縁雅に守られているだけでも、背中を追いかけているだけでもなく、和未は初めてそう思った。
その時、和未の視界が揺れる。
現実とは違う景色が映し出された。
それは何度も見てきた縁雅の死の場面。
燃え盛る炎。
伏せる兵。
黒い瘴気の蠢き。
彩りが失われた黒と赤の凄惨な世界。
(縁雅様に待っている死の未来を変える……)
その強い想いで、どんなに辛くても和未の足は前へ出続けた。
(空気が薄い……)
同じ森であるはずなのに、奥に進むたびに淀みが強くなる。
呼吸が整わない。
夜明け――夜と朝の境界が近いのだろう。
「何か"いる”気がするよな」
後方で兵がひとり言のように発言する。
同様に和未も感じていた。
恐らく、この場にいる誰もが。
「惑わされるな」
涼成が伝える。
「何があっても足を止めるな。呑まれるぞ」
明瞭な指示だけ。
それだけで隊は崩れない。
けれども、取り巻く干渉は濃くなっている。
「きゃっ!」
結界巫女の一人が手にしていた護符が焼け落ちた。
燃え広がることもなく、静かに消える。
それでも誰もが進み続けた。
結界巫女も動揺したのは少しの間だけですぐに立て直して詠唱を再開する。
(何があっても止まらない……)
和未も涼成の指示を守る。
すると、視界の輪郭がぶれた。
(見える……のではなくて……)
見えてしまっている。
何かがいると、すでに認識してしまっていた。
久遠の科白が思い出される。
『あの女、欲しいな……』
和未の指先が震えた。
その手を不意に掴まれる。
(縁雅様……)
和未に痛みを与える強いものではないのに、逃さない力。
縁雅は和未へと振り返らない。
何も言わない。
正面を向いたまま、手だけで和未を制す。
そして半歩、縁雅の内側へと引き寄せられた。
和未を守るための距離。
けれど、完全に自分の後ろへは下げなかった。
縁雅の隣に近い場所へと和未自身が選んだ位置を尊重するかのように。
(……繋がれた手が温かい……)
縁雅と繋がれたままの手。
和未からは振り解かないし、縁雅も離そうとしない。
隊の呼吸は揃っている。
けれども、重みを持ち始める外気。
気配が消えては生まれる。
膨らみ、重なり、広がっては、萎む。
肌にまとわりついてくるような不快感。
その時、前方の闇が、はっきりと割れた。
黒でも、影でもない欠落。
空間に出来た何も見えない、極端に深い穴。
まるで手招きでもされているようだった。
隊の足が止まりかける。
「――このまま行く」
縁雅の低い声が厳かに響く。
「御意」
「承知いたしました」
「はい」
玄信、涼成、そして兵たちが一斉に呼応する。
これが”境界”。
一度足を踏み入れれば、光でさえ脱出不可能に感じられるほどの深く、暗い、底の知れない世界。
それでも誰もが足を止めなかった。
縁雅から境界へと入っていく。
和未も手を引かれたまま続けて踏み込む。
けれど、足の裏が地面に届かない。
届くまでに間がある。
音も遅れて鼓膜を揺らす。
木々の位置も噛み合っていない。
見えるものが全て二重に見える。
全ての感覚が平常ではなかった。
(……何を信用したらいいのかわからない……)
和未が足を止めかけた時、握られた手の力が強くなる。
「――止まるな」
縁雅の鋭い声。
止まる余地も怯む隙も与えない強さ。
和未は歯を食いしばり、重力さえ狂っている世界で縁雅だけを頼りに足を繰り出す。
一歩、一歩と。
「目で追うと崩れる。足で覚えろ」
涼成の声すら間延びして届く。
後方の兵たちの足並みは揃わない。
実際に揃っていないのかも曖昧だ。
聴覚も偏っていて、信用していいのかすらあやしい。
「――崩すな」
縁雅の声だけが通常と同様に届く。
この空間の中で唯一、位置が固定されている。
不動の存在。
それは和未だけに限らず、兵たちも縁雅を基軸にすることで自分の位置を確認している。
『来たか』
久遠の声がした。
脳へと直接、浸透してくるような声。
(……見られている)
久遠の姿も形も見えないのに、その感覚だけは明瞭だ。
『やはり”強い”な』
誰をとも指していないのに、和未は自分のことを言われているのだと悟る。
極寒に放り出されたような寒気が全身をくまなく巡った。
(怖い……)
目を閉じたところで、この狂った平衡感覚の空間では何の意味もなさない。
「――黙ってろ」
縁雅の低く鋭い声。
それだけで気配が引いた。
消えたのではなく、距離が開かれていく。
和未は息が吸えた。
思ったよりも自分の胸元は強く上下している。
「離れるな」
一度も振り返らない縁雅の声だけが確かに和未の耳に届く。
縁雅と繋がれ続けている手は互いの体温がすでに溶け合っている。
五感が頼りにならない正常で無くなった世界で縁雅だけを信じて前へと進んだ。
「散らばってるぞ!」
その時、和未の視界が揺れる。
現実とは違う景色が映し出された。
それは何度も見てきた縁雅の死の場面。
燃え盛る炎。
伏せる兵。
黒い瘴気の蠢き。
彩りが失われた黒と赤の凄惨な世界。
(縁雅様に待っている死の未来を変える……)
その強い想いで、どんなに辛くても和未の足は前へ出続けた。
(空気が薄い……)
同じ森であるはずなのに、奥に進むたびに淀みが強くなる。
呼吸が整わない。
夜明け――夜と朝の境界が近いのだろう。
「何か"いる”気がするよな」
後方で兵がひとり言のように発言する。
同様に和未も感じていた。
恐らく、この場にいる誰もが。
「惑わされるな」
涼成が伝える。
「何があっても足を止めるな。呑まれるぞ」
明瞭な指示だけ。
それだけで隊は崩れない。
けれども、取り巻く干渉は濃くなっている。
「きゃっ!」
結界巫女の一人が手にしていた護符が焼け落ちた。
燃え広がることもなく、静かに消える。
それでも誰もが進み続けた。
結界巫女も動揺したのは少しの間だけですぐに立て直して詠唱を再開する。
(何があっても止まらない……)
和未も涼成の指示を守る。
すると、視界の輪郭がぶれた。
(見える……のではなくて……)
見えてしまっている。
何かがいると、すでに認識してしまっていた。
久遠の科白が思い出される。
『あの女、欲しいな……』
和未の指先が震えた。
その手を不意に掴まれる。
(縁雅様……)
和未に痛みを与える強いものではないのに、逃さない力。
縁雅は和未へと振り返らない。
何も言わない。
正面を向いたまま、手だけで和未を制す。
そして半歩、縁雅の内側へと引き寄せられた。
和未を守るための距離。
けれど、完全に自分の後ろへは下げなかった。
縁雅の隣に近い場所へと和未自身が選んだ位置を尊重するかのように。
(……繋がれた手が温かい……)
縁雅と繋がれたままの手。
和未からは振り解かないし、縁雅も離そうとしない。
隊の呼吸は揃っている。
けれども、重みを持ち始める外気。
気配が消えては生まれる。
膨らみ、重なり、広がっては、萎む。
肌にまとわりついてくるような不快感。
その時、前方の闇が、はっきりと割れた。
黒でも、影でもない欠落。
空間に出来た何も見えない、極端に深い穴。
まるで手招きでもされているようだった。
隊の足が止まりかける。
「――このまま行く」
縁雅の低い声が厳かに響く。
「御意」
「承知いたしました」
「はい」
玄信、涼成、そして兵たちが一斉に呼応する。
これが”境界”。
一度足を踏み入れれば、光でさえ脱出不可能に感じられるほどの深く、暗い、底の知れない世界。
それでも誰もが足を止めなかった。
縁雅から境界へと入っていく。
和未も手を引かれたまま続けて踏み込む。
けれど、足の裏が地面に届かない。
届くまでに間がある。
音も遅れて鼓膜を揺らす。
木々の位置も噛み合っていない。
見えるものが全て二重に見える。
全ての感覚が平常ではなかった。
(……何を信用したらいいのかわからない……)
和未が足を止めかけた時、握られた手の力が強くなる。
「――止まるな」
縁雅の鋭い声。
止まる余地も怯む隙も与えない強さ。
和未は歯を食いしばり、重力さえ狂っている世界で縁雅だけを頼りに足を繰り出す。
一歩、一歩と。
「目で追うと崩れる。足で覚えろ」
涼成の声すら間延びして届く。
後方の兵たちの足並みは揃わない。
実際に揃っていないのかも曖昧だ。
聴覚も偏っていて、信用していいのかすらあやしい。
「――崩すな」
縁雅の声だけが通常と同様に届く。
この空間の中で唯一、位置が固定されている。
不動の存在。
それは和未だけに限らず、兵たちも縁雅を基軸にすることで自分の位置を確認している。
『来たか』
久遠の声がした。
脳へと直接、浸透してくるような声。
(……見られている)
久遠の姿も形も見えないのに、その感覚だけは明瞭だ。
『やはり”強い”な』
誰をとも指していないのに、和未は自分のことを言われているのだと悟る。
極寒に放り出されたような寒気が全身をくまなく巡った。
(怖い……)
目を閉じたところで、この狂った平衡感覚の空間では何の意味もなさない。
「――黙ってろ」
縁雅の低く鋭い声。
それだけで気配が引いた。
消えたのではなく、距離が開かれていく。
和未は息が吸えた。
思ったよりも自分の胸元は強く上下している。
「離れるな」
一度も振り返らない縁雅の声だけが確かに和未の耳に届く。
縁雅と繋がれ続けている手は互いの体温がすでに溶け合っている。
五感が頼りにならない正常で無くなった世界で縁雅だけを信じて前へと進んだ。
「散らばってるぞ!」



