孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

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 真っ暗な時間が過ぎて、夜明けを迎える。
 日が昇り始めた頃だった。
 結界の外縁に、わずかな揺れが走った動きを結界巫女が捉える。
 妖の侵入でも干渉でもない。
 “通過の許可”が与えられた時にだけ起きる静かな異変。
 見張りの兵が顔を上げた。

「来たか」

 玄信が顔を上げて低く呟いた。
 足音は少なくも隠す気配ではない。
 一定の間隔を保ったまま、まっすぐ討伐軍の夜営地へ向かってくる。
 風にそよいで揺れる袖。
 白と赤。
 巫女装束。
 その先頭に立つ女は歩みを止めない。

「……巫女庁か」

 兵の誰かが小さく言う。
 和未はその姿を見た瞬間に言葉が詰まった。

(茅乃様……)

 背後の巫女4名を率いるように歩いてきたのは円山茅乃。
 結界巫女であり上級巫女でもある若くして巫女庁の実力者。
 凛と伸びた背筋は自分に自信のある現れのように和未には思えた。
 兵の中には美しい茅乃の姿に見惚れている者もいる。
 足音は静かでも茅乃一行の登場は夜営地の空気を変えるには十分だった。
 兵たちは自然と道を空けていた。
 元から同行していた結界巫女の2人も、一瞬だけ動きを止める。
 何も命じられていないのに、そうせざるを得ない圧が茅乃からは放たれていた。
 茅乃は中央まで進み、そこで足を止める。
 ゆっくりと場を視線でなぞっていた。
 結界巫女。
 兵。
 玄信。
 涼成。
 そして和未へ。
 ほんの一瞬、射すような眼差し。
 最後に総大将であり全軍の頂点である縁雅へと向けられた。

「状況は聞いております。再確認してもよろしいかしら?」

 茅乃は縁雅に問いかける。
 だが、縁雅の美貌は無表情のままだった。
 代わりに涼成が一歩進み出る。

「一昨日、異形の妖が単体で出現。中位の水準からは逸脱した実力を持っていた」
「処理は?」
「縁雅様の手によって完了」
「報告の通りです」

 涼成とやり取りをしていた茅乃が今度は和未に目線を向けた。

「結城和未。ずいぶん顔色が悪そうですが」
「兆視が続いていましたので。休んだら少し回復しました」
「その兆視は?」

 抑揚のない落ち着いた口調で茅乃に確認される。

「……討伐した妖は断片的に見えまして……討伐軍の方々も聞いてくださいました……」
「そう。他には?」
「……森の奥に、異常を感じます」
「……」

 茅乃の目が厳しく細められる。
 和未は口の中の水分が干上がっていくように感じながらも気を配って言葉を選んだ。

「建物のようなものがあり、その周囲に強い歪みのようなものが……」
「確度は?」

 表情を変えずに茅乃は切り返した。
 和未は一瞬だけ言葉に詰まる。
 茅乃は和未がどう答えるのか、きっと(あらかじ)め、わかっていた。
 和未がそうとしか伝えようがないのだとわかっていながら聞いている。
 そして和未もそれを知りながらも、それ以外の答え方が見つからずにいた。

「……保証はできかねます」
「未確定ということでよろしいですね?」
「……はい」

 確認されるように茅乃に聞かれ、和未は小さく頷いた。
 改めて問われると、いかに自分の兆視が雲をつかむように不鮮明なものであるのかと。
 そう烙印を押された気がして和未は心地が悪くなる。
 それでも伝えないわけにはいかなかった。

「……ですが、無視できる規模ではありません……」
「根拠は?」
「……感覚です」

 和未は茅乃の目を捕らえたまま言い切った。
 これ以上、言葉を飾り立てたところで意味はない。
 茅乃も和未から目線を外さずに黙っている。
 どう処理をしたらいいのか考えている様子だった。

(そう。誰もが、いつも、こんな反応だった……)

 縁雅だけが和未の兆視をありのまま受け止めてくれた。
 曖昧でも、根拠が薄くても。

「可能な限り精度を上げ、継続して観測を続けなさい」

 茅乃から指示を受ける。
 指示というよりは命令に近い強さを孕んでいた。
 何があっても兆視を続けろということだ。

「承知いたしました」

 和未も納得する。
 自分の役目は兆視しかないと認識していた。
 結界巫女たちのように結界を行使できるわけでも、討伐軍のように妖と戦えるわけでもない。

(負荷をもっとかけなくては……)

 和未が静かに覚悟していた時、低音の美声が割り込んできた。

「――やめろ」

 縁雅だった。
 縁雅の鋭い双眸は茅乃に向けられている。
 その緋色の瞳は、鋭く深く光っていた。
 まるで血を思わせるように。
 表情にこそ出さなかったものの茅乃がたじろいだのが和未にも伝わった。

「その指示は不要だ」
「不要とはどういった意味合いでしょうか?」
「顔色が優れない。今の和未に無理をさせる必要はない」

 威厳のある一歩も引かない縁雅の声色。
 その目に見えない威圧に背後の巫女たちは(すく)みあがっている。
 茅乃だけは(こら)えて、討伐軍の頂点である縁雅とも対等で接する必要があると背筋を伸ばし続けていた。