孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 縁雅は沈黙を保っていた。
 やがて静かに口を開く。 

「――妖に踏み込む位置を、一度だけ故意に変えた」
「それは……」

 和未は言葉を続けようとして途中で止める。
 
(当時から私の兆視を縁雅様だけは重んじてくださっていたからだと……自惚れみたいに聞かれてしまうかもしれない……)

 和未は動揺を悟られないように、静かに息を吐く。
 真剣な和未の眼差しを縁雅は逸らすことなく受け止め続けていた。
 
「……縁雅様、前にも告げましたが、私は縁雅様が死ぬ未来を見ています……」

 そう告げながら、あの場面が頭に過ぎって、痛いほど胸が締め付けられる。

「ずっと不思議でした……。どうして、縁雅様は自らの胸を刃で貫いたのかを……」

 無意識のうちに和未の指先に力がこもる。

「縁雅様が器として禍津日神の次の封印をするため……だったんですね」

 気持ちを抑えようとしても、和未の声は揺れた。
 まだ起こっていないことなのに、縁雅は理解している。
 ――自らの宿命を。
 
(私の兆視がどのような局面を迎えているのかを……)

「それが俺の役割だ」

 静かに縁雅に告げられる。
 ただ、ただ冷厳に。
 まるで息をするかのごとく、自然のことのように。

「私は認めたくありません」

 はっきりと和未は言い切る。
 儚くも意志の強い眼差しで。

「どうして、縁雅様が犠牲になって背負わなければならないのですか? そんなのおかしいです……」

 目許が熱くてたまらなかった。
 けれど縁雅の前で泣くわけにはいかないと、和未は下唇を噛んでいた。
 
「――俺が器だからだ」
「だからと言って……」
「避けられない」

 縁雅は無表情のまま自身の左胸に手を置く。
 その手の下には器の証である紋が刻まれていることは和未も知っている。
 縁雅は感情を表に出さない人だと和未は思っていた。
 悲観も楽観もしない。
 事実を事実として置き、そのうえで必要な分だけ判断をくだす。
 自らの宿命でさえも受け入れる。
 その縁雅の冷静さも寡黙さも今の和未にはもどかしかった。

「探せば、封印を維持できる何か別の方法があるかもしれません」
「――ない」
「でも……」
「――禍津日神を復活させるわけにはいかない」

 縁雅の緋色の瞳に深さが増したように思えた。
 和未にもわかっている。
 禍津日神が完全に復活してしまえば、今度は封印できるかわからない。
 瑞國が滅ぼされるかもしれない。
 個人ではなく国家の危機。
 それでも縁雅の生命を引き換えにすることに和未は納得ができなかった。

「縁雅様がその身を以って封印したとしても、綻べば、また次の器になった人物が禍津日神の封印のために犠牲になります……。これでは永遠に終わりません」
「代々そうしてきた。――それが、我が一族の定めだ」

 縁雅の答えに揺るぎはない。
 表情も姿勢も変わらない。
 縁雅の美しい顔立ちから感情を読み取ることは難しい。
 和未の言葉を縁雅は受け止めはしているものの響いていないように思えた。
 
「未来は変えられます……。私は討伐軍に同行して、それを実際に見てきました。だから別のやり方を探して……」
「――俺は器としての役目を果たすだけだ。例外はない」

 縁雅の堅固な意志は不動だった。
 全てを諦観している。
 和未が何をどう言っても無駄なことのように感じた。
 
(もどかしいし悔しい……。ただ……)

「……私は縁雅様に……」

 ――いなくならないでほしくて……。 
 その想いを声に変えることはできなかった。
 伝えることが出来ないかわりに、涙が溢れそうになって和未は隠すように下を向く。
 
(何も言ってくれない……)

 二人の間に続く静寂(しじま)が縁雅の返答だと和未には思えた。
 涙を袖で拭い、上げた視線を真っ直ぐに縁雅へとぶつける。

「……私は縁雅様のご判断に賛成できません」

 縁雅は和未の視線と言葉を受け止めた。
 わずかに縁雅の片目が細められる。
 でも、和未の瞳から逸らすことはしなかった。

「――そうか」

 淡々と、たった一言、そう縁雅に返されただけ。
 それが結論で、和未と縁雅は平行線のまま交わることはない。
 和未は覚悟していた。
 けれど、実際に確定されると、胸の奥へと重く沈む。

「――ここを抜ける」
「……はい」

 前へと進む縁雅の背を和未は追いかける。
 先ほどまでの隣に近い位置ではなく、明確に縁雅の後ろへ立つ場所で。
 縁雅から遠ざからないように、でも近づきすぎないように。
 手を伸ばせば届く距離。
 けれど、縁雅と和未の考えは相容れることはないのだと。

(縁雅様が望まなかったとしても、この先に待っている死の未来を変える……兆視と同じにはさせない)

 言葉にしなくても、和未の思考ははっきりしている。
 そのために、自分が何をすればいいかはわからなくても、和未のやるべきことの方向に迷いはなかった。