「――立てるか?」
縁雅の硬質な声色が普段よりも和らいでいる。
「……はい……」
和未は我に返って、両足を踏みしめる。
和未に力が戻ったのがわかると、ゆっくりと縁雅の手が和未から離れた。
それでも完全には距離を取らない。
半歩分だけで、和未が崩れた時にはいつでも手を伸ばして支えられる距離にいた。
(この拍動を静めなければ……)
近すぎるほどに迫った縁雅との距離。
筋肉質な縁雅の身体に身を寄せた感覚。
意識から遠ざけなければと思えば思うほど、和未の白い柔肌は紅く染められていく。
(今は縁雅様を意識しすぎている場合じゃない……)
騒がしくなった心臓をなだめるように和未は一度深く呼吸した。
「……見られた気がしました……」
「見られた?」
「”向こう”に私を認識されたような……」
「……」
縁雅は訝しげに眉を顰める。
(縁雅様は私の言葉を受け止めてくれる。それも全て……。言葉だけじゃなく、私の顔色の悪さに気づいてくれて、崩れそうになれば支えてくれる)
微動程度の動きでも、縁雅が和未に反応を示してくれていることで心が満ち足りていく。
「縁雅様」
涼成はやや決まりが悪そうな表情で縁雅と和未へと歩みを進めてきた。
「外の動きは?」
「拡散傾向ですが、こちらに侵入はできていません」
涼成が縁雅へと報告する。
そこへ玄信も合流した。
「今は押し返している。ただ、このままだと結界は削られていく。結界巫女さんの人数が増えたにも関わらずだ」
玄信は森の奥を苦々しげに眺めながら縁雅へと知らせた。
誰しもが緊張を維持している。
いつ崩れてもおかしくない均衡。
それが今の夜営地の――ひいては森全体の状態だった。
和未も深い森の先へと視線を向ける。
木々の隙間で、何もないはずの空間が少しばかり歪んでいた。
光の通り方や色の重なりが、ほんの少しずれている。
違和感が波のように揺れていた。
押しては引き、一定ではない動きを繰り返す。
何らかの意思が空間に生まれているかのように。
足元から這い上がってくる不安感に和未は呑まれそうだった。
「結城和未」
涼成から名前を呼ばれ、反射的に顔を向ける。
「今、お前が見ていたものを教えてくれ」
涼成が和未の兆視を欲している。
あれほどまでに和未に対して懐疑的だった涼成がだ。
涼成は討伐軍の副官として、実務統括する責任の伴う重い立場。
感情よりも合理を優先とし、いつ何時たるも現場主義として判断を誤るわけにはいかない。
和未と顔を合わせた際に”嘘つき巫女”の兆視を信憑の低いものだと一蹴したのも無理からぬ話だった。
「同じです……先ほど地図上で伝えた建物のある場所と……」
「やはり、そこが源である可能性は高いな」
玄信も緊張感を維持したまま告げる。
表面上は友好的だった玄信も和未の兆視を信頼できると判断しているような口ぶりだった。
「もう時間の問題だろう」
涼成が続けた。
「このままなら、結界は削られる」
「保てるか?」
「……もう長期は無理だろう」
玄信と涼成が神妙な面持ちで言葉を交わす。
もう選択肢は絞られてきていた。
耐久か、源を断ち切るか。
耐久を選択したとして、森の中だけで留められる規模ではないのは明白だった。
あの歪みに帝都だけでなく、瑞國中が浸食されていく。
一時凌ぎでは意味をなさない。
押し返すだけでは終わらない。
引き延ばしにしか過ぎなくなる。
そうならば選択肢は一つしかなかった。
元を断つしかないと。
「――行くぞ」
縁雅の声が空間を裂く。
迷いのない決断。
恐らく誰の頭にも道筋は出来ていたはずだ。
「承知いたしました」
「御意」
涼成と玄信が揃って答えた。
「準備をすぐに整えよ」
涼成が告げる前に兵たちは配置を変え始めていた。
強度を一段上げるための調整。
持ち場の再編成を誰も声を上げずに機敏に動く。
全員が理解しているのだ。
次は防ぐための戦いではない。
挑むための戦いで、それが命を賭すほどの危険を伴うと。
(この先に……”終わり”が待っている……)
和未の胸に去来する不安は予感ではなく、確信だった。
縁雅に視線を向ける。
――気高き孤高の鬼神。
縁雅に感じていた遠ざかった距離が再び縮まったように思える。
縁雅だけは、いつ何時たりともぶれずに和未を信じてくれていた。
声をかけなくても、確認しあわなくても、目線の高さが違っていても、同じ方向を縁雅が見ていることは確かだと和未は感じていた。
(縁雅様に待っている未来……)
絶対に止めたいと以前よりも遥かに強く和未は決意していた。
縁雅の硬質な声色が普段よりも和らいでいる。
「……はい……」
和未は我に返って、両足を踏みしめる。
和未に力が戻ったのがわかると、ゆっくりと縁雅の手が和未から離れた。
それでも完全には距離を取らない。
半歩分だけで、和未が崩れた時にはいつでも手を伸ばして支えられる距離にいた。
(この拍動を静めなければ……)
近すぎるほどに迫った縁雅との距離。
筋肉質な縁雅の身体に身を寄せた感覚。
意識から遠ざけなければと思えば思うほど、和未の白い柔肌は紅く染められていく。
(今は縁雅様を意識しすぎている場合じゃない……)
騒がしくなった心臓をなだめるように和未は一度深く呼吸した。
「……見られた気がしました……」
「見られた?」
「”向こう”に私を認識されたような……」
「……」
縁雅は訝しげに眉を顰める。
(縁雅様は私の言葉を受け止めてくれる。それも全て……。言葉だけじゃなく、私の顔色の悪さに気づいてくれて、崩れそうになれば支えてくれる)
微動程度の動きでも、縁雅が和未に反応を示してくれていることで心が満ち足りていく。
「縁雅様」
涼成はやや決まりが悪そうな表情で縁雅と和未へと歩みを進めてきた。
「外の動きは?」
「拡散傾向ですが、こちらに侵入はできていません」
涼成が縁雅へと報告する。
そこへ玄信も合流した。
「今は押し返している。ただ、このままだと結界は削られていく。結界巫女さんの人数が増えたにも関わらずだ」
玄信は森の奥を苦々しげに眺めながら縁雅へと知らせた。
誰しもが緊張を維持している。
いつ崩れてもおかしくない均衡。
それが今の夜営地の――ひいては森全体の状態だった。
和未も深い森の先へと視線を向ける。
木々の隙間で、何もないはずの空間が少しばかり歪んでいた。
光の通り方や色の重なりが、ほんの少しずれている。
違和感が波のように揺れていた。
押しては引き、一定ではない動きを繰り返す。
何らかの意思が空間に生まれているかのように。
足元から這い上がってくる不安感に和未は呑まれそうだった。
「結城和未」
涼成から名前を呼ばれ、反射的に顔を向ける。
「今、お前が見ていたものを教えてくれ」
涼成が和未の兆視を欲している。
あれほどまでに和未に対して懐疑的だった涼成がだ。
涼成は討伐軍の副官として、実務統括する責任の伴う重い立場。
感情よりも合理を優先とし、いつ何時たるも現場主義として判断を誤るわけにはいかない。
和未と顔を合わせた際に”嘘つき巫女”の兆視を信憑の低いものだと一蹴したのも無理からぬ話だった。
「同じです……先ほど地図上で伝えた建物のある場所と……」
「やはり、そこが源である可能性は高いな」
玄信も緊張感を維持したまま告げる。
表面上は友好的だった玄信も和未の兆視を信頼できると判断しているような口ぶりだった。
「もう時間の問題だろう」
涼成が続けた。
「このままなら、結界は削られる」
「保てるか?」
「……もう長期は無理だろう」
玄信と涼成が神妙な面持ちで言葉を交わす。
もう選択肢は絞られてきていた。
耐久か、源を断ち切るか。
耐久を選択したとして、森の中だけで留められる規模ではないのは明白だった。
あの歪みに帝都だけでなく、瑞國中が浸食されていく。
一時凌ぎでは意味をなさない。
押し返すだけでは終わらない。
引き延ばしにしか過ぎなくなる。
そうならば選択肢は一つしかなかった。
元を断つしかないと。
「――行くぞ」
縁雅の声が空間を裂く。
迷いのない決断。
恐らく誰の頭にも道筋は出来ていたはずだ。
「承知いたしました」
「御意」
涼成と玄信が揃って答えた。
「準備をすぐに整えよ」
涼成が告げる前に兵たちは配置を変え始めていた。
強度を一段上げるための調整。
持ち場の再編成を誰も声を上げずに機敏に動く。
全員が理解しているのだ。
次は防ぐための戦いではない。
挑むための戦いで、それが命を賭すほどの危険を伴うと。
(この先に……”終わり”が待っている……)
和未の胸に去来する不安は予感ではなく、確信だった。
縁雅に視線を向ける。
――気高き孤高の鬼神。
縁雅に感じていた遠ざかった距離が再び縮まったように思える。
縁雅だけは、いつ何時たりともぶれずに和未を信じてくれていた。
声をかけなくても、確認しあわなくても、目線の高さが違っていても、同じ方向を縁雅が見ていることは確かだと和未は感じていた。
(縁雅様に待っている未来……)
絶対に止めたいと以前よりも遥かに強く和未は決意していた。



