***
高いところから落ちていく感覚で、俺はベッドから飛び起きた。
「はっ……!」
全身は汗びっしょりで、全速力の後みたいに息が荒い。目を凝らすと部屋は暗いままだった。カーテンの隙間から、わずかな光が差し込んでいる。
「……夢?」
さっきまで見ていたことを呟いた。でも胸の奥に残る感覚が、それを否定する。じん、とした圧迫感。まるで、何かに締め付けられているみたいな。
「……っ」
無意識に胸を押さえた、そのときだった。視界の端に、何かが見えた。
「……え?」
手首にうっすらと、赤い痕が浮かんでいた。まるで、鎖に締められたみたいな痕が。
「……は?」
血の気が引く。夢じゃない、あれは――確実に繋がっている。その瞬間、頭の奥でかすかな声がした。
(……まだ、間に合うよ)
とても弱い声だった。それは昨日とは違う。明らかに力が落ちているせいで、声の余韻がすぐに消え去っていく。
「……博仁?」
返事はない。ただ、ほんのわずかに気配だけが残っていた。消えかけているような、微かな気配のみを感じる。
手首の痕を、意味なく何度も擦った。消えずに、じわじわと熱を持っている気がする。
「やっぱり……夢じゃない」
呟いた声は、やけに乾いていた。あの鎖、あの言葉――このままだと俺の魂が縛られる現実味が、じわじわと押し寄せてくる。
「……くそ」
布団を蹴飛ばして、勢いよく立ち上がった。そして、部屋を出ようとして足が止まった。母さんに言えば、多分すぐ答えは出る。“封印し直せ”って。それが一番確実で安全で、きっと正しい行動につながるだろう。
「……」
でもそれを選んだ瞬間、どうなるかも分かってる。博仁は、またあの木に縛られる。この先何年も、何十年も――。
「そんなの……ふざけんな!」
小さく吐き捨てる。気づけば、拳を握っていた。
「封印をし直すなんて……」
納得できるわけがないし、正直めちゃくちゃ怖い。あいつが普通じゃないのも分かってる。霊を“食う”なんて、まともじゃない。でも――それでも。
「……助ける方法を探すしかないんだ」
言葉にした瞬間、妙にすっきりした。逃げ道を、自分で潰したみたいに部屋を飛び出す。急いで廊下を抜けて、玄関へ――。
「どこに行くんだい!」
後ろから声が飛んできた。この声は母さんだ。
恐るおそる振り返る。腕を組んで、こっちをじっと見つめる鋭い視線に、内心ビビりまくった。
「えっと……気分転換に、ちょっと外に行ってみようかと」
「嘘だね」
即答だった。
「その顔は、厄介ごとに突っ込む顔だ」
「……」
図星すぎて何も言えない。母さんはゆっくり歩いて近づき、俺の手首を取った。
「……ああ」
赤い痕を見るなり、ため息をつく。
「やっぱりね」
「これ、分かるのか」
「当たり前だろ」
ぴしっと指で、おでこを弾かれる。
「封印を解除した反動の痕だよ」
それは、予想通りの答えだった。
「……このままだと縛られるね」
あっさり言う。迷いがない言葉を聞いたからこそ、思いきって訊ねてみる。
「助かる方法は?」
俺は食い下がった。
「あるよ」
一瞬、希望が灯る。でも次の言葉で、それは簡単に潰される。
「封印し直すこと」
「それ以外で!」
即答したら、母さんの目がすっと細められた。
「優斗……本気かい?」
「本気だよ」
母さんから視線を逸らさないで、堂々と宣言してやった。
「俺は本気だからさ。他の方法はないのか、意見が聞きたい!」
少しの沈黙。母さんはじっと俺を見ていた。探るように、試すように。
「……あるにはある」
「ほんとか!」
「ただし」
俺の顔の前に、人差し指を立てる。
「おすすめはしない」
「なんで?」
「だって、面倒だから」
「う~わ、理由が雑!」
思わずツッコむと、母さんはくすっと笑った。
「冗談だよ。半分はね……」
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「いいかい、よく聞きな。封印ってのは、“力を押さえつける仕組み”なんだよ」
「……うん」
「あの赤い鎖は、その最上級だろうね」
告げられた言葉がキッカケで、頭の中に思い出す。あの、異様な鎖。血のような真っ赤な色をした鎖は、やけに重たくて簡単に切れるようなものじゃなかった。
「普通は壊せない。壊せた時点で異常だ」
「壊して悪かったな!」
「なに怒ってるんだい。褒めてるんだよ」
さらっと言う。
「で、その封印を使わずに安定させる方法は一つ」
母さんは、俺の胸を軽く叩いた。
「共鳴させること」
「……共鳴?」
「アンタと、あの霊を」
ぞくり、とした。博仁が俺の身体の中に入っていた感覚――魂がふたつあるというだけで、違和感がすごかった。
「それって、完全に繋げるってことか?」
「そう」
あっさり頷く。
「中途半端だから歪む。なら、いっそ揃えればいい」
「揃えるって……?」
「魂の波長を合わせる」
意味は分かるようで、分からない。でも嫌な予感だけは、はっきり分かる。
「……危ないやつだろ、それ」
「かなりね」
母さんは平然と言った。
「失敗すれば、どっちかが壊れる」
「どっちかって?」
「アンタか、あっちか」
やけに、軽く言うな。
「成功すれば?」
「間違いなく、安定するだろうね」
短い答えに、揺らいでいた決心がまとまっていく。
「優斗とあのコは、きっと共存できる」
その一言で、胸がどくんと鳴った。
「そっか……それでいい」
気づいたら、そう言っていた。母さんの眉がわずかに上がる。
「アンタ、覚悟はあるのかい?」
「ない!」
両手に拳を作って即答した。
「でもやる。やらなきゃダメなんだ」
自分でも笑えるくらい、無謀なことはわかってる。でももう決めた。博仁を封印するって選択は、絶対に選ばない。
「……はあ」
母さんが大きくため息をついた。
「ほんと、アンタは――」
呆れた顔をしているのに、その目は少しだけ柔らかい。
「誰に似たんだか」
「母さんだろ」
「違うね。私はもっと賢いし、無謀なことはしない主義なんだよ」
「自分で言うな」
俺の文句を聞き流した母さんは、すっと表情を引き締めた。
「場所は、あの木だ」
「やっぱりか」
「封印の中心だからね」
振り返って、窓から外を見る。夕焼けの赤が空を染めていて、夕方に差し掛かっている時間帯だった。
「今からやる」
「いいだろう」
母さんは頷いた。
「ただし」
びしっと指を向けられる。
「途中で逃げるんじゃないよ」
「逃げないって!」
「絶対だよ」
「しつこい!」
玄関を開ける。冷たい空気が流れ込んできた。その奥で微かに、本当に微かに。
(……優斗)
声がした。すごく弱いものだったけれど、確かに聞こえた。
「待ってろ」
小さく呟く。
「今、そっちに行く」
俺は、そのまま走り出した。
高いところから落ちていく感覚で、俺はベッドから飛び起きた。
「はっ……!」
全身は汗びっしょりで、全速力の後みたいに息が荒い。目を凝らすと部屋は暗いままだった。カーテンの隙間から、わずかな光が差し込んでいる。
「……夢?」
さっきまで見ていたことを呟いた。でも胸の奥に残る感覚が、それを否定する。じん、とした圧迫感。まるで、何かに締め付けられているみたいな。
「……っ」
無意識に胸を押さえた、そのときだった。視界の端に、何かが見えた。
「……え?」
手首にうっすらと、赤い痕が浮かんでいた。まるで、鎖に締められたみたいな痕が。
「……は?」
血の気が引く。夢じゃない、あれは――確実に繋がっている。その瞬間、頭の奥でかすかな声がした。
(……まだ、間に合うよ)
とても弱い声だった。それは昨日とは違う。明らかに力が落ちているせいで、声の余韻がすぐに消え去っていく。
「……博仁?」
返事はない。ただ、ほんのわずかに気配だけが残っていた。消えかけているような、微かな気配のみを感じる。
手首の痕を、意味なく何度も擦った。消えずに、じわじわと熱を持っている気がする。
「やっぱり……夢じゃない」
呟いた声は、やけに乾いていた。あの鎖、あの言葉――このままだと俺の魂が縛られる現実味が、じわじわと押し寄せてくる。
「……くそ」
布団を蹴飛ばして、勢いよく立ち上がった。そして、部屋を出ようとして足が止まった。母さんに言えば、多分すぐ答えは出る。“封印し直せ”って。それが一番確実で安全で、きっと正しい行動につながるだろう。
「……」
でもそれを選んだ瞬間、どうなるかも分かってる。博仁は、またあの木に縛られる。この先何年も、何十年も――。
「そんなの……ふざけんな!」
小さく吐き捨てる。気づけば、拳を握っていた。
「封印をし直すなんて……」
納得できるわけがないし、正直めちゃくちゃ怖い。あいつが普通じゃないのも分かってる。霊を“食う”なんて、まともじゃない。でも――それでも。
「……助ける方法を探すしかないんだ」
言葉にした瞬間、妙にすっきりした。逃げ道を、自分で潰したみたいに部屋を飛び出す。急いで廊下を抜けて、玄関へ――。
「どこに行くんだい!」
後ろから声が飛んできた。この声は母さんだ。
恐るおそる振り返る。腕を組んで、こっちをじっと見つめる鋭い視線に、内心ビビりまくった。
「えっと……気分転換に、ちょっと外に行ってみようかと」
「嘘だね」
即答だった。
「その顔は、厄介ごとに突っ込む顔だ」
「……」
図星すぎて何も言えない。母さんはゆっくり歩いて近づき、俺の手首を取った。
「……ああ」
赤い痕を見るなり、ため息をつく。
「やっぱりね」
「これ、分かるのか」
「当たり前だろ」
ぴしっと指で、おでこを弾かれる。
「封印を解除した反動の痕だよ」
それは、予想通りの答えだった。
「……このままだと縛られるね」
あっさり言う。迷いがない言葉を聞いたからこそ、思いきって訊ねてみる。
「助かる方法は?」
俺は食い下がった。
「あるよ」
一瞬、希望が灯る。でも次の言葉で、それは簡単に潰される。
「封印し直すこと」
「それ以外で!」
即答したら、母さんの目がすっと細められた。
「優斗……本気かい?」
「本気だよ」
母さんから視線を逸らさないで、堂々と宣言してやった。
「俺は本気だからさ。他の方法はないのか、意見が聞きたい!」
少しの沈黙。母さんはじっと俺を見ていた。探るように、試すように。
「……あるにはある」
「ほんとか!」
「ただし」
俺の顔の前に、人差し指を立てる。
「おすすめはしない」
「なんで?」
「だって、面倒だから」
「う~わ、理由が雑!」
思わずツッコむと、母さんはくすっと笑った。
「冗談だよ。半分はね……」
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「いいかい、よく聞きな。封印ってのは、“力を押さえつける仕組み”なんだよ」
「……うん」
「あの赤い鎖は、その最上級だろうね」
告げられた言葉がキッカケで、頭の中に思い出す。あの、異様な鎖。血のような真っ赤な色をした鎖は、やけに重たくて簡単に切れるようなものじゃなかった。
「普通は壊せない。壊せた時点で異常だ」
「壊して悪かったな!」
「なに怒ってるんだい。褒めてるんだよ」
さらっと言う。
「で、その封印を使わずに安定させる方法は一つ」
母さんは、俺の胸を軽く叩いた。
「共鳴させること」
「……共鳴?」
「アンタと、あの霊を」
ぞくり、とした。博仁が俺の身体の中に入っていた感覚――魂がふたつあるというだけで、違和感がすごかった。
「それって、完全に繋げるってことか?」
「そう」
あっさり頷く。
「中途半端だから歪む。なら、いっそ揃えればいい」
「揃えるって……?」
「魂の波長を合わせる」
意味は分かるようで、分からない。でも嫌な予感だけは、はっきり分かる。
「……危ないやつだろ、それ」
「かなりね」
母さんは平然と言った。
「失敗すれば、どっちかが壊れる」
「どっちかって?」
「アンタか、あっちか」
やけに、軽く言うな。
「成功すれば?」
「間違いなく、安定するだろうね」
短い答えに、揺らいでいた決心がまとまっていく。
「優斗とあのコは、きっと共存できる」
その一言で、胸がどくんと鳴った。
「そっか……それでいい」
気づいたら、そう言っていた。母さんの眉がわずかに上がる。
「アンタ、覚悟はあるのかい?」
「ない!」
両手に拳を作って即答した。
「でもやる。やらなきゃダメなんだ」
自分でも笑えるくらい、無謀なことはわかってる。でももう決めた。博仁を封印するって選択は、絶対に選ばない。
「……はあ」
母さんが大きくため息をついた。
「ほんと、アンタは――」
呆れた顔をしているのに、その目は少しだけ柔らかい。
「誰に似たんだか」
「母さんだろ」
「違うね。私はもっと賢いし、無謀なことはしない主義なんだよ」
「自分で言うな」
俺の文句を聞き流した母さんは、すっと表情を引き締めた。
「場所は、あの木だ」
「やっぱりか」
「封印の中心だからね」
振り返って、窓から外を見る。夕焼けの赤が空を染めていて、夕方に差し掛かっている時間帯だった。
「今からやる」
「いいだろう」
母さんは頷いた。
「ただし」
びしっと指を向けられる。
「途中で逃げるんじゃないよ」
「逃げないって!」
「絶対だよ」
「しつこい!」
玄関を開ける。冷たい空気が流れ込んできた。その奥で微かに、本当に微かに。
(……優斗)
声がした。すごく弱いものだったけれど、確かに聞こえた。
「待ってろ」
小さく呟く。
「今、そっちに行く」
俺は、そのまま走り出した。
