俺に「好き」って言わせたい一軍男子が面倒くさい

帰宅して自室の窓を、そっと開ける。壱村が夕暮れの道を歩いて行く後ろ姿を見て、先ほどの囁きを思い出し、慌てて窓を閉めた。

顔が火照るのが、自分でもよくわからない。

壱村のようなキラキラしたやつが、俺なんかに近づいてくるは、何か企んでいるとしか思えなかった。

それに……。壱村みたいなやつと一緒にいたら、また悪目立ちして面倒なことになりそうだ。

ちょうど一年前の中学最後の合唱コンクールで指揮者を任されたときの、男の音楽教諭の存在がフラッシュバクする。

『倉沢くんが、いけないんだよ。困ったことがあれば、いつでも相談に乗るから、僕を頼ってね』

声が印象に残っているけど、顔がうまく思い出せない。顔が黒塗りで消されている。その音楽教諭の右手の甲にあった、一円玉大のホクロは思い出せるのに、顔が消えている。名前は里谷だと覚えている。顔が、わからない。

それに、俺が卒業する前に、里谷は急に休職した。でも……。

ぞわり、と背筋に悪寒が走った。いまもときどきこうして、里谷を思い出すと、嫌悪感で叫びだしたくなる。






◇◇◇◇◇





中学三年生で合唱部の部内投票で、最後のコンクールの指揮者を決めることになり、俺以外の全員が、俺に票を入れた。

責任を任される役は、やりたくない。俺は里谷に「やりたくありません」と告げたが取り合ってくれなかった。

『僕も倉沢くんが指揮者をするのが適任だと思います。きちんとフォローしますから、やってみませんか?』

そう言われてしまえば、断るのは俺の我儘であるというような雰囲気が出来上がってしまい、仕方なく引き受けた。

コンクールの練習が終わってからの、時間外に、里谷が俺を居残りさせて『指導』するようになったのは、指揮者を任されたその日だった。

譜面を見ながら、指揮の解釈を里谷が教えて、俺がそれを譜面に書き込み、タクトを振る。タクトの振り方の指導で、里谷が俺の手に触れてきたときは、嫌悪感でタクトを落としてしまうほどだ。右手甲のホクロ。里谷の手が俺の手に触れる。

最初は軽い接触程度だった。

里谷は俺が拒否しないと判断したのか、徐々に増長した。触れてくる手が気持ち悪く回避したくて、俺は伴奏の女子にも残ってもらおうとした。誰かいれば、里谷は触れてこない。

だが女子は「塾があるから」とあっさり俺のことを見捨てた。こんなこと誰にも相談できない。俺の自意識過剰と思われる。

音楽室での、里谷の行動がだんだん大胆になって、俺の『姿勢を直すため』と言って、肩や背中、首の位置を直すふりで、密着してくるようになった。もう吐きそうだった。限界。

『倉沢くんのためだから』『倉沢くんがステージで恥をかかないように』となにかと理由をつけて、触れてくる。

誰か助けてほしい。

『倉沢くんは目立つからいけないんだよ』

コンクールまでの我慢だ、と俺は自分に言い聞かせた。コンクールまでの我慢、それさえ耐えれば、解放される、と思っていた。

コンクールが終わっても、里谷の呼び出しは続いた。無視して音楽室に行かないと、翌日は担任教諭に伝言してまで、呼び出すようなこともされた。高校推薦がかかっているから部活引退までは……と我慢の延長をして、俺は耐えた。

親に心配もかけたくない。こんなこと友達にも知られたくなくて、相談なんてできない。

呼び出されて、里谷が体に触れた感触を消したくて、泣きながら帰る。鍵型チャームを手で握りしめながら、あの子だったら、こんなときどうするかを、考えていた。

「殴っちゃえばいいんだよ」

あの子なら、あっけらかんとそう言ったかもしれない。俺には殴る勇気はなかった。

親には、なにもなかったように振る舞っていた。だから、気づかれていないはず。

あぁ、あの子に会いたい、とそれだけが心の支えになっていた。約束したあの子の帰りを待っている。





◇◇◇◇◇





翌朝、支度をし終わり、俺が玄関で靴を履いているときに、インターフォンが鳴った。母親が出て大声をあげる。

「多岐ー! 当麻くんがきてるわよー!」

玄関ドアを開けると、爽やかな朝陽を浴びたキラキラの眩しい笑顔で、制服姿の壱村が立っていた。

「おはよう、多岐。約束通り、迎えに来たよ」

「お。おはよう……本当に来たのか」

「早く多岐に、オレを好きになってもらわないとだからね」

「はいはい」

俺の自宅を出発して、高校へ向かう。近隣の他校の生徒も登校時間のため、学校ごとの生徒の塊が歩いているが、壱村は群を抜いて目立っている。

他校の女子が壱村に視線をちらちらと送っていた。他校生からも壱村は注目されている。これだけスタイルも顔も整っていれば、あたりまえのことなのだろう。

登校している通学路を歩きながら、壱村が周囲をさりげない仕草で見渡す。

「他校生まで多岐のこと、見てる」

壱村が呟いて、急に不機嫌になる。

ちがうちがう、俺じゃなくて壱村が目立ってるんだよ……! 俺の存在なんて壱村の隣では霞ほども目に入らないだろ!

「多岐、鞄、持つよ」

は? 何言ってんの壱村! キラキラ一軍様に俺の鞄なんて持たせられるわけないだろ!

「いいよ、自分で持てる」

「いいから。オレが多岐の鞄、持ちたいの」

「断る!」

他校生の女子の視線が怖いって!

にべもなく断ったとたん、壱村が不貞腐れた。

「何で? オレが多岐を甘やかしたいのに?」

「甘やかされる理由がない」

「理由があれば甘やかしていいの?」

壱村が、ああ言えばこう言う屁理屈をこねてくるから、困る。

「それに、オレが『多岐』って呼んでるんだから、多岐も『当麻』って呼んでくれないと不公平じゃない」

不公平の使い方が間違っている。

「そこまで親しくない」

「いいのかなー? オレにそんなこと言って。返してあげないよ、あの鍵」

ぬぬぬぬぬぬ!

「それを持ち出すのは卑怯だ」

「目的のためなら手段なんて選ばないからね、オレは。ほら、呼んでみてよオレの名前」

壱村の、にこやかな笑み。眩しい……!

「……と……ま」

「え? 何? 聞こえない」

絶対に面白がってるな、こいつ……!

「当麻!」

やけになって呼ぶと、当麻は満足したらしく「よしよし」と俺の頭を撫でてくる。

「撫でるな!」

当麻と登校している時点で相当、目立っているっていうのに、見ろ! 女子がひそひそしてるじゃないか……!






◇◇◇◇◇





校門近く小原の姿があったので「おはよう」と声をかけると、俺の隣の当麻に、ぎょっとしたように飛びのいた。

それから小原が遠巻きに俺と当麻を見比べる。

「倉沢……ついに、一軍の仲間入りかよ……別世界に行ってしまわれたんだな……」

「何言ってんだ、小原」

俺だって好きで当麻と登校してるんじゃない。

小原を見下ろす当麻が、意味ありげに微笑んで「おはよう、小原」と挨拶した。

「僕はもう関係ないからね、壱村くん、倉沢を末永くよろしくね! さよなら!」

ダッシュする小原の背に俺は、手を伸ばす。

「あ……! 待って……!」

小原を追いかけようとした俺の襟首を掴んで、当麻が追わせない。

なんなんだ、一体……!

教室へ行くと、すでに俺と当麻が一緒に登校したことで、クラス内がざわついていた。

女子が白い目で俺を見てくる。

「なんで倉沢なんて地味なやつと、壱村くんが仲良いの?」

そう聞こえてきた声のほうに当麻が目を向けて

「オレが誰と仲良くしようと、関係なくない?」

にっこりと笑顔で女子の前で、言い切った。

女子が黙る。

そのまま俺は、なし崩しに一軍男子の輪へ、当麻に連れて行かれる。

朝のホームルームが始まるまで、女子たちの針のような視線に、俺は耐えた。偉いよ、俺!

俺の平穏な学校生活の予定は、どこに行った……!





◇◇◇◇◇





「多岐との時間を邪魔されたくないから」

と当麻に誘われて、今日も昼休みは温室で昼飯をとることになった。

断ろうと思ったが、ペンダントを取り返すまでは、当麻を拒絶できない。

今日の当麻のランチは、コンビニのオムライスだった。こんな少ない飯で男子高校生が満腹になるはずがない。

見かねて俺は「当麻の分も弁当を作ってもらえるように頼んでみるよ?」と聞くと、当麻は目を輝かせた。

「いいの? 本当にいいの?」

当麻はじっと俺を見つめて念押ししてくる。

「多岐とお揃いの弁当なんて、情緒が振り切れそうなんだけど!!」

怖いから振り切るな!

「とりあえず今日はこの玉子焼きをあげよう」

「オムライスなのに、多岐が玉子焼きをくれるなんて、たまごたまごで泣き出しそう!」

わけのわからないテンションで目を潤ませた当麻は、俺があげた玉子焼きにかぶりつく。

「はぁ……! まじで多岐が天使」

何言ってるか本当に意味がわからないんだけど。

予鈴が鳴るまでのあいだ、ずっと当麻は俺がいかに優しいのかを早口で述べていたが、俺にはまったく響かなかった。





◇◇◇◇◇





「当麻! 倉沢の独り占め、ずるい! おれも倉沢とパス練習したい!」

チャラ王子風の片瀬が、放課後の中庭のバスケコートで、駄々をこねていた。俺とパス練習したい、とは? こんな下手くそな俺とパス練習したって、つまらないだけだろうに。

当麻と練習していた俺の肩に、片瀬が腕をかけてくる。

その腕をシッシッ、と払いのけた当麻が「また多岐に鼻血を出させるわけにはいかないからな」と、片瀬を睨む。

「あー、俺も倉沢と組みたい」

と体格のいいい伏見も手を挙げる。

「ダメー! 絶対、ダメ!!」

当麻が、片瀬と伏見から俺を隠すように背にかばう。少し離れたところから、影森がその様子を見ていた。

片瀬と伏見はわかりやすいけど、影森は印象が薄いし、確か小中学校が同じだっかはずだけど、話したことがなくて、正直、どういう性格なのかも、俺にはわからない。

「グー、パーで決めれば良くない?」

じゃんけんのグーを出した人同士と、パーを出した人同士で組むように、と影森が提案してくる。

「五人じゃ、ひとり、余るだろ?」

俺は影森に聞いてみる。するとあっさりと「ぼくはひとりで練習するから、いいんだ」と、一抜けした。

今日の練習は、グーを出した俺と伏見、パーを出した当麻と片瀬で組んで練習した。





◇◇◇◇◇