来世で会いましょう


 パンケーキを完食をした俺は女子に一目置いていた。可愛い可愛いと写真を撮ってはSNSに上げながらもペロリと平らげてしまう・・・・・・その凄さにだ。胃の中の生クリームやらなんやらに胃もたれを誘発させられている俺は「一回で満足」で終わった。また食べたいとは思わなかったが、ずっと見ていた律に食べさせてやれなかったのが歯痒かった。しかし当の本人は満足なようだった。腹を膨らませた俺に「ありがとう」と終始楽しそうに膨らんだ腹をスカスカと撫でていた。俺は妊婦さんか。うぇ、ゲップが止まらねぇ。
 俺は家に戻るとノートに書かれた『生クリームたっぷりのパンケーキを食べる』に三色ボールペンの赤インクで丸を書いた。

 ―――それから何日かは家に籠った。
学校から課題が出ているからだ。リストばかりに構ってはいられない。課題をしている間、律は俺の家を隅々と散策していた。珍しい物があれば俺を呼び、「これ何?」と訊いてくる。課題の邪魔をちょこちょこしてくるわりに(はかど)るのは苦手な教科を夏休みの初めに片付けていたからだろう。夏休み初めの俺に感謝だ。
 俺はシャーペンを持つ手を止め、背伸びをする。回転椅子を半回転させ、大人しい律の様子を伺った。本棚を吟味している。
「なんか読みたいのあった?」
「うーん。海斗は漫画が好きなんだね。少年漫画がたくさん」
「律は漫画読まねぇの?」
 律の隣にしゃがみ、本棚を見つめる。
「読むけど・・・・・・小説の方が多いかな」
 確かに律は漫画より小説を読んでいる姿の方がしっくりとくる。俺は数少ない小説の中から一冊取り出し、パラパラとページを捲りながら「これは?」と中身を見せる。
「・・・・・・これ小学校の時の感想文の本?」
「は?」
 ピキッと青筋が浮かぶのが分かった。律はたまに涼しい顔でディスってくる。自覚なしに。
「単行本で字が大きい。小学校の頃に読んだ『ぼくらの最後の夏休み』思い出す」
「普通のミステリー小説だわ!」
 単行本の背表紙で律の頭をボンボン叩こうとしたが、もちろん本は律の中をすり抜けた。
 そんなある日の夜。
 なんの前触れもなく俺はふっと目を開けた。部屋の中は真っ暗でカーテン越しからの明かりもない。壁にかけられているデジタル時計に目をやると深夜二時十四分だった。トイレに行こうかどうしようかと考えていると、体が動かない事に気付いた。まるでベットと一体化したようだった。
 金縛り!? 俺はかろうじて動く目で部屋の中を見回した。何もない、誰もいない。律もいない。恐怖心だけがじわじわと身体の内部を(おか)していく。そして何より一番怖いのが誰かの視線を感じる。それも一人ではない。複数人だ。
 ドクドクッと早鐘を打つ心臓を落ち着かせようとするが呼吸は浅くなるばかりだ。俺は強く目を閉じた。
 金縛りは心霊現象と結びつけてしまう人が多いが、レム睡眠中に脳が目覚めることで筋肉の麻痺が解けず発生してしまう一種の睡眠障害だ。頭では分かっていても恐怖は拭えなかった。
 ―――ヒヤリ。
 ぶるっと身震いをした。誰かが俺の手や足を触っている。一人の手ではない。何人かの手で身体を撫で回されている。頬に冷たい吐息(といき)がかかる。呪詛(じゅそ)のように何かをぶつぶつと喋っている。俺は怖くて目を開けれなかった。
 律、何処にいんだ。律っ!
 俺は律の名前を心の中で何回の叫ぶ。すると一斉(いっせい)に身体に纏わり付いた手の感触が消えた。
おそるおそる目を開ける。枕元に律が背中を向けて腰掛けていた。俺は飛び上がるように身体を起こすと律を後ろから抱き締めた。
触れている。律の体温を感じる。冷たい中に温かみがある。けれど、その時の俺は恐怖で支配されていて律に触れられた驚きよりも怖さが勝っていた。

 眩しッ・・・・・・。
 次に目を開けた時はカーテンは全開に開かれていた。煌々(こうこう)と日差しが顔に当たって眩しい。俺は重たい身体を起こす。
「おはよう」
 目の前には律がいつもの笑顔を湛えていた。俺は昨日の事を思い出す。
「り、律! 俺昨日・・・・・・!」
「うん、分かってる。後で話そう。とりあえず朝ご飯食べてきなよ。お父さんとお母さんはもう食べてたよ」
「あ。う、ん・・・・・・」
 律の顔からは笑みが消え、険しい表情になっていた。
部屋を出る時、律を一瞥するも背中を向けていて今どんな表情をしているか窺えなかった。
 
「おはよう。早いじゃない。休みだから昼過ぎに起きるかと思ったわ」
 もぐもぐと食べ物を咀嚼(そしゃく)する両親に「おはよう」と挨拶を返す。テレビに表示されている時間を見ると六時十七分だった。俺は父さんの前に座る。見ると今日の朝ご飯は和食だった。
「俺、今日はご飯少なめでいい」
「えっ、珍しい。お米はいつもバケモノ級に食べるのに」
「珍しいなー。白米好きなお前が」
 父さんがテレビから視線を俺に移す。
俺はどちらかといえば洋食より和食が好きだ。けれど、朝ご飯が和食の日は滅多にない。母さんは基本毎日朝早くパートに出ているから簡単に作れる洋食の方が出てくる頻度が高い。多分今日は出勤時間が遅いのだろう。目の前に小盛りの白米とわかめと豆腐の味噌汁、鮭が置かれた。
「昨日、変な夢見たんだよ」
 両手で顔を覆い隠す。そう、あれは夢ではない。現実だ。身体のあちらこちらにまだ感触が残っている気がして震えが止まらない。
「どんな夢見たんだ?」
「・・・・・・幽霊に・・・・・・襲われtた夢・・・・・・?」
「あっはっはっ! そりゃあ怖いな!」
 豪快に笑う父さんを見て苦笑する。そりゃあ「現実で起きた話です」なんて言えるわけがない。「寝ぼけてたんだろう」と言われるのがオチだ。
「でも、確かに顔色悪いわねぇ」
 俺は白米をおちょこ(ぐち)で一口一口食べる。好きな和食を目の前にしても食欲が湧かない。
「母さん。これ昼に食べていい? 俺、汗かいたからシャワー浴びてくるわ。顔洗うのも忘れたし」
「それは別に良いけど・・・・・・。本当に大丈夫?」
 大丈夫大丈夫と(てのひら)を左右に振ると、「具合悪かったら今日は大人しく寝てるのよ」と後ろから声を投げかけられた。リビングから出て行く時、父さんと母さんの「そんなに怖い夢だったのか?」「知らないわよ。でも顔色悪いじゃない」という話し声が聞こえた。
 洗面所に行くと顔を洗う。靄《もや》がかかっていた頭の中を冷たい水で霧散(むさん)させる。
 歯磨きをしながら閉じられた浴室のドアを凝視した。
 また昨日の夜みたいなことがあったらどうしよう。ぶるりと身震いをする。俺は急に怖くなり、急いでうがいをすると腕の違和感に気付いた。ズキズキと鈍い痛みが腕を蝕んでいる。気付けば、はっ、はっ、と息が浅くなっていた。俺はゆっくりと左腕の前腕を見る。薄らとアザのような薄紫色の手形がついていた。一気に血の気が引く。暑いはずの洗面所が異様なほど寒く感じ、その場にしゃがみ込むと頭を抱え「律!」と名前を叫んだ。
 律は一分も経たず、洗面所に顔を出した。
 律は物が掴めない、触れない。勿論ドアノブも掴む事も出来ない。しかし幽霊ではよくある壁をすり抜ける事は出来るらしい。「なんでそんな便利な移動手段使わねぇの?」と前に訊いたら「少しでも人間でいたいから」と言っていた。一階に下りてくる時、部屋のドアを全開に開けといた。階段を下りたすぐ目の前に洗面所がある。部屋が洗面所の下だからか名前を呼ぶ声が聞こえ飛んできてくれたのだろう。俺は律の顔を見ると不思議と落ち着いた。
「どうしたの⁉」
 洗面台の前でしゃがみ込む俺に寄り添うように床に正座をし目線を合わせる。俺は無言で左腕を見せる。
「・・・・・・・・・・・・っ!」
「シャワー浴びるから一緒に中に入って」
「えっ⁉」
 ギョッとしたように大きな目をさらに見開く律の前で手を合わせた。
(いや)らしい意味じゃないから! 風呂に入ってる時、昨日みたいな幽霊がまた出てきたらどうすればいいんだよ⁉ 俺は霊媒師じゃねぇんだ。夜みたいな事が起きたら今度こそ取り憑かれる気がする」
「それは、大丈夫だと思うけど・・・・・・」
「百パーセント大丈夫とは言えないだろ⁉」
「ま、まぁ、そうだけど・・・・・・」
 視線を逸らし律は渋い顔をしていた。律が何かを言おうと口を開いた瞬間―――。
「何を騒いでるの?」
 洗面所を覗いてきた母さんが怪訝な顔でこちらを見ていた。洗面所にはドアはない。だから水玉模様のカーテンが付けられているだけの簡素なものだ。カーテンだけ・・・・・・。つまり洗面所で喋っていれば洗面所から近いリビングには声が丸聞こえなはずだった。事実、俺も風呂上がりの父さんの鼻歌を何回も聞いたことがある。自分が思っていた以上に俺は大声で叫んでいたのかもしれない。ゴクリと唾を飲み込み、素早く寝間着のハーフパンツからスマホを取り出すと「動画見てた。音量デカかった?」と誤魔化した。母さんの表情は納得しているようには見えなかったが特に問い詰めるわけでもなく「ふーん」と呟き、ジッと俺の目を見つめていた。
「な、何?」
「・・・・・・まっいいや。早く入っちゃいなさいよ。出来たらで良いからお風呂洗いよろしくー。お母さんはあと少ししたら仕事に行くから。お昼はちゃんと食べるのよ」
「は、はーい。いってらっしゃーい」
「いってきまーす」
 カーテンの隙間から母さんは手を振り、リビングの方に戻っていった。二人でホッとため息をつくと律は「いいよ」と頷いた。
「マジ?」
「海斗の言うとおり百パーセント昨日みたいな事が起きないとは言い切れないし」
「サンキュー! 神様仏様律様ー!」
「はいはい」
「・・・・・・でもさ。なんで俺、襲われたん?」
 浴室内はシャワーと浴槽の中のお湯で真っ白な湯気が煙のように立ち込めていた。
シャワーを浴び、寝汗を流す。外に出たら汗でシャワーを浴びた事など帳消しになるが、やっぱり夏のシャワーは何回浴びても気持ちがいい。俺は律に視線を向ける。風呂場の端っこに立っている律は俯くと「多分、俺のせい・・・・・・だと思う」と呟いた。
「俺が視えるようになってから、多分だけど霊感が開花されたんじゃないかな。分からないけど」
「でも俺、まったくと言っていいほど霊感なかったけど」
「知ってる。ロビーで見かけた時、海斗から霊感は感じなかった。一緒にいた音に反応した人は多少霊感あるみたいだったけど霊感が強い弱いって人それぞれだから、あっても絶対視えるわけじゃない」
 音に反応した人。 
 二階に行ってからずっと顔面蒼白だった大智先輩の事か。大智先輩はあの時、何かにあてられていたのだろうか。異様に顔が青白かったもんな、と先程とは打って変わり冷静な頭で考えられた。
「俺達が入ってきたの分かったん? あそこから随分(ずいぶん)離れてたけど」
 あそことは集中治療室の事だ。
「人が入ってきたら何となく分かるんだ。幽霊の(かん)・・・・・・的な?」
 律は|自虐気味に笑う。俺はシャワーを止めるとタオルで髪を乱暴に拭う。タオルの隙間から律の不安げな顔が見えた。暗い雰囲気を払拭させようと俺は明るい声で「そんなの自慢するような事か? 確かに凄ぇけ・・・・・・ど!」と、タオルを適当な場所に放り投げた。ただ汗を流したかっただけなので髪や身体を洗ったりはしない。どうせ夜にまた入るのだから。俺は浴槽に肩まで浸かった。
 バシャァァ・・・・・・。水を足したから余分な分のお湯が音を立て浴槽から大きな音を立て溢れた。
「海斗がなんで霊感に目覚めたのかは俺にも分からない。ただICUに入ってきた時の海斗には霊感がすでに備わってた。凄く、強い・・・・・・。だから俺の事も視えたんだと思う。ロビーの時は何も感じなかったからビックリしたよ」
「よく言う波長がなんとか・・・・・・とか? 俺と律の波長が合ったのかも」
 律は肩を竦める。そして自身の掌を見つめていた。あまりに凝視しているものだから俺は「何?」と浴槽の(ふち)に腕を乗せ訊いた。
「俺も昨日から変なんだよね」
 ため息をつくと律は離れた所に立てかけられているシャワーに右手を翳し、まるで虫を払うように投げやりに右側に動かした。すると――――。
 ブシャッ! と豪快な音を立てお湯が噴き出した。再び手を翳し、先程と同じ動作をするとザァァッと噴き出るお湯は止まった。
「・・・・・・えっ、超能力? ポルターガイスト現象起こせるようになった?」
「知らない」
 再び投げやりに手を動かすとさっき投げたタオルが顔面に被さる。思わず「ぶっ」と声が出た。脳裏に昨日の記憶が鮮明に蘇る。俺は顔からタオルを退かすと素早く浴槽の縁から身を乗り出す。手を差し出した。律は片眉を上げ、不思議そうな顔で俺の顔と手を交互に見つめた。
「昨日! 俺、律に抱きついたわ! 今なら俺に触れんじゃね⁉」
 まさか、という顔をする律に「ほら」と手を伸ばす。眉をひそめ、ゆっくり手を伸ばす律の手を俺は引っ張るように握った。驚いた律はほぼ反射的手を引こうとしたが俺は離すまいと手に力を込める。
「ほら、やっぱり! やっと触れた!」
 俺は感極まり思わず握った手を器用に動かし指を絡めた。所謂(いわゆる)恋人繋ぎというやつだ。昨日と同じ――――ひんやりと冷たい中でほんのりと温かみがある。感動さえ覚えた俺は律の顔を見ると茹で蛸のように顔が真っ赤に染まっていた。
 忘れてた。コイツ、初心だった。
「あ、あのぉ・・・・・・」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
 鼓膜にビリビリと響く悲鳴に身体が跳ね上がるも、もっと驚いたのは浴室内のありとあらゆる物がぶわっと浮いていた事だ。シャンプーにコンディショナー、バスチェア・・・・・・・・・・・・。浴室内にある物、全てだ。律は顔を赤く染めたまま、今まで拒絶し続けた壁へのすり抜けを見事なまでにして見せた。
「・・・・・・ぶはっ! なんだ、アイツ。可愛いなぁ」
 俺はしみじみと律の純粋さと可愛さを噛み締め、ポルターガイストが収まった浴室内で声を出して大笑いをした。

 部屋に戻ると律はファイティングポーズを構えていた。穴が空きそうなくらい俺を睨んでくる律にドキッと心臓が跳ねた。だって睨まれてるというよりかは熱い視線を浴びせられている気分だからだ。
「とうっ!」
「あ? ――――うおっ⁉」
 謎の弱々しいかけ声と共に俺めがけて飛んできたのは俺の愛用している抱き枕のポン太だった。ポン太は今女子中高生の間で人気の犬のキャラクターだ。脱力した顔に身体。トロンとしたほっぺが特徴的でまた触り心地がいい。
 俺はすんでの所で身を(ひるがえ)(かわ)す。
「あっぶね! ポン太に何しやがるっ!」
「お風呂場でのお返し。・・・・・・それポン太っていうんだ」
「母さんが知り合いに貰ってきたんだよ、可愛いだろ? ほっぺが特徴的なんだよ」
 俺は撫でていたポン太を差し出す。「まぁ、確かに可愛いけど」と満更でもない様子でぬいぐるみ兼抱き枕を撫でる律の機嫌は良さそうだ。そんなに手を繋ぐのが恥ずかしかったのか。
「じゃあ、出かけるか!」
「えっ、どこに?」
『出かける』という言葉に目を輝かせて反応する律は――――やっぱり可愛かった。
「どこに? どこに?」
 幼い子供のように飛び跳ねる律を横目に俺はボディーバッグにスポーツドリンクと財布を詰め込む。
「ミレモール」
「ミレモール・・・・・・。あ! あの大きいショッピングモール!」
 ミレモール――――日本のほとんどの県に店舗を構えている大型ショッピングモールだ。中には映画館やゲームセンター、ファッショングッズに・・・・・・名前をあげたらきりがない。それほど(いく)つもの店が中に入っている。いつ行っても人が多いから人疲れしてしまう場所でもある。
 律は先程の不機嫌さが嘘のようにスキップで階段を下りていく。家の鍵を閉め、車庫にある自転車を持ち出す。七月から八月に変わった今も暑さは変わらない。車庫に置いておいたおかげで多少は自転車への熱は回避出来たがそれても熱いことに変わりはない。俺は自転車に乗ると、ふっと庭を見た。
「・・・・・・は?」
 庭には三人の人が一列に並び、覚束(おぼつか)ない足取りでのろのろと歩いていた。見れば首がありえない方向に曲がっている人や手と足が捻じ曲がっている人もいた。―――幽霊だ。俺はすぐさま目を逸らした。
「あっ。視えてるんだ」
 血の気の引いた表情に気付いた律が近付いてきた。
「海斗の家の庭、霊道(れいどう)になってるのかなぁ。ずっといたんだよ」
「霊道? 霊道って霊が通る道のことか?」
「うん。でも悪霊じゃないから大丈夫だよ。近くにお墓があるよね? そこに向かって真っ直ぐ歩いてるだけ。海斗や海斗の家族に悪さはしないと思うよ。俺、海斗が寝てる間ちょこちょこ窓から見てたし」
「昨日のは? 霊道から外れた奴が襲いにきたんじゃ・・・・・・」
「それはないと思う。多分色んな場所から寄ってきたのかな。海斗、今霊感が凄い強いからみんな何かを伝えたくて一遍(いっぺん)に来ちゃったんだと思う。その中に悪霊も何体か混じってたから・・・・・・襲われたんだと思う。我先に取り憑こうって感じだったから」
『取り憑く』という言葉に冷水をかけられたような寒さが身体中に広がる。今は外で三十五度を超える猛暑のはずなのに・・・・・・。ぽんっと肩を叩かれる。
「大丈夫。海斗は俺が守るから。取りあえずは目を合わせないようにね。視えてるって気付かれたら憑いてくるから」
 俺は無言で頷いた。額から流れる汗を拭う。今日の律はなんだかいつもに増して頼もしく見えた。
 こんな暗い気分でミレモールなんかに行ったらお互い楽しめないと思った俺は深呼吸をし「後ろ、乗れよ」と促した。
「えーっ。でも二人乗りは法律で禁止されてるから」
「お前、見えねぇじゃん」
 ハッと気付いた律はぼそっと「なら・・・・・・」と遠慮がちに後ろのサドルに乗り、肩に手を置いた。
「肩でいいの? 腹に手ぇ回せば?」
「・・・・・・また揶揄ってるだろ」
「バレた? でも落ちたらビビるから腹に手回してよ」
 俺は振り返り律に笑いかける。律は大きな目を細めて(かん)ぐるような目で見てくるも結局は大人しく腹に腕を回した。ペダルを踏み込み自転車を漕ぐ。向かい風は暑さを纏った風で熱い。けれど反対に背中はひんやりとして気持ちがいい。ホッカイロの冷たいバージョンみたいだな、なんて考えていると全く口を開かない律が気になり、俺は軽く振り返り後ろの様子を見る。律は静かに目を閉じ、頬を俺の背中にぴったりとくっ付けていた。口許は薄らと微笑(びしょう)を浮かべている。
「海斗の心臓の音が聴こえる」
 ドクンッと大きく心臓が跳ねた気がした。それは早鐘とういより警笛のようにドクドクドクと速くなっていく。グリップを握る手に汗が滲んでいくのが分かった。手だけじゃない・・・・・・。身体中が熱い。
 俺は警笛を打つ鼓動を誤魔化すように話をふる。
「せ、背中からでも心臓の音って聞こえるんだな! あ、風邪の時とか背中に聴診器あてて聴いたりするもんな!」
「・・・・・・あれは肺の呼吸音を聴いてるんだよ」
「そ、そうなんだ」
 小学校から恋愛をしたことがない。ましてや律のように恥ずかしくなるような言葉も言われたこともない。・・・・・・調子が狂う。
 俺は今まで目付きが悪いから老若男女問わず怖がられてきた。恋人はおろか好きな人だって出来たことがない。友達も少ないから距離感もあまり分からない。これが普通なのか? 律がバグってたりするのか? それとも俺?
 キュッ―――。俺は右足を地に着け自転車を止めた。パンケーキを食べに行ったときに見た『事故多発 注意!』の看板が再び俺の目を奪う。・・・・・・違う意味で。供えられていた花は変えられたのか新しい花が置いてあった。それよりも俺は看板の前にいる女の人に目がいった。左腕と左脚が反対側に捻れている。後頭部もベッコリとへこんでいる。身体中が傷だらけで血がポタポタ垂れている箇所もあった。女は俯いていたが、ゆっくりと顔を上げる。俺は素早く視線を逸らし、ペダルに足をかけ、踏み込んだ。
 女の顔は鬼のように恐ろしい顔をしていた。
「だから言ったんだよ。見ない方がいいって」
「え?」
 俺は後ろを振り返りそうになり、すぐに前を向いた。ここで脇見運転なんてしたら事故を起こしかねない。
「あの女の人もずっといたんだ、看板の前に。霊感が強くなったから視えるようになったんだね。霊道の霊も」
「ははっ。良いんだか悪いんだか・・・・・・。チラっと見えたんだけどあの女の人、顔がすげぇ怖かった」
「それはそうだよ。悪霊だもん」
 ―――悪霊。今度は汗が一気に噴き出るのが分かった。嫌でも昨日の夜のことを思い出してしまう。
「あ、悪霊って顔が怖いのか?」
「うん。あの女の人は、場所からして交通事故で亡くなったのかな。悔しさや悲しみ、怒りに憎しみ・・・・・・。それらが強いと悪霊になりやすいんだと思う。多分、自分を()いた人への恨みや突然死んだ事への悲しみが大きかったんだと思う。―――廃病院にいた時、五階の内科の病棟に優しいおばあちゃんがいたんだよね。肺炎で亡くなったみたい。俺はよく病院内を徘徊してたから暇さえあればそのおばあちゃんに会いに行って話をしてたんだけど、ある日突然、顔つきが変わったんだ。何が原因かは分からないけどね。今まではベッドの上に座ってたのに豹変してから病院内を徘徊するようになっちゃったんだ。俺の事なんてもう見えてる感じはしなかった。ただ呪詛を唱えるようにブツブツ喋りながら歩いてた。多分今も病院の中を歩き回ってるんじゃないかな」
「・・・・・・なんでその優しいおばあさんは悪霊になっちまったんだろうな」
「・・・・・・多分、怨念とかそういうのが根底にあったのかも。成仏出来てなかったのもあるかもしれない。俺より長くあそこにいたんだよ。寂しかっただろうし、人が来ても気付かれない。むしろ、肝試しで来た人達に病室内を荒らされる始末。なにかしら溜まってたんだと思う」
「・・・・・・・・・・・・」
 ―――成仏。成仏が出来なかったら、律もいずれかは悪霊になってしまうのだろうか。可愛らしく綺麗な顔が恨みで鬼のように歪んでしまうのだろうか。
『この先もずっと一緒にいたい』
 俺はほろ苦くも甘い気持ちを微かに抱いていた。しかしそれは律にとって良くないのかもしれない。きっと無理矢理引き留めることも出来るだろう。けれどその代償は重いのかもしれない。俺はグリップに力を込めた。 
「・・・・・・何があっても悪霊だけにはさせないっ」
「え? 何?」
 心の中で放ったつもりの声が漏れていたらしい。俺は「なんでもない!」と明るく振る舞うとミレモールに向けて自転車を走らせた。
 胸がズキズキと痛み、なんだか切なかった。考える度に気持ちが沈んでしまうから今はただ空元気を振り撒く事しか出来なかった。