孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

(兆視……)

 視界の端が今、映している世界と別の何かを捉える。 
 和未は反射的に顔を上げた。
 何もいない。
 でも、和未は確かに見たのだった。
 見たのにいないということは兆視で少し先の未来を見たのだと。

「……来る……」

 ひとりごとのように和未が口にした次の瞬間には周囲の空間が歪んだ。
 弾けるように、影が現れる。
 異形の妖が一気に三体、隊列を囲むように出没した。

「敵影確認! 警戒態勢に入れ!」

 涼成が全軍へと怒鳴るように伝令する。

「ぎゃあああ!!」

 一体の妖の傍にいた兵が運悪く奇襲にあい、瞬く間に頭が胴から切り離され地へと転がった。
 一方では、和未の動体視力が追いつけないほどの素早さで、縁雅が黒刀を薙ぎ一体の妖を消滅させる。
 残り二体。
 けれども一体は闇に乗じるように忽然と姿を消す。
 一人の兵を殺めた、もう一体の妖も風へと溶けるように消えた。

「この強さ……、中位以上だな」
「警戒維持! どこから出てもおかしくないぞ!」

 玄信は腰を落として刀を構え、涼成は兵全体に号令をかける。
 濁った夜陰に乗じ、いつ、どこから出没するのか全く読めない。
 結界巫女によって結界が空間に張られていても、動いている隊列の周りの地中にまで根を張り巡らすことは不可能である。
 死に直面した緊張が極限まで高められていく。
 その時、不意に和未の視界がぶれる。

「玄信殿! 後ろです!」
「……おっと」

 和未が反射的に叫ぶと弾かれたように除けながら、玄信が背後へと刀を振るう。
 妖の腕が一本飛ぶ。
 地に落ちることはなく、そのまま黒い(ちり)となって消えた。

「やっぱり先が見えてるんだな。あいつら気配が全くなくて読めなかった。嬢ちゃん、礼を言う」
「……いえ」

 玄信が緊張を保持しながら、和未に告げる。
 陣を維持しながら、全員が緊張を緩めない。
 緩められなかった。
 事実、玄信が言う通り妖は気配がない。
 妖の死と違い、人間の死は遺る。
 先ほどの奇襲で妖に殺められた同胞の転がった首。
 錆びた鉄のような血臭。
 次は自分かと忍び寄る死の影に怯むことなく兵たちは構えている。
 そんな中、縁雅は黒刀を片手に目を閉じていた。
 視界を遮ることで感覚を研ぎ澄ませているのだと和未にもわかる。
 和未も同様に瞼で視界を遮った。

「左、来ます!」

 和未が声を張る。
 和未の声と己の感覚だけを頼りにし、縁雅は紅い瞳を瞼で閉ざしたまま、身体の角度を変えた。
 妖が一体、斬られ役を演じにでも出てきたように振るった縁雅の黒刀に沈む。
 腕を一本、玄信の手によって損傷した妖の命は尽きて、再生せずに消えて亡くなった。
 地面から煙のごとく出現した最後のもう一体が跳ねるように縁雅から距離をとる。
 本能なのか逃げようと試みるものの逃げきれていない。
 縁雅は追わなかった。
 代わりに一歩だけ、足を踏み込む。
 それだけで妖の動きがぴたりと静止した。
 まるで縁雅に命じられでもしたかのように。
 縁雅は誰の目でも捉えられぬ速さで刀を振るうと、妖は一太刀(ひとたち)で消された。

「――討伐、完了……」

 涼成が全体に声をかける。
 誰もすぐには動かない。
 危殆(きたい)に瀕していただけに、息継ぎをするようにあちこちから呼吸を整える音が聞こえてきた。
 涼成と玄信を中心に周囲を確認している。
 頭と胴が切り離された兵の亡骸。
 ここから連れて行くのは不可能なのだろう。
 せめてもの弔いなのか元のように寝かせると、兵たちが周囲の落ち葉で遺体を隠している。
 和未もまだ指先が震えている手で命を落とした兵に向かって合掌した。
 すると横から視線を感じる。
 頭を上げたと同時に目線を遣った。
 若い兵の男が、何の遠慮もない熱い視線で自分を見ている。
 外見だけで判断すると、自分と同程度の年の頃かと和未は思った。

「本当にあんたの言うとおりになるな。すごい」
「……え……?」

 身体は武骨なのに、瞳は少年のように輝かせて若い兵は和未に告げる。

「少しも嘘つき巫女じゃない。本物だ」

 和未は黙ってしまう。
 どう若い男の兵に返事をしていいのかがわからなかった。
 こうして涼成や玄信以外の兵に和未が直接話しかけられることはなかったし、純粋に兆視を褒められたのは幼い時以来だった。
 次の瞬間、和未の背筋に冷たいものが駆け上る。
 和未の視界の奥で、黒い影が形を持った。
 今の異形の妖とは違う。
 形が定まり、意思がある。
 人の輪郭をしているのに明らかに人ではない。
 和未を見ていた。
 穴があくほどに。

「――和未」

 気づいた時には縁雅の手に腕を支えられていた。
 自分が足元から崩れ落ちそうになっていたのだと、和未は遅れて認識する。
 和未に話しかけた若い兵は先ほどよりも瞳を煌めかせて縁雅を観察していた。

「……縁雅様、ありが……」
「来てるな」

 和未のお礼は縁雅の低い声色で遮られる。
 ある一つの空間を紅い瞳で睥睨(へいげい)していた。
 和未も同じ場所へと目を向ける。