紡がれる力 ―霊を宿す少年―

(……ああ、気が重い)

 いつもの通学路、見慣れた朝の景色――なのに今日は、まるで空気が違う。見えない何かに、体のまわりをじっと囲まれているような感覚がある。背中や首筋を、細い針でつつかれているみたいで落ち着かない。自分で見ることのできない背中のあたりが、ずっとむずむずする。

「きっと……気のせい、だよな」

 小さく呟く。でも足取りは、どうしても重くなった。

 昔から俺は、びっくりすることが大の苦手だった。サプライズにお化け屋敷、仕掛けられたドッキリを含めて、どれも心臓に悪い!

「どうして、みんな平気なんだろうな……」

 あの、心臓をわしづかみにされる感じ。慣れるどころか、思い出すだけで胃が痛くなる。

 俺はカバンを握りしめ、制服の胸ポケットにそっと手を入れた。中にあるのは、祖父の数珠。

「大丈夫、大丈夫……」

 安心させるために、念仏みたいに何度も呟く。

「メガネを外さなきゃ、変なモノは見えないし……」

 自分に言い聞かせながら、校門をくぐった。そのまま昇降口に入り、上履きに履き替えていたときだった。

「おっはよー、優斗!」

 クラスメイトの岡田がいつもの能天気な笑顔で、背後から肩を叩いた。

「ヒィッ!?」

 情けない声を出しながら振り向くと、岡田がきょとんとした表情で俺を見つめた。

「……お前、朝からどうした?」
「いや、ぼんやりしてただけ!」

 慌てて、笑ってごまかすしかない。

「あれ? メガネをかけるくらい、優斗ってば目が悪かったのか?」
「ああ。最近黒板の字が見えにくくてさ。だからメガネが必要になって」
「ああ、なるほどな」

 岡田は納得した様子で頷いた。

「そうそう、一限の現国の宿題さ――」

 そこまで言いかけたとき、俺は足を前に出そうとして――止まった。左足が、びくとも動かない。

「……あれ?」

 まるで、何かに掴まれているみたいな感触がある。

「優斗、どうした?」
「悪い……先行っててくれ。足がつった」

 本当は違う。足首を、誰かに握られている。

 岡田は苦笑しながら、ひとりで教室へ向かった。

 人の気配が少なくなったのを確認して、俺はそっとメガネをずらす。恐るおそる視線を落とすと、そこにいたのは、しわだらけのおじいさんだった。

「……おお、おじっ!」

 思わず声が漏れる。血まみれでも、首なしでもない。作業着を着たごく普通のおじいさんの幽霊の姿に、ほっとため息を吐く。

「見た感じ、公務補さん……っぽいな」

 俺は自分を落ち着かせるべく、小さく咳払いした。

「えっと……おはようございます」

(……幽霊に朝の挨拶って、実際どうなんだ。でも、話しかけ方が分からないという)

「ここじゃ話しにくいので……ちょっと場所を移動してもいいですか?」

 俺の問いかけに返事がないまま、いきなり背中に重みがのしかかった。

「うぐっ……!」

 想像以上に重かった。幽霊ってもっと、ふわっとしてるもんじゃないのか。なんで、米俵みたいな重量感なんだよ。まんま、成人男性一人分の重さだった。

(腰が……腰が終わる……!)

 背中のおじいさんは妙に姿勢が良く、無言でしがみついてくる。そのせいで余計に怖い。

 俺はよろよろしながら壁を伝い、人目のない階段下へ移動した。母さんは軽々と幽霊を背負ってたのに、なんで俺はこんなふうに必死なんだろうか。

 人の気配がないのを確認しながらメガネを外して、俺は深呼吸した。母さんから聞いた、浄霊の方法を思い出す。

(確か、霊の額に手をかざして、その奥に残っている霊の想いを読む――)

 思いきって、おじいさんに手を伸ばした――視える。断片的なイメージが、頭の中に流れた。それは、風が吹き抜ける高い場所。

「えっと……屋上?」

 次に視えたのは柵と、錆びたネジにぐらついた何かだった。

「これは……手すり?」

 おじいさんは、俺の背中で小さく頷いた。

「とりあえず、行ってみるか」

 仕方なく、幽霊を背負ったまま屋上を目指して階段を登る。三階まで何とか辿り着き、屋上の扉を押し開けた瞬間、朝日が一気に差し込んだ。

 眩しさを感じて立ち止まったら、背中からおりたおじいさんは迷いなく歩き出す。そして、ある場所で立ち止まり、指を差した。そこには錆びた手すりがあり、ネジが外れかけている。触るとぐらぐら揺れるくらいに、ガタがきていた。

「うわっ……これは危ないな」

 思わず呟く。ここから落ちたら、大事故になってしまうだろう。

「これを知らせたかったのか?」

 おじいさんは、満面の笑みで頷いた。

 俺は、胸ポケットから数珠を取り出す。紫の石が、ほんのり温かくなった。まるで祖父の声が、背中を押してくれているような気がする。そのまま目を閉じて祈る。すると、白い霧が静かに広がった。霧の中に、一本の光の道が現れる。

(……ありがとう、坊主)

 おじいさんが笑いながら言った瞬間、俺の頭の中に見知らぬ光景が流れ込む。おじいさんが着ている作業着の胸元に「山田」と刺繍があって、毎朝この校舎を掃除していたことや、生徒が怪我しないよう最後まで気にしていたことなど、日常が映画のワンシーンのように映って消えていった。

「最後まで、学校を守ってくれてありがとう。いってらっしゃい。気をつけて」

 俺は少し照れくさくなりつつも、お礼を言って見送った。おじいさんは手を振り、光の道を歩いていく。やがて霧が消え、屋上は元の景色に戻る。俺はぽつんとその場に立っていた。

 そして思う。

(……なんだ、この達成感――)

 初めての浄霊なのに、スムーズにうまくいった。

(もしかして俺ってば、天才霊能者なんじゃないか?)

 最初の浄霊、大成功。これはもう、校内の幽霊を全部片付けられるんじゃないか?

 そんな調子に乗った考えが、すべての始まりだった。このあと俺は、校内の幽霊を次々と説得して回ることになる……結果から言うとそれは、とんでもない大失敗になったのだった。