孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 久遠は人間を(あざけ)っていた。
 対峙している相手ではなく、自分は上にいる側だと。
 強者の余裕が感じられた。
 久遠の視線が兵たちの隊列をなぞっていく。
 正面から左右、配置された結界巫女たち。
 そして――和未へと。
 和未だけに久遠から特別な視線を向けられていることは嫌でもわかってしまった。

「――和未」

 縁雅が和未の傍へと戻る。
 尖った視線を久遠から外さないまま和未に告げた。

「……縁雅様」
「――あれを見るな」

 縁雅に命じられ、和未は唇を引き結んだまま頷いた。
 次に目を合わせれば視線に呑まれる。
 
(……怖い……)

 久遠が和未をどう見ているのかもそうだったが、この場で役に立たなければという焦りにも襲われる。
 今まで対峙した妖たちも脅威だった。
 それらと久遠は格が違う。
 一段も二段も、それよりもっと上位の妖だと本能に教え込まされるような難敵。
 和未は久遠の顔を見ないように位置だけを追った。
 久遠が浮かんでいる場所ではなく、影が重なっている中心へと。

(兆視と似ている……)

 視界の奥、その先の一点を探る。
 視力では捉えられない久遠の核を”見る”ために。
 
(ぶれた……)

 久遠の輪郭が曖昧になったと思った次の瞬間には左側の兵の間に出没した。
 近い。
 速い。
 久遠は一人の兵へと手を伸ばす。
 明確な殺意をもって。
 兵は反応しきれない。
 
「っ!?」

 久遠が兵に触れようとした瞬間、縁雅が間に入る。
 素早く重い黒刀からの一撃。
 久遠は手から出没させた黒い影を刀のような形に変えて迎え撃つ。
 金属のぶつかりあう音の代わりに、低く鈍い音がした。
 刃と刃のぶつかりあう音ではなく、二種の異なる位相が弾け合う噛み合わない響き。
 よく見れば、縁雅に命を救われたのは先ほど和未に話しかけてきた若き兵。
 兵は恐怖に目を見開いていたが、足は退いていなかった。
 命の危機に瀕しても場を崩さないのは討伐軍の一員としてさすがである。 
 縁雅の一閃を躱した久遠は若き兵に視線を向けた。
 縁雅や和未に向けるものとは違う。
 軽く、自分にとって取るに足らないと断じる一瞥。
 その僅かな差を和未は見ていた。

(どうして、この久遠という妖は私を……)

 久遠にとって意味のあるものとないもの、線引きがはっきりしている。
 討伐軍を崩そうとしながらも、久遠が本気で狙っているのは――縁雅と和未だった。

「右です!」

 和未は反射的に声を飛ばす。
 一拍遅れて、久遠の輪郭が右側にずれた。
 久遠の目が驚愕に見開かれる。
 自分の動きが和未に先読みされていたことへの驚き。
 縁雅は和未の声に応じて、すでに動いている。
 縁雅の一太刀で久遠の右肩から胸にかけて身体が引き裂かれた。
 しかし血は流れない。
 裂けた皮膚の向こうに、何もない闇が覗く。
 やはり人ではない。
 そして、実体でもない。
 核が探せない。
 そもそも、ないのかもしれない。
 久遠の口許が上を向いた三日月のようににんまりと笑った。

『興味深い……。あの女、欲しいな……』

 はっきりと久遠は和未だけを見ていた。
 ――見抜かれた。
 何をと聞かれても困るが、何かが久遠に露呈してしまった感覚に和未の背筋が凍る。
 縁雅が一歩前へと出た。
 明確に自身の後ろへと和未を隠す。
 先ほどまでの討伐軍隊の配置ではない。
 縁雅個人として和未を庇うように。
 和未にも、その違いは疑いようがなかった。
 こんな窮地で、気づいている場合ではないのに、否が応でも和未は頬を染めてしまっていた。
 久遠も和未と同じことに気がついたらしい。
 縁雅に裂かれた右半身はすっかり再生していた。

『なるほど……。そういうことか……』

 久遠から零された台詞に縁雅の気配が変わる。
 冷静なまま、温度が急低下する。
 怒りと呼ぶほどの露骨さはない。
 けれど、何かが縁雅の琴線に触れたことは確かだった。

「涼成」
「はっ、縁雅様」

 縁雅は涼成を呼ぶ。
 涼成が縁雅へと耳を傾ける。

「――下げろ。俺がやる」

 涼成は敏活に縁雅の意を汲んだ。

「第二列、半歩後退せよ。結城和未と結界巫女を後方へ」

 たちまちに兵が動く。
 結界巫女が二人、和未を挟むように両隣につく。
 若い兵も位置を詰める。
 討伐軍全体を遣って和未は守られる位置だった。

『ほう。そうまでして守りたいか……』
「――黙ってろ」

 久遠が姿を消す。
 次の瞬間には全く別の場所にいる。
 追えば追うほど久遠はずれていく。
 普通の人間なら平衡感覚を狂わされる。
 それでも縁雅だけは久遠を追えていた。
 追っているのではなく、先回りして久遠の動きの選択肢を無くしていく。
 隊列に――和未に近づけないように。
 縁雅と久遠の刃同士が交わる。
 流星のごとき、動体視力で追いきれない速さで重い斬撃が何度もぶつかり合った。
 誰もが縁雅の久遠の攻防に固唾を呑んで見守っていることしか出来ずにいる。

『――本気を出せ。お前はそんなものじゃないだろう』