は感情を表に出す人間ではない。
けれど今日は一見してわかるほど、その顔は怒気を語っていた。
両脇には上級巫女たちが控えている。
その中には結界巫女である茅乃の姿もあった。
和未と目が合うと、茅乃にはすぐに逸らされる。
「結城和未」
幹子に名前を呼ばれる。
「はい」
和未は畳に膝をついて、頭を下げた。
「頭をお上げなさい。昨日の件は聞いています」
幹子の落ち着いた声から静かな怒りを感じた。
「よりにもよって討伐軍総大将の九鬼縁雅様に対し、軽々しく死を口にしたそうですね」
「……軽々しくではありません」
「言い訳は結構です。あなたは一度巫女庁の名にどれだけ泥を塗ったか、理解していますか?」
「……はい」
「理解できていないから昨日も同じ言動をしたのでしょう。あなたのくだらない妄言で軍を惑わすことはおやめなさい」
声こそ荒げないものの、幹子の激しい憤怒は大広間中の巫女へと伝わっていた。
――くだらない妄言。
(そんな風に思われていたなんて……)
普段は抑えていた幹子の本音が漏れて出たのだろう。
3年前の和未の兆視で巫女庁の威信を失墜させないために奔走したのが当時から巫女頭である幹子だった。
”嘘つき巫女”に一番、割を食った人物ともいえる。
(それでも私を兆視巫女として巫女庁に置いてくれ続けていることは大久保様の温情かもしれない……)
責務を全うし、決して感情だけに流されない幹子が本気で和未に怒りを感じている。
その意味の深さを和未だけではなく、この大広間にいる巫女たち全員が知っていた。
「差し出がましいようですが……」
大広間の凍りついた空気を壊したのは上級巫女の茅乃だった。
結界巫女として実績を重ねている茅乃は出世が速く、二十代前半と異例の若さで上級巫女となっている。
“嘘つき巫女“の和未と対照的に彼女の発言は重んじられていた。
「結城和未を討伐軍に同行させたらいかがでしょうか?」
茅乃の発言を受けて、幹子の目線の先が茅乃に移る。
「円山茅乃、理由を述べてください」
「はい。巫女庁の厳重に結界で守られている屋敷の中で、一度外した兆視巫女が何を言っても絵空事にしかなりません。私は結界巫女として戦場の過酷さも凄惨さも妖の恐ろしさも実際に目にしてきています。結城和未にも実際に現場を経験させるべきかと」
「ほう……。一理ありますね」
「そして、兆視巫女である結城和未の兆視の精度を巫女庁としても見極めるべき時が来ているかと存じます。加えまして……」
茅乃はちらりと和未を一瞥した。
「不用意な発言を防ぐためにも結城和未には監視が必要かと。縁雅様に直接話しかけてしまうほど結城和未は世間知らずのようでございますから」
身体の周りの空気に重量が増したように和未には思えた。
幹子は眉間に皺を寄せ考え込んだ後、
「結城和未。そなたに討伐軍への同行を命じます」
和未を見据えて告げた。



