***
文化祭の後片付けの声を背中に聞きながら、俺たちは校門を出た。夕焼けが街を赤く染めている。母さんは前を歩き、俺はその後ろをついていく――体の中に幽霊を一人抱えたまま。
「……なあ」
小声で呟く。
(ん?)
頭の中で、博仁が返事をした。
「静かにしてろよ」
(してるよ)
「してない」
(心の中の会話は、セーフだろ)
くすくす笑う気配がする。こいつ、本当に楽しんでやがる。
前を歩いていた母さんが、ふと振り向いた。
「優斗」
「な、なに」
「さっきから、一人でブツブツ言ってるけど」
じっと俺を見る。
「その中の奴と会話してるのかい」
俺は思わず目を逸らした。
「……まあ」
「ふーん」
母さんは意味深な笑みを浮かべた。
「仲良しだねえ」
「仲良くない!」
(いやいや)
博仁が呟く。
(悪くない関係だと思うけど)
「黙れ!」
「優斗、うるさいね」
母さんに頭を叩かれた。
「住宅街で騒ぐんじゃない」
注意されたので、黙ったまましばらく歩く。夕方の住宅街は静かだった。
犬の鳴き声や遠くのテレビの音。普通の生活の音がする。でも俺の体の中には幽霊がいる。それは、明らかに普通じゃない。
(いい場所だね)
博仁が言った。
(人の気配が多い)
「当たり前だろ」
(でも霊は少ない)
「母さんが祓ってるからな」
俺が言うと、母さんが肩越しに言った。
「聞こえてるよ」
(へえ)
博仁が少し感心した声を出す。
(街の浄化までしてるのか)
「まあね」
母さんは、やけにあっさり答えた。
「仕事みたいなもんさ」
(なるほど)
しばらく沈黙が続いたと思ったら――。
(……ますます気に入った)
ぼそりと呟く。
「何が」
(この家)
嫌な予感しかしない。
そのまま歩いて、十分ほど。俺たちの家が見えてきた。古い二階建ての家。庭には小さな祠と榊の木。母さんが門を開ける。
「ほら、入んな」
玄関に入る。靴を脱いだ瞬間、母さんが振り向いた。
「さて」
俺の顔を見た途端に、にやっと笑う。
「まずは――」
ぱん。
手を叩いた瞬間から、空気がガラッと変わった。家の中の結界が起動する。玄関の床に、うっすらと光の線が浮かび上がった。
「外から来た霊は」
母さんが腰に手を当てて言う。
「ここで弾かれる仕組みなんだけどね」
俺の体の中で、博仁がくすっと笑った。
(なるほど)
声が聞こえたと思ったら、胸の奥がぐっと引っ張られた。
「うわっ!」
体の外へ、何かが引きずり出される。黒い影が俺の体から滑り出し、玄関の床に着地する。
それはゆっくりと形を作った。黒髪に黒い着物。そして余裕の笑み。博仁が、そこに立っていた。
「……お邪魔します」
軽く頭を下げる彼を見て、母さんは腕を組んだ。
「やっと出たね」
空気が一瞬で張り詰める。博仁は玄関を見回した。
「いい結界だ」
素直に言う。
「普通の霊ならこの家に入った瞬間、消える結界ですよね?」
「褒めても何も出ないよ」
母さんの目が細くなる。
「さて」
ゆっくり一歩踏み出す。
「アンタ、何者だい」
博仁は少し考え、肩をすくめた。
「さあ、覚えてない」
母さんの眉がぴくりと動く。
「とぼけるんじゃない」
「本当だよ」
博仁は笑った。
「気づいたら封印されてた。それを優斗が解いた」
母さんの視線が鋭くなる。
「なるほど」
諦めたように、ゆっくり息を吐く。
「つまり」
次の瞬間、母さんの指先に炎が灯った。青白い火の存在だけで、場の空気がひりつく。
「危険かどうか」
静かに言う。
「ここで確かめるしかないね」
俺は青ざめた。
「ちょっ母さん!」
博仁は炎を見て、少しだけ目を細めた。
「……ほう」
楽しそうに言う。
「それが」
炎が揺れるだけで、空気が歪む。
「地獄の業火か」
博仁は興味深そうに炎を見つめた。母さんの指先に灯った火は、普通の炎とは違う。青白く揺らめきながら、周囲の空気をじわじわと歪めている。
温度は感じない。なのに、背筋がぞくりとする。きっと、霊そのものを焼く火に違いない。
母さんは軽く指を振った。すると炎が、ふっと広がる。掌ほどだった火が、瞬く間に拳大になった。
「幽霊には、よく効く炎なんだけど」
博仁をじっと見つめながら、静かに言う。
「試してみるかい」
言い終わる前に、炎が放たれた。一直線に博仁へ飛ぶ。俺は思わず叫んだ。
「母さん!」
だが博仁は動かないし、避けようともしない。炎はそのまま直撃した。
ぼん、と空気が弾けて、玄関の空気が揺れた。青白い炎が、博仁の体を包む。
普通の霊なら、これだけで跡形もなく消える……はずだった。
「……ふむ」
炎の中で、博仁が呟いた。俺は目を見開いた。
「うそだろ……」
博仁は立ったままだった。炎に包まれているのに、まるで風でも浴びているみたいな顔をしている。
母さんの眉が納得いかない感じで、ぴくりと動いた。
「これでも消えないか」
「いい火だ」
博仁は言った。
「魂の深いところまで届く」
ぱち、と炎が弾ける。それなのに焼けない。
「でも」
博仁は軽く手を振った。その瞬間、炎がふっと散った。まるで、煙を払うみたいに。俺は完全に固まった。
「……今」
母さんが低く言う。
「何をしたんだい?」
「何も」
博仁は肩をすくめる。
「ただ」
少し笑う。
「効かなかっただけ」
玄関の空気が一気に重くなった。母さんの目が細くなる。
「……なるほど」
ぼそりと呟く。そして、二本目の炎が灯った。さっきよりも大きくて禍々しい。空気が震え始めたことで、俺は青ざめた。
「母さん、待て!」
「黙ってな」
母さんは言った。
「これは試しだ」
炎が、ゆっくり膨らむと、玄関の壁がミシリと鳴った。床の結界が強く光るのを見た博仁の笑みが、少しだけ深くなる。
「いいね」
どこか楽しそうに言う。
「さっきより本気だ」
母さんの声が低くなる。
「今度は消えるよ」
そして――指を弾いた。
ドォン!!
炎が爆ぜた。青白い業火が玄関いっぱいに広がって柱が震え、窓ガラスがビリビリ鳴る。
これってば、完全に家が壊れるレベルだ。
「ちょっと待てえええ!!」
俺は叫んだその瞬間、体の奥から霊力が弾けた。思わず両手を前に出す。
「やめろ!!」
白い光が広がる。俺の霊力が、業火と博仁の間に割り込んだ。
空気が衝突して、バチバチと火花が散る。気づいたら、炎が消えていた。途端に玄関が静まり返る。
母さんと博仁が、同時に俺を見た。
「……優斗」
苛立った表情の母さんが、家中に日々渡る大声で怒鳴る。
「邪魔するんじゃないよ」
「あのままじゃ、家が壊れるだろ!」
俺は反論すべく、負けじと大きな声を上げた。
俺たちのやり取りを見た博仁がくすっと笑う。
「確かに」
そして、ゆっくり母さんを見る。
「面白いね」
少しだけ真面目な声になる。
「あなた、かなり強い」
母さんも笑った。
「そっちこそ」
腕を組む。
「普通の霊じゃないね」
玄関の空気が、再び静かになる。そして母さんは、にやっと笑った。
「気に入ったよ」
「え?」
俺は思わず声を出した。
「とりあえず、家に上がりな」
博仁に向かって顎をしゃくる。
「ゆっくり、話を聞こうじゃないか」
博仁は一瞬だけ目を細め、それから軽く頭を下げた。
「では」
静かに言うお邪魔します」
こうして俺の家に、正体不明の幽霊が居候することになってしまった。
文化祭の後片付けの声を背中に聞きながら、俺たちは校門を出た。夕焼けが街を赤く染めている。母さんは前を歩き、俺はその後ろをついていく――体の中に幽霊を一人抱えたまま。
「……なあ」
小声で呟く。
(ん?)
頭の中で、博仁が返事をした。
「静かにしてろよ」
(してるよ)
「してない」
(心の中の会話は、セーフだろ)
くすくす笑う気配がする。こいつ、本当に楽しんでやがる。
前を歩いていた母さんが、ふと振り向いた。
「優斗」
「な、なに」
「さっきから、一人でブツブツ言ってるけど」
じっと俺を見る。
「その中の奴と会話してるのかい」
俺は思わず目を逸らした。
「……まあ」
「ふーん」
母さんは意味深な笑みを浮かべた。
「仲良しだねえ」
「仲良くない!」
(いやいや)
博仁が呟く。
(悪くない関係だと思うけど)
「黙れ!」
「優斗、うるさいね」
母さんに頭を叩かれた。
「住宅街で騒ぐんじゃない」
注意されたので、黙ったまましばらく歩く。夕方の住宅街は静かだった。
犬の鳴き声や遠くのテレビの音。普通の生活の音がする。でも俺の体の中には幽霊がいる。それは、明らかに普通じゃない。
(いい場所だね)
博仁が言った。
(人の気配が多い)
「当たり前だろ」
(でも霊は少ない)
「母さんが祓ってるからな」
俺が言うと、母さんが肩越しに言った。
「聞こえてるよ」
(へえ)
博仁が少し感心した声を出す。
(街の浄化までしてるのか)
「まあね」
母さんは、やけにあっさり答えた。
「仕事みたいなもんさ」
(なるほど)
しばらく沈黙が続いたと思ったら――。
(……ますます気に入った)
ぼそりと呟く。
「何が」
(この家)
嫌な予感しかしない。
そのまま歩いて、十分ほど。俺たちの家が見えてきた。古い二階建ての家。庭には小さな祠と榊の木。母さんが門を開ける。
「ほら、入んな」
玄関に入る。靴を脱いだ瞬間、母さんが振り向いた。
「さて」
俺の顔を見た途端に、にやっと笑う。
「まずは――」
ぱん。
手を叩いた瞬間から、空気がガラッと変わった。家の中の結界が起動する。玄関の床に、うっすらと光の線が浮かび上がった。
「外から来た霊は」
母さんが腰に手を当てて言う。
「ここで弾かれる仕組みなんだけどね」
俺の体の中で、博仁がくすっと笑った。
(なるほど)
声が聞こえたと思ったら、胸の奥がぐっと引っ張られた。
「うわっ!」
体の外へ、何かが引きずり出される。黒い影が俺の体から滑り出し、玄関の床に着地する。
それはゆっくりと形を作った。黒髪に黒い着物。そして余裕の笑み。博仁が、そこに立っていた。
「……お邪魔します」
軽く頭を下げる彼を見て、母さんは腕を組んだ。
「やっと出たね」
空気が一瞬で張り詰める。博仁は玄関を見回した。
「いい結界だ」
素直に言う。
「普通の霊ならこの家に入った瞬間、消える結界ですよね?」
「褒めても何も出ないよ」
母さんの目が細くなる。
「さて」
ゆっくり一歩踏み出す。
「アンタ、何者だい」
博仁は少し考え、肩をすくめた。
「さあ、覚えてない」
母さんの眉がぴくりと動く。
「とぼけるんじゃない」
「本当だよ」
博仁は笑った。
「気づいたら封印されてた。それを優斗が解いた」
母さんの視線が鋭くなる。
「なるほど」
諦めたように、ゆっくり息を吐く。
「つまり」
次の瞬間、母さんの指先に炎が灯った。青白い火の存在だけで、場の空気がひりつく。
「危険かどうか」
静かに言う。
「ここで確かめるしかないね」
俺は青ざめた。
「ちょっ母さん!」
博仁は炎を見て、少しだけ目を細めた。
「……ほう」
楽しそうに言う。
「それが」
炎が揺れるだけで、空気が歪む。
「地獄の業火か」
博仁は興味深そうに炎を見つめた。母さんの指先に灯った火は、普通の炎とは違う。青白く揺らめきながら、周囲の空気をじわじわと歪めている。
温度は感じない。なのに、背筋がぞくりとする。きっと、霊そのものを焼く火に違いない。
母さんは軽く指を振った。すると炎が、ふっと広がる。掌ほどだった火が、瞬く間に拳大になった。
「幽霊には、よく効く炎なんだけど」
博仁をじっと見つめながら、静かに言う。
「試してみるかい」
言い終わる前に、炎が放たれた。一直線に博仁へ飛ぶ。俺は思わず叫んだ。
「母さん!」
だが博仁は動かないし、避けようともしない。炎はそのまま直撃した。
ぼん、と空気が弾けて、玄関の空気が揺れた。青白い炎が、博仁の体を包む。
普通の霊なら、これだけで跡形もなく消える……はずだった。
「……ふむ」
炎の中で、博仁が呟いた。俺は目を見開いた。
「うそだろ……」
博仁は立ったままだった。炎に包まれているのに、まるで風でも浴びているみたいな顔をしている。
母さんの眉が納得いかない感じで、ぴくりと動いた。
「これでも消えないか」
「いい火だ」
博仁は言った。
「魂の深いところまで届く」
ぱち、と炎が弾ける。それなのに焼けない。
「でも」
博仁は軽く手を振った。その瞬間、炎がふっと散った。まるで、煙を払うみたいに。俺は完全に固まった。
「……今」
母さんが低く言う。
「何をしたんだい?」
「何も」
博仁は肩をすくめる。
「ただ」
少し笑う。
「効かなかっただけ」
玄関の空気が一気に重くなった。母さんの目が細くなる。
「……なるほど」
ぼそりと呟く。そして、二本目の炎が灯った。さっきよりも大きくて禍々しい。空気が震え始めたことで、俺は青ざめた。
「母さん、待て!」
「黙ってな」
母さんは言った。
「これは試しだ」
炎が、ゆっくり膨らむと、玄関の壁がミシリと鳴った。床の結界が強く光るのを見た博仁の笑みが、少しだけ深くなる。
「いいね」
どこか楽しそうに言う。
「さっきより本気だ」
母さんの声が低くなる。
「今度は消えるよ」
そして――指を弾いた。
ドォン!!
炎が爆ぜた。青白い業火が玄関いっぱいに広がって柱が震え、窓ガラスがビリビリ鳴る。
これってば、完全に家が壊れるレベルだ。
「ちょっと待てえええ!!」
俺は叫んだその瞬間、体の奥から霊力が弾けた。思わず両手を前に出す。
「やめろ!!」
白い光が広がる。俺の霊力が、業火と博仁の間に割り込んだ。
空気が衝突して、バチバチと火花が散る。気づいたら、炎が消えていた。途端に玄関が静まり返る。
母さんと博仁が、同時に俺を見た。
「……優斗」
苛立った表情の母さんが、家中に日々渡る大声で怒鳴る。
「邪魔するんじゃないよ」
「あのままじゃ、家が壊れるだろ!」
俺は反論すべく、負けじと大きな声を上げた。
俺たちのやり取りを見た博仁がくすっと笑う。
「確かに」
そして、ゆっくり母さんを見る。
「面白いね」
少しだけ真面目な声になる。
「あなた、かなり強い」
母さんも笑った。
「そっちこそ」
腕を組む。
「普通の霊じゃないね」
玄関の空気が、再び静かになる。そして母さんは、にやっと笑った。
「気に入ったよ」
「え?」
俺は思わず声を出した。
「とりあえず、家に上がりな」
博仁に向かって顎をしゃくる。
「ゆっくり、話を聞こうじゃないか」
博仁は一瞬だけ目を細め、それから軽く頭を下げた。
「では」
静かに言うお邪魔します」
こうして俺の家に、正体不明の幽霊が居候することになってしまった。
