紡がれる力 ―霊を宿す少年―

***
 文化祭の後片付けの声を背中に聞きながら、俺たちは校門を出た。夕焼けが街を赤く染めている。母さんは前を歩き、俺はその後ろをついていく――体の中に幽霊を一人抱えたまま。

「……なあ」

 小声で呟く。

(ん?)

 頭の中で、博仁が返事をした。

「静かにしてろよ」
(してるよ)
「してない」
(心の中の会話は、セーフだろ)

 くすくす笑う気配がする。こいつ、本当に楽しんでやがる。

 前を歩いていた母さんが、ふと振り向いた。

「優斗」
「な、なに」
「さっきから、一人でブツブツ言ってるけど」

 じっと俺を見る。

「その中の奴と会話してるのかい」

 俺は思わず目を逸らした。

「……まあ」
「ふーん」

 母さんは意味深な笑みを浮かべた。

「仲良しだねえ」
「仲良くない!」
(いやいや)

 博仁が呟く。

(悪くない関係だと思うけど)
「黙れ!」
「優斗、うるさいね」

 母さんに頭を叩かれた。

「住宅街で騒ぐんじゃない」

 注意されたので、黙ったまましばらく歩く。夕方の住宅街は静かだった。

 犬の鳴き声や遠くのテレビの音。普通の生活の音がする。でも俺の体の中には幽霊がいる。それは、明らかに普通じゃない。

(いい場所だね)

 博仁が言った。

(人の気配が多い)
「当たり前だろ」
(でも霊は少ない)
「母さんが祓ってるからな」

 俺が言うと、母さんが肩越しに言った。

「聞こえてるよ」
(へえ)

 博仁が少し感心した声を出す。

(街の浄化までしてるのか)
「まあね」

 母さんは、やけにあっさり答えた。

「仕事みたいなもんさ」
(なるほど)

 しばらく沈黙が続いたと思ったら――。

(……ますます気に入った)

 ぼそりと呟く。

「何が」
(この家)

 嫌な予感しかしない。

 そのまま歩いて、十分ほど。俺たちの家が見えてきた。古い二階建ての家。庭には小さな祠と榊の木。母さんが門を開ける。

「ほら、入んな」

 玄関に入る。靴を脱いだ瞬間、母さんが振り向いた。

「さて」

 俺の顔を見た途端に、にやっと笑う。

「まずは――」

 ぱん。

 手を叩いた瞬間から、空気がガラッと変わった。家の中の結界が起動する。玄関の床に、うっすらと光の線が浮かび上がった。

「外から来た霊は」

 母さんが腰に手を当てて言う。

「ここで弾かれる仕組みなんだけどね」

 俺の体の中で、博仁がくすっと笑った。

(なるほど)

 声が聞こえたと思ったら、胸の奥がぐっと引っ張られた。

「うわっ!」

 体の外へ、何かが引きずり出される。黒い影が俺の体から滑り出し、玄関の床に着地する。

 それはゆっくりと形を作った。黒髪に黒い着物。そして余裕の笑み。博仁が、そこに立っていた。

「……お邪魔します」

 軽く頭を下げる彼を見て、母さんは腕を組んだ。

「やっと出たね」

 空気が一瞬で張り詰める。博仁は玄関を見回した。

「いい結界だ」

 素直に言う。

「普通の霊ならこの家に入った瞬間、消える結界ですよね?」
「褒めても何も出ないよ」

 母さんの目が細くなる。

「さて」

 ゆっくり一歩踏み出す。

「アンタ、何者だい」

 博仁は少し考え、肩をすくめた。

「さあ、覚えてない」

 母さんの眉がぴくりと動く。

「とぼけるんじゃない」
「本当だよ」

 博仁は笑った。

「気づいたら封印されてた。それを優斗が解いた」

 母さんの視線が鋭くなる。

「なるほど」

 諦めたように、ゆっくり息を吐く。

「つまり」

 次の瞬間、母さんの指先に炎が灯った。青白い火の存在だけで、場の空気がひりつく。

「危険かどうか」

 静かに言う。

「ここで確かめるしかないね」

 俺は青ざめた。

「ちょっ母さん!」

 博仁は炎を見て、少しだけ目を細めた。

「……ほう」

 楽しそうに言う。

「それが」

 炎が揺れるだけで、空気が歪む。

「地獄の業火か」

 博仁は興味深そうに炎を見つめた。母さんの指先に灯った火は、普通の炎とは違う。青白く揺らめきながら、周囲の空気をじわじわと歪めている。

 温度は感じない。なのに、背筋がぞくりとする。きっと、霊そのものを焼く火に違いない。

 母さんは軽く指を振った。すると炎が、ふっと広がる。掌ほどだった火が、瞬く間に拳大になった。

「幽霊には、よく効く炎なんだけど」

 博仁をじっと見つめながら、静かに言う。

「試してみるかい」

 言い終わる前に、炎が放たれた。一直線に博仁へ飛ぶ。俺は思わず叫んだ。

「母さん!」

 だが博仁は動かないし、避けようともしない。炎はそのまま直撃した。

 ぼん、と空気が弾けて、玄関の空気が揺れた。青白い炎が、博仁の体を包む。

 普通の霊なら、これだけで跡形もなく消える……はずだった。

「……ふむ」

 炎の中で、博仁が呟いた。俺は目を見開いた。

「うそだろ……」

 博仁は立ったままだった。炎に包まれているのに、まるで風でも浴びているみたいな顔をしている。

 母さんの眉が納得いかない感じで、ぴくりと動いた。

「これでも消えないか」
「いい火だ」

 博仁は言った。

「魂の深いところまで届く」

 ぱち、と炎が弾ける。それなのに焼けない。

「でも」

 博仁は軽く手を振った。その瞬間、炎がふっと散った。まるで、煙を払うみたいに。俺は完全に固まった。

「……今」

 母さんが低く言う。

「何をしたんだい?」
「何も」

 博仁は肩をすくめる。

「ただ」

 少し笑う。

「効かなかっただけ」

 玄関の空気が一気に重くなった。母さんの目が細くなる。

「……なるほど」

 ぼそりと呟く。そして、二本目の炎が灯った。さっきよりも大きくて禍々しい。空気が震え始めたことで、俺は青ざめた。

「母さん、待て!」
「黙ってな」

 母さんは言った。

「これは試しだ」

 炎が、ゆっくり膨らむと、玄関の壁がミシリと鳴った。床の結界が強く光るのを見た博仁の笑みが、少しだけ深くなる。

「いいね」

 どこか楽しそうに言う。

「さっきより本気だ」

 母さんの声が低くなる。

「今度は消えるよ」

 そして――指を弾いた。

 ドォン!!

 炎が爆ぜた。青白い業火が玄関いっぱいに広がって柱が震え、窓ガラスがビリビリ鳴る。

 これってば、完全に家が壊れるレベルだ。

「ちょっと待てえええ!!」

 俺は叫んだその瞬間、体の奥から霊力が弾けた。思わず両手を前に出す。

「やめろ!!」

 白い光が広がる。俺の霊力が、業火と博仁の間に割り込んだ。

 空気が衝突して、バチバチと火花が散る。気づいたら、炎が消えていた。途端に玄関が静まり返る。

 母さんと博仁が、同時に俺を見た。

「……優斗」

 苛立った表情の母さんが、家中に日々渡る大声で怒鳴る。

「邪魔するんじゃないよ」
「あのままじゃ、家が壊れるだろ!」

 俺は反論すべく、負けじと大きな声を上げた。

 俺たちのやり取りを見た博仁がくすっと笑う。

「確かに」

 そして、ゆっくり母さんを見る。

「面白いね」

 少しだけ真面目な声になる。

「あなた、かなり強い」

 母さんも笑った。

「そっちこそ」

 腕を組む。

「普通の霊じゃないね」

 玄関の空気が、再び静かになる。そして母さんは、にやっと笑った。

「気に入ったよ」
「え?」

 俺は思わず声を出した。

「とりあえず、家に上がりな」

 博仁に向かって顎をしゃくる。

「ゆっくり、話を聞こうじゃないか」

 博仁は一瞬だけ目を細め、それから軽く頭を下げた。

「では」

 静かに言うお邪魔します」

 こうして俺の家に、正体不明の幽霊が居候することになってしまった。