孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 大型の妖が2体、跋扈(ばっこ)している。
 隊列の横手から回り込み、手を振り回すだけで何人も兵が吹き飛んだ。
 炎が更に上がり、そこに血が飛び、泥に混じる。
 無作為に兵を掴み、喰らう。
 長い爪で兵を突き刺して、内臓を引き摺り出す。
 まるで人間を遊び道具にしているようだった。
 血なまぐさい阿鼻(あび)地獄。

(ひどい……)

 和未は思わず目を背けていた。
 見ているだけで息苦しく、身体が重い。
 討伐軍は壊れていた。
 勝ち負け以前に、戦そのものが崩壊している。
 まさに破滅の光景。
 冒頭、兆視で見た場面と繋がっていく。
 泥水を啜っていた兵は、地べたへと這いつくばった。
 今まさに命が尽きようかという場面。
 すでに目は(うつ)ろだった……。

「……あれは……」

 兵が掠れた声で呟いた。
 よく見ると瞳に光が戻っている。
 和未も彼の視線の先へと目線を向けた。
 炎の向こう側に、一人の影が立っている。
 黒い装束。
 顔は見えなくても、その揺るぎのない不動の立ち姿には見覚えがあった。

「……縁雅様……」

 そう言った兵の声は震えていた。

「ここは冥界か……。今、縁雅様は別の戦地にいるはずだ……」

 兵は地面に頬を付けたまま、涙を流し始める。
 それほどまでに兵にとって縁雅がここにいることは(にわ)かに信じ難い出来事だった。

(違う……)

 ここは冥界ではない。
 そして、あれは縁雅に違いなかった。
 縁雅が動く。
 一瞬のうちに妖の一体の傍へと距離を詰め、頭上から刀を振り下ろす。
 断末魔すら上がらない鋭い一閃。
 妖が塵となって風に消えていく。
 一人の男の出現だけで壊滅状態だった戦地が息を吹き返していく。
 炎が消えるわけではない。
 命を落とした兵が立ち上がるわけでも、流れた血がなかったことになるわけでもない。
 それでも、はっきりと風の吹く方向が変わる。
 倒れていた兵も痙攣しながら残った力を振り絞るように立ち上がった。
 隊列が立て直される。
 乱れていた指揮が戻る。
 絶望しかなかった状況に、今まさに別の結末が生まれようとしていた。
 討伐軍はもう一体の妖へと挑んでいく。
 和未は息を呑んだ。

(……兆視を外していたわけではない)
 
 和未が見ていたものは全部、実際に起こっていたことだった。
 壊滅状態だった討伐軍の姿。
 敗北寸前の光景、それを和未は兆視で見て、巫女頭の幹子に報告している。
 そして、”嘘つき巫女”だと呼ばれるようになった。
 ただ違ったのは――縁雅の存在。 
 和未が見たのは「勝敗」ではなく、戦の途中の壊滅しかけた討伐軍の様子。
 それは現実に起こっていた。
 ただ、そこから先は縁雅一人の存在が戦況を覆したのだと。
 
「――和未」

 意識が浮上していくと同時に視界に映る縁雅の冴えた美貌。
 緋色の瞳が和未を映し込んでいる。
 長い間、精神世界を漂っていたように和未には思えたが、実際にはほんのわずかな時間、立ち止まっていただけに過ぎなかった。
 
「……縁雅様……」

 周囲はどこまでも光がなかった。
 縁雅以外の姿は見えない。
 涼成も、玄信も、他の兵も、結界巫女たちも。
 まだ境界を越えていないのだと和未は悟った。

「――あと少しで抜ける」

 和未の心中を読んだかのように低く呟き、和未の肩を支えていた縁雅は背を向けた。
 
「待ってください!」

 足を止め、目線だけで縁雅は振り返る。
 和未と縁雅の視線が交錯した。
 和未が余りにも憂いに満ちた――それでいて光の宿る眼差しを向けていたからか、縁雅は双眸を僅かに瞠る。

「……私は今、自分が知るはずのない過去を見てきたように思います……」

 縁雅は何も答えない。
 それでも縁雅が聞いてくれていることはわかり、和未は続けた。

「3年前、私は討伐軍の戦の未来を見ました。犠牲が多く出て危険だとお伝えしたつもりが、討伐軍が大敗すると届いておりました……」

 縁雅にも和未が何を語っているのかわかっているのだろう。
 それでも口を挟まず、耳を傾け続けていた。
 
「結果は勝利しまして、私は兆視を外して討伐軍と巫女庁を攪乱(かくらん)させたとして、”嘘つき巫女”と呼ばれるようになりました……」

 胸の奥に蘇る。
 和未に向けられた嘲笑や揶揄、胸を裂くような苦痛。
 何より自分の言葉が届かなくなることで、誰のことも救えなくなる歯痒さ。

「でも、違ったんです。外れていたわけではなくて、途中まで全部、私が見た通りに実際に起こっていました」
 
 和未が話を切ると、沈黙が縁雅との間に横たわる。
 境界の歪みが遠くで微かに揺れていた。

「壊滅しかけていたのを、縁雅様の存在が変えたのです……」

 縁雅の眉がほんの少し寄せられる。
 和未は一歩だけ縁雅に歩み寄り、距離が縮まった。
 
「縁雅様がお一人で戦況を覆したのだと……」