孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 和未ははっきりと伝えた。
 縁雅も涼成も黙っている。
 この沈黙が和未の言葉を真剣に受け止めてくれている証だとわかっていた。

「どちらにしても、やはり中位の器ではないな」

 涼成の表情は深刻だった。
 和未は断定できない。
 和未にも想像が及ばないのだ。
 伝説ともいわれる禍津日神がどれほど強大な力を持っている妖なのか……。
 それでも和未が兆視で見た未知の生物が、ただの妖でないことは察していた。

(例え鬼神と畏怖される縁雅様でも、あの妖には……)

 縁雅の死の場面が和未の脳裏に過ぎる。
 和未は縁雅に目線を向けた。
 縁雅の紅い瞳は真っ直ぐ森の奥を見据えている。

(今、縁雅様は何を考えているのだろう……)

「戻る」

 唐突に縁雅が言った。

「下がるのですか?」
「今は踏み込まない」

 涼成に縁雅は短く返す。

「形がわからないまま入れば、必ず呑まれる」

 縁雅の判断は迅速で正確だ。
 しばらくの間、涼成は森の奥を見つめている。

「承知いたしました」

 涼成は反論しない。
 現時点で縁雅の判断が最善なのだと理解しているのだろう。
 和未は縁雅の背を見る。
 森の奥深くに何が存在しているのか。
 今はまだ触れられない。
 それでも。
 今を重ねた先に確実に繋がっている。
 和未が兆視で見た滅びの未来と。
 どう繋がっていくのか、先がわからない。
 見えるのが怖い。
 見えないのも怖い。
 はっきりとわかるのは、ここで終わりではないということ。
 
(きっと私はこの場所へ、もう一度来ることになるだろう……)

 和未はもう一度、森の奥を見た。
 そこには鬱蒼と茂る木々があるだけ。
 けど、奥には必ず存在している。
 その全容の見えない存在感だけが和未の胸に残される。
 三人は静かに引き返した。
 夜営地のある位置まで戻ったとき、ようやく息が通る感覚が和未に戻ってくる。
 それまでまとわりついていた重さが、すっと剥がれていった。
 背後に残るのは、あの森の奥。
 はっきりとは何も見えないまま、ただ何かが存在しているとわかる場所。
 和未は振り返る気にはなれなかった。
 振り返るのが怖かったというほうが正しい。

「三人とも無事で何よりだ。総大将がいらっしゃるから心配いらないとは思っていたが。どうだった?」

 夜営地に合流すると真っ先に玄信が近づいてきた。
 玄信は3人に声をかけながら目でも確認している。
 情報の共有を望んでいた。

「踏み込んではいない」

 涼成が答えた。

「だが奥に何かがありそうだ」
「何かがありそう、ね。また曖昧だな」

 玄信が鼻で笑う。
 それでも軽くは扱っていない。
 その目の奥は真剣なままだった。

「こっちは外からの侵入もなし。結界も持ってる」
「維持を続けろ」

 玄信の報告に対して、縁雅が告げる。

「ここは崩さない」
「御意」

 玄信も縁雅に対しては素直に従う。
 無駄な言葉が削ぎ落された端的な指示だった。
 兵たちがそれぞれの持ち場に戻っていく。
 結界巫女たちも、符の配置を確認しながら静かに動いている。
 和未はその場に立ったまま、息を整えていた。
 体は無事であり、どこにも傷はない。
 それでも、ひどく消耗している。
 視界の奥に残っている、あの“歪み”の不気味な感覚が抜けなかった。

「結城和未」

 涼成に名を呼ばれ、顔を上げる。
 
「今見たもの、整理できるか?」

 探索のとりまとめに入るのだろう。
 余計な配慮はない。
 必要な情報だけを求めている。
 
(みんながそれぞれに動いている。私だけ気分が優れないなんて休んでいられない……)

「……はい」
 
 返答した和未は一瞬だけ目を閉じる。
 思い出す。
 建物……社のようなもの。
 禍々しい黒い瘴気。
 そして、あの奥に蠢いている“何か”。

「……完全ではありません」

 和未は正直に伝える。

「でも、場所は絞れるかもしれません」
「わかっている範囲でいい。出せ」

 涼成が地図を広げる。
 簡素なものだが、地形は正確に描かれていた。
 和未はその上に視線と指先を走らせる。
 森の形、起伏、流れ。
 そして、あの独特な不快感。
 指先が自然と一点に止まった。

「……このあたりかと……」

 和未の指が示した場所は、森のさらに奥。
 討伐軍の通常の巡回でも踏み込むことはない未知の領域だった。  
 涼成は眉を寄せた。

「根拠は?」
「……言葉にはしづらいのですが……」

 和未は言葉選びが慎重になる。
 見たものに適切な単語を探すのが難しかった。

「そこに“重さ”を感じます……」

 何の証明にもなっていない拙い和未の言葉。
 それでも涼成はすぐには否定しない。
 沈黙しながら、地図と和未とを何度も視線を往復させていた。