アイドルの君へ伝えたいことー配信アイドルの僕が、本物のアイドルに恋をした—

 英くんと連絡交換してから一週間が経った。

 英くんからは連絡が来なかったし、僕からも連絡はしなかった。

 まぁ、そうなることは分かっていた。

 いつもの月曜日、一時限目の心理学の授業を受けるため教室に入った。

 僕がいつもの席に座った瞬間、英くんが駆け足で僕の隣にドカンと勢いよく座り込んだ。

「はぁ、着いた」

「え?」

「…あ、隣ダメだった?」

 心配そうに英くんは僕の顔色を窺うように覗き込んでいた。

「いや…そんなことないけど…」

 僕は下を向いて、小さな声で言う。

「よかった! ねぇねぇ、聞きたいことあるんだけど」

 前かがみに英くんは僕に聞いた。

「なに?」

 僕はこてんと小さく首を傾げた。

「…千世ってなんで名前つけたの?」

 急に配信アプリのニックネームを尋ねてきた。

「…英くん。ここでその話はなし」

「はいはい、分かったよ。じゃあさ、俺これ終わったらレッスン入っているから。レッスン場に来てよ。よし、決まりね」

 鞄からルーズリーフやテキストを取り出して、ふふふと鼻歌を歌ってにんまりと口角を上げていた。

「いや…それはお邪魔だと思うから、遠慮するよ」

 僕は左右に手を振った。

「いや…大丈夫だよ。ちゃんと偉い人には言っておいたから。悠生は信頼できる人だって」

 信頼できる人。

 この一週間で、僕のなにを分かっているんだろう。

 僕のことなんて、分からないのに。

 自称アイドル千世としての僕しか見ていない。

 自称アイドル千世は男女問わず、慕われている。

 ダンス・歌・好きなものを語るときは楽しく笑っている。

 長谷川悠生としてではない。

 自称アイドル千世の僕しか見据えていない。

 英くんは本当の僕を見ていないんだ。

 そんな重苦しい気持ちを飲み込むように、僕はお茶のペットボトルを口に入れた。

 その時、ちょうど教授がやってきた。

 教授がテキストを開いた瞬間、学生たちは静まり、前を向き直してテキストを広げていた。

 隣にいる英くんも同じくテキストを開き、教授の言葉を一つずつ書き込んでいた。

 字が丁寧で、早口で話す教授の言葉を自分なりにまとめていた。

 瞬時にまとめることができているのは、羨ましい。

 僕はすぐまとめることができないので、授業終わりにまとめて、復習している。

 相手の良いところを見つけると、僕自身の良いところが薄く見えて、心に影が差す。

 はぁ、ダメだな、僕。

 相手は相手の良いところって割り切ればいいのに、比較なんてしても意味ない。

 僕は頭で考えていたので、心理学の授業が頭から入ってこなかった。

 授業が終わった瞬間、僕はテキストを開いたまま固まった。

「おーい、悠生」

 英くんの肩を揺さぶられて、僕はハッとゆっくり身体を動かした。

 授業が終わり、学生たちは帰りの身支度を整えていた。

 荷物をまとめて帰ろうとしている人もいたり、仲のいい友達と楽しげに大声で騒いでいた。

「…あ、ゴメン。…もしかして、授業終わった?」

 僕は周りを見渡して、横にいる英くんに顔を向ける。

「うん、終わった。なんかずっとシャーペン握りしめたままだったけどなんかあった?」

 ルーズリーフとテキストを鞄にしまい込み、また心配そうに僕をまっすぐな目で見つめてきた。

「…いや、大丈夫。うん。あのさ、僕…」

 僕が話し始めたら、英くんは僕の言葉を遮り、立ち上がった。

「じゃあ、行こう! レッスン場、絶対ね。
 悠生、喜ぶと思うよ。俺が保証する。ねぇ!」

 鞄を肩にかけて、ニカッと白い歯がくっきりと見えた。

「いや……あの…僕…」

 僕が言いかけても、英くんはもう聞いていない。

 レッスン場、レッスン場と小声で言うばかりだ。

 僕をレッスン場に連れて行くことにしか頭にはない。

「悠生。ほら、立って。行くよ」

 英くんは笑みを堪えず、僕に手を差し出した。

 なに、行かないの? と首を傾げて、僕が手を差し出すのを待っていた。

「…分かったよ。行くよ」

 僕は諦めて、英くんのレッスン場に行くことにした。

 何を言っても、英くんは説得してくるに違いない。

 そう思うと反論せずに、行ったほうが早い。

 僕は英くんの手を握りしめて、教室をあとにした。

 レッスン場までは大学から地下鉄を乗り継いで、約十五分のところにあるという。

「…結構歩くね」

 地下鉄の中にぶら下がっている新発売されたスマホの広告を目にしながら、僕はぽつりと呟く。

「まぁ、体力づくりにはなるし。まだレッスン場にしてはまだ近い方だよ。遠いところだと海沿いにあったりするらしいし」

「え? そうなんだ」

 地元のアイドルも大変なんだな。

 レッスン場を借りるだけでも、お金がかかるし、地元の活性化と言っても予算があるだろう。

 駅に到着したら、乗客が一気に降りた。

 高校生たちは学生鞄を手に掲げて、マジでさ、ウチは~マジでウケるとガハガハと豪快に笑っていた。

 なにが面白いのか分からないが、高校生の時は面白くなくても笑えていた。

 昔、僕もそうだったな。

 高校生の時を思い出して、呆然と立ち尽くしていた。

「悠生。悠生。悠生!」

 左隣にいた英くんが少しボリュームを落として、声を掛けた。

「あ、え? うん」

「ここで降りるから。さっきから大丈夫か?」

 膝を屈んで、僕の顔を近づけて、頭にポンポンと撫でてきた。

「…なっ、なに?」

 僕はいきなり英くんの顔面が僕の前に現れたので、思わず瞳孔が開く。

「いや…なんか落ち込んでるのかなって思って。あ、違かった?」

 満面な笑みを浮かべて、僕の答えを確かめるように聞いてきた。

「いや……あの…」

 僕がそう言いかけた時、英くんは「あ、急ごう。扉が閉まっちゃう」と言い、僕の手首を掴んだ。

 扉が閉まりそうになるギリギリ手前だった。

 僕たちが降りた瞬間、「閉まります」と機械音が響き渡った。

「…あっ…」

 僕が機械音に反応して、後ろを振り向く。

 地下鉄を待っている人たちが僕たちを見ていた。

 なにを思っているのか女性一人がにこやかに微笑んでいたのを見逃さなかった。

 なんで笑ってるんだろう。

 頭に疑問符が浮かぶ中、僕は英くんの手を引っ張られるまま駆けていた。

 改札口でスマホをタッチして、駅に入った。

「…そんなにさ、走らなくてもよくない?」

 僕はあまり体力がない。

 配信アプリのアイドルをしているが、体力はあまり持ち合わせていない。

 一応、ストレッチとか筋トレはしているけど、なかなか身体と心がついていけない。

「いいじゃん。こういうのもさ、青春って感じするし」

 僕の手首を離して、意外な返しに思わず噴き出した。

「…なにそれ。アハハ。英くんって意外におちゃめだよね」

 僕は腹を抱えて、笑った。

「……悠生って、笑い方独特だよね」

 英くんは笑う僕をまばたきをして、突っ込んできた。

「え? そうかな」

 そんな変な笑い方してるか?

 これが僕なんだけどな。

「うん。でも、俺はいいと思うよ。悠生らしい」

 悠生らしい。

 千世ではなく、僕らしいってことか。 

 さっきまで心が焦げたような想いだったのに、その一言で僕は心が温められて消えた。

「…そっか。ありがとう」

 僕は英くんに微笑んで、感謝した。

「…悠生。じゃあ、行こうか。すぐそこだから」

 僕の名前を呼んでから、二人で足を踏み出した。

 ここから、レッスン場まで本当にすぐだった。

「ここ。俺がレッスンしている場所」

 英くんは高いビルを指さして、僕に教えた。

 こんな高いビルで、レッスンしてるんだ。

 人気なのかな。

 地元の男性アイドルって興味持ったことなかったからな。

 僕は英くんの後ろをついていき、エレベーターに乗り込む。

 レッスン場は三階にある。

 エレベーターにある会社の標識があった。

 見ると、十階まであり、スーパーやコンビニなど日常生活に必要なものがこのビルには揃っている。

 エレベーターの扉が開いて、三階に足を踏み出す。

 そこには、広いレッスン場がいくつもあった。

 小さいスペースには個別ブースがあったり、自販機やロッカーなど充実したものが並んでいた。

「…ここがレッスン場?」

 僕は立ち尽くして、ポカンと口を開けて見渡した。

「そう、ここ。あ、城内さん!」

 英くんは城内さんに大きく手を振って、子犬のように駆け寄っていた。

「あ、橙羽! なに早いじゃん!」

 城内さんは英くんとハイタッチをして、返事をした。

「俺もたまにはちゃんとしてるんですよ。舐めないでください」

「はいはい。それより、隣にいる子は?」

 不思議そうに首を傾げて僕を見ていた。

「城内さん。前に言ってた子。覚えてる?」

 英くんはなんで城内さんに僕のことを話したのだろう。

 城内さんはうーんと顎に手をつけて、考え込んでいた。