孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

「兆視の精度を上げる必要性は縁雅様にもご理解いただけているはずですが」
 
 茅乃の言葉は丁寧だが、意見を曲げる気はないようだった。
 
「この規模の異常です。判断の遅れが都をも危険にさらすかもしれません。和未の兆視を判断材料に加えるならば精度向上は最優先事項です」

 和未は縁雅と茅乃の不穏なやり取りを見つめていることしか出来ずにいる。

(縁雅様は私をかばってくださっている……)

 縁雅が具合の悪そうな和未のためを思って茅乃に意見していることは和未にも理解できていた。
 不要なことは一切口にしない縁雅が――だ。
 茅乃が言っていることも全て正しい。
 当の本人なのに、どちらがどうとは言えない意見の衝突に口を出すことが出来ずにいた。

「和未」

 茅乃から目線と声を向けられる。

「……はい」
「可能ですよね?」

 念を押されるように茅乃に確かめられた。
 問いは簡潔。
 逃げ道も、余白もない。
 和未に他の選択肢は存在しない。
 そんな強い声音だった。
 和未は瞼を閉じ、自分の体の感覚を意識で探る。
 
(私はまだ出来る……。深く見ようと意識すれば、まだ探れるかもしれない……。私には兆視しか出来ないのだから……)

 自分で限界を決めつけたくないと和未は思う。
 何よりも和未は縁雅の期待に応えたいと願っていた。

「可能です」

 迷いなく和未は答える。
 茅乃は安心したように口角を上げた。

「必要であるならば私は……」
「――必要なら、だと」

 縁雅の美声が冷えていて、和未は胸が軋んだ。
 紅い瞳が逃げる選択肢を塞ぐように険しく和未に向けられている。

「和未の判断基準はそれか?」

 縁雅に責められているわけでは決してないのに、縁雅の機嫌が下がったのが流れるように和未に伝わってしまう。

(どうして……?)

「……そういうわけではないのですが、私は他に何かができるわけではないので……」
「……」

 縁雅の双眸が(すが)められる。
 縁雅の整った顔立ちは、氷のように冷えきっていた。
 緋色の瞳だけが燃え盛るような熱を帯びている。
 いつも以上に近寄り難い空気を纏ってしまっていた。

「私もお役に立ちたいと……」
「――わかった」

 縁雅は漆黒の軍装を翻し、和未に背を向ける。
 それが縁雅からの拒絶のように思えて、胸の辺りがぐっと締めつけられた。
 何かが縁雅とすれ違っている。
 それはわかるのにどうしたらいいのか和未には答えが見つからなかった。

「和未。引き続き兆視の観測は最優先です」
「……はい」

 茅乃に返答する。
 ひとり佇む縁雅はもうこのやりとりを気にしている様子はなかった。

(縁雅様が遠ざかったように思える……)

 和未は自分が何か間違えてしまったのかと心許ない気持ちでいっぱいになった。
 夜営地は変わらずに機能している。
 結界を維持する結界巫女たち。
 元からいた2人に加え、茅乃と同行していた4人も加わり、より強固になった。
 兵たちの配置も乱れていない。
 焚き火の煙は細く上がり、一定の流れを保って風に吹かれている。
 全てが正しく保たれていた。
 だからこそ和未には先ほどまでの違和感が残り続ける。
 和未は夜営地の片隅、護符が三角形を描くように置かれた中心へと腰を下ろしていた。
 瞼を閉じる。
 目を凝らすように思い出す。
 あの場所。
 森の奥。
 社のようなもの。
 歪み、澱み、暗く、沈んでいる。
 理解が追いつかない何か。

(……頭が痛い……)

 意図的に兆視を試みている代償なのか、それとも見ようとしている何かからの抵抗なのか、割れそうなほどの頭痛が和未を襲っていた。
 けれど表情には出さまいと和未は耐えている。

「和未。次も行けますか?」

 顔を上げると、真正面には茅乃が立っていた。
 膝をついている和未を上から見下ろしている。
 距離は近くなくても、見張られているような位置だった。

「……はい」

 和未は素直に頷く。
 座っているのに目がくらむ感覚がした。
 無理をしているのは自覚できている。
 それでも、やらなければいけないと和未は密やかに自分を奮い立たせていた。

「精度が落ちては困るから間隔はあけなさい」

 茅乃はそれだけ伝えると踵を返す。
 和未への労いではない。
 運用上の指示にしか過ぎない。
 茅乃の細い背中が遠ざかる。
 無駄のない歩みで振り返ることはない。
 その後ろ姿を、和未はしばらく眺めていた。

(茅乃さんの判断は巫女庁の判断と同等……)

 全て正しく、指示も的確である。
 わかってはいても、ひっかかりが残ってしまう。

(……縁雅様は私を重んじてくれていたのに……)

 和未は縁雅のことばかり繰り返し考えていた。
 低く、茅乃を止める落ち着いた口調。
 緋色の瞳から放つ鋭い視線。