来世で会いましょう


 目の前にいる男女の後ろ姿を俺は見つめていた。
『ドアが閉まります。ご注意ください』
 感情がこもっていないエレベーターのアナウンスが無機質な鉄の箱の中に響いた。

 ―――数分前。
「本木・・・・・・拓也、さん・・・・・・ですか?」
 会計をしていた男が振り返り「そうですけど」と、不思議そうな表情を浮かべながら答えた。店員が「知り合いか?」といった顔でチラチラと俺達を交互に見ている。すると本木拓也の後ろのいた女の人が話に入ってくる。
「何々? 拓也の知り合い?」
「・・・・・・いや・・・・・・」
 俺は律に視線を移す。律の表情は硬いままだったが首を左右に振った。女の方は知らないという意味だろう。律は眉毛を下げ、俯いてしまった。腕に添えられた手が小刻みに震えている。俺は一瞬口を噤むと「近々、会いに行こうと思っていました」と嫌われる原因の目付きの悪さを活かし射貫くように相手を見つめる。
「俺に?」
 本木は眉間に皺を寄せ首を傾げた。
「雨宮律についてお話があります」
 本木は律の名前を聞いた瞬間、激しく動揺した。顎を引き、目をギョロギョロと左右に動かす姿は(やま)しいことがあるからに違いない。
「お時間は取らせません。すぐに終わります」
 本木の彼女と思われる女の人は俺と本木を見つめ、明るい声で「なら(ウチ)おいでよ! すぐそこのマンションだからさ!」と願ってもない提案をしてくれた。話や格好からしてこの二人も途中で花火大会から抜け出して帰る途中だったのだろう。俺はスマホに目をやる。ロック画面には『二十時七分』と表示されていた。家の門限は二十一時だ。遅くても二十二時までには帰ってくるようにと言われている。
「お邪魔じゃなければ・・・・・・」
 俺はヘラッと笑った。
 そして今に(いた)る。
俺は本木の左手の薬指に引き付けられた。指輪をしている。女の人の方も同じ指輪を左手の薬指にしていた。
 ―――結婚している。
 怒りがふつふつと湧いてくる。人を追い詰めておいて自分はのうのうと女と結婚かよ。握った拳に力が入る。今すぐにでも殴ってやりたかった。
「私、本木花梨(もときかりん)っていうんだ」
 突然話しかけられ、百面相のように素早く笑顔をつくる。
「俺は久瀬海斗っていいます。・・・・・・お二人は夫婦なんですね」
 律も指輪の存在には気付いているはずだった。俺が指輪に目がいったのも律が見ていたからだ。複雑だろう。律は二十二歳だ。本来だったら初恋相手で笑い飛ばせていた歳かもしれない。けど、律の世界は高校一年生の十五歳で止まっている。しかも初恋相手兼自分をいじめた相手だ。俺には今、律が何を思っているか想像も出来ないが、コンビニを出てから俺の服の裾を掴んで離さない。
 怒りと嫉妬でおかしくなりそうだ。
「そーう。去年の六月に籍だけ入れたの。式も挙げたいなぁ・・・・・・。あっ。ところで久瀬くん、いくつ? 私達より年下だよね?」
 歳が気になったのか木本も、ちらりとこちらを見る。
「・・・・・・二十二歳です」
「二十二歳⁉ 嘘! 同い年じゃん。高校生くらいかと思った」
 花梨は淡いピンク色で彩られたネイルをキラキラと光らせ、口許を押さえ驚いていた。年齢を知った瞬間、言葉遣いがさっきよりも砕けたように感じた。左手で後頭部を撫でる。
「やっぱり高校生に見えます? 俺、昔から童顔(どうがん)でよく間違えられるんですよね。たまに中学生にも間違えられます」
 実年齢十六歳。まぁ、流石に二十二歳は通らないかもしれないと思ったが童顔で押せば大丈夫そうだ。
「いいなぁ。私も高校生に間違われたい」
 唇を尖らせエレベーター内に設置されている長方形の鏡で、花梨は自分の顔を眺めていた。本木の方はずっと(だんま)りだ。
「ん? 同い年って事は高校はどこ? 私達、心明高校だったんだけど同じだったら私も久瀬くんのこと知ってるよね」
「俺は花之岡商業高校です。拓也・・・・・・とは同じ中学だったんですよ。俺、心明町の下山天神に住んでるんで」
「あっ、そうなんだ! 私は生まれが花之岡町だったから中学は花之岡中だったんだ。だから知らないのか、中学も高校もすれ違いだったんだね~」
 俺は「そうですね」と、にっこりと笑う。本木は俺を(いぶか)しむような目でジッと見ていた。それはそうだろう。同じ中学でもなければお互い初対面なのだから、至極当然の反応だ。
「か、海斗。拓也と何を喋るの?」
『拓也』―――。律の下の名前呼びで俺はより嫉妬した。仲が良かったのなら下の名前で呼び合うのは当たり前だ。でもコイツの名前だけは呼んでほしくないと自己中心的な考えが心の中を侵食していく。俺はスマホのメモアプリを開くとカッカッと文字を打ち込み律に見せる。
『俺が言いたい事。嫌だったら外で待ってても良いよ』
「・・・・・・ううん。一緒に行く」
 本来、律は本木拓也と話すつもりはなかった。リストにも書いたとおり顔を見て、どんな生活をしているか知りたかっただけだったからだ。それを俺が暴走してこんな事になってしまった。少し反省だ。いや、反省なんてしない。コイツには一言言ってやりたい。
『四階です』
 ウィーンという動作音と共に重いドアが開く。
「ウチは四○三号室なんだぁ」
 先頭を歩く花梨の後ろを着いていく。すると後ろにいた本木が小さな声で「帰ってくれないか」と言ってきた。俺は振り向かず小声で「どうしてですか? ちゃんとした理由がないと無理です」と、突っぱねる。
「律について話したいだけなんですけど」
「それなら別の日にしよう。どこかファミレスとかで・・・・・・」
「疚しい事があるからですか?」
 振り返り本木を睨み付ける。
「奥さんに聞かれたらまずい事でも? 疚しい事がなければ堂々としてればいいと思いますけど」
「で、でも、お前は嘘をついてるだろ? 同じ中学じゃないし友達でもない。花梨の同級生でもない。どうせ年齢も嘘だろ⁉」
「まぁ、年齢は違います」
「嘘までついて何を訊きたいん―――」
「ここだよー!」
 先を歩いていた花梨がぶんぶんと大きく手を振っていた。
 俺は本木に有無を言わせぬよう「お邪魔します!」と、足早に部屋の前まで走っていく。表札を盗み見る。丸文字で可愛らしく『本木拓也』。その下に『花梨』と書かれていた。
「ちょっと汚いけど気にしないでね」
「大丈夫です。俺の部屋も汚部屋(おべや)なんで」
 関係のない奥さんには愛想を振りまく。俺はもう一度「お邪魔します」と言って中に入った。玄関の靴箱の上には沢山のぬいぐるみが置いてあった。俺はそれらをチラ見し「どうぞー」と前を歩く奥さんに着いていく。短い廊下の先にはLDKの部屋が広がっていた。花梨の言葉とは裏腹に綺麗に片付けられている。隣をさりげなく見ると洋室がありダブルベッドが見えた。
「どうぞ座って。何か飲む?」
「ありがとうございます。お気遣いなく。さっきスポドリ買ったんでそれ飲みます」
「え~。遠慮しなくていいのにぃ~」
 俺はリビングの中心部に置かれている木製のダイニングテーブルの椅子に腰がけた。本木は未だ険しい顔つきでいる。
「じゃあ、私は着替えてくるから二人でお話どうぞ~。拓也、飲み物は自分で出してね」
 そういうと花梨は洋室に消えていった。壁は薄くなさそうだがここでの会話はきっと花梨がいる洋室には筒抜けだろうなと思った。辺りを見渡す。テーブルから離れた所に小さな棚があった。ゲームケースが綺麗に並べられている。上には高そうなフォトフレームが立てかけられている。目を細めて見ると、本木と奥さんの花梨が婚姻届の両端を持って笑顔で写っていた。
 ようやく本木が目の前に座った。
「話って・・・・・・」
 もっと横柄(おうへい)な奴だと思っていたので弱々しい態度に拍子抜けする。だけど、俺には分かっていた。弱々しい姿を見せているのは『雨宮律の話をしたい』と、七年前の事を前触れもなく急に訪ねてこられ動揺しているだけだ。あと奥さんに話を聞かれたくないから。洋室のドアをチラチラと気にして見ている姿が何よりの証拠だ。
 俺はスポドリの蓋をパキッと開けると、一気に半分まで飲む。乾いた喉は潤い、水分を欲しがっていた身体には染みた。準備は整った。俺はテーブルにスポドリを置き、両肘をつき身を乗り出した。
「俺、バイなんですよ。バイって知ってます? バイセクシャル」
「・・・・・・・・・・・・」
 本木は困惑したような顔で俺を見た。そよそよと来る冷たい風があるのに額に汗が浮かんでいる。
「つまり恋愛対象が女と男、どちらでもイケるんです。・・・・・・気持ち悪いですか?」
 本木の喉仏が大きく動いた気がした。
「・・・・・・律は俺の恋人だったんです。気持ち悪いですか?」
 ギョッと驚いた木本は再び俯き「あ」とか「う」と、言葉にならない声を発していた。
「ゲイは気持ち悪いですか? 男が好きになる相手は女じゃないと駄目なんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 何を訊いても黙り込む男にイライラしてくる。俺は背凭れに背中を預け、とっとと本題に入ってしまおうと思った。
「約束したんでしょう? アンタに告ったことは誰にも言わないって。なのにアンタはみんなに言いふらし、律はクラスメイトにいじめられるようになった。・・・・・・そして自殺した。どうして小学校から仲の良かった友達を裏切られるんですか?」
「ち、違うっ!」
 ようやく喋ったと思ったら、まさかの否定。俺は肩を竦め、ため息をついた。
「何がですか」
「しゃ、喋ったのは俺じゃない。当時、仲が良かった斉藤真子(さいとうまこ)っていう女に話したら・・・・・・次の日にはクラス中に広まってて・・・・・・」
 俺は呆れて何も言えなかった。ただ乾いた笑いが溢れただけだった。
「それは喋ってないに入らなくないですか? 一人に話したらそれはもう喋ったっていうんですよ。大人のくせにそんなことも分からねぇのかよ」
「・・・・・・・・・・・・っ」
「さっきから黙ったままだけどさ、なんか言ったらどうなんだよ。お前が人一人に話したせいで律がどんな目に遭ったか・・・・・・。じかに見てたんだろ? お前も加担したんだろ?」
 俺は早口で罵るような口調で本木を(まく)()てる。噴火した火山はそうそうおさまらない。火山灰を飛ばし、ドロドロとしたマグマが地を這うように俺の怒りは自分でも止めようがなかった。
「律は死んで、お前はお気楽に結婚かよ。で? 子供が出来たら? もし将来自分の子供が誰かをいじめたら? 「いじめは駄目だよ」って胸張って言うんですか? 良いお父さんですね!」
 木本はテーブルに付きそうな程、(こうべ)を垂れている。
「言っとくけど、俺はアンタを許さない。アンタも律を助けようともしなかったクラスメイト達も・・・・・・。やられた方は死ぬまで・・・・・・いや、死んでも覚えてるんだよ。昨日の事のように鮮明に覚えてんだよ!」
 ガタンッ! 本木は勢いよく立ち上がり、椅子は大きな音を立て倒れた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 本木は俺の横に来ると、床に正座をし土下座をした。機械のように同じ言葉を繰り返し、機械のように頭をペコペコと下げながら。すぐにでもその下顎を蹴り上げたかった。コイツの事は許せない。だけど、謝る相手は俺じゃない。
「謝るのは俺じゃないだろ。律の―――」
 俺の言葉はカタカタという物が揺れる音で遮られた。部屋全体が揺れている。本木は顔を上げ辺りを見渡す。俺は後ろにいるはずの律を見た。律は今までで見たことのないほどの冷たい目で本木拓也をじっと見下ろしていた。次第に強くなっていく揺れにさすがの木本も「地震⁉」と声を上げ、洋室にいる花梨の元へ走って行った。
 止めるつもりはなかった。これは律が何年も溜めてこんできた怒りと悲しみを具現化したもののはずだから。
 ―――パリンッ。
 棚に飾ってあったフォトフレームが落ち、表面カバーのガラスが割れた。婚姻届を二人で持っている写真の上には粉々になったガラス片が本木を覆い隠すように散らばっていた。
 俺はペットボトルを持ち洋室に行く。そこには本木が奥さんの花梨を抱き締めていた。気持ちが悪い。
「人を裏切って追い詰めたアンタに、人なんか幸せに出来るかよ」
 捨て台詞のように言い放つと「お邪魔しました」と奥さんに言い、律の手首を掴みマンションを出た。

 どのくらいあの家にいたのだろうか。わりと長くいたような気もしなくもなかったが外の暑さは一ミリも変わっていなかった。
 俺は律と向き合うと抱き寄せた。
「ごめん。暴走した」
 律は腕の中で首を小さく左右に振る。小さな声で「怒ってくれて嬉しかった」と俺を見上げ微笑んだ。
「海斗が俺のためにあんなに怒ってくれるとは思わなかったから嬉しかった。それに・・・・・・俺もやり過ぎたかも」
「え? もしかして写真の事か? あんなんフレーム買い換えればいいだけの話だろ」
 一体どこまでお人好しなんだかっと、ため息をつく。
「じゃなくて・・・・・・。あの、花梨って人の声が聴こえる。すっごい怒ってる」
 俺は律が以前言っていた事を思い出した。耳に神経を研ぎ澄ませれば声が聞こえる、と。俺は「なんて?」と内心ワクワクしていた。だって怒った時の女の人は怖い。本気なら尚更だ。俺の父さんだって怒った母さんには敵わない。
「えっと・・・・・・。『一体どういう事⁉』とか『雨宮くんを追い詰めたのアンタなの⁉』とか・・・・・・」
「ぶはっ! 最高じゃん。あとは奥さんに任せようぜ」
 性格悪いなと自分でも思う。でも俺の中では本木拓也の事は例外だ。ざまあみろと叫んでやりたかった。
 俺はここまで押してきた自転車の所まで歩く。振り返ると律はマンションを見上げていた。
「・・・・・・どうした?」
「いや。あの女の人、俺の事知ってたんだなぁって。まぁ、当時凄い騒ぎだったから他クラスに広まってても不思議な話じゃないんだけどね」
 律の表情は晴れ晴れとしていた。
「律」
「ん?」
 俺は邪魔にならない所に停めていた自転車に跨がり、足漕ぎで近くまで行く。
「訊きたいんだけどアイツに未練は?」
「えっ。ないない! むしろざまーみろって感じ」
「うん。で、律の好きな人は? 彼氏は?」
 突然の質問に律は目を丸くし「は?」と首を傾げた。俺は自転車で律の周りを回る。
「下の名前なんかで呼ぶから嫉妬したんだよねぇ~。律は俺の恋人なのに」
 さっきも言ったが名前で呼ぶ事なんて至極普通の事だ。だけど、本木拓也だけは嫌だった。
「俺、自分が思ってた以上に嫉妬深かったらしい。恋人からの「好き」がほしいなー」
 律の頬がじわじわと赤くなっていく。これが堪らなく可愛い。もっともっと揶揄いたくなる。
「・・・・・・え、えっと、俺の恋人は海斗・・・・・・です」
 なんで敬語? と疑問に思いつつ「で?」と、先を促す。
「さっきの海斗、凄くかっこよかった。うん。・・・・・・大好き」
『大好き』―――。まさか大好きっとくるとは思ってもみなかった。思わず身悶(みもだ)える。キスをしたい衝動に駆られるが我慢だ。今なら自転車ごと弾き飛ばされそうだからだ。
「俺も大好き」
 そう気持ちを告げると律を残したまま自転車を走らせる。
「えっ、ちょっ! 置いてくなー!」
「あっはははは!」
 途中で自転車を止め、律が乗るのを確認すると勢いよくペダルを踏み込んだ。

 家に帰ると母さんがリビングから出てきた。
「おかえり。もっと遅くなるかと思った」
 俺は()がり(かまち)に座り靴を脱ぐ。
「真面目な息子でいいだろ?」
 鼻歌を歌いながら廊下に上がる。そんな俺を母さんは珍しい物でも見たかのように瞬きも一切せずに見ていた。
「・・・・・・何?」
「いや。あんたが鼻歌歌ってる所初めて見たかも。本当に変わったわねぇ・・・・・・。もしかして彼氏? 彼氏のおかげ⁉」
 母さんは嬉々とした顔で俺を問い詰める。多分、色々聞きたいんだろうな。俺は後ろにいる律にさりげなく二階に行くように促す。クスクスと笑っていた律はそのサインに気づき、階段を上っていく。
「うるさいなぁ。今日は風呂入って寝るから」
 俺は「え~」と項垂(うなだ)れる母さんの姿に笑った。
 
 ―――ごめん、母さん。今は話せない。でもいつかちゃんと話すよ。