***
「負傷状況の確認。急げ」
「少なからず、久遠には傷を負わせている」
「隊列は保て。すぐに追うぞ」
涼成と玄信が崩れかけた討伐軍を旗振りする。
久遠は奥へと消えただけで何も終わっていない。
むしろ、ここからが本番だと全員が理解して手際よく動いている。
「縁雅様。結城和未は兵に運ばせますか?」
片膝をつき、和未を腕に抱いたままの縁雅へと涼成が声をかける。
苦痛の極点は過ぎたものの、全身の重苦しさは消えない。
和未は限界を悟られないよう、縁雅に委ねていた身体を起こそうとした。
「……大丈夫です。私は自分で歩け……」
「――俺が運ぶ」
縁雅が軽々と和未を横抱きで抱き上げた。
思わず縁雅の首へと和未は両腕を回す。
縁雅の顔が目の前にある。
緋色の瞳から放たれる縁雅の鋭い視線へと吸い込まれるように魅入ってしまった。
(どうして、私に向けられた眼差しがこんなに憂いを帯びているの?)
涼成は見つめ合う縁雅と和未を暫しの間、黙って眺めていた。
「参りましょう。縁雅様」
縁雅は隊の先頭を和未を抱き上げたまま歩み始める。
和未を抱いたままでも何ら支障のない確かな足取り。
一度、前へと向き直れば、縁雅は行く先だけを見据えていた。
密着した身体に心音を乱しているのは和未だけのように思える。
和未を紅い瞳に映し出す時とは違う、触れるだけで火傷を負いそうな強い眼差し。
(縁雅様はきっとご自身の宿命のことしか頭にない……)
――器としての役目を果たすこと。
和未の言葉が全て届かないことも知っている。
(それがどんなに苦しくて、切ないのかも……)
片足の鳥居の奥にあった石造りの苔むした階段。
それは天まで続くのではないかと思うほど、果てがなかった。
和未を抱きながらも、縁雅はぶれずに一定の間隔で登り続けている。
しかし後方からは荒い息遣いが和未の耳へと飛び込んできていた。
「どこまで続くんだ。この階段……」
「見上げても霧で何も見えない」
兵たちは疲弊し、息切れしている。
隊列が階段を登り始めてから、だいぶ時間は経過していた。
縁雅に自分で歩くと和未は伝えていたが、縁雅には無言で瞳を少し向けられるだけで取り合ってもらえない。
久遠にかけられた和未に“無理させすぎだ“という言葉。
それを縁雅が気にしているのか定かではなかったが、和未の調子を確認されているのかもしれないと和未は思い当たる。
(最初から、私の状態を慮ってくれ続けていたのは縁雅様だった……)
縁雅の優しさを知るたびに胸が苦しくなる。
(いなくならないでほしい……)
和未は縁雅に横抱きにされたまま、感情が溢れ出た顔を見られないように縁雅の胸へと頬を寄せた。
(縁雅様も鼓動が速い……)
一見すると縁雅は何の揺るぎもなく冷然としている。
でも鼓動は確かに和未同様に高まっていた。
――封印の社が近いから……。
そう結論づけて和未は瞼を下ろした。
(縁雅様、一人で終わらせない……)
次に瞼を開いた時、そこには特異な風景が広がっていた。
階段を昇りきったわけではない。
兵たちも急に訪れた”終わり”に辺りを見回している。
開けた境内の奥には古く大きな社があった。
本殿だったのだろう。
屋根は崩れ、柱は傾き、回廊は半ば朽ちている。
それでも形は崩れず、歪んだまま立ち続けていた。
色を失った注連縄に黒く変色した紙垂がわずかに揺れている。
もう夜明けはとっくに到来しているはずなのに、頭上は墨をぶちまけたように黒でしかなかった。
(これは……)
兆視で見続けた縁雅の死の場面と完全に一致している。
「ここが禍津日神の……」
「封印の社か」
すでに息を整えている涼成と玄信が続けざまに言った。
誰もが直感で理解しただろう。
張られている結界は見えないはずなのに、空間そのものにひびが走り、朽ちた本殿の内側から、押されている。
重圧はもはや抑えきれず、黒い瘴気が滲むどころではない。
噴き出し、地を這い、息をするだけで喉が焼ける。
封印が崩れきる寸前で、かろうじて喰いとめている状態だった。
「縁雅様、ありがとうございます。もう私は大丈夫です。下ろしてください」
縁雅に申し出た和未の瞳の色は今までにないほど強かった。
恐怖や悲哀、複雑な感情を全て踏まえた上で現実と対峙しようとする覚悟を決めた眼差し。
縁雅は和未に従う。
和未を下ろした縁雅の動作は力強いのに和未の身体を気遣う労りが感じられる。
和未は両足で大地をしっかりと踏みしめた。
(……ついに……)
到達した禍津日神の封印の社。
社の前、中央に影が浮かぶ。
久遠だった。
『来たか』
久遠はその場に立っているだけで、場の全てを支配しているような迫力があった。
久遠の身体の線は細いのに、封印の社から溢れ出る毒々しい瘴気が加勢しているように思える。
恐らく、ここは妖が一番力を発揮できる場所。
『間もなく禍津日神様が復活の刻を迎えられる……』
「負傷状況の確認。急げ」
「少なからず、久遠には傷を負わせている」
「隊列は保て。すぐに追うぞ」
涼成と玄信が崩れかけた討伐軍を旗振りする。
久遠は奥へと消えただけで何も終わっていない。
むしろ、ここからが本番だと全員が理解して手際よく動いている。
「縁雅様。結城和未は兵に運ばせますか?」
片膝をつき、和未を腕に抱いたままの縁雅へと涼成が声をかける。
苦痛の極点は過ぎたものの、全身の重苦しさは消えない。
和未は限界を悟られないよう、縁雅に委ねていた身体を起こそうとした。
「……大丈夫です。私は自分で歩け……」
「――俺が運ぶ」
縁雅が軽々と和未を横抱きで抱き上げた。
思わず縁雅の首へと和未は両腕を回す。
縁雅の顔が目の前にある。
緋色の瞳から放たれる縁雅の鋭い視線へと吸い込まれるように魅入ってしまった。
(どうして、私に向けられた眼差しがこんなに憂いを帯びているの?)
涼成は見つめ合う縁雅と和未を暫しの間、黙って眺めていた。
「参りましょう。縁雅様」
縁雅は隊の先頭を和未を抱き上げたまま歩み始める。
和未を抱いたままでも何ら支障のない確かな足取り。
一度、前へと向き直れば、縁雅は行く先だけを見据えていた。
密着した身体に心音を乱しているのは和未だけのように思える。
和未を紅い瞳に映し出す時とは違う、触れるだけで火傷を負いそうな強い眼差し。
(縁雅様はきっとご自身の宿命のことしか頭にない……)
――器としての役目を果たすこと。
和未の言葉が全て届かないことも知っている。
(それがどんなに苦しくて、切ないのかも……)
片足の鳥居の奥にあった石造りの苔むした階段。
それは天まで続くのではないかと思うほど、果てがなかった。
和未を抱きながらも、縁雅はぶれずに一定の間隔で登り続けている。
しかし後方からは荒い息遣いが和未の耳へと飛び込んできていた。
「どこまで続くんだ。この階段……」
「見上げても霧で何も見えない」
兵たちは疲弊し、息切れしている。
隊列が階段を登り始めてから、だいぶ時間は経過していた。
縁雅に自分で歩くと和未は伝えていたが、縁雅には無言で瞳を少し向けられるだけで取り合ってもらえない。
久遠にかけられた和未に“無理させすぎだ“という言葉。
それを縁雅が気にしているのか定かではなかったが、和未の調子を確認されているのかもしれないと和未は思い当たる。
(最初から、私の状態を慮ってくれ続けていたのは縁雅様だった……)
縁雅の優しさを知るたびに胸が苦しくなる。
(いなくならないでほしい……)
和未は縁雅に横抱きにされたまま、感情が溢れ出た顔を見られないように縁雅の胸へと頬を寄せた。
(縁雅様も鼓動が速い……)
一見すると縁雅は何の揺るぎもなく冷然としている。
でも鼓動は確かに和未同様に高まっていた。
――封印の社が近いから……。
そう結論づけて和未は瞼を下ろした。
(縁雅様、一人で終わらせない……)
次に瞼を開いた時、そこには特異な風景が広がっていた。
階段を昇りきったわけではない。
兵たちも急に訪れた”終わり”に辺りを見回している。
開けた境内の奥には古く大きな社があった。
本殿だったのだろう。
屋根は崩れ、柱は傾き、回廊は半ば朽ちている。
それでも形は崩れず、歪んだまま立ち続けていた。
色を失った注連縄に黒く変色した紙垂がわずかに揺れている。
もう夜明けはとっくに到来しているはずなのに、頭上は墨をぶちまけたように黒でしかなかった。
(これは……)
兆視で見続けた縁雅の死の場面と完全に一致している。
「ここが禍津日神の……」
「封印の社か」
すでに息を整えている涼成と玄信が続けざまに言った。
誰もが直感で理解しただろう。
張られている結界は見えないはずなのに、空間そのものにひびが走り、朽ちた本殿の内側から、押されている。
重圧はもはや抑えきれず、黒い瘴気が滲むどころではない。
噴き出し、地を這い、息をするだけで喉が焼ける。
封印が崩れきる寸前で、かろうじて喰いとめている状態だった。
「縁雅様、ありがとうございます。もう私は大丈夫です。下ろしてください」
縁雅に申し出た和未の瞳の色は今までにないほど強かった。
恐怖や悲哀、複雑な感情を全て踏まえた上で現実と対峙しようとする覚悟を決めた眼差し。
縁雅は和未に従う。
和未を下ろした縁雅の動作は力強いのに和未の身体を気遣う労りが感じられる。
和未は両足で大地をしっかりと踏みしめた。
(……ついに……)
到達した禍津日神の封印の社。
社の前、中央に影が浮かぶ。
久遠だった。
『来たか』
久遠はその場に立っているだけで、場の全てを支配しているような迫力があった。
久遠の身体の線は細いのに、封印の社から溢れ出る毒々しい瘴気が加勢しているように思える。
恐らく、ここは妖が一番力を発揮できる場所。
『間もなく禍津日神様が復活の刻を迎えられる……』



