『心明高校に行く』
俺は三色ボールペンの青インクで三角を書いた。高校には行ったが予行練習のつもりで行ったから律が満足したかどうかが分からなかったからだ。でも正式に恋人になった以上、最高の日だったに違いない。多分。俺は夏休みで・・・・・・いや、人生で一番今日が最高の日だった。
あっ。『ショッピングモールに行く』に丸を書くのを忘れていた。カチッと音を立てインクの色を青から赤に変える。
『ショッピングモールに行く』にシャッと丸を書く。すると横から律が顔を出してきて「貸して」と手を差し出してきた。俺は「はい」とノートを渡し、何かを書き始めた律を眺める。ノートはすぐに返された。何を書いたんだろうと見ると、『初めて恋人が出来た。嬉しい』と書いてあった。会心の一撃だ。こんなの反則だろ。可愛すぎる。
律をを見るといつの間にかベッドの上で抱き枕ポン太を抱きながら中野ヒカルの新刊を読んでいた。
無防備すぎるだろ。キスは駄目でベッドの上は寝転んでも大丈夫ですってどんな判断基準よ。・・・・・・ガードが緩いんだか堅いんだか。
「律。花之岡町あるだろ。十五日の土曜日、花火大会あるみたいなんだけど行く?」
「花之岡町・・・・・・。ああ、毎年やってる花火大会・・・・・・。えっ、行く!」
花之岡町は心明町の隣にある小さな町だ。自転車で行けば三十分ほどで花火会場に着く。俺は本来、人混みが大っ嫌いだ。花火大会なんてもってのほか。けれど今回は行きたかった。律の隣に座り、声を潜める。
「初デートだ―――ぶっ!」
言い切る前に抱き枕ポン太が顔面に直撃した。初心な律の顔は予想通り真っ赤だ。本当、基準が分からねぇっと思うと同時に律の反応が可愛くて、面白くて、揶揄うのがやっぱり止められない。自分がこんな性格だった事に驚きだ。
「た、楽しみ・・・・・・」
視線を逸らし唇を尖らしながら言う律がどうしようもなく可愛くてしょうがない。段々飛んでくるポン太さえも愛しくなってくる。
「なぁ、律。やっぱりキスし・・・・・・」
「変態!」
―――ドスンッ!
俺は豪快にベッドから落ちた。この力は厄介だけど照れ隠しだと知った今は律の心情を表してくれているようで嬉しかった。
「えっ! 花火大会行くの⁉」
母さんは目を丸くし口許に手を添えていた。無理もない。花火大会に行くのは小学校低学年ぶりだ。
「はぁぁ・・・・・・。人混みが嫌いなあんたがねぇ。誰と行くの? 友達?」
「・・・・・・恋人?」
「「えっ⁉」」
驚いたのは母さんだけじゃなかった。仕事から帰ってきて洗面所で手を洗っていた父さんの声まで洗面所から聞こえた。俺達の話は洗面所まで筒抜けだったらしい。
「あんた、彼女出来たの⁉」
ドタドタッと大きな足音を立て父さんまでリビングに来た。恋愛話に年齢も男も女も関係ないようだ。それが息子の話なら尚更気になるのだろう。
「いや、彼氏」
母さんと父さんには俺がバイセクシャルだということを話してある。カミングアウトした時は驚いていたが「お前が幸せなら相手の性別なんて関係ないだろう」と父さんが言った。父さんがそう言うとは思ってなかったからその時は凄く驚いた。
「こ、恋人って言った」
夜のじっとりとした風を切りながら自転車を漕いでいると後ろから声がした。
「事実だろ。嫌だった?」
後ろを振り向けないから律がどういう表情をしてるか分からなかったが腹に回された腕に力が込められていく感覚が伝わる。これは俺の見立てだと、多分嬉しくて感極まっている。
「ううん。嬉しかった」
ほらなっと内心、鼻で笑う。出会ってまだ一ヶ月も経っていない。だけど律と過ごす一日一日が濃いからか律の事が手に取るように分かる。
「お父さんとお母さん、海斗がバイって知ってるんだね」
「うん。知ってる。中一の時に気付いてさ。俺、他の奴と感覚バグってる部分あるから「明日、部活で遅くなる」程度の軽さで「俺、恋愛対象男も女もイケるわ」って言ったんだよな。まぁ、最初は驚いてたけど「お前が幸せなら相手の性別なんて関係ない」って父さんが言ってくれたんだ。とは言っても今の今まで恋愛とは縁はなかったけどな~」
「へぇー。優しいお父さんとお母さんだね。で、俺が最初の恋人なんだ」
「そう。だから、なんかこうムラムラ―――うっ!」
腹に回された腕をグッと内側に引かれ、俺の言葉は見事に掻き消された。
「やめろよ! 色んなもんが出るかと思ったわ!」
「海斗が変なこと言おうとするからいけないんだよ!」
十八時半過ぎ。辺りはまだまだ明るいが、ポツン、ポツン、と街灯が道を照らしていた。街灯が等間隔に並んでいる道を自転車で進んでいく。しかし花之岡町に入ってからは街灯より霊の数が圧倒的に多いかった。自転車で幾人者の霊の横を通り過ぎる。慣れたつもりだったがこうも沢山視かけると怖い。
「花之岡って何かあったっけ?」
後ろからの声に俺は首を傾げ「知らん」と返す。律も霊の多さが気になっているようだった。
「最近の人じゃないね」
「と言うと?」
「小袖姿の人とか昭和初期の古い格好してる霊が沢山いるからこの町、昔何かあったのかも」
「小袖って何?」
「着物の原型になった服」
律は頭が良い。博識だ。ジャンル問わず色んな事を知っている。一緒にいる俺まで頭が良くなった気分になる。
「ほら、着い・・・・・・」
「おおっ・・・・・・」
警備員に誘導され入った駐車場兼駐輪場には車や自転車が所狭しと駐められていた。人も多い。
「花火って十九時からだよね」
「・・・・・・ああ。まぁ、屋台とか出てるし場所取りもあるから・・・・・・混んでんだろ」
場所取りをするやつはもっと早い時間帯に来てるんだろうけど、と嫌味たらしく言う。しばらく駐輪場を彷徨っていると空いている場所をようやく見つけた。たったこれだけの作業で汗だくだ。
花之岡町で毎年開催される花之岡花火大会は県外からも人が多くやってくる。テレビではよく見ていたが実際に来ると迫力が違う。
俺は自転車を降りると律の手を握る。
「ここミレモールよりはぐれそうだから手繋ごう。あと人が少ない所探そう」
「そんな所ある?」
「・・・・・・多分」
会場周辺を歩き回る。辺り一面、人、人、人、だ。
俺は屋台が並ぶ裏に坂道があることに気付く。坂の上には確か花之岡神社があったはずだ。百年以上の歴史があり、何回か修繕工事もされている。あそこは高台にあるから見晴らしが良い。花火もよく見える。けど観覧客が殺到する場所でもあり、近年マナー違反をする人が増え、何年か前からは花火大会の日だけ規制線が張られていたはずだった。
「律。神社の方に行こう」俺は律の手を引く。坂道の入り口まで来ると、やっぱり規制線が張られていた。
「規制線張られてる。他の所行く?」
「いや、ここを通る」
俺は廃病院に不法侵入した身だ。だからといって開き直り、再び立ち入り禁止の場所に入るのは違うとは思うけど、今日だけは・・・・・・今年だけは許してくださいと神様に願う。身を低くし観覧客から見えないよう山側をゆっくりと歩く。上まで行くと少数の人がいた。まぁ、規制線を張っていても一定数守らないで入る人もいる。俺は神社の前に立つと一礼をし、賽銭箱に五十円玉を投げた。五十円は穴が開いているから見通しが良くなるという意味があるらしい。鈴は鳴らせないから、そのまま二拝二拍手一拝する。勝手に入ったんだ。これぐらいするのは当たり前だ。俺は律に五十円玉を渡すと参拝するよう促す。勿論、鈴は鳴らさないように細心の注意を払いながら。
参拝を終えると俺達は樹齢何十百年と経っていそうな大木の下に座る。前に幾つもの大木があるから、その隙間からしか花火は見えないが坂道近くにいて人に見つかるよりはマシだ。
―――バンッ!
『お待たせしました! ただいまより第二十八回花之岡花火大会を開催いたします。夜空を彩る大輪の花を、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください』
会場から多少離れてはいるがアナウンスがよく聞こえる。観客の歓声に満ちあふれた声も聞こえてくる。俺はボディーバッグから笑顔ポン太と威嚇ポン太を取り出す。
「あっ、ポン太」とポン太に反応する律に威嚇ポン太を渡す。
「ポン太を俺達に見立てて花火をバックに撮ろう」
「ぬい活ってやつ?」
「そうそう。いくら律が写真に写るとはいえ、この暗さじゃあな・・・・・・。撮れなくはないけど画像が少し粗くなるんだよな。フラッシュ焚いても良いけど何か怖くなるし」
互いにポン太を持ち、近付ける。少し離れた所に大輪の花火。手前にある大木がまたいい味をだしていた。
―――カシャッ!
「おー、良い感じ。ポン太が暗闇から顔出してる」
「どっちにしろホラーだね。花火は綺麗に撮れてるけど」
ピントをポン太に合わせたら、花火がボヤける。かといってポン太にピントを合わせたとしてもポン太の顔が不気味さを増しそうだ。・・・・・・この写真も十分不気味だけど。
「ポン太、ホラーバージョンで良くね?」
「あっ、なら俺が近くまで行って撮ってこようか?」
「えっ・・・・・・大丈夫か?」
「うん!」
律はポン太と俺のスマホを持ち、駆けていく。周りから見たらぬいぐるみとスマホが浮いて見えるんだろうなと、頭の中でその光景を想像すると笑えてくる。良いポジションでも見つけたのか、本当に微かに聴こえるシャッター音に耳を澄ます。一生懸命カメラと格闘する律の背中を見て、微笑ましく思った。
五分くらい経った頃、ふいに律が振り返り手招きをしてくる。俺は腰を上げ、ハーフパンツに付いた土を掌で叩いて落とす。花火の音で聞こえないとは思うが自然と忍び足になる。
「見て。上手く撮れた」
律が「ほら」っと、見せてきた写真は綺麗だった。俺の語彙力不足でなんて表現をしたら良いのか分からなかったが、ポン太も花火もくっきりと綺麗に写っている。
「すげぇキレイ・・・・・・。えっ、加工した?」
「失礼な。してないよ。加工の仕方なんて分からないし」
満足そうに写真を眺める律に、俺は「カメラマンの才能が開花したんじゃね?」と軽く肘で小突く。
「まぁ、前はよく空とか撮ってたからそれが活きたのかも」
満更でもない笑顔を見せる律を見てから、坂の下を一瞥する。屋台が並ぶ細道には沢山の人がいるが、ほとんどの人が花火の方を向いていて、こちらには背中を向けていた。
今なら良いかな。律はきっとまた顔を茹で蛸のように真っ赤にしながら「まだ早い!」とか「不純!」って言いだしそうだけど、好きな人が隣にいたらキスぐらいしたくなるだろ? 俺はまだ未成年だけど、それなりの歳だ。律なんか十五歳で止まっているが実質二十二歳だ。性欲は人間の三大欲求の一つ。それに雰囲気が良すぎる。目の前に大きな花火だ。少し意味は違うが据え膳食わぬは男の恥だ。
「律」
「んー?」
名前を呼ばれて振り返った律の唇に俺は触れるぐらいのキスをした。ほんのりと温かく、冷たい、マシュマロのように柔らかい唇に俺は溺れそうになった。触れるぐらいのキスなのに恥ずかしさで軽く目眩を覚える。・・・・・・・・・・・・反応がない。
俺は薄らと目を開けると、目の前では案の定、顔を真っ赤にした律がギュッと目を瞑っていた。これ以上唇を押しつけたら卒倒しそうな気がしたので、そのまま離れた。
「・・・・・・マシュマロみたいに柔らか・・・・・・」
「スケベぇぇぇぇ!」
これも想定内。俺は律の力で押され雑草の上に倒れ込んだ。
「あっはははは!」
俺は腹を抱えて笑った。初めてのキスは緊張したけど、期待を裏切らない律の反応にひとしきり笑った。
「でも良いもんだろ?」
俺は足許に立ってこちらを見下ろしている律に問いかける。
「好きな人とキスしたいのって当たり前の感情じゃん? 確かに早いかもしれないけどさ。俺達には時間が限られてる。律の許可が下りるのを待ってたら十年は我慢させられそうだ」
「さ、さすがに十年は待たせないって」
「いや、お前ならやりかねない」
薄らと見える星空を眺める。
律と出会って、自分でも気付かなかった一面を根掘り葉掘り引き出される。
俺はこんなに欲が強かったのかとか、悪戯好きだったのかとか、恋人とイチャイチャしたいタイプだったのかとか・・・・・・。何はともあれ今が幸せならそれでもいいと思った。むしろ素直で良い事だ。
腕がムズムズと痒い。
あれから二人で三十分ほど花火を眺めた。花火が上がる度、歓声をあげる律を見ていると来て良かったなと思ったが、その代償は露出した腕と足を蚊に刺された事だった。とんでもなく痒い。家を出る前に全身に振り撒いた蚊除けスプレーは効果を発揮しなかったようだ。持ってきて頻繁に噴き掛ければ効いたのか?
「コンビニ寄っていい? 喉渇いた」
「うん。いいよ」
家を出てから水分を一滴も摂っていない。この暑さだ。さすがに何か飲まないと熱中症になる。俺は目に付いた大手のコンビニに立ち寄った。中に入ると冷房が効いていて涼しい。まだ花火大会がやっているからか店内には客がほとんどいなかった。俺は奥の壁一面に綺麗に飲み物が陳列されているリーチインケースに向かう。扉を開け、スポーツドリンクを一つ取る。
夏は基本麦茶かスポーツドリンクか水しか飲まない。最近は汗をかいてばかりだからもっぱらスポーツドリンクばかりだ。
俺はスポーツドリンクを片手にレジに向かう。
「コンビニも変わらないね。新商品が増えたくらい」
「そうそう変わらない物もあるんだよ律くん」
有人レジで会計をしていると店員の隣に貼り付くように女の霊がいる事に気がついた。俺は男の店員を一瞥し、この店員に憑いている事を確信した。それを知らせようと律に目配せをするが、律は違う方向を見ていた。俺は視線を追うようにゆっくりと振り返った。後ろには二十代くらいの男が立っていた。突然振り向かえったもんだから、自然と目が合う。男は怪訝な顔でこちらを見ている。隣には女の人もいた。緩くウェーブしたセミロングの明るい髪に水色の白い花びらが散りばめられた浴衣を着ている。女の人の顔に見覚えは全くなかったが男の方に見覚えがあった。
この顔、どこかで・・・・・・。
気付けば俺は渡されたスポーツドリンクを床に落としていた。男は屈み、転がったペットボトルを拾い上げると「どうぞ」と手渡してくる。俺は微かに震える声で「どうも」とお礼を言う。間違いない。写真よりも多少老けたように見えるが、コイツは、この男は、間違いなく、本木拓也だ―――。
