孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

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 境界を越えた瞬間、空気が変化を見せた。
 これまでにまとわりついていた重みが消える。
 踏み出した足は、そのままの感覚で地面を捉えた。
 呼吸も音も遅れない。
 その正確さが逃げ道を失わせる。
 曖昧さへと回避する余地がなくなった。
 朝霧の奥に、鳥居の残骸が見える。
 片足を無くし、朽ちた石造りの鳥居。
 奥には果ての見えない階段が薄っすらと認められた。
 そして、いつの間にか和未の背後には境界を越えられた討伐軍の面々が徐々に姿を現してくる。

「ここはどこだ?」
「抜けたのか?」
「ああ、縁雅様がいらっしゃる……」

 どうやら縁雅と和未が最初に到達していたらしい。
 討伐軍の面々は境界を抜けた場所に縁雅の姿を認めると、一様に安堵した顔つきを見せる。
 涼成や玄信、結界巫女6名もやってきた。
 散り散りになっていたのだろう。
 再会できたことを抱き合って喜んでいる結界巫女たち。
 大半は境界を潜り抜けているが、兵の中には越えられなかった者もいるのか、若干人数が減っている。
 それがわかるのか涼成は隊全体を確認して、顔を顰めた。

「隊列を組み直す。いない者は飛ばせ」

 ここからが本番であり、境界を抜けることはただの通過点であると、涼成は素早く指示を出す。
 縁雅を先頭にした隊列が改めて組み直された。

『思ったより通過した人数が多かったな』

 異質な声が混じり、即座に兵たちは構えをとる。
 
『面倒だから、もっと減らしておけば良かった』
 
 朽ちた鳥居に腰かけるように座っている人の形をした者。
 長い髪が風もないのに揺れ、顔立ちは均整が取れすぎていて現実と噛み合わない。
 色彩の淡い狩衣(かりぎぬ)を纏うその姿は、あまりに整いすぎていた。
 美しくも、鑑賞の対象からは本能的に外したくなるような異色の存在感。

「やはりお前が待っていたか……久遠」

 涼成が名を落とす。
 それだけで緊張感が高まる。
 久遠の本体。
 縁雅は緋色の瞳で久遠を睥睨し、片足が一歩前へと出る。
 高い位置から見下ろす久遠は隊列全体に視線を走らせて嫣然と微笑んだ。

「その奥にあるのは禍津日神の封印の社か?」

 玄信も抜刀し構えながら久遠へと問う。

『さあ……。知りたければ自分で確認したらどうだ』

 久遠は指先を空へと、くいっと曲げる。
 それだけで地が噛み合わなくなったように、大きく歪んだ。
 軟体へと変化したように、ぐにゃぐにゃと揺れる。

「うわあああ」
「何だこれは」

 兵が叫びをあげる。

(立っていられない……)

 足元から揺らされ、膝がつきそうになるのを和未は懸命に耐えた。
 縁雅が久遠へと疾風(はやて)のように素早く間を詰め、斬りかかる。
 久遠も何もない空間から刀身のごときもので迎え撃つ。
 ぶつかり合う鈍い音。
 縁雅と久遠は刀を交えながら対峙していた。

『やはり、お前はいいな。――器』
「黙れ」
『お前の父親も器として見事な最期だった……ちっ』

 久遠めがけて兵が下から矢を放つ。
 地が揺れているために、片膝をついた状態で重心を低くして、ぶれを軽減していた。
 涼成の指示で行われている。
 いったん久遠は縁雅と間合いをとった。

『やはり、減らしておくべきだった』

 久遠は唇を尖らせて、息を吹きかける仕草を見せた。
 すると、たちまちに雑妖が多数出現して隊列を囲む。
 地の揺れは静まったものの、一斉に襲いかかってきた。
 一体の力は些末であり、兵が刀を振るえばすぐに塵へと変わる。
 しかし、なにぶん数が多く、久遠の手により続々と際限なく生み出される。
 討伐軍は結界巫女や和未を隊列の奥へと守るように囲んだが応戦に追われ、いたちごっこであった。

「これは、きりがないぞ」
「久遠が操っているからな」

 玄信と涼成も妖を斬り伏せ続けながら会話を交わしていた。
 結界巫女も護符や詠唱で妖を塵へと返す。
 
(私だけが守られる側……)
 
 和未は久遠と縁雅の星のまたたきよりも速い斬り合いへと視線を投げる。
 久遠と互角……もしくはそれ以上に張り合えるのは縁雅しかいない。
 それでも、ここは妖の支配下にある場所。
 縁雅が不利な立場にあるのは明白だった。
 一歩も縁雅は退()かない。
 踏み込みをわずかに浅くし、切っ先の軌道を外す。
 久遠の肉体が腹から裂かれる。
 吃驚した表情を久遠は見せたのは一瞬だった。
 縁雅から距離を取る。
 裂いた部分が、再び結び直された。

『鬼神と呼ばれた人間の中でも、お前の実力は歴代屈指だな』

 久遠からの評価にも縁雅は眉ひとつ動かさない。
 緋色の瞳は久遠だけを鋭く捉え続けている。

『だったら……』

 久遠は縁雅から視線を外す。
 意図的に和未へと。
 その角度を縁雅は見逃さなかった。

『そこか』