来世で会いましょう


 夏休みはたまらなく好きだ。というか休み自体が好きだ。時間を気にせずゆっくり眠れる。
俺は瞬きを何回かし、目を開けた。目の前には律が目を閉じて寝ていた。いや、昨日『幽霊は眠らない』と言っていたあたり、目を閉じているだけかもしれない。
 俺は律の顔をジッと見つめた。可愛いらしい顔をしているが、明るい場所できちんと見ると可愛いと言うより綺麗な顔の部類に入るのかもしれない。なんて考えていると触る事は出来ないと分かっているのに、無性に触りたくなった。手を伸ばし頬に手を()える。やはり俺の手はスルッと頬の内側に入り込む。感触はない。そしてやっぱり冷たい。
『人肌恋しいんだ』
 昨日の言葉が頭から離れない。
七年間、ずっと一人であの暗い廃病院に一人でいたのかと思うと胸が締め付けられる。誰かが来ても相手には自分が見えない。話をかけたとしても声も届かない。それを七年も・・・・・・。俺には到底堪えられない。
「・・・・・・何?」
「うぉっ!」
 物思いに(ふけ)っていると、いつの間にか律が目を開けていた。相変わらず大きな目だ。
「寝てるかと思った」
「基本は寝ないって言ったじゃん。おはよう」
「・・・・・・おはよう」
 隣で寝て、起きて「おはよう」と言い合う。まるで同棲中の恋人みたいだ。
「・・・・・・なんか髪の毛すごいよ」
「え?」
 髪に手を伸ばし触る。案の定ベタベタとしていた。
「あー、昨日ワックスつけたまま寝たからだ、ベタベタだ。多分枕も臭い」
 枕に顔を埋め、臭いを嗅ぐ。
「臭い?」
「臭い」
 お互い見つめ合い『臭い』を連呼する。それが段々おかしくなってきて笑った。普段、人と笑うことがない俺にとっては凄く新鮮な気持ちだった。すると、またあの良い匂いが鼻を(かす)める。思い出したように「あっ」と声が出た。律から、廃病院で漂っていたあの良い匂いがした。
「お前からだったのか」
「何が? ・・・・・・え? え?」
 顔を近付け、目を閉じ犬のように匂いを嗅ぐ。・・・・・・やっぱりそうだ。ずっと嗅いでいられるこの良い匂い。間違いない。
目を開けると、青白い顔がジワジワと赤くなって目が潤んでいた。
「えっ。・・・・・・初心(ウブ)?」
「ちっがうし! ていうか、匂いって何⁉」
 恥ずかしさを誤魔化すように話を逸らされる。そんな顔をされると俺のS心(えすごころ)が刺激されるが、ここはぐっと堪え、身体を起こした。つられるように律ものそりと起き上がった。
「昨日あの病院を探索してた時、本当は別棟の病棟に行こうとしてたんだよ。けど歩いてたら・・・・・・その、なんて言うんだ・・・・・・」
 匂いをどう言葉で表現したらいいか分からない。花でもない。柑橘系(かんきつけい)でもない。でも嗅いだことはある。名前が思い出せない。ベタついた頭をガシガシと掻く。
「・・・・・・もしかしてサボン? 石鹸(せっけん)の匂い」
 まだ覚醒しきってない脳が『石鹸』という言葉に反応し、一気に目が覚めた。
「そうだ! 石鹸! サボン!」
 興奮したように俺は「そうそう」と何回も頷く。あの良い匂いはサボン・・・・・・石鹸の匂いだったのか。
「それで? 病棟に行こうとして?」
「あっ、そう。それで病棟に行こうとしたら、サボンの良い匂いがしてきて出所が気になったんだよ。んで匂いを辿って行ったら集中治療室に辿り着いたんだ。で、中に入ったら、お前がいた」
 律は斜め上を見ながら「ふぅん」と抑揚(よくよう)のない返事をする。すると何かに気付いたのか自分の腕や手首を嗅ぎだした。
「もしかしたらボディミストかも」
「ボディミスト?」
「うん。俺、匂い物好きなんだ。学校って香水とか駄目じゃん? だからこっそり学校にボディミストを持って行ってつけてたんだよね。その匂いが染みついてるのかな・・・・・・いい匂い?」
 ズイッと差し出された腕に鼻を近付ける。
「うん、いい匂い」
 俺は、サボンってこんないい匂いなんだなっと改めて感心した。首筋に鼻を近付ける。直後に鼓膜にビリビリと悲鳴が響いた。
「うるさっ!」
「なんでいちいち近付いて嗅ぐんだよ!」
 気付けば律は部屋の隅で()(ダコ)のように顔を赤くしていた。今更だけど幽霊でも赤面するんだな。青白い=血の気がないイメージだった。これは全幽霊に共通する事なのだろうか。それとも律だけか・・・・・・。()にも(かく)にもその可愛らしい反応は止めてほしい。お前と出会って一日も経っていないのに俺のS心が刺激される。
「香水って耳の裏につけるんだろ? だからミストも同じかなぁって」
「そうだけど、ボディミストは広範囲につけれるんだよ。耳の裏だけじゃない」
「なら嗅がせろ」
「嫌だ! 変態!」
 ベッドから降りると俺は部屋の中心に置かれている脚の短い円卓のテーブルの周りを走る律を追いかけた。
出会って十時間未満でこの居心地の良さ。律の親しみやすさからだろか昔からの付き合い感がすごい。
「おらぁ!」
 顔に似合わない野太い声をだすと、律は俺に向かって走ってくる。驚き、咄嗟(とっさ)に腕を伸ばす。するんっと俺の身体をすり抜けていく。俺は驚きベッドの上に倒れた。完全に油断していた。
「そうだ、触れないんだった」
 ドキドキと鳴る胸に手をあて、息を整える。今のは本当に心臓に悪い。
律はしてやったりという顔で俺の半身に乗ってくる。触れはしないのに乗れるのかと、俺を見下ろす律を見る。ニヤニヤとした顔は何かを企んでいるようだった。
「ダイタンデスネー」
 俺は棒読みで『大胆』という言葉を強調した。無意識だったのか、馬乗りの体勢に気付くと相も変わらずの茹で蛸で「ち、違う! そういうつもりじゃない!」と必死に誤解を解こうとしていた。やっぱり可愛いし面白いヤツ。
俺は追い打ちをかけるように「色情霊(しきじょうれい)か?」と畳みかける。
「違う違う違う!」
 ぶんぶんと首が飛んでいきそうな勢いで左右に振るもんだから俺は焦って制止を求める。
「悪かった悪かった! 怖いから一旦ストップ!」
 律は顔を紅潮(こうちょう)させたまま肩で息をしていた。潤んだ瞳を見て、コイツどんだけ初心(ウブ)なんだと逆に心配になってくる。もしかしたら、下ネタとか苦手なタイプか?
「それで、何でしょうか」
 降参を示すように両手を上げる。律はわざとらしくゴホンッと咳払いをする。
「海斗くん。お願いがあるんだけどぉ~」
 身体の上でごろんとうつ伏せになる。重さは感じない。もちろん感触も。ただ冷たさだけが身体に浸透し、今の時期にその冷たさは正直気持ちが良かった。でも無意識でしているのなら(たち)が悪い。良い意味で鼻につく甘ったるい声が律の綺麗な顔に妙に合っていてエロい。ひんやりとして気持ちが良いのに、所々熱を帯び始め、つい大声で「暑い!」と叫んだ。
 実際は暑くない。身体には冷えた幽霊が密着しているし、冷房も点いている。
「あっ。ごめん」
 自分が今まさに性的対象として見られていた事などつゆ知らず、律は俺の上から下りカーペットの上で正座をする。
俺は己の煩悩(ぼんのう)を打ち消すように深呼吸をし、平静を装いながら半身を起こす。ベッドボードに置いてあったペットボトルを取り、一気に半分まで飲む。ずっと暖かい中に置かれていた飲み物は生温(なまぬる)くまずかった。
「で、お願いって何? もしかして身体貸してとか?」
「あっ。それ良いね! 海斗に取り憑いて過ごしてみたいかも」
 ビッ! と親指を立てる律に俺は被りを振った。
「嫌だよ。お前と俺じゃ性格が違いすぎる。俺の身体で色んな場所をそのハイテンションで回られたら周りに何て思われるか」
「・・・・・・確かに海斗はハイテンションで飛び回るタイプではなさそう。俺も違うけど」
「だろ? ニコニコしながらスキップでもしてみろ。ついに暑さで頭がやられたかって思われる。これでクラスメイトなんかに会ってみろ。地獄だ地獄。・・・・・・お前はする」
「それは地獄だね。・・・・・・俺はスキップして歩き回らない」
 謎の争いをしつつも頷く律に俺は「だろ?」と肩を竦める。
「まぁ、取り憑くつもりは最初からないんだけど。・・・・・・俺、十五歳で死んだの」
「・・・・・・昨日聞いた」
「十五歳。自分で言うのもあれだけど、まだ若い。やりたい事がまだまだ沢山あったんだ。だからそれを手伝ってほしい。そしたら出来る気がするんだ」
「何を?」
 今度は人差し指を上に向け言い放った「成仏」と。

 俺は雑貨店で購入してからずっと机の()やしなっていたA七サイズのノートを手に取る。部屋の中心部の円卓テーブルの前で胡座(あぐら)をかくとペンケースから三色ボールペンを取り出す。
 黒インクで大きく『やりたい事リスト』と、書く。
「で? やりたい事って?」
「その前にこの七年間の事教えてよ。俺、自分が死んでから七年も経ってたなんて知らなかった。世界がどう変わったか知らない。情勢とか・・・・・・ほら、スマホだって俺の時とちょっと違う。こんなにカメラの穴なかった。なんで?」
 俺は自分のスマホを一瞥(いちべつ)すると、ボールペンで頭を掻いた。
「俺が作ったわけじゃないから知るわけねぇだろ」
「あぁ、確かに。でも気になる。なんでこんなにレンスが? ・・・・・・まっいいか。分からないこと考えてても時間の無駄だし」
「いいんかい・・・・・・。西暦が令和に変わった事とか?」
和暦(われき)ね。令和に変わったのは知ってるよ。俺、令和元年に死んだんだから」
 あれ、西暦じゃなくて和暦っていうのか。勉強になったなと感心しつつ、俺は気になっていたことを尋ねた。
「なんでずっとあの廃病院にいたわけ? 外に出ようとか思わなかったん? 地縛霊じゃなかったんだろ」
「・・・・・・なんで・・・・・・分からない。でも自分の葬式は見てたよ。クラス全員が来てさ、俺の事いじめてたくせに泣いてたの。一発で嘘泣きだって分かったね。自分の身を守るのに必死なだけ。あの歳は自分の事しか考えてないから」
 律は眉間に皺を寄せ、ばっさりと言い切った。初めて見る表情に人間味を感じる。会ってからずっとニコニコしている表情しか見ていなかったから、綺麗だな、可愛いな、と思いつつも、どこかでロボットみたいなヤツだなとも思っていた。それに話していて気付いた事がある。十五歳で時が止まっているはずなのに妙に考えが大人だ。賢さは生きていた頃からだろうか?
「・・・・・・その、言いたくなかったら良いんだけど・・・・・・。なんでいじめられてたの?」
 俺は口ごもりながらも踏み込んだ質問をした。律はテーブルに頬杖をつくと俺の目を射貫くかのようにジッと見つめた。まるで何かを見透かそうとしているような視線だ。ほんの少しだけ感じた居心地の悪さから足を崩した。
「俺がゲイだから」
 俺は片眉を上げる。「それだけで?」と言いそうになり口を(つぐ)む。
いや、子供の狭い世界の中じゃ十分な理由だろう。俺もまだ子供だが、しょうもない理由での喧嘩はよく見てきた。「好きな人が被った。私が先に好きになったのに」「持ち物を真似された」「推しをディスられた」「なんかキモい」―――俺からしたらどれもくだらない。最後のなんてただ自分が気にいらないだけの理由だ。
「・・・・・・好きな人がいたの。ソイツは女が好きだったから、フラれるの覚悟で告白した。気持ちだけでも伝えたかったから・・・・・・。もちろんフラれたよ? 分かってたからあまりショックは受けなかったけど言いふらされたら困ると思ったから「告白したことは秘密にしてほしい」って頼んだの。アイツも「分かった」って言ったのに次の日学校に行ったらクラス中に広まってた・・・・・・。それからいじめが始まった。教科書捨てられたり、ノートに落書きされたり、無視されたり・・・・・・。先生だって気付いてたはずなのに見て見ぬふりだよ。大人だって自分が大事なんだ。自分の子供がされたら騒ぐくせに」
 淡々と話す律の声には怒りや悲しみ、色々な感情が入り交じっているのが感じられた。俺は触れられないのを分かっていたのに手を伸ばし背中に触れようとした―――が、止めた。空中で彷徨う手を下ろす。
 律はハッと我に返ったように口許を手で隠すと笑顔を見せた。
「話逸れちゃった! で、自分の葬式は見てんだよ。火葬とか納骨とか・・・・・・。それで全部が終わった瞬間に気付いたらあの廃病院に戻ってたんだよね。廃病院でも言ったけど自分からあの病院を出てみようとかって頭はなかった」
 重い空気を払拭(ふっしょく)するように明るく振る舞う律の姿に心臓をを鷲摑(わしづか)みされたような感覚になる。暗い気持ちで接するのも違うと思った俺は律を見習い、明るい声で話を続ける。
「何をするか考えようぜ」
 器用にペン回しをし、乾いた唇を舌で舐める。気まずさから視線をノートに移した。
「・・・・・・・・・・・・俺はバイだから」
 話し始める前に射貫くような視線で俺を見つめていたのは俺がゲイに対して理解のある人間かを値踏みをしていたのだろう。こんな事で安心するとは思わなかったが、コイツには秘密を共有しようと思った。せっかく赤裸々に話してくれたんだ。応えるのは当然だと思う。
「本当⁉」
 まるで芸能人や推しを見かけた時の女子の甲高い歓喜の声のような高い声に思わずボールペンを落としてしまった。俺はそれを拾い上げると「マジもマジで大マジ」と苦笑する。
「そっかぁ。じゃあ、俺に一目惚れしたんだ?」
 はっ⁉ と今度は俺が大きな声を出す。
「なんでそこに結びついた?」
「だって海斗、起きた時俺に触ってたし、匂いをしきりに嗅ごうとするし、変態だし」
「ちっげーし! てか最後の関係なくね⁉」
 俺は顔が赤くなりそうな前兆を感じ、律から視線を逸らす。
「で! 同じ事訊くけど何がしたいんだよ!」
「あっ!そうだった。えっと・・・・・・生クリームたっぷりのパンケーキが食べたい」
「えっ。食べれんの?」
「食べれない。海斗が食べてるのを俺が見てる」
「俺が食うのかよ。・・・・・・まぁ、良いけど」
『生クリームたっぷりのパンケーキを食べる』
 書いた字を見ると律は満足そうに微笑んだ。
「あっ、あとショッピングモールにも行きたい。海斗の服選んであげる」
「俺の服? 高いのは勘弁な」
『ショッピングモールに行く』
「次は?」
「心明高校に行きたい。これは学校が始まったら達成出来るね」
「・・・・・・行きたいんだ」
「うん。嫌な思い出しかないけど・・・・・・最後に」
「・・・・・・・・・・・・」
 やりたい事があると言ったわりには項目が少ないなっとノートを眺める。けど成仏させてやりたい気持ちが強かった俺は、高校生に出来る範囲でリストに書いていった。
「・・・・・・あと本木拓也(もときたくや)に会いたい。顔を見るだけで良い」
「本木拓也? 誰それ?」
「さっき言った好きだった人。大人になったアイツを見てみたい」
「・・・・・・ふぅん」
 俺は書きなぐるように『本木拓也の顔を見に行く』と書いた。
その項目だけ、酷く字が汚かった。だって普通、自分を自殺まで追い込んだ相手の(ツラ)なんて見たいか? 俺だったら会いたくないし見たくもない。むしろ呪い殺してやりたいくらいだ。
「次は父さんと母さんに会いたい」
「―――! うん、それ一番良いんじゃね?」
 律は俺以外の人には見えない。だから本木拓也っていう男とも律の両親とも俺が会わなきゃいけない。どう声をかけるべきか今から悩みどころだ。俺は埋められていくリストを眺める。

【やりたい事リスト】
・生クリームたっぷりのパンケーキを食べる
・ショッピングモールに行く
・心明高校に行く
・本木拓也の顔を見に行く
・両親に会いにいく

『本木拓也の顔を見に行く』
 ・・・・・・正直言うと、俺は会いたくない。知らない奴だけど人をいじめて自殺に追い込んだ奴になんか会いたくなんてない。律と会い、赤裸々に過去まで聞いた。あんな話を聞いて「よしっ、顔を見に行こう!」なんて嬉々として言うやついるか? いくら成仏をするためとはいえ俺には理解が出来なかった。