俺に「好き」って言わせたい一軍男子が面倒くさい

その日のバスケ練習が終わり、オレは多岐と一緒に帰る。もうすぐオレがひとりで暮らすマンションの近くに来た。わざとらしくならないように、さりげなく多岐を誘う。

「オレんち、そこだから、少し寄っていかない? 引っ越してきたばっかりで何もないけど」

すると多岐は澄んだ瞳でオレを見上げて「わかった、母さんに遅くなる、って連絡してみる」と、スマホを操作してから、オレについてくる。もっと警戒心を向けてくるかと思ったのに。

低層階マンションの三階の角部屋の玄関ドアをカードキーで開けて、オレの部屋に多岐を迎え入れる。

廊下にはまだ開封していない段ボール箱がふたつあるが、荷物は少なかったから、部屋は片付いていた。

ローテーブルの横のクッションを多岐にすすめて、座ってもらう。冷蔵庫から1リットルペットボトルのコーヒーと、コップを持って来て、テーブルの上に置いた。コップは駅近の雑貨屋で買った多岐に合いそうなブルーの差し色が綺麗な硝子。多岐を部屋に呼んだ時に使おうと思っていた。オレのは色違いの赤いコップ。用意していたものだなんて、もちろん多岐には言わない。

よく冷えたコーヒーを注ぐと、喉が渇いていたのか、いただきます、と多岐が飲み干す。オレも多岐の隣に座った。

「あ、ごめん、水のほうが良かった? 今日の練習で動いたからね」

「なんか当麻が余裕で腹が立つ」

練習のことを指して多岐が言っているのだと、わかっていても、多岐を前にしたオレに余裕なんてあるはずがない。今も自分の心臓の音が早い。

少しずつ、多岐を怖がらせないように、距離を詰めたいオレの内心なんて知らないだろう多岐が、二杯目のコーヒーを喉仏を上下させて飲んでいる姿が、夢のようだ。目の前に本物の多岐がいる。手を伸ばしたら、触れられてそこに存在しているんだ、と胸が熱くなった。

「なに?」

じっと見つめてしまっていた。多岐の目にかかった長めの前髪をオレは人差し指で、そっと梳くった。

「七年ぶりの多岐だな、と思って。本当にまた会えたんだな、って」

「なにそれ。俺の知らない俺にでも会ったの? 当麻が言う昔の俺って、ほんとに俺かよ?」

そう問われて、忘れ去られている事実を改めて突きつけてくる。ぎゅっと胸を締め付けられた。多岐は残酷なことを言ってる。

はぐらかすように、オレは微笑む。

「その噓くさい笑顔、俺の前ではやるなよ。当麻の本当の姿じゃないだろ」

「オレの本当の姿を見せて多岐に避けられたくない」

真顔でそう告げると、多岐が唇を引き結んだ。

「今さら避けたりしない。当麻がいますごく心細そうな表情してるから」

多岐、その優しさはオレ以外には見せないで。と口にしたら、多岐はどうするんだろう。体の芯がチリチリしてる。

「当麻の知ってる昔の俺ってどんなやつだった?」

オレの沈黙が長かったせいか、多岐が話題を変えた。

「オレの知ってる多岐は……」

取り繕う笑顔は多岐の前では通じないから、仮面を外して素の自分でオレは多岐に向き合う。






◇◇◇◇◇





「あれは多岐とオレが幼稚園の頃……」

「そんなに遡るの?!」

「うん、多岐とオレの初対面から。登園してきた多岐がお母さんと離れたくなくて、泣いていたんだ」

「覚えているか、そんなの!」

多岐のツッコミが入るがオレは続けた。

「あまりにも可愛くて多岐が天使で、守ってあげなきゃ!って思った。そのときオレの頭の中で祝福の鐘が鳴ったんだ」

「は……?」

多岐がポカンとする。オレの一目惚れの瞬間の衝撃は、言い尽くせない。

もうその瞬間から、多岐と結婚する!と運命づけるように鐘の音がしたんだ。こんなこと多岐は信じないかもしれないけど。

「年長さんのお遊戯会で『カエルの王子様』をやることになって、多岐が王子様役になったとき、『当麻がお姫様じゃないとキスしたくない』って拗ねるくらいには、多岐はオレのことを好きだったよ。けっきょく、女の子がお姫様役をやって、多岐は女の子とはキスするふりもしなかった」

「なにやってんだ俺の知らない俺……!」

「だから、『キスは大きくなってからしようね』ってオレは多岐と約束したんだよ」

「ああ……!」

多岐が頭を抱えている。

「そんな他愛もない約束を、多岐とたくさんした。そのひとつひとつを多岐は守ってくれた」

「た……例えば……?」

恐る恐る多岐がオレの言葉を促す。

「小学生二年生の雨の日にね。多岐が『もう大きくなったから』ってキスしてくれたんだよ。ふたりで傘に隠れて」

また多岐が、あぁ……!と頭を抱えて床に倒れる。

「オレとの約束、覚えていてくれて、すっげぇ嬉しかった。雨音まで鮮明に思い出せるくらい、忘れない」

無意識にオレは自分の胸に身につけている、多岐がずっと大切にしていてくれた鍵型チャームのペンダントを、握っていた。

「多岐は約束を守ってくれたんだ、って思ったら、もう……」

そのときの雨音が耳によみがえってきて、感情を抑え、多岐から少し離れる。多岐にとって今のオレが一番、危ないから。多岐を怖がらせないように。

床で悶えていた多岐が「なにしてんだ、昔の俺ー!」と、がばりと起き上がり、オレに向き直る。

「俺、そんなことしてたの?! もう何を聞いても驚かないからな!」

多岐との思い出話を、多岐本人にするのも不思議な気持ちになる。オレは多岐に忘れ去られた、自分と多岐のことを語り始める。





◇◇◇◇◇





小学三年生の夏に、オレの家族と多岐の家族で、海水浴に行った。

海の家のひとつを拠点に、オレと多岐の家族で荷物を交代で見ながら海水浴をしていた。

海の家から遠く離れないように言われて、オレと多岐で海に入ったんだ。波打ち際ではしゃいで、波のかけ合いしながら、だんだん、拠点にしていた海の家から、離れていってたことに、オレは気がつかなかった。たぶん多岐も同じだったと思う。

砂浜の太陽の照り返しの熱さと、水温の冷たさで、体力を消耗し始めて、多岐が「帰りたい」って言い出したときには、もう海の家の方角を見失ってた。

オレは、多岐もいるし、しっかりしなきゃ、って考えてた。

海から上がったあとに、無駄に動いたらダメだと考えて、監視員の高い櫓を目指して、多岐の手をつないで一緒に行った。

多岐は疲れた様子で黙ってオレについてきた。何か多岐を安心させる言葉を探していた。

自分も心細かったけど、多岐を守りたい一心で、オレは多岐の手を離さなかった。

監視員に話しかけられる距離までが、すごく遠くて、オレは泣きたいのを我慢していた。多岐に弱さを見せたくなかったから。

そしたら、多岐がオレの手を、ぎゅっと握り返してきて

「大丈夫だよ、お母さんたちは見つかるよ」

って、強張った顔つきでオレに言ったんだ。

肝心なときに、多岐を守って支えるつもりが、オレのほうが多岐の言葉に支えられいたんだ。

監視員に迷子案内へ連れて行かれて、オレがついていながら情けないな、って思ってたら、家族が迎えに来たときに多岐が

「お母さんたちがどこかにいっちゃたんだよ、探したんだから!」

って言って、大人を和ませてた。すごいな、って。結果は怒られたけど。

あのときの多岐に、救われたんだよ、オレは。





◇◇◇◇◇





オレが話し終えたタイミングで、多岐のスマホが振動して、画面に『母』と表示された。

「あー、たぶんもう帰ってこい、っていう連絡だ」

「うん、送ってくよ」

オレが立ち上がると、多岐も慌てて立ち上がった。壁際の黒い三段チェストの上に置いてあった、B7サイズ程度の木箱を、多岐がぶつかって落としてしまった。

「あぁ!! ごめん!! 壊れてない?!」

落とした木箱を拾って、多岐が固まった。何か、思い出してくれたの? と一瞬、期待する。

「傷、ついてないよね?」

じっくり見ていた多岐が、木箱をオレに手渡して、確認してきた。オレは、多岐へ大袈裟にため息をついてみせた。

「これ、大切な人との思い出のオルゴールなんだよね」

ダメだよ、多岐。こんな手に引っかかって。

「え?! 本当にごめん! 開けてみる?」

「多岐は……」

何も。これでもまだ何も、思い出さないんだね。

深呼吸して、オレは
「今は鍵をかけてるから、開けられないんだよ。大切な人と再会したときに一緒に聴く、って約束してるんだ」
多岐の目をのぞき込んで、さざ波のように広がっていく戸惑いを見つめていた。

「そ……そ、う、なんだ……」

多岐が自分で、思い出すまでは、オレは、このまま。

「あ、そうだ。今日の多岐からの『好き』は、まだ言ってもらってないんだけど?」

切なくなる気持ちを払拭するように、わざとらしくからかう口調でオレは、多岐に言う。すると多岐が不満そうに唇を引き結ぶ。

「今、言うの?」

「そう、今。多岐が知らないオレと多岐の昔話を聞いて、多岐がオレを好きになったかなー? って。だ、か、らー。言って」

不服そうな顔をする多岐を、この場で抱きしめたくなる。

「す……好き」

顔を伏せて言う多岐に、もう限界。腕を回して、多岐の柔らかい髪の感触を確かめるように、頭を引き寄せた。

「な、なにすんだよ」

口では反抗的な言葉を吐くくせに、逃げない。

「すぐ離れないと、調子に乗るよ?」

「乗るな!」

今度こそ、オレを突き飛ばして、多岐が頭を離す。

「帰る!」

「待って! 送っていくってば」

玄関へ向かう多岐を追いかけた。






◇◇◇◇◇






多岐の家まで送っていったが、道中、多岐は黙り込んでいて、何かを思案しているようだった。

多岐のお母さんが出迎えてくれる。多岐はさっさと家に入ってしまいそうで、その背に声をかける。

「おやすみ、多岐」

ちらっとオレを振り返った多岐が「おやすみ、また明日」と早口で言って、自宅に引っ込んだ。

多岐のお母さんが、心配そうにそれを見送り、オレを見上げてくる。何を言いたいのかは、わかっていた。

「大丈夫です、多岐にはあのときのことは話してません。忘れたままです」

「……ごめんなさい。当麻くんがあのときあの子を助けてくれたのに」

本当は、思い出させようとしています。身勝手な理由です。ごめんなさい。

そんな気持ちで、多岐のお母さんに頭を下げて、多岐の家から帰宅すると、オルゴールをチェストの上に、静かに戻した。





◇◇◇◇◇