孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

 和未が言い切ると沈黙が続いた。
 涼成は黙っている。
 焚き火の音だけが、間を埋めた。  
 やがて涼成は小さく息を吐く。

「……曖昧だな」

 涼成に再度言われた。
 けれど、同じ単語でも先ほどまでのように冷たく響かなかった。
 嘲っているのでも、切り捨てられているのでもなく評価を保留されている。
 そんな風に和未には感じた。

「けれど事実は事実か」

 涼成はひとり言のように零し、周囲を見遣りながら和未から離れた。
 和未はその背を見送る。
 胸の奥で、涼成に対して固く結んで防衛に入っていた何かが、ほんの少しだけ緩む。
 完全に解くことはできない。  
 けれど、ここに合流した時よりは、ずっと軽く感じていた。
 不意に和未の視界が揺れる。
 もっと内臓ごと揺さぶられているような気味の悪い揺れ。
 焚き火の光が長く伸び、輪郭を崩す。
 息を呑む間もなく、景色が変わった。
 同じ夜営地。
 火の位置が違う。
 いや、違うのではなく、先ほど変えたあとの配置だ。
 兵たちの立つ場所も、結界巫女の位置も、さっき修正した形になっている。

(なのに、結界が崩れてきている……)

 何が違ってきているのか和未は見えているものの中で視線を走らせる。
 陣の外。森の奥。
 
(森の奥に潜む黒い、何か大きな、そして恐ろしいほど禍々しい……。先ほど討伐した異形の妖よりも更に強く、巨大で、まだ全容を現してなくて……)

 和未の視界が現実のものへと戻される。
 気がつけば全力疾走した後のように肺で呼吸していた。

(原因が違ってきている……)

 でも回避出来ていない。
 まだ危険に晒されている。
 和未は声に出せない恐怖を感じながら、大きく肺を前後させていた。

「――大丈夫か?」

 いつの間にか縁雅が和未の隣にいた。
 それだけで和未はなぜか呼吸がしやすくなる。

「――また見たのか?」

 縁雅に聞かれて、和未は浅く頷く。
 声を出したいのに、気道が塞がれたように音にならない。

(でも伝えなければ……)

「まだ……終わってません……」

 視線を上げる。
 縁雅の緋色の瞳を真っ直ぐ見つめた。

「この先に……先ほどより強く大きな妖の気配が……」

 和未の訴えに縁雅は顔色ひとつ変えなかった。
 けれど腰の刀に手が触れる。
 その仕草だけで夜営地の空気が一変した。

「位置は?」
「もっと森の奥深くに……」

 和未は暗闇が支配する森の先を見つめた。
 縁雅は和未の言葉をただ受け止める。
 和未を信じることが前提にある言行だった。
 涼成が地図を広げる。
 玄信が外周を確認する。
 結界巫女たちの詠唱が、今度は防御ではなく探知へと変わっていく。
 全て和未の兆視を見込んでの行動だった。
 陣営は崩さない。
 それでも変わった。

(まだ終わっていない……。むしろ、ここからだわ……)

 和未はその中心に立っていた。

「何も感知できません」

 結界巫女の一人が涼成に向かって伝える。

「距離の問題か?」
「……理由はわかりません」

 今度はもう一人の結界巫女が答えた。

「違います……。遠いのではありません」

 ゆっくりと首を振りながら和未が告げる。
 
「届かないようにされているだけです」

 この場にいる誰もが和未の言葉の意味を理解した。
 ”干渉されている”
 ”覆われている”
 何らかの妨害。
 それも強大な力を持った何かの。

「――禍津日神……の影響が出てるのか? 中位の範囲じゃない」

 涼成のにらみを誰も否定できない。
 結界巫女の力が何物かに圧されている。
 結界の外で確かに拮抗していた。

「ここは崩れない」
 
 縁雅が断定する。
 それだけで不安に沈み始めた兵たちは頼もしく力がみなぎった。
 夜はまだ明けない。
 脅威にさらされ続けている。

(それでも未来は今を変えることで違ったものに変わる……)

 和未は確信を持ち始めていた。