紡がれる力 ―霊を宿す少年―

 結局、戦闘中に端折られた『神威』についての説明は、帰宅後に母さんが嫌そうな顔で説明してくれた。

「私らのご先祖様が積み上げた浄霊の功績に対して、あの世から授けられる“加護”――それが神威さ」
「へぇ、そうなんだ。それって、霊能力を持つ俺たちに分配されるものじゃないんだ?」

 疑問に思ったことを口にしたら、母さんは更に不機嫌を凝縮させたような口調で告げる。

「最上級の加護『神威』を賜れるのは、最高位クラスの霊力が宿った人間のみだよ」
「え?」
「強い悪霊を引き寄せるほど濃い霊力を持った者にだけ、身を守るための加護として宿るんだよ」

 強い悪霊――つまり、さっき倒した巨大な怪物みたいな悪霊が、今後も出現するってことなのか⁉

「そんな、まさか……」
「神威を賜ったことや、博仁と出会ったのもきっと偶然じゃない。封印霊と出会い、ふたりの力が噛み合って、霊力の奥底に眠っていた神威が目覚める――そんな都合のいい偶然、あるわけないだろ」
(僕は優斗の手助けができて、すごく嬉しいけどな)

 俺は言葉を失った。ただでさえ霊が見えるだけでも、普通の生活ができなくなっているというのに、これからさっきのような戦いが日常になるなんて――。

「あ~もう! どうして俺がわざわざ苦労を背負わなきゃならないんだよ!」
「しょうがないだろ。ご先祖様の尻ぬぐいをすることが、私らの幸せに繋がるんだからね。ちゃんとやるんだよ、優斗!」
(頑張ろう、優斗。僕も一生懸命守ってあげるからさ)

 俺は、その場に崩れ落ちた。

「……普通の高校生活、返してくれ」
(残念だけど、無理だね)
「お前が即答するな!」

 疲れた体を引きずって帰ってきたというのに、精神的に重い事実を聞き、目の前が真っ暗になった瞬間だった。


***

 朝――目覚ましが鳴るより先に、俺は目を覚ました……いや、起こされた。

(優斗、起きて)

 頭の中に直接響く、妙に爽やかな声が腹立たしい。

「……朝からうるさい」

 布団を頭まで被る。すると次の瞬間、布団がふわっと勝手に持ち上がった。

「は?」

 慌てて上半身を起こしたら、目の前に博仁がいた。以前みたいな半透明じゃない。契約してからは、霊力を使えば短時間だけ実体化できるようになった。

 黒髪に整った顔。そして爽やかな笑顔――見た目だけなら完璧な美青年。霊をモリモリ喰うなんていう特技を知らなければの話だ。

(早く起きないと、学校に遅刻するよ)

 急かしているクセに、なぜかニコニコしている。

「誰のせいで、夜中まで騒がしかったと思ってんだ」

 今日の深夜二時。近所の廃アパートで騒ぐ大量の霊を浄化しに行かされ、帰宅したのは午前三時過ぎ。その後、博仁が無駄にテンション高かったせいで、寝不足だったりする。

(あんなにたくさんの霊を瞬殺できるなんて、本当に楽しかった)
「コッチは、大変だったというのに……」

 呆れていると、階下から母さんの声が飛んできた。

「優斗ー! 博仁ー! 朝ご飯できたよ!」
「なんで普通に、名前を呼んでんだよ!」
(家族だからじゃない?)
「霊のクセに、お前が馴染みすぎなんだって!」

 結局、起きるしかない。仕方なく制服に着替えて、重い体を引きずるように階段を下りる。

 食卓には焼き鮭、味噌汁、卵焼き。いつもの朝飯……のはずだった。なぜか博仁が正座して、手を合わせている。

(いただきます)
「食べられないだろ」
(雰囲気は大事だよ)
「そこだけ参加するなよ」

 俺らのくだらないやり取りを見て、母さんがケラケラ笑う。

「あんたたち、本当に夫婦漫才みたいだね」
「マジでやめて!?」
(僕は構わないけど)
「俺が構うわ!」

 そんな朝。そんな、ちょっとうるさい日常。けれど、平穏は長く続かない。登校途中、商店街の角まで来たときだった。

(……優斗、右側を見て)

 俺は反射的に振り向く。日の光が当たらない古いビルの屋上――そこに、黒い影が立っていた。人の形をしているのに、なぜか顔がない。

 あるべき場所は、のっぺりと黒く塗り潰されていた。その代わり、胸のあたりが縦に裂けている。肋骨を押し広げるみたいに肉が左右へ割れ、その奥から、ぬらりと濡れた赤黒い舌が覗いた。
 
 しかも、口が一つじゃない。裂けた肉の奥で、何重もの歯がびっしり蠢いている。まるで“食べるためだけ”に生まれた穴みたいだった。代わりに胸のあたりに、大きな口が裂けている。

 ぞっとするほど濃い穢れは、こちらを見つけると――胸の口で嬉しそうに笑った。

『見ぃつけたぁ』

 頭の中に響く声。その瞬間、周囲の空気が一気に冷える。

 通行人は誰も気づかない。霊能者の俺だけが分かる、これはかなり危険な悪霊だ。でも、もう前みたいに一人じゃない。

(行こうか)

 胸の奥で、博仁が笑う。あの、少し楽しそうな声で。

(優斗、朝ご飯後の運動には、ちょうどいいんじゃない?)
「その感覚が嫌なんだよ……」

 言いながらも、右手をぎゅっと握る。それを合図に、胸の奥が熱くなった。全身に金色の光が走ると同時に、黒い霧が右腕に絡む。金と黒が溶け合い、深い紫紺の雷が弾けた。

「――鎮魂雷を使う」

 俺は空を見上げる。

 怖いけど逃げない。だって守りたいものがある。隣に、信じられる相棒がいる。

「さっさと終わらせるぞ、博仁」
(了解、優斗)

 そして俺たちは駆け出す。光と闇をその身に纏って。人知れず、誰かの明日を守るために。

「鎮魂雷っ!」

 技を繰り出した瞬間、空気が裂けた。それを難なく退けた黒い瘴気を纏う悪霊が、地面を抉りながら突進してくる。さっきまでとは比べものにならない密度。まるで“核”を持ったような重さを感じた。

「来るぞ、優斗!」
(分かってる!)

 俺は踏み込みながら、再び右手に霊力を集める。白い光が灯って拳が悪霊と触れた瞬間、金属同士を打ち合わせたような甲高い音が弾けた。

 火花が盛大に散って、紫雷が暴れる。それでも―― 鎮魂雷が通らない。

「くぅっ……!」

 思った以上の衝撃で、体が弾き飛ばされる。そのまま地面を転がり、背中を強く打ちつけた。衝撃波が商店街を駆け抜け、軒先の看板が激しく揺れた。足元のアスファルトに、蜘蛛の巣みたいな亀裂が走る。

 俺の無様な姿を見て、嘲笑うように悪霊はケラケラ笑っていた。

「なんだあれ、異常に硬い……!」
(あれは、ただの悪霊じゃない)

 博仁の声が低い。

(“堕ちきった霊”だ。魂の形を保ったまま、喰うことだけに特化した存在なんだ。自分がほかの霊に食べられないように、頑丈な身体を持ってる)
「だからって……!」

 震える両足で、やっと立ち上がる。連続で技を繰り出しているせいで、呼吸が荒かった。

「あんなの、どうやって祓うんだよ!」

 悪霊が嗤った。黒い霧が渦を巻き、辺りの空気が歪む。その瞬間――胸の奥で何かが鳴った。

 びり、と。

「……え?」

 心臓じゃない、もっと奥。血でも肉でもない場所。

(優斗、それ……)

 博仁が俺の変化に気づく。

(今、何か――)

 次の瞬間、悪霊が再び飛びかかってきた。

「くそっ!」

 反射で右手を突き出して霊力を叩きつけるが、頑丈な胴体にまた弾かれる。だがその衝突の瞬間、白い光と黒い霧が渦を巻いて混ざった。

「――!?」

 弾けるような衝撃。光でも闇でもない、“雷光”のような輝きが一瞬だけ生まれた。それを見た悪霊が初めて怯んだ。

(今の……)

 博仁の声が震える。

(均等に混ざった? 僕の力と君の……)

 俺も息を呑む。

「なんだよ今の……?」

 ただ、霊力をぶつけただけだ。なのに――反応が違う。悪霊が距離を取って、明らかに警戒している。

(優斗)

 博仁が静かに言った。

(もう一度やれるか)

「そんなの……分かんないって」

 正直に答える。

「でも」

 拳をぎゅっと握りしめる。

「やるしかないだろ」

 その瞬間、胸の奥の“何か”がまた脈打った。今度は、はっきり――びり、と。

 心臓ではない。血でも肉でもない。魂の、さらに深い場所。そこに眠っていた何かが、目を覚ます。

「……え?」

 全身の毛が逆立つと空気が変わる。風が止み、世界から音が一瞬消えた。

(優斗、それ……)

 博仁の声に、かすかな驚きが混じる。

(君の中にある核が、開くよ)

 次の瞬間、悪霊が黒い瘴気を撒き散らしながら襲いかかってきた。

「っ……!」

 避けるより先に、意識が深く沈む。

 暗闇の底に、巨大な社があった。無数の白い紙垂が風もないのに揺れ、空には濃紺の雷雲が渦巻いている。低く、腹の底まで響く雷鳴。

 社の奥――黄金の光が灯る。

 現れたのは、一柱の龍。角を戴き、稲妻の鬣を靡かせる、巨大な金龍。その瞳が、まっすぐ俺を射抜く。

『継ぐ者よ』

 声ではない。魂へ直接刻まれる神託。

『光のみでは祓えぬ。闇のみでは救えぬ』

 金の瞳が静かに細められる。

『相反する力を恐れるな』

 大きな雷鳴が鳴り響く。

『共に鳴らせ』

 瞬間――言葉が流れ込む。知らないはずの力の名。けれど、魂が知っていた。

「……神鳴(かみなり)」

 目を開いた瞬間、世界が違って見えた。

 悪霊の黒い核と空気の流れ。大地に流れる霊脈。そして胸の奥で鼓動する、白い光と黒い闇。

(優斗)

 博仁が静かに呼ぶ。いつもの軽さがない、真剣な声だった。

(……怖い?)

 一瞬、息が止まる。禍々しい黒を受け入れることや、博仁の異質さを認めること。それは、恐ろしくないと言えば嘘になる。

 けれど――。

 俺は拳を強く握る。

「怖いに決まってる」

 悪霊が咆哮し、空気が裂ける。それでも前を見る。

「でも」

 胸に手を当てる。

「お前が俺を守るために戦ってるのは、知ってる」

 黒い力が、優しく熱を持った。

(……うん)
「だったら」

 笑ってやる。

「信じる。一回だけじゃない、何度でもだ」

 次の瞬間、胸の奥から喜びが弾ける。博仁が笑った。心の底から嬉しそうに。

(優斗)

 黒が広がると同時に、白が輝く。反発するはずの二つが、今度は自然に絡み合う。白が芯となり、黒が包み込む。そこへ金の神威が落ちて、三つの力がひとつになる。

 ――轟音。

 俺の足元から放電が走り、地面が蜘蛛の巣状に砕けた。

 髪が逆立って、制服が激しくはためく。瞳の奥に金の雷紋が宿る。右腕を包む雷は、もはや紫ではない。中心は白金で、周囲を蒼雷が奔り、さらに外側を黒雷が蛇のようにうねる。

 最後に、神威の黄金の火花が星屑みたいに舞う。

 空が応えた。雲一つない晴天に、突如として雷雲が渦巻く。轟々と天が鳴る。神が、鳴る。

(それだ)

 博仁の声が震える。

(それが僕らの――)
「奥義」

 迷うことなく、空へ右手を掲げる。雷雲が裂け、一本の神雷が腕へ落ちた。

 世界が白く染まる。

「――神鳴」

 振り下ろす。落ちたのは雷ではない。それは巨大な雷龍。白金の顎と蒼雷の鬣、黒雷の鱗に黄金の眼光。天から降る神の一撃。

 悪霊が悲鳴を上げる間もない。触れた瞬間、黒い核が崩壊する。肉も穢れも呪いも未練も――すべてを光へ還しながら。

 轟音が世界を揺らす。街中の窓ガラスが震え、遠くの空まで稲妻が枝分かれして走る。けれど、人は誰も傷つかない。焼くための雷ではない。祓い、還すための雷。

 鎮魂の極致――神鳴。

 雷光が消える頃には、そこには何も残っていなかった。穢れ一つない、澄み切った空気だけ。ふわりと風が吹く。銀杏の葉が舞い、朝の光が静かに差し込む。

 俺は、その場に立ち尽くしていた。指先から、まだ小さな金の火花がぱちりと散る。

「……終わった?」
(うん)

 博仁の声が、どこか穏やかだった。

(綺麗に、送れたみたいだね)

 俺は自分の手を見る。もう雷光はない。ただ胸の奥に、確かに残っていた。さっきの“核”が。

「……神威」
(使い方を間違えれば、かなり危険なものだけど)

 少し軽い声に戻る。

(でも、君なら大丈夫そうだ)
「なんで分かるんだよ?」
(さあね)

 くすっと笑う。

(なんとなく)

 俺はため息をついた。

「適当だな……」
(でもさっき、僕の手を取っただろ)
「……」
(あれで十分だよ)

 その言葉に、少しだけ言葉に詰まる。

「……死にそうな時だけだからな」
(はいはい)

 軽い返事。でもどこか、嬉しそうだった。

 正直、今の俺が抱える現状は面倒事ばかりだ。しかも怖い。できれば普通に暮らしたい。

 けれど隣で「次はどんな霊かな」なんて笑う相棒がいて、守るべき誰かの明日があって、半人前の自分の力にも少しだけ意味を見つけられた。

 だったら、この騒がしい日々も悪くない……いや。少しどころか、案外嫌いじゃないのかもしれない。これが俺の日常――霊が見えて、騒ぎに巻き込まれて。胡散臭い守護霊と同居して毎日振り回される、面倒で騒がしい日々。

 だけど――少しも悪くない。

おしまい