孤高の鬼神は、嘘つき巫女だけを信じている

「いったい何なんだ、こいつは」
「実態が定まらん」

 兵たちが言葉を交し合う。
 相変わらず妖は地面に溶けたり、人型に変化したり、照準を絞れない。
 つい今しがた陣形の隙をつかれて中央にいるはずの和未に異形の妖を近づかせてしまった。
 縁雅が和未を救って事なきをえたが、兵たちにも焦りが募る。
 集中力を切らさずに守りに入っているのがやっとの状態だった。

「これで昼か?」
「ああ。夜だったら、もっと手間だっただろう」
「恐ろしいね」

 どこか余裕を保って笑いながらも、目線だけは鋭い玄信と眉間に皺を寄せる涼成は異形の妖から目を離さない。
 妖は昼でも現れる。
 ただ活動が本格的なのは夜だ。
 闇が地表を覆う夜こそ妖の力が底上げされる。

(震えている場合じゃないわ……)

 これでは涼成の言った通り、和未は守られているだけの足手まといにしか過ぎない。
 兆視で見たもの、そして今、目の前に立ちふさがる異形の妖に目を凝らす。

(どんなに恐ろしくても絶対に目を逸らさない)

 不気味に姿を変化させ続ける異形の妖。
 人の形から、また地面へと溶けていく時、和未の目にははっきりと残像が映った。

「核……」

 形として、存在として、白く淡く光っていた小さな円のようなもの。
 恐らく、あれを討たなければ終わらない。

「――和未には見えるか?」

 縁雅に問われる。

「はい。また隠れてしまいましたが、一瞬だけ見えました」

 他の人間には見えないのか和未には疑問が湧く。
 兆視と現実の視界が混ざっているのかと和未は自分を納得させる。
 今、目の前に映し出されている世界は確実に昼の兆視で見た光景と同じ未来ではない。
 その理由は明確だった。

(縁雅様だ……)

 縁雅の立つ位置が和未の前へと変わっている。
 軍の誰もが動けずにいる中、縁雅だけが動いていた。
 その判断は余りにも速い。
 だから未来が少しずつ、ずれてきている。

「――あの妖は人型に変わる時、毎回、核の場所を変えています……」

 和未は小さくも確かな声で縁雅に伝える。
 刀を構えた縁雅の動きがほんの一瞬、止まった。
 振り返らない。
 でも和未の声を聞いているのだとわかる。
 次に人型に変わった時が見極める頃合いだ。

(言葉を交わさなくても縁雅様はそれを察している……)

 和未が目を酷使しても淡く小さな核を捉えられるかわからない。
 地面に溶けていた異形の妖が人型へと変化していく。
 和未は全神経を視界へと集中させた。
 焼けるように目元が熱く、痛みさえ伴う。

(今だわ……)

「ちょうど、左目の辺りです!」

 迷わずに告げた次の瞬間には縁雅の姿は消えていた。
 電光石火のごとく異形の妖へと一気に踏み込む。
 和未の視線がその軌跡を追う。
 黒く揺れる妖の中でわずかに固定された一点。
 縁雅の刃が届く。
 一閃。
 次の瞬間には異形の妖の断末魔が森中に響き渡った。
 鼓膜を潰されるほどの音量に兵たちは顔を歪める。
 地に尻をついた兵もいた。
 異形の妖は黒い散りとなり、やがて風へと消えていく。
 わかりやすく空気の重さが緩む。
 空はすっかり夜に沈んでも暗澹(あんたん)と淀んだ風は霧散していた。
 静寂が一行を包む。
 誰もがその場から動けない。
 
「――討伐完了。周囲を確認せよ」

 静かさの中、涼成が声を上げた。
 微動だにしなかった兵士たちが周囲を見回す。
 異変はない。
 妖の気配は喪失していた。
 妖の死は散りに変わる。
 遺体が残ることはない。

「終わった……」

 誰かが呟く。
 兵たちは武器を下ろす。
 周囲がまだ力を抜き切らない中、和未は一点を見つめ、まだ動けずにいる。
 その先にあるのは妖を討伐した縁雅だった。
 縁雅は黒刀を払う。
 次の動きで、すでに鞘に収まっていた。
 縁雅が黒い軍装を(ひるがえ)し、戻ってくる。
 縁雅の冷たく冴えた美貌は顔色ひとつ変えず、呼吸も乱れていなかった。
 和未の前で縁雅は立ち止まる。
 紅い瞳で和未を見据えた。
 
「――見えているな」

 たった一言、縁雅から低く落とされた。

「……はい」

 和未も短く返事をする。
 余計な言葉で飾る必要はなかった。
 縁雅は全く和未を疑っていない。
 疑っていないのではなく、ただ信じていた。
 “信じる“と和未に最初にかけた科白(せりふ)を一貫して体現している。
 縁雅はそれ以上、何も言わない。
 けれど、その沈黙は和未への否定ではなかった。
 縁雅と和未の様子を、他の誰もが目で追いかけている。
 ――今の結果を認めざるを得ない。
 涼成は二人に何か声をかけようとして止めた。
 代わりに言葉を落とす。

「まだ終わりではないな」

 瘴気の残滓が、まだ地に沈みきらずに漂っている。
 あの異形の妖は討伐した。
 だが完全に不穏な気配が消えたわけではない。
 靄のように薄くも浸食するように森全体を覆っていた。
 兵たちは武器を下ろしながらも、肩にはまだ緊張が残り、指先は柄を離しきれていない。
 呼吸だけが、荒く夜気に混じっていた。
 結界巫女たちも、陣を解いてはいない。
 地に置いた符を動かさず、そのまま詠唱を続けている。
 さっきよりもさらに慎重な声音。
 結界の隙をつかれ、異形の妖の出現を許してしまった。
 全体に緊張感が高まったままの様子を輪から少し外れ、一人で和未は眺めていた。
 今は何の役目も和未は果たせない。
 結界を維持する術も、瘴気を浄める技も、兵として刀をふるう腕も、和未は持たなかった。
 ただ未来が見えるだけ。
 兆視。
 しかも、その未来はいつも断片的で、信じるには足りない、曖昧なもの。
 ――そう思われてきた。